ブランドの基本:Schwinn シュウイン

インステップとシュウインの自転車リヤカーについてはモデル情報の方へどうぞ

シュウインブランドと現在の会社について

Schwinn第一回倒産後 創業家の手を離れて
1993-1997 Scott USA / Zell/Cilmark
1997-2001 Quester
Scott USA
Zell/Cilmark
Scott Holdings
ヨーロッパでのアジア製自転車販売でNo2
Scott Sports Group Inc.(New)
Schwinn Cycle and Fitness LP
Bike
Schwinn &Yeti
Fitness
Schwinn

Scott社の米国自転車事業の名前

Scott USA / Zell/Cilmark投資ファンド 共同出資の
Scott Sports Group Inc. 1993-1997
(注:このScott USAは1958年の会社とは別の1981年からの会社)

(シュウイン買収のためにScottUSAとZell/Cilmark投資ファンドが共同出資で作った持株会社。今のスコットスポーツとは違います。今のスコットスポーツは、Scott USA**の経営が危なくなって(たぶん倒産して)、Scott USAの資産をMBO(経営者が買収)してスイスに新しく作った会社。今のScott USAは、あたらしいスイスのスコットスポーツがアメリカ支店として元祖Scott USA創業の地に新しく作った会社。Schwinnを手放したのも、結局、Scott USA自体がなくなってしまうような事態となったからです。) --- **ここにでてくるScott USAも1958年創業のエド・スコットさんのScott USAとは違います。倒産した元祖Scott USAを1981年にチャック・フェリーズさんが中心になって買い取った会社です。チャック・フェリーズさんのお名前も上のリンク先のスコットのシュウイン買収の中にでてきます。「チャック・フェリーズはシュウインを復活させるカギは製品の再設計にあると見ている。」ということでした。創業のシュウインを全部なくしてスコットの考えるシュウインとしたのがチャック・フェリーズさんでした。

1992年、Schwinn Bicycle Co.の市場シェアは5%に。販売台数は1987年100万台、1991年50万台、1993年27.5万台。

Schwinn Cycle and Fitness LP ← シュウイン社が買収されてSchwinn Bicycle Co.からボルダー移転後、新会社名。 Skip Hess Jr.(スキップ・ヘス)がGiant USAの製品開発トップからシュウインのVP兼自転車事業トップに(1998年12月31日まで)。社長はラルフ・マレーさん(Ralph Murray)。社員は400人から180人に。本社はシカゴからマウンテンバイクの聖地デンバー州コロラドへ移転 心機一転 新シュウイン Homegrownマウンテンバイク。

1995年、高性能シュウイン自転車製作のためにYeti Cyclesを買収 競技用自転車とハイエンドモデルがYeti製。Yeti製Schwinn Paramountなど。Yetiは1991年にカリフォルニアからコロラドに移転していた。

1995年、Spinningブーム。自転車事業よりもフィットネス用固定自転車が会社の業績を支えていました。

1996年、トレックに次いでシュウイン自転車事業が業界2位に返り咲く。

「ヘスがシュウイン社再編で自転車事業の役に就いた(1993年)時点のシュウインでは、小売価格500米ドル以上の価格帯の自転車販売はほぼ不可能だった。(ヘスは)ヒップな(流行の)マーケティングと、新型旧型(ニュー&レトロ)のデザインと、さらに、いくつかUSA製ハイエンドモデル(some USA fabrication of high-end models)で、(ヘス時代に)シュウインは、どの小売店もそれまで考えもしなかったハイエンド市場での販売と信用を獲得した。(中略)結論:ヘスのジャイアントへの登場は小売店にとってグッドニュースだ。ジャイアントの競合にとってはバッドニュースだ。」(1999年3月米国ジャイアント社長就任時の業界コンサルタントの評価

ヘスさんは、マングースで有名なBMXプロダクツ社創業者のSkip Hess Sr.(スキップ・ヘス・シニア)の息子さん。息子さんがやっていた子供の自転車遊び用にお父さんがつくった自転車。BMXという商標もこの会社がつくりだしたそうです(下に)。BMXプロダクツ社ではライダーであり開発のお手伝いもしていたヘスジュニアさん。そのスキップヘスさんの時代に(スコット)シュウインはトレックに次いでナンバー2に返り咲きました。しかも、元祖シュウインのこだわっていた子供用自転車ではなく、大人用自転車としての位置づけでした。創業100年のイメージを振り切ったまったく新しいシュウインのイメージをヘスさんたちは作り上げました。 (でも、イエティ側からみると「1996年、シュウインは自身の会社を空っぽにしてすべてイエティを使おうとした。イエティ社員はまだ大切にされた。」という描き方です。)

興味深い話は・・・・、創業家シュウインが販売しはじめた、台湾製BMXが低価格だったことで、BMXプロダクツ社はじめ、アメリカで手作りしていたBMX自転車はすべて輸入品になったということです。そうして低価格となった会社は、どこかに身売りをするしかありませんでした。そのきっかけを作ったシュウインの台湾製BMXはGiant製でした。ヘスさんの息子さんのヘスさんはそのGiantの製品開発トップになりました。創業家シュウインは東からのGiantとDiamond Backに負けて倒産しました。そうよく言われています。でも本当は、シュウイン経営層のおごりに、ディーラーが嫌気を感じていたことだということです。そうして、台湾人や中国人や日本人ではなく、「アメリカ人自身」が、創業家シュウインではなく「ジャイアントやダイヤモンドバックに味方」しました。ヘスジュニアさんもSchwinnを倒した先鋒の一人といえるでしょう。そのヘスジュニアさんが、今度は、Schwinnの新しいイメージで、Schwinnブランドを信頼のブランドとしたのですから、因果は巡ります。そして、Schwinn後には米国ジャイアント社長となってジャイアントの米国での地位を復活させただけでなく、米国での地位を確固たるものにしました。日本のマクドナルドのようにアメリカのジャイアントとしてアメリカの代表的な自転車会社と認められるような会社にしたのがヘスさんです。

この時期のSchwinnとは、
「Scottのアメリカでの自転車事業のための看板」
で、その実態は
経営:スコットUSAオーナーでスコットスポーツ会長のチャックフェリーズさんとスコットスポーツ社長トムステンダールさん
自転車事業執行:スキップヘスジュニアさん
工場:中級MTBのHOMEGROWNはYetiイエティ、量販MTBは台湾/中国

という構図でしょうか。

この年、スコットUSAは倒産したようです。この倒産はスコットUSA2回目の倒産(創業1958年エド・スコットさんの会社が倒産したのは1981年。これでチャック・フェリーズさんの会社になっていました)。ヨーロッパ事業の役員Beat ZauggさんがScottUSAをMBO買収して、スイスにScott Sports SAが設立されました。スコットの米国での自転車事業は2004年に元キャノンデール(2000年倒産)のスコット・モンゴメリさんを呼び寄せて再開するまで停止します。

1998年から、2011年現在まで、"SCOTT USA"とは、スイスのスコットスポーツ社(Scott Sports S.A.)の商標。アメリカの会社"SCOTT USA"は、現在ではアメリカ支店。商標と子会社名を同じにしている。アメリカ以外はScott Sports+国名。アメリカだけは、本拠地を創業の地において、創業時の名前(つまり、現在のブランド名)をつけて、昔からつながっているように見えるようにしているということになります。第一義的には「商標」です⇒velosuisse ベロスイス 会員リスト
Questor Partners Fund
Schwinn Holdings Corporation (New)
Schwinn Cycle and Fitness LP
GT Bicycles, Inc.

投資会社Questor Partners Fund のポートフォリオ事業 1997-2001

Schwinn Holdings Corporation 買収でできた持株会社 社長兼CEOはTom Mason 98年6月時点の社長はRobert E. Shields, Schwinn Holdings Corporation, c/o Questor Management Company(住所はクエスターと同じ), 4000 Town Center, Suite 530, Southfield, MI 48075 (secinfo.com 7/1/1998)

Schwinn Cycling & Fitness Inc., Skip Hess Jr.(スキップ・ヘス)が1998年12月31日まで社長。ヘスさんは1999年3月4日付で、古巣のGiant USAの社長となりました。ピーク時の40%に売上が落ちていたGiant USAも、ヘスさんの手腕で自転車専売店販売でナンバーワンになります。「Giant USAはアメリカの自転車」になり、ヘスさんは、Giantの製品開発でもアメリカだけでなく全世界の責任者となりました。Giantを2007年10月まで務めて、2008年5月からはエレクトラ自転車の共同CEO

倒産したGT Bicycles, Inc.を1998年6月から年末にかけて買収。シュウイン社とGT社は別の会社として存続。でも、持株会社傘下の両社をあわせて、よくSchwinn/GTと呼ばれました。

1999年: デュランゴのイエティ工房をシュウインが99年春に閉鎖。イエティ社員は2名だけ。(4ヵ月後、イエティはVolant社のオーナーでアップルコンピューター創業者の一人マイク・マークラさんに売却。これも不振で、さらにその翌年2000年にYeti創業メンバー中心としたYeti愛好者の手に戻りました。でもこの一連の経緯でイエティはほとんどゼロからのスタートに。)

2001年にカリフォルニアのOmnium Cycle Worksに外注生産委託していたSchwinnモデルとGTモデルで未払い問題で訴えられました。このOmniumは1996年設立でSchwinn/GTが大顧客でした。Made in USAのSchwinnモデルとGTモデルは、台湾のFritz Jouの米国出先工場で作られていたものがたくさんあったということです。

この時期のSchwinnとは、
「投資会社のポートフォリオ」
「5年以内の売却」が基本です
コスト圧縮のためにイエティ部分は圧縮し、台湾/中国製(台湾/中国流アメリカ製)の流通に向かっていることがわかります
パシフィックサイクルへの譲渡が、無理のなかったことがわかります

2004年にパシフィックサイクル社をカナダの育児用品大手ドレル社が買収(記者発表)。パシフィックはレクリエーション/レジャー部門として育児/家具に次ぐドレルの3つ目の事業の柱となりました。2008年ドレルはキャノンデールを買収してレクリエーション/レジャー部門に組み入れ、パシフィックサイクルが大規模小売店向け、キャノンデールがIBD(自転車専売店)向けとレクリエーション/レジャー事業が2分割されることになりました。(詳細は会社情報)

Schwinn第二回倒産後
2001-2004 Wind Point Partners / Pacific Cycle
2004-現在 Dorel / Cycling Sports Group

自転車事業
 ブランド化(買収は名前)アジア製自転車買い付け品に使用 (自転車だけでなく現代のほとんどの商品がこの形態です。シュウインが特別ではありません。)

Windpointlogo

2001-2004
Wind Pointプライベートエクイティ投資ファンドのポートフォリオのPacific Cycle社が買収 (1998年からWind PointがPacific Cycleの大株主)

保有ブランド:自転車リヤカー/ベビーカーSchwinn, InSTEP, 自転車:Schwinn, GT, Mongoose, Roadmaster, Cycle Design, Pacific, etc

ドレル Dorel 2004-現在
2004-2008:Pacific Cycle

保有ブランド:自転車リヤカー/ベビーカーSchwinn, InSTEP, 自転車:Schwinn, GT, Mongoose, Roadmaster, Cycle Design, Pacific, etc tips! GTから来てGT復活で評価されたイッポリートさんが2006年で抜けて、CycleuropeのCOO、2007年からはBianchi社長兼任

2008-2009
Cannondale Sports Group (CSG)

担当ブランド:Cannondale, GT

Pacific Cycle

担当ブランド:自転車リヤカー/ベビーカーSchwinn, InSTEP, 自転車:Schwinn, Mongoose, Roadmaster, Cycle Design, Pacific, etc

2009-現在
Cycling Sports Group (CSG)

担当ブランド:Cannondale, GT, Schwinn, Mongoose, Iron Horse
Dorelcyclingsportsgroup

Pacific Cycle Group (PCG)

担当ブランド:, InSTEP 自転車:Mongoose, Roadmaster, Cycle Design, Pacific, etc
Schwinnのリヤカー/ベビーカー/量販用自転車の流通はこちらの担当(ブランドはCSG側の担当)

製造外注先(契約製造
日本流通卸 = 日本国内の消費者からみて製造者責任(PL)のある会社
  • CSG Asia Pacific (Vice President: Mario Stein)
  • キャノンデール ジャパン (社長: Mario Stein マリオ・スタイン)
  • 自転車リヤカーとベビーカー取扱Schwinn/InSTEPブランド(他にドレルのQuinny/Maxi Cosi/Safty 1stなど育児用品)⇒イトーエンタープライズ (東京都中野区)
  • 自転車の取扱Schwinnブランド⇒ マルイ (兵庫県神戸市)
  • その他ドレル関連Mongooseブランド⇒ モトクロスインターナショナル
Shw_homepage Shw_cat_ubikesShw_cat_treadmillsShw_cat_airdyne
共同ブランド管理会社
パシフィックダイレクト社
Pacific Direct, LLC,

別会社が同じブランドを使うための法的な調停会社を別会社として設けています。でも実際の会社はパシフィックサイクル社内にあります。ドレル買収以降も変わらずにこの会社で運営されているようです。左記の通り、現在、3社が異なる3分野でSchwinnブランドを使用して事業をおこなっています。

フィットネス事業

Direct Focus
ダイレクトフォーカス社(ワシントン州バンクーバー) Schwinn Fitnessシュウインフィットネス事業

Direct Focusのブランド
Bowflex ™ (1986)、Nautilus ™ (1999)、Schwinn ™ Fitness.(2001)、Schwinn後は、StairMaster ™ (2002)、Universal ™(2006) も手に入れました

買収に際して、Schwinnで1989年から働いていて1999年から2000年の半年間Schwinn/GT社長だった、ケビン・ラマーさんが社長に就任。

ケビン・ラマーさん(Kevin Lamar

シュウインフィットネス事業を年20万ドルから年100万ドルにした人。Schwinn以前にはDirect Focusの前身企業で1986年設立のBowflex, Inc.で1987-1989年に働いていた。創業者で前社長のCookさんが雇用した1人目の社員。事業合併に適任者。さらに前職はプロフットボールプレーヤー。でも2004年に辞職してコロラド州ボルダーでLamar Health, Fitness and Sports(LHFS)を起業。

LHFSは2007年11月にカリフォルニア州アーバイン1979年創業のStar Trac(スタートラック)が買収。会社はボルダーのまま、KamarさんはVP。2010年7月、Star Tracはマイケル・ブルーノさん(Michael Bruno)所有に。マイケルさんはLand America Health and Fitness Co., Ltd、Fit Dragon International, LTD.,(バージン諸島)のオーナー。ランドアメリカは中国工場でのハイエンド機器生産で有名。2009年12月にStairmaster (ステアマスター)も所有。

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ブランド名を社名に現在ノーチラスグループ

2009年12月に、ノーチラス保有のSchwinnフィットネスのうちの法人事業をFit Dragon International, LTD.,に売却。ほかにStairMasterとNautilusの法人事業も。

その結果・・・
Schwinnブランドは3つの会社に

* 自転車事業 (ドレル)
* 消費者向けフィットネス事業:直販、小売店販売 (ノーチラスグループ)
* 法人向けフィットネス事業:ヘルスクラブ、学校、病院、その他向け (Fit Dragon International, LTD.,)

注:ノーチラスの直販事業はBowflexとNautilusの一部。Schwinn Fitnessの直販はありません。
2010年8月のSEC情報にノーチラスとFit Dragon

会社: シュウインは1895年創業1992年破産。アメリカの由緒ある自転車ブランドとして認知されていました。由緒あるというのはドラッグストアで買えた身近な自転車という意味だったらしいのです。63年発売のスティング・レイがヒットしたことと、売れたために70年代後半には手近にあった使い古されたスティング・レイを改造した自転車でのレースが西海岸で起こり、BMXにつながったということです。BMXの祖先といわれることがあるスティング・レイですが、シュウイン自身はスティング・レイは売っていても、スティング・レイをBMXとしては見ていません。BMXはブームとなり、シュウイン社もそれに乗ろうとしたそうです。労使関係のトラブル続きで工場稼動がままならず、生産の海外委託をしました。台湾(後のジャイアント)、それから自ら投資をして中国(CBC)への製造にシフトしました。台湾製BMXの低価格で市場をとろうとしました。結果、BMX市場すべて台湾製となりました(マングースの歴史)。でもジャイアントがシュウインの自転車と同じ見た目でアメリカに乗り込んできたときに、「傲慢になっていたシュウイン」に嫌気がさしていた販売店はまよわずジャイアントを売るようになったそうです。なぜって?それは、ジャイアントを売ろうとしていたのが、以前シュウインやマーレーやマングースなどを手がけていたしていた「信用できるアメリカ人」だったからです。結果シュウインという会社は、92年代には破産し売却され創業家の手をはなれました。

Kestrel

87年にはケストレル(Kestrel)を買収していました。ケストレルがつくっていたシュウインパラマウントがあったそうです。でも、このシュウインの状況で、ケストレルのその後はつまづきとなって、一時は三井物産がもつ日本のブランドとなっていました。それ以前から新日鉄化学が生産していた日本製だったので、このときはケストレルは心技共に日本のメーカーでした。つぶすには惜しいブランドということで三井物産が手に入れたそうです。いまは日本発のFujiブランドももっている台湾資本のアメリカの会社ASIが台湾のMartec(台湾と中国に工場)で作っています。

シュウインのそれまでの伝統は1992年で終了しました。その後は、新しい別のシュウインです。1993年以降のシュウインを語る際に、もし、1895年からの伝統として100何年の歴史と語っている人(店、会社)があったとしたら、それはその語り手が創作した神話か、だれかから聞いた間違いをそのまま語ってしまっているかのどちらかです。そういう人(店、会社)をちゃまは信用することはできません。1993年から1998年まではスコットがいままでのシュウインの伝統を壊して、心機一転、一から企画しなおした自転車です。スコットUSA本体の経営が悪化し、スコットはシュウインを捨てて自転車事業は売却。スコットUSA自身も(倒産とかチャプター11とかは不明ですけれども)同じ1998年にスコットUSAのヨーロッパ担当役員が中心となってMBOされてスイスの会社になっています。1998年から2001年までは投資会社Questor Partnersが、スコットの遺産でなんとかやりくりした自転車です。2001年から2004年まではパシフィックサイクルが、シュウインという名前だけを買い、いままでパシフィックサイクルがアジアでつくってもらっていた自転車に新たにつける名前のひとつとして加わりました。シュウインという名前の会社はなくなりました。この時点から、シュウインが先にあってそれで自転車をつくるのではなく、はじめに『ある自転車』があって、これはシュウインとしてだそう、これはマングースでだそう、これはxxでだそう、ということで使われる名前となったのです。この時点からシュウインとはメーカー(製造者)をさすものではまったくなくなりました。正真正銘ののブランド(印)に昇華されたのです。ちゃまは、これでパシフィックサイクルが非難されることはまったくないと思っています。シュウインという会社がなくなったのは、シュウインという会社の舵取りが悪かったからでパシフィックサイクルがしたわけではないからです。パシフィックサイクルはパシフィックサイクルらしいやり方で(つまり彼らのもてる能力を充分に生かして)、シュウインという名前を再生させたのですから、むしろ賞賛される側だと思います。会社としての魂は入れ替えたけれども、軸は〚プレミアム〛に据えての再生を目指したスコットは、再生を達成できなかったわけです。他の選択肢は、シュウインはウォーターフォード自転車のような超プレミアムなブランドですが非常に小さな規模の会社となって、日本には一切知られることない会社となったことでしょう。100年以上もの歴史的なシュウインを追い求めるのなら、ウォーターフォードにいってリチャード・シュウインさんの会社のウォーターフォード自転車から手作り自転車を手に入れるほうがまだ理にかなっています。アメリカ人にとってのシュウインらしさというのは〚すぐに近くで買える身近な自転車〛というところにあったという視点にたてば、パシフィックサイクルは、そういったシュウインとして再生させた立役者です。けれど歴史を語るならいまのシュウインはパシフィックサイクルが新しく命を吹き込んだ2001年からの歴史を持つ別の創造物と考えるべきものです。2004年以降は、パシフィックサイクル全体をドレルが新規事業の大きな柱として引き継いで、2008年からはキャノンデールという名前もその仲間に入ったということです。

そういうそれぞれの時代で、新しい伝統ができている(た)はずです。ただし、それは1895年からの伝統ではないのです。それぞれ、別の人の思惑で使われている名前なのです。

BMXの創始者といわれるBMXプロダクツ社(マングース)を設立したスキップ・ヘス(シニア)さんは、『シュウインが台湾製(ジャイアント製)BMXをアメリカで販売してすべてが変わった』と言っています。スキップ・ヘスのいままでのやり方ではシュウイン製に比べて価格が高くなりすぎて会社が存続できなくなりました(マングースの歴史)。(最近の日本での主婦の身近な例としては、100円ショップが切り込んできた分野のことを考えてみると似たような状況でしょう。でも製造業でもサービス業でも農業でもみな同じ状況が起こっています。) 

ところが、シュウイン自身がこのことで会社がなくなったのです。シュウインが外注したジャイアントがアメリカで販売を始めて『シュウインにとってすべてが変わった』のでした。シュウイン外注先として唯一の品質優秀だったジャイアントが身に着けたシュウイン技術でつくったジャイアント製品を販売してシュウインのライバルとなって米国に乗り込みました。同じ品質同じ形で価格は安いのです。購入者からみてシュウインの輝きがなくなり見分けがつかなくなったそうです。『ジャイアントというブランド名を着た安価なシュウイン車』と戦うために、品質を保ちながらも廉価を求め、工場を他に求めますが、自社新工場も含めジャイアントの品質はどこもだせませんでした。シュウインはジャイアントに頼むしか自社シュウイン車を生産できなくなりました。

しかし、一番の問題は、国内の流通網や販売店からはシュウインのいままでの高飛車な姿勢が拒否されるようになったことです。結局もがきながら倒れてしまいました。シュウイン社は1933年から自転車は子供用商品として扱ってきました。アメリカではじめての大人の自転車マウンテンバイクは一時の流行に過ぎないと見ていました。アメリカの自転車業界は構造転換がそれまでなかった業界なのかもしれません。初めての業界構造転換に対し、自社の成功経験から逃れることができず、老舗といわれる企業体質の悪いところが断ち切れませんでした(道で大変なバンプに遭ったシュウイン)

マングースブランドを手離したヘスファミリーのスキップ・ヘス(ジュニア)さんは、倒れたシュウインを買ったスコットUSAの下でシュウインの社長となり、ついでジャイアントUSAの社長となります(マングースの歴史)。ジャイアントUSAを立ち上げた最初の社長は現在(ラレーアメリカの会長ビル・オースチンさん)。マングースとシュウインはアジアソーシングビジネスモデルで米国ナンバーワン自転車会社となったパシフィックサイクルが復活させました。シュウインという老舗ではできなかった。まったく門外漢のクリス・ホーナングさんがジャイアントのような会社を敵に回さず見方につけて米国自転車ブランドを米国人が経営して生きながらえることに成功しました。そのパシフィックサイクルをキャノンデールを交えて今度はドレルがアジアソーシングビジネスモデルを引きついで再構築展開中という現在です。

もうひとつ、シュウインを手放し一度はアメリカでの自転車販売をやめていたスコットUSAでしたが、キャノンデールをやめさせられたキャノンデール創業者息子さんのスコットさん(同名!)が(スイスを本社としたスコットの)スコット米国代表となってスコットのアメリカ販売を率いています。

そして、『シュウイン印、マングース印、キャノンデール印の暖簾』はすべてドレルの下にあります。

こんなことからも、創業者ファミリーとその人たちが生み育てたブランドがいかに離れているかを知ることができます。日本にいると、『創業者はその暖簾を守り続けている』という概念にとらわれてしまいがちです。このことを知ってでしょうか日本での海外ブランド自転車販売では『誰がいつ始めた歴史』としてちょっと語られるだけで済まされるブランドが目に付きます。マーケティング族は日本の消費者の思い込みをたくみに利用しています。

食品偽装では、あなたの今食べようとしているものは、どこで作られたものなのかは説明しない、微妙なものでしたがしかし最終的には法的には偽りの表示として問題とされました。

さて、今の自転車は食品でいえば素材ではなく調理済み食品のようなもので、ひとつところでつくられたものではなく、いろいろな場所で作られたものがあわせられたものです。賢い消費者になりたくとも正しい情報が提供されていなければ判断はできません。口コミだけで買うのは危険ですね?ネット時代の最近のマーケティング族は口コミを生み出すことにも長けています。

何かものを買おうとするときに、何に価値を置いて対価を出しているのでしょうか。自分のことも反省しながら書いているのですが、それでも、どこかでささやかれた甘い言葉を無意識に自分の思いとして書いてしまっているかもしれません。どうかお読みになる方は、ご自身で情報を取捨選択してください。

1933schwinnb10e
1933 Schwinn, B-10E Motorbike
Dave's Vintage Bicycles
Nostalgic.net

この自転車には当時の子供があこがれるものがすべてそろっていた。ステンレススチール製フェンダー、 "ahooga"ホーン、 道具入れ、 レザーカバーのシートなどなど!
アメリカで自転車が子供の乗り物と一般に捉えられていた時代が長く続いたのは、アメリカの自転車の老舗が子供用自転車に注力していたからなのでしょう。あるいは、そうでなければアメリカ一の自転車メーカーではいられなかった現実があったともいえます。高校生になれば自分の自動車に乗るお国柄です。

またシュウインの功績を以下のように書いているものもあります。『1891年にイグナス・シュウインがアメリカに移住、1895年、31才でシカゴで自転車製作を開始。自身で会社を設立して1948年になくなった。アメリカ型の新たな安全自転車を作り出し、50年以上もの間、アメリカの自転車界に君臨した。1930年のはじめごろにはシュウインはまた自転車の形を変えて現代風にしたてた(当時で)。それは車輪の径を28インチから26インチに小さくし、タイヤは径を2インチ8分の1と太くしたもの。そしてバルーンタイヤを1933年のシリーズから採用した。バルーンタイヤはシュウインが広めたもの。これは現代ではマウンテンバイクに採用されている基本的な装備となっている。1945年には全国自転車選手権(National Cycling Championships)を支援。1956年から72年までアメリカのオリンピックチームに自転車を供給していた。』 

近年の功績には触れられていません。アメリカ人の自転車乗りにとっては、『アメリカの自転車のはじまり』というイメージでしょうか。「マウンテンバイクのシュウイン」とか日本で宣伝されていることがありますが、アメリカ人にとってはそんな歴史ではなさそうです。

(倒産したシュウイン社を1993年に買ったスコットUSAのチャック・フェリーズは「シュウインは第一級のマウンテンバイクを作っていない。われわれは会社を製品で立て直したい。」として、新シュウインのアメリカ生産最高級マウンテンバイクとしてHomegrown(ホームグロウン)を作りました。HomegrownはSchwinnブランドでスコットUSAがつくったMTBなんです。けれどもチャック・フェリーズは、「会社はまだまだイメージに打ち勝てていない。トレックやラレーに惹かれる人が大半だ。」といっていました。別ページへ 結局スコットも5年後の1998年にはシュウインを投資会社に売却して、アメリカを出てヨーロッパにビジネス拠点を移してしまいました。)

・シュウインのパシフィックサイクルに至る苦悩を記述しながら、アメリカの製造業がグローバリゼーションという名前の怪物にのみ込まれていく様子をつづった2004年のレポート: 道で大変なバンプに遭ったシュウイン
・100周年目前でシュウインファミリーの手を離れSCOTT傘下となったシュウイン: 1993年 シュウインサイクルアンドフィットネス社

同じ時に、スコットUSAの子会社でシュウイン社の親会社のスコット・スポーツ・グループの社長の話は、シュウインファミリーやシュウイン経営者が、1930年代のままの子供自転車のイメージで90年代まで会社を牽引してきたことがわかります。

スコット・スポーツ・グループの社長トム・ステンドールが1993年にビジネスウイークに語ったところでは、(買収交渉で)シュウイン役員に「コンペはどこですか」と問うと、「コンペなんていません、私たちはシュウインですから」と答えたそうだ。このような会社の態度だったために、流行に乗り遅れ、利益を生み出せなかったのだろう。子供用自転車の従来の市場にとらわれていたために、シュウインは大人向け自転車市場が成長していることに気付かなかった。

伝統を重んじすぎる由緒ある老舗の会社ではおこりやすいと思える話です。アメリカの自転車業界ではマウンテンバイクの時期まで大きな変化がなかったということなのでしょうか。加えて、アメリカの製造業のグローバリゼーションが70年代の日本の時代から静かに浸透してついで台湾へ、そして中国へと変わる時期についていけなかったということなのかもしれません。同じ老舗企業のラレーは、ある意味、アメリカのマーケティング族が経営主導した時代にスパッと切ってしまったところに、明暗の時代を経てもなお、企業として生きながらえているところが対照的です。同じアメリカの精神でも経営者によって大きく違います。でも結局どちらも、実態はかなりちがっているのですけど・・・

1998年にスコットからQuestor Partners (1995年創業の投資会社)が引き継いだシュウイン/GTが2000年に破産し、2001年にパシフィックサイクルが引き継いだ時には、specialty retail bike supply pipelineにマイナスのインパクトを与えたといわれました。このときでもシュウイン/GTは年間約100万台を販売し、これはspecialty retailersが販売する自転車の3台に1台にあたる数だったということでした。

現在、シュウインというのものは単に印だけで事業会社はありません。シュウイン印の自転車は2001年にはパシフィックサイクルのブランドになり、2004年からはカナダのドレル傘下(記者発表)となったパシフィックサイクルのもとで、スクーターブランドとしても使われはじめました。2008年2月にはドレルがキャノンデールを買収しその親会社としてドレルがつくった事業会社キャノンデールスポーツグループCSGが取り扱うブランド(Cannondale, SUGOi, GT, Schwinn and Mongoose brands)となり、自転車専売店で取り扱う自転車の仲間に入ったようです。一方シュウイン印のベビーカーや自転車リヤカーはいままでどおりパシフィックサイクルの取扱(のはず)。消費者にとってはおなじシュウインでも実は違うのが印(ブランド)の難しいところです。(会社だったSchwinn(下部へ))


横道に逸れますが、『Always 三丁目の夕日』はいい映画だと思いますが、あの時代は一方で、(その後に発覚する、そしていまもまだ終わっていない、)水俣病などに代表される『公害を進行させていた時代』だということも忘れてはいけないといつも思って見ています。「あの時代はよかった。」というだけでは無責任かなと。物事にはいい面悪い面があって一面だけを取り出して全体を評価するのは誤った道へ向かってしまうことになるでしょう。環境サミットでは目先の話だけではなくこのあたりまで振り返えって今後を考えたいですよね。あの映画はすばらしいですが『あの時代はいい時代だった』と手放しにいえるものではありません。いつの世も。見方を変えれば、あんな素朴ないい人たちの努力の裏で、戦後なにもなくなったことをこれこのときと目ざとく他人の迷惑を顧みずに毒を撒き散らしてでも金儲けにまい進していた・・・と、そういう人たちが今につづく世の中を築き上げてきた・・・と、そうともいえる時代です・・・・・・・・・・・・・・。いまの中国のことを日本は悪くいえないと思います。

さらに脱線します。Alwaysで実の父が乗っているトヨタのクラウンが時代を象徴するもののひとつとして登場します。時代考証的には、年代だけみれば正しいのかもしれません。けれど、当時のお金持ちはアメリカからの輸入車、いわゆる外車に乗っていたのではないでしょうか。少なくともそうでなければハクがつきません。というかお金持ちしか乗っていなかった時代です。当時のトヨタは「トラックだけつくっていればいい」といわれていた会社で、トヨタといえば一般人はトラックを連想した。乗用は使われたとしてもタクシーだった、クラウンはトヨタがおこなった実験的なものだったとききます。1955年当時の東京を走る”乗用車”は”ほとんど外国の車だった”と。そのなかには軍用や軍関係者が自家用で使った欧米車の放出品がたくさん走っていたはずだと・・・。今の時代に置き換えて、たとえば、一時期の韓国の高級車ソナタあたりで話をつくってみましょうか。日本のあまたある(優秀な)自動車ではなくソナタを選んで乗っていると(ソナタもいい自動車かもしれませんが、たとえです、すみません)。もし2050年に韓国版Alwaysをつくったら2000年にはソナタが韓国の自動車の歴史を切り開いたものとして登場するという。ソナタを例に出すのは違っているかもしれませんが、でも似たようなことをしているのがこのAlwaysのクラウン設定だとおもうのです。そして、当時を知らない人がそれをみて、『ソナタはすばらしかった、時代を切り開いた』と思うというしかけです。うまくない例ですみません。でも、でも、です。Alwaysの時代考証はその後発展する日本をさりげなく強調して、強くたくましく成長していた日本のいい面をノスタルジックに思い起こさせるよう、巧みに”日本の発展”を強調するようはめ込まれた、またそうでない部分はきれいに省かれた、そういう時代考証です。歴史と思ってみると間違えます。こんなことからも今の世の中を反映した今だからつくられた映画だということがわかります。エンターテイメントとして楽しみましょう。映画としては面白くて好きですよ。

ということで、歴史的に神話が語られる代表例がこの『Always 三丁目の夕日』ではないかと思うのです。お話はいいし、いい映画だとおもうのですが、これがマーケティングにもなっているという。クラウンに関しては、クラウンを売りたいためではなく、トヨタという映画作成時点で世界に自慢できる日本の代表的な会社の歴史をかなりバイアスをかけて刷り込むという壮大なマーケティングです。

ひるがえって、もっと小さい規模で、つまり商品を売りたいために、似たようなこと、そこかしこでおこなわれています。わたしたちに、ささやきかけています。自分は宣伝には惑わされないと思っていても、現代のマーケティングはたくみに私たちを操っているようです。

このブログは子供のせ自転車リヤカーについて日本で情報がすくないから各国の情報を知りたいということではじめただけのものですが、シュウインやラレーといった印(ブランド)を追いかけた結果、こんなことになってしまったということです。結局、語られていることと、実際のものとの話のギャップが大きすぎて、いかにマーケティングが、わたしたちに神話を語っているのかというのを知ることになりました。

購入者にとってこの神話の一番たちの悪いところとちゃまが思うところは、『神話がさらに神話を作り出して語られている』ということです。実は、神話を語りだした最初のメーカーだけに責任があるのではないということで、メーカー本体がいっていることは、微妙なところです。たとえば、『歴史的な事実の自慢できる一部分を語る』だけです。(たとえば『1980年にMTBトップメーカーとなりました。』)そして、それを繰り返し使う。そこまでです。語っていることは事実ですからすくなくともそれだけとってみれば虚偽ではありません。ところが、たとえばですが、これが日本国外のメーカーであれば、日本の(本当は単なる製造元が認定した販売店authorized dealerというだけなのに)正規販売代理店(なにが正規なの?)と名乗るところが、最初の神話に付け加えた神話2を語り始めるのです。このとき、先の神話1がメーカーの時代の一部分だけを語っていることを、メーカー全部に広げて解釈して説明したりするかもしれません。もしそうなら虚偽になってきます。(たとえばもうメーカーはつぶれていてブランドだけになっているのに『1980年からMTBトップメーカーです』と表記するもの。ずっとトップメーカーだというだけでなく、現在は会社の事業分野のひとつのシリーズとなっているだけのブランドを会社と思わせてしまいます。) さらに、日本正規販売代理店が認定した日本国内正規販売店が国内卸を担当し、さらに、実際の販売店が店頭広告やらネット販売での広告やらで独自の神話をこれに上乗せした神話3がかたられます。『1980年からMTBトップメーカーで海外では高い評価を現在も維持しています』 こうやってつくられた神話が、こんどはメディアが広告費をもらって神話4を語ります。こういった環境におかれた消費者が神話5,神話6,神話7・・・

最初のメーカーの宣伝に直接触れることがなければ、何が最初なのかはわかりません。歴史あるメーカーであればあるほど、いろいろな性格があるので、一言ではいえないはずなのですが、みな今の自分にとって都合のいいところだけ(ほめたい場合もけなしたい場合も)を語っています。

メーカーの歴史をならべて(できれば各国のもの)、世間のさまざまな立場の人が語っていること(できれば各国のもの、立場の違う人、年代の異なるひと、メディアでも性格と立場を考えて)をマッチングさせて、整合性が取れるものをあぶりだすこと。これが真実に近づく唯一の方法だとわかりました。わかったと思っても、なかなか、うらのうらがあります。シュウインがスコットUSA傘下だったなんていう話はあまり語られていませんね。

日本のメーカーだから各国の情報を見なくていいということにはならないようです。日本のメーカーが世界各国に輸出していた時代の話などは、日本では語られていないことがたくさん埋蔵されています。さらに現代については中国語情報は宝の山のようです。どんな場合でもこちらとあちらをあわせてはじめて見えてくる話がたくさんあります。

これを知って気づかされるのは、あちらならあちらの話、こちらならこちらの話、とそれだけで終わってしまって、ぶつ切りになっている話がかなりあるということです。グローバル経済とはお金の話や仕事の話だけではないんですね。世の中がグローバルに動いていることを忘れずに、実際には事細かに具体的に知ることが・・・・、わたしたちが身近なものを買おうというときにその世界のことが事細かに見えているかどうかを自問自答することが・・・、ささやかれただけの話を鵜呑みにしないで、そのものの価値を見定めるために役立つということです。

あ、忘れていました。お金に余裕のある方はその必要はないかもしれません。買いたいものを買いたいだけ買って、買った後で比較検討ができます。できたら、その比較レポートをよろしくお願いいたします。


会社情報

Logo_pacific_cycles
北米(事業推進はアメリカ合衆国パシフィックサイクル社ウィスコンシン州マディソン-経営的観点はドレル社カナダモントリオール)

(アメリカのパシフィックサイクルは台湾のパシフィックサイクルとは資本関係なし 
ただし、その名前は、台湾からもらった)

シュウインはスポーツの観点、インステップは育児の観点からのブランド。市場範囲が異なるためまったく同じ製品展開ではないけれども、子供輸送トレーラー製品に関してはクローン(ブランド名が異なる同じ製品)展開しています。

  • 以下に、パシフィックサイクル傘下の2つの自転車リヤカーブランド
  • パシフィックサイクル: 2001年にシュウイン買収、2003年にインステップ買収で、2004年まで主導した会社の1977年から2004年まで
  • ドレル社: 2000年代になってアメリカ1位の自転車会社と急成長したパシフィックサイクルを2004年に買収して、新たにレジャー&レクリエーション事業に進出した現親会社。現在進む方向を決めている会社。
  • キャノンデール: さらにドレル社がこのレジャー&レクリエーション事業を強化するために2008年に買収した会社
  • について書いています。

Ignaz Schwinn:
Schwinn1_s
Ignaz Schwinと息子Frank W. Schwinn
Excelsior Motorcycleも創業
Motorcycle Hall of Fame
Logo_schwinn
シュウィンは、現在、パシフィックサイクルの持つブランド名です。(パシフィックサイクルはドレルの持つ事業会社です。) シュウインという会社は1895年にドイツ生まれのIgnaz Schwinn(1860-1948)がシカゴに創業したArnold, Schwinn Bicycle Companyに始まった会社ですが、1992年倒産、アメリカ市場を拡大したいと思っていたカリフォルニアで始まったスコット(SCOTTE USA)が買って、スコットはマウンテンバイクで再起を賭けて本社をシカゴからマウンテンバイクの聖地コロラドのボルダーに移転させ、社長にマングース創業家のスキップ・ヘス・ジュニアを向かえ、Homegrownシリーズを開発させ、Yetiも買収して相乗効果をだそうとしたけど断念。1998年には投資会社に売却。スキップ・ヘスはジャイアントUSA社長へ。スコット時代にスキップ・ヘスが仕込んでいた合併でGTと一緒になりシュウイン/GT社。ところが2001年7月に再び倒産(このときのCEOはJeff Sinclair)。Huffyハフィーが最初に手を上げましたが、911事件の日にパシフィックサイクルに買収されて会社自体は終了しています。(「2004年記事 道で大変なバンプに遭ったシュウイン」) 

  • シュウインブランドは2001年のものまでがシュウインという会社のもの。
  • シュウイン家の経営に対する評価は1991年(1992年)まで。
  • 2001年以降の自転車についてはパシフィックの事業としての評価

会社としての歴史:米国に1891年移住したシュウインさんがAdolph Arnoldという人の支援を受けて1895年に設立したもので、社名もそれをあらわしています。当時はアメリカも自転車ブームでシュウインを含めシカゴがその中心地で繁栄しました。1905年頃にはブームが去って、1910年代にはオートバイ事業にも乗り出し、一時はインディアン、ハーレーについで三番手でしたが大恐慌で終了。シュウインも倒産しそうになり、低価格自転車も発売。ヨーロッパを見て回りオートバイ型の少年向け自転車を出してヒット。ついでレースに進出、パラマウントシリーズを発表。

Schwinn Lightweight Data Book by Bob Hufford

50年代には、どこでもシュウインが買えるような販売流通体制を築いて、「シュウイン」という名前を広めました。ドラッグストアで買い物と一緒に買えたアメリカの代表的な自転車という大衆的な面はこのときに刻み込まれたのでしょう。そして同時にマーケティング部門が発足しています(Ray Burch レイ・バーチさんが部門長で1800のシュウインディーラー経由で2006.3に93才でなくなった時の話)。こうして、いまでは「100年以上もの歴史をもつ自転車の老舗としてアメリカ人の心に刻まれてきた」と神話のようにいわれている原点はこのあたりにあるのでしょう。1960年のアメリカの自転車販売が440万台。同じ頃シュウインが100万台以上ということです。1963年発表のスティング・レイ(BMXの祖先)が70年代のアメリカのBMX自転車ブームに先駆けてブームとなりました。初期のBMXレースではスティング・レイをモディファイしたものからはじまり多くが活躍していたそうです。

1967年、最高裁で独禁法敗訴。シュウイン社だけでなく、シュウインの販売ネットワークに参加していた各卸業者も一緒に起訴。その起訴事由は、価格統制と販売地域統制。これがアメリカの独禁法の一つシャーマン法第一条に違反するということ。この事例は独禁法事例としていまでも日本でも参考事例とされています。不思議なのは、日本の事例で「Schwinn(高級自転車)」とかいてあるのが複数散見されること。調べてみましたが、USの事例ではSchwinn, the leading bicycle manufacturerという形で書いてあります。leadingは(市場を牽引する意味で)「主要な」とか「トップの」とかいう意味で「高級」という意味はないのです。こういう直接的には販売に関係ないところで、また一つ、ブランド神話の芽があるのが不思議です。

ここで社名変更Schwinn Bicycle Company。しかし、1970年前半の自転車ブームにシュウインは乗れませんでした。さらにこの時期、労働組合の力が強くなって労働争議に明け暮れて会社の体力は弱まったといいます。1979年に、四代目エドワード(Edward R. Schwinn Jr.)が社長。パラマウントはウイスコンシン州ウォーターフォードに移転。マークミューラーが責任者。1980年代に財務面で低空飛行し、まず松下ナショナルのパナソニック自転車を輸入するところに手をつけました。パナソニックは当時のシュウインの品質に合格した唯一の会社だったということです。ついで台湾製ジャイアントを輸入しシュウィン名で販売、他にもフィットネス機器への進出などで経営を支えたといいます。1985年頃はマウンテンバイクブームでしたがこれにのれませんでした。シュウイン設計日本台湾生産のクロモリフレームを使った高級仕様はシュウインらしさあり求められたといいます。1985年にはジャイアントと年間50万台契約を結びシュウインは100万台販売と好調でした。このため、ジャイアント一社から中国メーカーに委託先を広げます。ハンガリーにも生産委託。こんどはジャイアントがいままでシュウイン用につくっていた自転車を自社ブランドをつけて米国販売に乗り出しました。1987年、シュウインは台湾の子会社を通じて本格的に中国に進出します。チャイナバイシクルズ(CBC)の全株の3分の1を持ちます。

(ちゃま)Cozy Yamakoshi(たぶん山越淳也さん)はWSIをやめて1990年代に自分の会社Integra Precision Corporationで、自分の自転車ブランドParkpreパークプリを作りました(ファンサイト parkpre.com)。台湾のFairly Bike Manufacturing Co Ltd(菲力工業股份有限公司/フェイリー)で製造していたということですがこのFairly Bikeは1992年以前のSchwinnも関係あったようです。CozyさんはREIのNovaraのフレーム設計もしていたそうです。いま台湾で作ってイタリアの会社Parkpreとして販売しているものは2000年ごろのようです。アメリカでも今は息子さんのKen Yamakoshiさんが再開しています(parkpreusa)。2004年ごろからのようです。Ken Yamakoshiさんの奥様はAngry Little Asian GirlLela Leeさん(写真)。ノーベル賞でも話題になったようですが、頭脳流出とでもいいましょうか。ノーベル賞なら日本のメディアも賞賛する話ですが、このようなメーカーを日本語の情報でみることができないのが不思議です。日本の自転車業界が内向きなのでしょうか?日本語の情報もほしいですし、日本から世界に広く発信してほしいところです。末席ながら、情報をすこし集めてみようか思ったところです。

新興自転車メーカーのトレック、スペシャライズド、キャノンデールやコンポーネントメーカーシマノなどとも競合。中国、ハンガリー生産、ミシシッピ自社工場など、ジャイアント以外はどこも低品質だったそうです。ジャイアントからシュウインは逃れらませんでした。ジャイアントはシュウイン技術で米国市場を取り始め、シュウインの市場シェアは25%から5%に落ち、リコール対応費用の損失はまかなえず、1992年破産。スコット(SCOTTE USA)がZell/Chilmark Fund投資会社と組んで、Scott Sports Groupを設立し子会社として買収。このときシュウインを牽引したのは、新たに会社に招聘されたMongooseマングースを親子で作り上げたSkip Hess Jr, スキップ・ヘス・ジュニアです。(この後、1999年Giant USA初代社長となりGiant米国市場開拓をするのですが、マングースがやっていけなくなったのはシュウインが台湾から自転車を輸入しだしたことからだそうです。) Zell/Chilmark Fund投資会社はこのころBell Sports ベルスポーツも株運用の中の一社でした。

買収時のオークションでは他に、チャイナバイシクルズ(CBC)で当時シュウインとならんで3大株主で、CBCの生みの親Hong Kong (Link) Bicycles LimitedのWestern States Imports Co(WSI:Mitchell Weinerが1969/70創業しCozy Yamakoshi(たぶん山越淳也さん)が製品開発担当となった卸会社(distributer)で当時総合当初はロードバイクのセンチュリオンを日本生産米国販売したのちMTBの流行で80年代には1988年まで(あまりにもロードとセンチュリオンが結びついた名前だったので)ダイヤモンドバックとしてMTBを販売した会社[sheldonbrown] 競売参加は92年10月、実は ダイヤモンドバックチャイナバイシクルズ(CBC)のものだった。)、ドレル(今シュウインを手に入れた、92年11月)、ジャイアント(93年1月4500万ドル)が手を上げていた。シュウインはコロラドのボルダーに本社を移転。

Waterford Precision Cycles: Waterford Precision Cycles (waterfordbikes.com)はウィスコンシン州ウォーターフォードの自転車メーカー。スチール合金製高級カスタム車を手作りしている。ロード、クリテリウム、ステージ、トラック、サイクロクロスレース自転車。2500から8000ドルほど。スチール合金、ティグ溶接でオフロード、ツーリング、レース、レクリエーション用で1000ドル程のGunnar Cycles (gunnarbikes.com)も生産。Milwaukee Bicycle社 (benscycle.net) などのフレームも生産し供給。 会社はリチャード・シュウインRichard Schwinn(前Schwinn Bicycle Company副社長)とマーク・ミュラーMarc Muller(前シュウイン社パラマウント部門長)によって共同経営されている。Richard Schwinn
リチャード・シュウイン (bikefriday)
ウイスコンシン州自転車連盟会長
Handmadeshow
Schwinnface
Interbikeで宣伝するRichard
北米手作り自転車ショウ
2009.2.27-3.1での講演

93年にはシュウイン家の直系4代目リチャードさんはスポーツ名ブランドのパラマウントを(売却したスコット傘下の)シュウインから買い戻し、独立して小規模ながら高級軽量車の工房Waterford Precision Cycles(ウォーターフォードプリシジョンサイクルズ)を営むようになります。

スコット傘下のシュウイン社は1997年には今度は別の投資会社Questor Partners Fund,が買収。ここでGTを買収したりもしました。生産から販売までの垂直統合を実現させていたGTからは国内、海外のIBD(独立系自転車販売店)の販売網も得られました。2000年11月に、自転車部門とフィットネス部門を分社化(Denver Post)

こうして紆余曲折を経て、2001年9月11日に最終的に1977年創業で低価格自転車販売により米国ナンバーワン自転車企業となったパシフィックサイクルの傘下になりました。ウォールマートなどの量販店での販売が加速しました。パシフィックサイクルが買収したのは、シュウイン/GTの自転車部門で、シュウインが別に大きな事業として手がけていた新規事業でそれなりに収益を上げるようになっていたシュウイン・フィットネス事業は、ノーチラスというフィットネス会社が別途競売で買収⇒2009年12月にノーチラスはSchwinnフィットネスの法人部分だけFit Dragon Internationalに売却 これでSchwinnブランドは3社の保有となっています。米国人はシュウインSchwinnという名前に健康と結びついたイメージを強くもってもいるようです。シュウインは1994年にシカゴからコロラド州ボルダーに移転していたのですがパシフィックサイクルのブランドとなったため、シュウイン部門もパシフィックサイクルの拠点であるウィスコンシン州マディソンの本拠地に移転しています。マスマーケットとスポーツチェーンが主流だったパシフィックサイクルでしたが、自転車専売店ネットワークをシュウインの買収によって国内1200店舗と拡大できたそうです。海外ディーラーも2つだったのが55に増加できたということです。これらの多くはGT買収でシュウインが得ていたものだと思います。

シュウイン1960-79年カタログその他

シュウイン1976年カタログ

このあたりの話は「2004年記事 道で大変なバンプに遭ったシュウイン」もご覧ください。シュウイン、そしてグローバリズムに喘ぐアメリカ製造業苦難の道の話です。日本も他人事(ひとごと)ではありません。昔アメリカに対して日本がおこなったことが、今度は中国から日本に起こっています。

Logo_instep
数年前のロゴInstep_new_logo
現在のロゴ

パシフィックサイクルは、普及型自転車トレーラーメーカーとして国際的に展開していたミネソタ州メンドータハイツのInSTEP(インステップ)社(InSTEP, LLC)を2003年3月に買収し傘下におさめました。パシフィックはインステップ買収以前にインステップからのライセンスでトレーラーを販売していました。パシフィックブランドのトレーラーは基本的に2003年以前のものです。(またオーストラリアではパシフィックサイクルとして販売しています(ここなど)。オーストラリアではBikecorpのPacificブランドのトレーラーがあります。訂正

InSTEPは1988年ミネソタ州メンドータハイツに創業。しばらくは従業員100名に満たない会社でした。10年後の1998年、中規模の会社にフォーカスした投資会社Norwest Equity Partners(NEP)傘下となりました。その5年後の2003年、パシフィックサイクルが買収した時点では売上規模2800万ドルの中堅企業となっていました。この時点の社長はPaul Kahmannでした。InSTEPの子供用自転車トレーラーの事業展開は、ホイールジョガー、ストローラー、ペダルカー、スイングセットなど育児用品の展開の一環としてのものでした。自転車が日常生活の一部という地域がそれほどないアメリカ、自転車はスポーツという人が多いアメリカでも、ジョガーやストローラーの延長線上に自転車トレーラーがあるということなのでしょうか。それでもInSTEPは育児用品というフォーカスがあっただけにだれでも手に入れやすい価格での商品展開だったことが今の地位を築いたといえるとおもいます。このだれでも手に入れやすい価格帯を実現するには中国での生産は必須要素だったので、この点でも、パシフィックと同じ位置づけにいたわけですね。(パシフィックサイクルの中国オペレーション CIO Magazine 2006年第3号) そして、買収後、パシフィックはシュウインとインステップ双方でのブランドを残して子供輸送用自転車トレーラー販売を継続。シュウインもインステップもパシフィックのブランド。会社の実態はパシフィックサイクルですが、シュウインはスポーツ自転車の香りを望む人々と健康志向ヘルスダイエット指向の人々向けのブランドとしてプロモーションされ、一方のインステップは育児用品の普及型ブランドとして一定の安心感をもってお手ごろ価格で入手できるブランドというプロモーションがされているのですね。

パシフィックサイクル買収直前の頃のインステップ社の情報をさがしたところ、2002年4月のコンピューターシステム雑誌インテグレーテッドソリューションズマガジンにインステップ社が量販店で販売してもらうためにコンピューターシステムに苦労していた話が載っていました。

ビジネスにおいてITが受け持つ役割とは、最新技術を使って企業に利益をもたらし続けていくことにあります。この役割は大企業でも小規模中規模の会社でも同じで、ほとんど目には見えないのです。

インステップではこの原理原則を表しました。インステップは育児用品の中規模の製造業者、販売業者です。ベビーストローラー、ストローラーバックパック、バイシクルトレーラー、ジョギングストローラーを製造販売しています。インステップでは商品の直接販売もしていますが、ウォルマート、ターゲット、JCペニー、シアーズなどの世界各地の大規模小売店への卸しもしています。インステップと競合する企業にはGraco、Evenflo、Kolcraftがありますが、これらはインステップの何倍もの企業規模があります。しかし、インステップは先の大規模小売店からこれらの企業と対等に扱われています。

7年前(1995年)、インステップが大規模小売店とまだ取引をしていなかった頃、受注から納品まで3週間かかっていました。インステップが大規模小売店と取引しようとしたとき、彼らは電子データ交換での情報のやり取りを望みました。インステップCFOのティム・ガリガンの話です。ここには受注後3日間での納品という要求が含まれていました。ここでインステップは電子データ取引をおこなうことを決定し、MAS90会計システムと統合することにしました。けれどもEDIシステムの反応が良くなかったのです。またインステップの使っていた倉庫管理システムとの連動もできませんでした。受注の度にそれぞれのシステムに入力をしなければなりませんでした。インステップはこのため、2人をデータ入力専任者としました。

データ入力処理を自動化し、EDIと連動する会計システムとするため、Pitney Bowesのコンクエストという電子調達システムを導入し、EDIシステム、会計システム、倉庫管理システムを一体化することができました。

Logo_pacific_cyclesパシフィックサイクル(Pacific Cycle Inc.)はカナダのドレルDorel社傘下の企業です。2004年にドレル社傘下となっています(記者発表)。それ以前は、Chris Hornung クリスホーナングが22歳で1977年に創業、大きくした会社でした。1979年に台湾から中堅クラス自転車の輸入をはじめたとのこと。会社Pacific Cycle LLCを1983年に創業。台湾や中国の自転車を輸入販売することで大きくなってきました。1988年にターゲット、89年にトイザラスでの販売を開始。96年には社員20名で5200万ドルの売上となって、インステップ買収時の2003年では、大衆向け自転車でリーダー、自転車全体でもトレックなどと並ぶようになっていました。前年比250パーセントの伸びで米国の3割を押さえたといいます。

クリスは自分だけで大きくしたのではなくて、1998年にシカゴの投資会社ウインドポイントパートナーズ(Wind Point Partners)の1250万ドル投資を受け(会社を売って)資金力を高め自らは会社を運営することでここまできたということです。この時点で会社は新たに創設されて新Pacific Cycle LLCとなりました。クリスはそのまま社長にとどまって会社を大きくしました。売却して自分の金にしたのではなく、会社の資金を得て、さらに飛躍をさせたといわれているようです。この決断がパシフィックを大きくしたとのことで、この後、安価な自転車販売だけでなく、ブランド志向に向かいます。たんなる高級ブランド志向ではなく、安価な自転車に高級ブランドを組み合わせるという手法です。2001年2月にブランズウィックの自転車部門(Brunswick Bicycles)を買収しMongooseマングース (BMXプロダクツ社→ARCアメリカンレクリエーションカンパニー社→ブランズウィック→パシフィック)やロードマスターRoadmaster(幼児用自転車や玩具のブランド)を手に入れ売上を倍増させました。2001年9月のシュウイン買収で(GTが構築した部分もかなり貢献しているシュウインの)IBD専売店ネットワークも手に入れました。

Pacificcycleexec
Pacific Cycle Exectives
global-cyclebusiness 2006年
パシフィックではシュウインを量販店で使うブランドとして当時議論となりました。

買収直後の変更点:
・パーツ&アクセサリー事業(P&A事業)をやめたこと
・パシフィックサイクルのシュウインは2002年秋に量販店に投入するとされたこと
買収直後のBMXは:
・シュウインとGTのBMX用自転車は自転車専売店のみの流通
・BMXのレース用/フリースタイル用はこの時点で量販店には流通されなかった

GT: GTはホーナングさんが取り扱い方がわからず、元祖GTからの(リチャード・ロングさんの片腕といわれてもいた?)ボブ・イッポリートさんが手を上げてパシフィックサイクルのGTを作り出しました。これが成功してイッポリートさんはパシフィックサイクルのIBD部門担当役員に。イッポリートさんは2006年秋にパシフィックサイクルを辞めてスウェーデンのシクルーロップ(サイクルヨーロッパ)COO、2007年にはビアンキ社長も兼任。2002年1月にはGT強化のためにWCCSウェストコーストサイクル、Giantジャイアント、Bianchiビアンキ、Trekトレックの経験をもつNick Andradeニック・アンドラーデさんをIBD(専売店)セールス担当として迎えています。2002年3月にはTeam GT開始。5月、GT量販店では販売しないけれどもスポーツ用品店では販売。

2003年、アンドラーデさんの役割の専売店の更なる強化のために、Quality Bicycle Products (QBP)の経験をもち、パシフィックで働いていたJeff Frehnerジェフ・フレーナーさんが販売チャネル担当に。フレーナーさんはドレル買収後パシフィックCEO、キャノンデール買収後は一瞬だけCSG(キャノンデールスポーツグループ:2009年4月から2009年4月からサイクリング・スポーツ・グループ)CEO、現在退社。2003年キャノンデールの最初の倒産時に買収の意向。

Schwinn量販開始:2002年8月、シュウインがウォルマート、ターゲット、トイザラスという量販店での販売開始。アメリカ国内の自転車産業界に大変な衝撃。自転車専売店側に不安が広がる。(ワシントンポスト紙のライターさんの記事8月27日

2003年2月、シュウインBMXも量販店に並ぶ。

2003年3月Pacific CycleのInSTEP買収: インステップ買収は、Schwinn, GT、Mongoose印をインラインスケート、スケートボード、レクリエーション用ウェア(recreational clothing)に展開しだした方向性の強化。そして、パシフィックに新たに以下の製品ポートフォリオを追加する。ジョッギングストローラー、通常のストローラー(ベビーカー)、子供背負子、トラベルベッド、自転車リヤカー、マッサージテーブル、手押しゴルフカート、アウトドア家具、カヤックキャリア(watercraft carriers)、スノーシューズ。InSTEPインステップ社長Paul Kahmannはコンサルタントとして少しの間とどまる。InSTEPの販売マーケティング担当副社長Tom SchultzはパシフィックのInSTEP担当副社長となる。

2003年9月、パシフィックサイクル株43%を持つ筆頭株主のWind Pointが売却先を検討中。クリスホーナングさんは36%保有。ミネソタのインステップオフィス終了。その時点で主要な6名がパシフィック本社に移動と当時人事担当副社長のフレーナーさん発表。

パシフィックサイクル売却直前の企業売買関連情報: Pacific Cycle LLC (SchwinnとGTという自転車ブランドのオーナー) が、オークションに駆けられようとしている。シカゴの中規模プライベートエクイティ投資ファンド(a midsize private equity firm)Wind Point PartnersはCIBC World Markets (CIBC/カナダ帝国商業銀行傘下の投資銀行) に事業売却先の勧誘を委託。パシフィックサイクルは、今時流に乗って操業フル回転している自転車メーカー数社中の一社とされている。Wind Point Partnersはパシフィック株43%を保有し、パシフィックサイクルを5億ドル相当の価値で買ってくれる先を求めている。CEO職にあったクリス・ホーナングは35%をもち、これは売却対象ではないと見られる。1998年にパシフィックサイクル株を買い、Wind Point はアメリカでの量販店向け自転車事業 (U.S. mass merchant bicycle business) でトップになることを目指した。当時の量販店販売は自転車専売店販売に遠く及ばなかった。パシフィックサイクルの創業時からのミッションはアジアから自転車を輸入してトイザラス(Toys "R" Us Inc.)、ウォルマート(Wal-Mart Stores Inc.)などで安価に販売することだった。しかし、この2年間で競合社と同じブランド名を買うことで競うという方針で戦略に磨きをかけた。Schwinn/GT Corp. を8600万ドル、MongooseやRoadmasterというブランドをもつBrunswick Corp.の自転車事業を6000万ドルで買った。これで、現在、流通網でのほとんどあらゆる手段を使いこなせる会社になったと思われている。パシフィックサイクルはアメリカ国内購買の30%を押さえたアメリカ最大の自転車会社となった。(Pacific Cycle is the largest bicycle company in the U.S., selling 30% of the bicycles bought in the states.)

買収側の疑問は、パシフィックサイクルがその計画を完了した現在、おこなうべきことは何か、ということと、パシフィック製品を買っている量販店からのさらなる低価格化要求に対抗しなければならない、ということ。ウィスコンシン州マジソンのパシフィック本社の広報担当者はコメントを拒否。ウィンドポイント役員でパシフィックサイクルの管理担当者であるリック・クラカム(Rich Kracum)もコメントを拒否。パシフィックサイクルは12月末に次期パートナー探しでCIBCと契約。パシフィックサイクルの帳簿は6月末終了予定とされている正式オークションのために3月まで公開しないとしている。投資会社はどこでも買った会社を5年で売却する。Wind Pointは、成功裏に4年半が過ぎたこの次期をパシフィックサイクルの適切な売り時としている。情報筋によれば、Wind Pointは2003年のパシフィックサイクル業績でEbitda5500万ドルを目標としている。これは2002年の4500万ドルからさらに高いところを狙ったもの。

しかし、パシフィックサイクル資産買収を考慮しているとみられる企業を抱える買収仲買企業数社のパートナーの話では、買収企業側はこの数字に疑念を持っているとのこと。あるパートナーは「それはごまかし"It's a good short"」、自転車産業界でそこまで儲けることはできない、という。

それでも、本当に興味があるのはプライベートエクイティのはずでEbitdaの5倍から6倍のおよそ2億7500万ドル程度までなら払えるだろうと、ある買収会社のパートナーはいう。アメリカ国内でパシフィックサイクルと競合するような会社はないのでそこの買収はない。公開株式のハフィーコープHuffy Corp., はローエンド(低価格普及品市場用)自転車メーカー(a low-end bicycle maker)、キャノンデールコープCannondale Corp.,はより高額な自転車のメーカー(a maker of more expensive bikes)、などはどちらもパシフィックサイクルよりも小規模。ヨーロッパでほとんどの事業をおこなっているスポーツ用品(運動具)業界最大のメーカーはそのほとんどを低価格量販店網で販売しているようなアメリカブランドの買収に興味はもたないはず。そう買収会社のパートナーはいう。一流の買収会社がおこなった自転車事業でさえも、悲惨な結果となった買収事業がいくつかあったことに懸念をもたれるかもしれない。クエスターパートナーズ (Questor Partners)はSchwinn/GT Corp. で2000年に現金7000万ドルの損失を計上した。この破綻でパシフィックサイクルがSchwinn/GTを手に入れた。同じ2000年に、セイヤー(Thayer Capital Partners)、ペルセウス(Perseus Capital LLC)、ソロス(Soros Equity Partners)のダービーサイクル(Derby Cycle)への投資額1億200万ドルが消えた。しかし、ある買収予定者は、以前倒産に陥った同業者と比較して今回の事業は流通網が安定している点が違うと語っている。

ドレル社への売却: 最終的に2004年カナダのドレル社に買収されます(記者発表)。すでにシュウインを大衆マーケットでの販売に向けた時点で専門家は専売店の反発を買うと警告していました。さらに専門家は自転車販売の市場は毎年15%ずつ価格が下落しているため、パシフィックサイクルはインステップのような買収をさらに手がけて自転車市場以外の場所をみつけないといけないだろうともいっていました。投資会社のWind Pointも買い手をさがしていました。そしてドレル傘下となりました。カナダではパシフィックサイクルのように中国製自転車を輸入するところでは最高64%の関税がかかるアンチダンピング税があるのですが、アメリカ合衆国にはないので、パシフィックサイクル本社をカナダに移転することはありませんでした。2006年に、Chris はパシフィックを離れています。2008年のキャノンデール買収の再編成で、ドレル買収以降社長だったジェフ・フレーナーさん(Jeff Frehner)がキャノンデール側に移動。パシフィックサイクル社長にはそれまで量販店スポーツ用品店事業を統括していた女性のアリス・ティレット(Alice Tillett)さんが就きましたbicyclepaper/pedalmag。この時点でドレル社長兼CEOはマーチン・シュワルツさん(Martin Schwartz)です(パシフィック買収以前から変わらず)。8月にジェフさん「家庭の事情」でキャノンデールCEO期間5週間で退任したそうです。

パシフィックサイクルのクリスによってシュウインとインステップのトレーラーはクローンとなりました。クリスはシュウインという伝統ある名前のブランド力をマスマーチャントつまり大量量販店向けに使うことにしました。いままで高級品だと思っていたものを安価で販売するという手法はプレミアム感を出すためには有効な手法です。だけど、従来の品質を望む人たちからは、新たな現実の品質は満足できないもので、廉価版と見られています。もちろんそのとおりなのですけど。子供載せ自転車リヤカーもシュウインという名前が「過去の”ある時期”にもっていた品質とそこから生まれた名声」からすれば「ずっと廉価版」の位置づけです。その代りに絶対価格として安く手に入れられます。支払う額を考えれば満足できる品質です。先に書いたようにこれを「高級品になる以前のシュウインがもっていた大衆性をとりもどした」と考える人もいるわけです。それは、100年前とは異なって、現代では中国での大量生産品だからこそできる技でした。そして販売チャネルはウォルマートなどの百貨店チェーンです。徹底的にコストカットされています。プラクティカル(実用的であること)が必要なだけでプレミアムなど不要な消費者にとっては不必要な出費はしないですみます。もう専門家がアドバイスしながら販売するものではなくなりました。LLビーンズもアカディアAcadiaCruiserの別名称でシュウインを販売しています。パシフィックがシュウインをウォルマート、ターゲット、トイザラスなどのマスマーチャンダイジングリセラーで販売するようになったのはインステップを買収する一年ほど前の2002年から。インステップは以前からターゲットで販売する一方で、スポーツオーソリティなどのスポーツ用品チェーンストアでの展開をおこなっていたため、シュウインとインステップの販売形態は似ていました。ただし、パシフィックはインステップを吸収したことで、レクリエーション&健康フィットネス分野を明確に位置づけたということです。

キャノンデール後のパシフィックサイクルは量販店に専念できるようになったため、新社長のアリスさんはさらにこれを加速したようで、いままで自転車用アクセサリーでSchwinn/Mongoose/GTといったパシフィックサイクルのブランドをライセンスして使っていたPTI Sportsを2008年6月に買収しました。PITスポーツというのは、自転車用を含むアクションスポーツ用ヘルメットのアメリカ市場でBellベルに次ぐ大手だそう(2008.3.25企業情報)ですから、パシフィックサイクルがベルスポーツを追う立場にもなったということです。(Bicycle Helmet Safety Institute 2008年動向)

プレミアムブランドはシュウインにかぎらず、いままでのような生産方式では独立を維持できなくなりました。しかし、それは、開発費をかけず製作にも工賃がかからないことから来るものです。現在は中国がその役割を担っていますが、以前には日本がその役割を担っていました。世界中で、自動車、自転車、オートバイ、時計などなどが、どんな道をたどってきたかを思えば、中国製だからといって、悪いわけはまったくありません。日本だってそれでのし上がってきました。中国製を悪くいうのなら日本製も悪く言わねばならないでしょう。いまの日本でも国外からの労働力を受け入れています。しかも、法律的な保護を日本国籍の人と同じ形で与えていないのにです。これですこしコストを下げて、そして、自動車で世界一になるような会社の下部を支えています。自動車自体、自転車と同じ日用品です。トータルでは以前ほど技術力が必要なものではなくコストカット力での勝負です。これを支える労働体系がこのままでいいとは思えません。「国外からの労働者を移民と呼ばない日本政府」ということが最近新聞でまた話題にされました。

ドレル:索引
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2004年1月に、こんどはパシフィックサイクルを、カナダのモントリオールに本拠を置く総合ベビー用品企業のドレル社(Dorel Industries Inc. ドレル・インダストリーズ)が買収(記者発表)。「ドレル社は世界最大の育児用品の卸売り業者」と日本のサイトに記述あり。ドレル社はそれまでの育児用品、ホームファニッシング(家具)の二本柱に加えて、新たにレクリエーショナル/レジャー事業を設けて、この中にパシフィックサイクルを位置づけて、ドレルの事業を三本柱としたのでした。買収したドレルにとっても新たな事業分野開拓という大きなものだったということです。「シュウイン (Schwinn)、 GTバイシクル(GT Bicycle)、 マングース(Mongoose)、 パシフィック(Pacific)、 ディノ(Dyno)、 マレー(Murray)、フレキシブル・フライヤー(Flexible Flyer)、 ロードマスター(RoadMaster)、 パワーライト(PowerLite)、インステップ(InSTEP)のブランドで販売」していると記述されています。

Maxiquinlogoドレルという会社は育児用品部門だけみても、コスコ、セーフティファーストに加えて、Maxi-Cosiマキシコシ(1994年のMaxi-Miliaan買収)とQuinnyクイニー(2001年Quint B.V.,買収しMaxi-Miliaan事業に統合)、2003年買収のフランスAmpafrance Development SAS (Ampa)と買収をしながら事業を拡大して、現在では”カナダに本社を置きながらも北米とヨーロッパに軸足を持つアメリカ企業”という会社になっています。(ということでクイニーにはマキシコシがつけられるようになっています。)

ドレル買収後、さらにブランド利用が徹底されました。2005年にはパシフィックサイクルはシュウイン印でスクーター(モータースクーター)販売を開始しています。http://www.schwinnscooters.com/

Cannondale Sports Group

2008年2月4日に、ドレルがキャノンデール社買収を公表しました。キャノンデールはドレルの3本柱のレクリエーション&レジャー部門に入るそうです。今まではパシフィックだけでしたけれども、ここにキャノンデール・スポーツ・グループという名前で入ってくるそうで、パシフィックとは一緒にせずに、レクリエーション&レジャー部門が2本柱となるわけですね。パシフィックのほうがマスマーチャント(大規模小売店)およびスポーティンググッズ(スポーツ量販店)担当でウォルマートやターゲットそれからスポーツオーソリティなどへの流通を担当し、一方のキャノンデールはIBD(独立系自転車専売店)を担当するそうです。この買収以前からパシフィックにはシュウイン買収時に得た(GTが作り上げたRitewayライトウェイという通指向マウンテンバイクの)IBDネットワーク/自転車専売店販売網があったのですが、シュウインがマスマーチャント展開されるブランドとなったために、このIBD販売店ネットワークの位置づけが不明確となってしまったようです。これをきちんとIBD用ブランドの販売店として位置づけるためにキャノンデールというプレミアムブランドの買収は意味があったのでしょう。つまり、シュウイン買収で得たIBDネットワークは大きくはキャノンデール傘のネットワークとなると思われます。GTはキャノンデール側に回るそうです。(ドレルはキャノンデール買収と同時にカナダのスゴイパフォーマンスアパレル[SUGOi Performance Apparel]も買収しています。)

2008年からキャノンデールスポーツグループCEO Jeff画像ドレル傘下となったパシフィックサイクルでCEO職となっていたJeff Frehner氏(写真)がキャノンデールCEOとなりました。破産したキャノンデールをペガサス傘下でCOO兼社長となって再建し、首尾よく売却を果たしたマット・マネリー(Matt Mannelly)氏はドレル傘下でも引き続きとどまって経営にあたるそうです。(そして、2008年7月末にMatt氏も離れました。詳しくはキャノンデール側をみてください 2008年7月末にマット・マネリー氏がキャノンデールCEOを辞して会社を離れるとご本人の発表があったとのことです。キャノンデールバイシクルコーポレーションのCEOはドレル傘下となった2月以降もマットさんがCEOだったのでした。キャノンデールバイシクルコーポレーションの親会社にあたる会社としてキャノンデールスポーツグループをドレルが創設していて、そのCEOがジェフさんで、そのCOOがマットさんだったようです。キャノンデールバイシクルコーポレーションのCEOはマットさんのあとジェフさんが兼任するとのことらしいです。ドレル>キャノンデールスポーツグループ>キャノンデールバイシクルコーポレーションという関係です。

キャノンデールCEOとなったジェフフレーナーさんも就任わずかで「家庭の事情」という理由で辞職されたそうですが、パシフィックの拠点ウィスコンシン州マジソンにフレーナー家が強く結びついているからキャノンデールのコネチカットへの移動が難しいとのドレル発表(2008年8月27日)でした。それならCEOになる前にわかりそうなものです。なにか他に理由があるのでしょう。

この時点から、ドレルのRecreational/Leisure segment社長(つまりCSGの親会社)のBob Baird(Robert P. Baird ボブ・ベアード)さんがCSG暫定社長となっています。ボブ・ベアードさんはCSG(キャノンデール)と、パシフィックサイクル両方に責任もっています。bike-eu.com 2008.8.28

8月26日、80年代にはシュウイン社製品開発、その後ウエスターンステーツインポーツ社でダイヤモンドバック製品開発、どこでなのかわかりませんがマングースも製品開発、その後も数々の台湾製をアメリカに紹介し、2002年から2007年まではラレーアメリカの製品開発役員となり2006年からはラレーの台湾オフィスに常駐し、ラレー退社後も台湾に常駐していたBrad Hughesブラッド・ヒューズさんが、いつのまにか、キャノンデールスポーツグループ(CSG)の台湾オフィス代表となっていて、GTとマングースMongooseの2009年モデルの発表会を開きました。(cycling-update.info

ということは、ドレル傘下でのマングース印はキャノンデールスポーツグループCSGという(量販店ではなく)IBD(自転車専売店)担当の事業部によって自転車専売店側に提供されるような事業展開になるのでしょうか。

2008年12月3日に、CSGキャノンデールスポーツグループの新経営陣が発表になりました。Bob Kmoch(英語だからボブ・クモッチさんでしょうか)がグローバルCFO; Ron Lombardi(ロン・ロンバルディ)さんがグローバルCOO; Bruno Maier(ブルーノ・マイアー)さんが執行副社長グローバルマーケティング; Steve Reeds(スティーブ・リーズ)さんが執行副社長製品開発&ソーシング; Dave Manchester(デイブ・マンチェスター)さんが上級副社長販売; Jeff McGuane(ジェフ・マクゲイン)さんがCSGインターナショナル社長(海外統括ということですね)。bicycleretailer.com中国でも報道されています

新CFOボブ・クモッチさんですがallbusiness2005.5.10情報によればパシフィック・サイクルのCFO財務担当として2005年からいたそうです。パシフィックサイクルの創業者クリス・ホーナングが採用した人です。ブランズウィックの自転車部門からパシフィックに来たJim Coninxさん2000-2005の後を次いでパシフィック内で昇進してのCFO就任で、2005年パシフィック以前は、酪農システム(Dairy Company)Bou-Maticボーマチック社の役員でした。Dairy Companyってmilking systems and dairy farm equipmentだそうです。野澤組をのぞいてみてください。

キャノンデールやシュウインの行く末を左右する立場にいる暫定社長のボブベアードさん、"Robert P. Baird Jr."ですが、2008年にドレルに来たばかりの人です2008.5.30。2006年からPhilipsオランダのフィリップス関連の人で、Philips Domestic Appliances & Personal Care (フィリップスDAP) 家庭用品/美容健康器具子会社のアメリカ(コネチカット州スタムフォード)のCEOだったそうです。その前2002年5月まではコンサルティング会社Egon Zehnder Internationalのコンシューマー製品のスペシャリストとしてマーケティング上流のコンサルタント。さらに以前はサムソナイト、GM、スコットペーパー、ブリストルマイヤーズ、プロクターギャンブルとさかのぼり最初がGEということです。ケロッグ大学卒のMBAということでマーケティング屋さんそのものの人のようです。

Bairdさんがキーパーソンですが、こうしてみると日用品の分野のマーケティングスペシャリストです。自転車という分野も初物、スポーツ用品という分野でも初物ですね。会社名も普通に使われるときはCSGです。第一義的にはブランドとしてのCannondaleと間違えないようにということだと思いますが、会社としてのキャノンデール、そして人間の活動の結果としてのキャノンデールはすでにCSGという記号の中に埋められてしまったようです。マーケティング族の活動開始でキャノンデールすきな方々には少々心配かもしれません。

加ドレルの08年1~6月自転車関連売上高は58%増 サイクルプレス 第3027号 2008年(平成20年)8月25日(月) だそうです。なお、ここには『■永祺車業(Ming Cycle)近況Report  GT、マングース、シュイン向け中・高級車のOEMサプライヤーとして再構築した永祺』ともあります。

Cycling Sports Group 持株会社Dorel Recreational & Leisureの事業会社

2009年4月、ドレル、不況下にもかかわらず2008年史上最高益を発表。同時にキャノンデール・スポーツ・グループをサイクリング・スポーツ・グループと名称変更、略称CSGは変わりません。シュウイン、GT、マングース関連部門はキャノンデールのコネチカット州ベセルに移転となりました。キャノンデールの自社フレーム生産は終了し、アジアへの外注生産に完全移転も決定しました。キャノンデール流がシュウイン、GT、マングースに注入されるというよりもシュウイン、GT、マングースのドレル&パシフィックサイクルの流儀がキャノンデールに注入される気がします(CSG台湾オフィス)。

Cycling Sports Group 持株会社Cannondale Sports Unlimited(旧Dorel Recreational & Leisure)の事業会社

日本

日本では、神戸市東灘区のマルイという商社が、シュウインを取り扱っていて、日本のシュウインウェブサイト(http://www.schwinn-jpn.com/)もここが運営しています。マルイはほかにCENTURIONセンチュリオン(http://www.centurion-bikes.jp/)、TOPEAKトピーク(http://www.topeak.jp/)、TIOGAタイオガ、ERGONエルゴン、FINISH LINEフィニッシュラインなどを取り扱っています。

最近日本でマキシコシやクイニーがよく宣伝されるようになったのは、ドレルが日本に事務所をおいて活動しはじめたためでしょう。ドレルの日本の販売チャネルのイトーエンタープライズが、dorel.jpを運営しているようです。dorel.jp/contact

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