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2011.4.22 NHKニュースウォッチ9 「原子力発電の恩恵を受けてきたのは私たちひとりひとりです」とNHK大越さん。「NHK社員ひとりひとりですか?」原子力で発電したものをくださいとはいっていません。それなのに、どうして、「ひとりひとり」に責任を課すような言い方ができるのでしょうか?それでは、リビアの国民を殺した責任もここ10年間リビアと仲良くしてきたアメリカと安保をしている日本国民ひとりひとりにあるのでしょうか?責任をはっきりさせない全体主義的な発想を感じました。

国策として原子力発電を進めてきたのだから、東電社長だけではなく、国にも責任がある。 そういった後の発言でした。 かなりの飛躍がありませんか。 ここで「私たち」ということばにすぐにいきついてしまうところが、いままで原子力発電や年金やその他多くの政治的な問題が論理的に道筋が決まらない考え方だと感じます。

最後に「原子力発電の恩恵を受けてきたのは私たちひとりひとりです」という言葉で〆るというのは、どういう意味があったのでしょうか。

「日本にいる人たちひとりひとりが、原子力発電所事故を考えなさい」というのでしょうか。考えて反対していた人たちもそのなかの「ひとりひとり」にはいるのでしょうか?

それとも「日本にいる人たちひとりひとりが、原子力発電所事故関連の補償のためにお金を出すことが求められる」といいたいのでしょうか?

そうだとすれば、今後考えられる、国(日本国政府)が東京電力にお金を出すための財源について、今の段階から、「世論の形成」ということに、大越さん、つまり、NHK関係者が、語っているということでしょうか。

「原発の利益を全国民が受けてきた」なら、「日本の製品を使っている世界中の人たちも日本の原発の利益を受けてきた」ことになります。大きく言えば、「福島の原発の利益は世界中の人たちが享受してきた」といえてしまうじゃないですか!

「ひとりひとり」までいうなら、どうして『世界中のひとりひとりが恩恵を受けてきたのです』といわないのでしょう?「私たち」と、大越さんは視聴者を『巻き添え』にしています。この視点が『我が国はxxxである』と、一つの視点で語ってしまう風土につながっていないでしょうか(『我国』を使うのは決して日本だけではなく、中国系でもかなり多いので、いわゆる東洋的なのかもしれませんけれども。)

『私たちひとりひとり』が世界中のみんなを対象としているのだったら、NHKは世界に対しても、日本の放送と同じことをいわないといけません。そういっているでしょうか。それとも『日本でこんなことが起こっているんです』と第三者的に『伝達』だけしていたりしないでしょうか?日本と世界を区別する時代ではないのに、対応を区別しているのなら、それは、前時代的な意識で考えて行動しているということになります。メディアにだって経済にだって、もちろん、人だって国境に阻まれている時代ではないはずですから。『国』とは、地理的な区分でしかない時代です。税金だって、別の国を旅行するだけでも、別の国に収めている時代です。決して、『日本人』が『日本国』だけに税金を納めているとは限らない時代です。『私たち』という言葉の意味もあいまいです。使っている人がその文脈を明確に説明せずに、その文脈に組み込まれてしまう、『巻き添えにされてしまう』、そういう使われ方が多くされています。そういう風土があります。「我が国は、我が校は、我が社は、」それは「専制君主、専制校長、ワンマン社長」がいう言葉です。でも、もうそういう時代ではないのです。そういいたくなったら「我が世界は」といってみてください。そういうとその言い方のおかしさに自分でも気が付くことでしょう。我がXXをやわらかくしたような『私たちが』でくくられても、それがどんな仲間内なのかを示さないのなら、まったく意味がありません。NHKの大越さんがいう「私たちひとりひとり」、それは『NHK社員ひとりひとり』という意味ですよね?

そういうことを、いろいろ考えさせてしまうところに、大越さん(つまりNHK)の発言の論理の不明確さがあります。

風評被害を防ぐため、とか、デマを防ぐためには、、といって、「正確な情報を集めること」と、いろいろなところで、もちろんNHKも、そういうことで、みんなに呼びかけていますけれども、当のNHK自身が、論理を説明せずに、一見、感想のようなレベルで、責任論みたいなことに踏み込んでいく。これは社会主義、全体主義、なのではないでしょうか?

これは、かなり国家的なマーケティングだと思えてしまいます。NHKの後ろにそういう考えを推し進めようとしている人たちがいるのではと思ってしまいます。

ちゃま本人も、こんなことをいって、デマを作り出しているかもしれません。これはすべて推測ですから。でも、推測を呼ぶようなメッセージをだしたのはNHKなんです。論理がないメッセージだったんです。不思議でしょう?

でも、日本で普通に教育を受けて、日本の風土の中で育ってくると、「原子力発電の恩恵を受けてきたのは私たちひとりひとりです」というようなメッセージは、感情に訴えるのです。大越さんはアメリカに派遣されていたそうですから、その違いを分かっていらっしゃるはず。ご自身のメッセージにも飛躍があることをご存じのはず・・・。それなのに、その一言をいった・・・・。どういう意味なのか、わからないのです。


実は、もう一つ、前段の原子力発電推進の「国の責任」という言葉も、単純ではないと思っています。

原子力発電推進してきた、自民党政府と官僚、それを支えてきた産業界と学会。

現在、日本国政府を担当している民主党政府。

これについても、NHKが「責任」について提言するのなら、明快な理由で、明確に位置づけるべきではないでしょうか。

これを区分せずに、ただ「国に責任がある」いっていること。「国」とは「政府」なのか「国会」なのか、「政府」のなになのか・・・とても不明確です。いままでずっと、「国」だけつかってききました。その「国」って「国民」?ある人が「国」を訴えるというのは「国民」を訴えること?ね、不明確でしょう?

それが、「原子力発電の恩恵を受けてきたのは私たちひとりひとりです」につなげてしまう考えとまったく同じです。

東電に公的資金を投入するなら、まずは株主と経営陣の責任を問うべき(小宮一慶の「スイスイわかる経済!“数字力”トレーニング」)というのを、これを書いた後、読みました。論理的なお話です。こちらもどうぞ。


2011年5月追加⇒頼れる仲間プルト君——プルトニウム物語 1990年頃の製作という原子力推進ビデオ YouTube 10分52秒


追加2011年6月2日関連追加⇒2011年6月2日爆笑問題大田さん「福島の人たちくやしいだろうなあ。でも、おれたちもそうおもっていたからなあ」といったら⇒NHK解説委員室山哲也さんすかさず「全員の責任」⇒ここがメディアの人の責任感のなさでしょうか?社会派は社会主義派全体主義派なのでしょうか?⇒環境エネルギー政策研究所飯田哲也さんはしっかりいってくれました。「メディア、政府、業界の責任の方が重くて、みんなそう思い込まされていた」


追加2011年6月10日関連追加 今度は「私たち」を別の意味で使っていました。 ⇒2011.6.10 NHK ニュース9 福島の避難区域の話で「私たちは取材をつづけてきました」と大越さん。ナレーションの女性の声も「私たちの取材の・・・」。でも実際に取材した人は別の人のようです。この時の「わたしたち」って、私たち日本国民でしょうか?原発の責任の時には「わたしたち」と一般人をひとまとめにしていました。どうして『わたしたち』を使い分けるのでしょう。どうして「だれだれディレクターが取材してきました」と個人名をいわないのでしょう? 

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