ブランドの基本:Diamond Back / Diamondback / ダイヤモンドバック / 大名

「お荷物なので押しつけられたブランド」という紹介がありました。「ブランド」というものにはそういうことはあり得ません。お荷物なら使用しないだけです。「ブランドを購入する」のは「購入する価値があるからこそ」です。ヨーロッパではスポーツ自転車ブランドとして認知されているからこそいまでも使われているわけです。2012年からオランダのアクセルグループのブランドになっています
他のページで書いたDiamondbackへのリンク


BMXブランドとして誕生したダイヤモンドバック 1976年ごろ


RALEIGH ラレー / Avenir アベニール / Phillips フィリップス - ラレー自転車
アベニールAvenir: 製品開発者のコージーヤマコシ(Cozy Yamakoshi、山越淳也)さんとCenturionセンチュリオンとDiamond Backダイヤモンドバックで知られているカリフォルニアの
Western States Import(WSI)
が保有していたブランド。

ラレーがアメリカ本社のダービーサイクル時代にDiamondback(ロゴが変わっている)買収と一緒に1998年12月に買ったブランド。

ダイヤモンドバックとつけたのは『この蛇がマングースを食べるから』だそう。

2010年の今もダービーサイクルの後継企業ラレーサイクル社の保有するブランド。

ダービーサイクル時代にDiamond BackからDiamondbackとなりました。RaleighブランドとDiamondbackブランドは適宜使い分けられています。ラレーサイクル社はラレーUKやラレーUSAの親会社で、ラレーUKでもラレーUSAでもRaleighブランドとDiamondbackブランドを扱っています。ドイツのダービーサイクルヴェルケも2005年まで傘下でした。ラレーUKはダービーサイクル時代の末期には通称を『ラレー=ダイヤモンドバック』と名乗っていました。ラレーは一般大衆向けで陳腐化したブランドとなったと定義づけし、ダイヤモンドバックが若々しい勢いのあるブランドとして起死回生のために使われていました。これはラレーサイクル社傘下のラレーUKでは元に戻されました。

Western States Import (WSI)

WSIは1969年頃にミッチェル・ウエイナーさん(Mitchell Weiner)がつくった会社。コージーヤマコシさんも共同創業者だったという情報もあります(が常にいわれているというわけでもありません)。

雑貨類の輸入商をしていたミッチェル・ウェイナーさんがイギリスの自転車会社のラレー社から極東の10速自転車輸入を依頼された。新事業がほしかったウェイナーさんはWestern States Import(WSI)という会社を作り、日本の製造業者に数千台もの自転車を発注した。ところが、WSIにその自転車が到着して倉庫に入れた時点で、ラレーがキャンセルをいれてきた。イギリスからのラレー輸入を継続するということだった。
ウェイナーさんは、これは自分で自転車を販売しろということだと受けとった。幸運にも、当時ベビーブーマーたちは高校や大学の時代で、10速自転車は記録的な販売が可能な時期だった。WSIが自転車販売を始めて2年後には自転車だけを販売する会社となっていた。

WSIは当初はセンチュリオンというロードバイク。その起こりはラレーが販売する自転車としてのデザインでした。そして、製造は日本。メイド・イン・ジャパン!ブランドはラレー。イギリス!販売する場所はアメリカ!

この自転車を日本で販売したなら、どこの自転車といいますか?
ラレーだからイギリス製
アメリカの自転車だからアメリカ製
日本でつくったから日本製
ちゃまは、当時の日本なら、絶対にイギリス製として宣伝されていると思います。
そして、いまこれをオークションで販売されたら、絶対にイギリス製と書かれていると思います
これは、現実には、ダイヤモンドバックとしてアメリカで販売されました。
(その後、ラレーアメリカも日本製を販売しました。)


1976年から1977年にかけて、ダイヤモンドバック Diamond Backという名前でBMX用自転車

ダイヤモンドバックの誕生は、ループテールモデルから始まった。ユーロBBで、MXという名前だった。

DiamondBack は南カリフォルニアではじまった。ウエスタンステーツインポーツの子会社としてセンチュリオンバイシクルワークショップ(Centurion Bicycle Workshop)があった。センチュリオンは10速自転車を10年間ほど販売していた。Diamond Backとは、Centurion が2つのダイヤモンドに似ていて、蛇ははやり(kickin)だった。当初のフレームセットキットは1976年末ごろに販売された。しかし、その生産は1977年に始まった。「Wheels 'n Things」が競技テストをして改良のアドバイスをしてからだった。当初、考えていたのは全米ではなくカリフォルニア市場向け自転車としてだった。その生産開始時は、FMFやSE (Scot Breithaupt(スコット・ブライタップ SEレーシング) SE Racing / Scot Enterprises 1977)を組み立てていた会社で作られていた。クロモリや軟鋼(マイルドスチール)といった素材で作られた。フォークはデュアルドロップアウトで競技用フォークの“speedo”のコピー。サンディ・フィンケルマンがこれを気に入っていたから。初期のDiamondBack ではほぼ似たようなものを使った。初期には単にDiamondBack といわれ、モデル名は特によばれなかったけれどもブローシャーには一番最初のものにはMXと書いてあった。

Bm_copy1_lg 日本製ダイヤモンドバック 1980年モデル

日本の工場はKoizumiやKuwaharaなど。

イギリスの掲示板 Diamond Back BMXの写真がたくさん


その後、太いタイヤを履いたマウンテンバイクに変わっていきます。当初はダイヤモンドバックも太いタイヤがあったようですが、センチュリオンがマウンテンバイクのブランドとしてつかわれるようになりました。

CenturionセンチュリオンDiamond Backダイヤモンドバックというラベルでラレーと肩を並べるくらいの本格派自転車乗りに身近な存在となった。Centurionは特にアイアンマンモデルIronman modelで有名。
(1986年の話で)1984年から1986年の3年間は絶頂期で、Diamond Backの販売の成長はまれに見るものだった。これは"fat-tire"太いタイヤの自転車で、ロッキーヒル、サンドデューン(砂の丘)、ポットホール(穴)rocky hills, sand dunes and potholes.を通り抜けるように作られていた。(ちゃま:マウンテンバイクということです)
どの自転車もWSIが作ったものではない。自転車事業への参入以来、WSの事業Iは輸入と流通だった。



http://tarr.uspto.gov/servlet/tarr?regser=serial&entry=73246830

Trademark details 商標詳細

Diamondback® is a registered trademark used for Bicycle Parts-Namely, Bicycle Frames, Forks and Parts Kits Comprised of a Handlebar, a Handlebar Stem, a Pair of Handlebar Grips, a Brake Set, a Crank Set, a Pedal, a Chain, a Seat Post, a Seat, and a Seat Post Clamp and owned by Swissbike Vertriebs Gmbh, Western States Import Company Incorporated. Full trade mark registration details, registered images and more information below.

diamondback

Goods and/or Services: Bicycle Parts-Namely, Bicycle Frames, Forks and Parts Kits Comprised of a Handlebar, a Handlebar Stem, a Pair of Handlebar Grips, a Brake Set, a Crank Set, a Pedal, a Chain, a Seat Post, a Seat, and a Seat Post Clamp
Serial Number: 73246830
Registration Number: 1269116
Filing Date: Jan 21, 1980

Last Applicant(s)/Owner(s) of Record Swissbike Vertriebs Gmbh ←現在の所有者 Raleigh商標もここです。 ラレーサイクルという持株会社のオーナーでもあるアラン・フィンデンクロフツさん個人所有の会社が、ラレーブランドも、ダイヤモンドバックブランドも管理しているということです (raleighbikes.comを訴えたときの話)
Buochserstrasse 26
Beckenried 6375 CH

Western States Import Company Incorporated
7805 Deering Ave.
Canoga Park, Ca 91304 US

Related Products: Vehicles

Diamond Back (Hong Kong) Co.Ltd, / 大名国际有限公司
China Bicycles Co

その後、現在中国の自転車の大家といわれているジェローム・シー・チンフンさん(Jerome Sze Chin-hung 漢字表記は施展熊)が大きくかかわったようで、ある時点で、チンフンさんの香港の会社がWSIの親会社となったようです。その後、ダイヤモンドバックはジェロームさんが1984年に、当時まだ開発途上の地だったシンセンに建設した中華自行車で作られるようになります。ダイヤモンドバックは中国では90年代には地元の高級ブランドだったそうで、高級自転車につけられた最初のブランド名として中国自慢のブランドでした。世界に販売される一方で、それまで普及していた実用自転車の中国から、裕福になった中国の人たちが買うようになったブランド名のついた最初の高級自転車。



ジェローム・シー・チンフンが1984年にシンセンに作った自転車会社
業界の基本:チャイナバイシクルズ 中国シンセン自転車株式会社 中華自転車(中華自行車)
1984年創業 Hong Kong (Link) Bicyclesと州保有の深[セン]地区軽工業社(Shenzhen Municipal Light Industrial Co,)が株主

Hong Kong (Link) Bicycles Ltd.(HKL)はHong Kong Link International (Holdings) Ltd.の全株子会社 (間にCanda Co. Inc.が入っています)
Hong Kong Link International (Holdings) Ltd.は、Sze Chin Hung, Jerome(ジェローム・シー・チンフン)と妻Rita Chanが全株所有。
HKLは Shenzhen China Bicycle Co. (Holdings) Ltd. ("SCBC")の発行済み株式19.4%を所有。
SCBCは共同株式制限会社(joint stock limited company) incorporated under the laws of the PRC and listed on the Shenzhen Stock Exchange.
HKLは香港登記の会社で事業体(ビークル)。実活動はSCBCがその主たる国際事業活動をおこなっている。
HKLはまた、Bejka Trading Co.の全株式を保有している。
(Diamond backがダービーサイクルにわたったときは、スウェーデンの株未公開企業Bejka Trading A.B.,(1999年5月の会社解散手続きから。IN THE MATTER OF Hong Kong (Link) Bicycles Limited "Bejka")という会社がありました。下参照ください)

1987年7月、CBCの親会社2社の株3分の1を米国自転車メーカーのシュウイン自転車社(Schwinn Bicycle Co)が買い取り株主に加わった。
1991年11月にShenzhen China Bicycles Co Holdings (SCBC)と社名変更。
(創業者は2008年現在中国自転車協会の副理事長)
DIAMOND BACK は 中国語で大名

大名山地车 Diamond Back Mountain Bike

関連会社として
Diamond Back (Hong Kong) Co.Ltd,
大名国际有限公司があって
CBC役員が社長

Tim Issac/Tim Isaac(どちらでしょう?) ティム・アイザックさん トレック(1976年創業)で1979年から1988年までラグフレーム組みの専門家ティム・アイザックさんが1988年からCBCのエンジニアリング担当バイスプレジデントに

フレームビルダー。ティム・アイザック。
1980年のオリンピック用自転車を製作し、トレックから声をかけられた。
1979年からトレックの技術担当者。
しかし、トレックが巨大な会社となりストレスが多くなったと感じたティムはトレックを辞めた。

1988年、ダイヤモンドバック(Diamond Back)で働き始めた。
中国での自転車生産をうまくいかせるのを手伝うため。中国へ何度も旅したよ。最終的に中国に住み着いた。コミュニケーションはすべて通訳入り。ダイヤモンドバックは中華自転車(China Bicycle Company :CBC)から自転車を買っていた。

中国の技術を向上させるためにたくさんの外国人が働いていたということの一例ともいえます。

1995年 ヘラルドトリビューン誌
中国の人々が裕福になるに従い、自転車がもはや単なる交通手段ではなく、ステータスシンボルともなってきた・・・・(略)
Diamond Back(ダイヤモンドバック)で、これはChina Bicycle Corp.,(CBC:チャイナバイシクル - 中国自転車社)が所有しているブランド名だ。CBCは世界的に見ても台湾のジャイアントグローバル(Giant Global Group)についで2番手である・・・(略)
さらに宣伝力を増すため、Stephen Codron(ステファン・コドロン - CBC副社長兼ダイヤモンドバックインターナショナル[Diamond Back International]社長)は、CBCの世界販売の武器であるダイヤモンドバックを中国のマウンテンバイクレースチームの公式スポンサーとする契約を中国自転車協会(Chinese Cycling Association)と結んでいる・・・・

業界の基本:1995年6月情報 中国製自転車の高級市場進出 チャイナバイシクルズ 中国シンセン自転車株式会社 つづき 

中国の人々が裕福になるに従い、自転車がもはや単なる交通手段ではなく、ステータスシンボルともなってきた。従来型の黒い実用自転車だけが求められる時代ではなくなり、中国の都会の若者はカラフルなマウンテンバイクがほしいと思うようになってきている。

こういった自転車は700から1000元(90ドル-125ドル)といった価格帯で、誰もが買える自転車というまでにはまだいかない。しかし、一方で、ナイキのランニングシューズ、モトローラの携帯電話、スウォッチの時計、といったような名前にはお金を払ってもいいというブランド志向の人々が現れてきている。

ところで、自転車の場合、トップブランドは西洋のものではなく地元のもの(国産)というのが中国の特色だ。それは、Diamond Back(ダイヤモンドバック)で、これはChina Bicycle Corp.,(CBC:チャイナバイシクル - 中国自転車社)が所有しているブランド名だ。CBCは世界的に見ても台湾のジャイアントグローバル(Giant Global Group)についで2番手である。

(中略)

チャイナバイシクルは"米国のシュウイン自転車"と"シンセン地区産業当局"、および"香港リンク社(香港の貿易会社)"との3社合弁の外資系企業(FIE((Foreign Investment Enterprise)外商投資企業))としてシンセンを拠点とし10年前に設立された。シュウインは2年前に倒産したため、現在は香港リンクとCBCの 2社が株主。

(中略)

さらに宣伝力を増すため、Stephen Codron(ステファン・コドロン - CBC副社長兼ダイヤモンドバックインターナショナル[Diamond Back International]社長)は、CBCの世界販売の武器であるダイヤモンドバックを中国のマウンテンバイクレースチームの公式スポンサーとする契約を中国自転車協会(Chinese Cycling Association)と結んでいる。

コドロン氏は、1994年10月に北京で開催された第一回国際マウンテンバイクレースを推進してきた。

このイベントは、ダイヤモンドバックカップ(Diamond Back Cup)と呼ばれ、全国的にテレビ中継もされた。現在マウンテンバイクレースは中国の国家的スポーツとなっているが、ダイヤモンドバックカップはマウンテンバイクレースが現在の地位に至る役割を果たした。

1997年時点情報 ダイヤモンドバックはラレーのライバルだった ■ラレーUKを取り巻く業界状況:1995年までは、ラレーのライバルといえば、キャスケットグループ(Casket Group)だった。Townsendタウンセンド、British Eagleブリティッシュイーグル、Falconファルコンなどの自転車を販売していた。ところが、他事業で赤字となったCasketがTandem Groupと合併。Casketにつづきシェア1割ほどの会社が、超低価格路線のUniversalユニバーサルと輸入業者のMoore Largeムーアラージ(Emmelle、Diamond Backダイヤモンドバック - どちらもCBC中国ブランド、Scottスコット - スイスブランドCBCの中国製造など)。さらに、小さいシェアに台湾Giantジャイアント、アメリカのTrekトレックとCannondaleキャノンデール、イギリスのDawesとMuddy Foxがつづく。ラレーのみが英国生産。他は自国生産と他国生産のミックス。イギリスでのダイヤモンドバックはラレーのライバルが輸入販売していた

1998.12-2001.10 ダービーサイクルのダイヤモンドバック
2001.10-現在 ラレーサイクルのダイヤモンドバック

買収後すぐ1999年からダイヤモンドバックが最高級扱い「プレミアムブランド」。ラレーは庶民ブランドという位置づけ。ラレーUKの電話受付の対応は「はい、ラレーダイヤモンドバックです」となり、会社の看板としても使われた。


1998年5月にDerby Cycle Corporation(ダービー第二期 Derby Cycle Corporation:DCC 会社登記アメリカ、デラウェア州、本社コネチカット州)設立

ダービーサイクル1998年5月14日
ルクセンブルクの持ち株会社ダービーインターナショナルコーポレーションSA(DICSA)の1998年5月14日までの財務状況と自転車および自転車コンポーネント事業の結果。
1998年5月14日までDICSAは会社を保持する唯一の事業体として一連の自転車および自転車コンポーネント企業の株式を直接的間接的に保有していた。
会社はそれぞれ自転車および自転車コンポーネントの製造、組立、流通をおこなっている。この自転車自転車コンポーネント企業は、ダービー自転車グループといわれ、オランダ(ハゼレ)、イギリス(ラレーUK、スターメーアーチャー)、カナダ(ラレーカナダ)、ドイツ(ダービードイツ)、南アフリカ(プロバイク)、アメリカ(ダービー社のラレーUSA部門)が実際の事業運営に当たっている。
1998年5月14日付で、DICSAは資本構成再編契約に関連する事業再編をおこない、それぞれの自転車と自転車コンポーネント企業は直接的間接的にアメリカで事業運営に当たるダービーサイクルコーポレーション(デラウエア)の所有となる。

1998年
ダイヤモンドバックは1992年時点にShenzhen China Bicycles Co Holding(SCBC)中国深セン自転車の自社ブランド。アメリカではSCBCの株主の一社香港自転車の子会社WSIの取扱。WSIはMitchell Weinerさんと、Mike Bobrick さんの会社。Centurionセンチュリオンをやっていた。manual。これらWSIは80年代には日本人設計者山越(Yamakoshi)さんが米国で企画し日本で生産したものを販売したブランドとアメリカ情報があります。80年代と90年代で違うのかもしれません。
Centurionも、神戸でつくられた自転車だそうですが、WSIと提携していた(とちゃまが思っている)ドイツのWolfgang Rennerさんの会社「Nowack Radsport-Vertrieb(ノバック自転車販売)」がWSIが使わなくなった後に買われて欧州ブランドとなった(たぶん1991年「社名変更CENTURION Renner KG」)。その後、2001年にメリダの51%の資本参加でドイツの会社メリダ・センチュリオン(Merida & Centurion Germany GmbH)となっているようです。
■12月4日、Diamondback買収 Diamond Back International Company Limited(バージン諸島) とWestern States Import Company Inc. (WSI:カリフォルニア)secinfo 98.12.31。どちらの売り手も香港を拠点として世界的に事業を手がけていた中国系のジェローム・シー・チンフンさん。(初期はDiamond Back)ダイヤモンドバック買収
ラレーの家族イメージに対して過激なイメージ。Avenir印、CyclePro印も。(この時点でDCC本社はワシントン州ケント) 
1993年9月17日申請1995年4月25日認可の自転車フレームの特許申請(http://www.freepatentsonline.com/D357651.html)。申請代理人がDiamond Back International Company Limited (Tortola, VG) 。(Tortola, VG) とは、バージニア諸島トルトラ島。ダイヤモンドバックインターナショナル社がバージニア諸島に置かれていたことがわかります。発明者の2人のうち1人が香港の人でIsaac, Timothy S. (Hong Kong, CN) 、もう御一方はペンシルバニア州クロイトンの人という構成をに、すでにグローバル経済のR&Dが見えます。ところで、先に発明者と書きましたけれど、これはinventorと書いてあるからです。でも、その申請はornamental design、装飾的な設計なので、日本なら、意匠デザインということで、これは発明者とは日本では言いません。登録者になってしまいます。この場合inventor=登録者で、inventor=発明者ではないんですよね。日本の意味で「発明者」について、特許庁の文書があります⇒PDF:日本における発明者の決定。これはinventorの説明ではないんです。


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ラレーの歴史 (資料編 年別)1999年2月4日、「会社」はダイヤモンドバックグループ(Diamond Back Group)の資産(およびある程度の負債も推測される)を現金約4430万ドルで買収。
ダイヤモンドバックグループは
英領バージン諸島の株未公開企業
Diamond Back International Company Limited, ("Diamond Back")、
デラウエア登記法人企業の
ウェスタンステーツインポート社
Western States Import Company Inc., ("Western States") 、
スウェーデンの株未公開企業
Bejka Trading A.B.,("Bejka")

があり、それぞれ自転車、自転車パーツおよび関連およびフィットネス機器の卸業を営んでいる。


Bejka はDiamondback 売却取引(1998年12月8日からの)でのvendors(売主)の一つ。Bejkaの全資産が売却され、その収益は、一部がSCBC負債返済に当てられ、差額はSCBCに貸し付けられた。SCBCには全株持株会社が数社有り、うち2社がChina Bicycle Co. (HK) Ltd.中華自転車(香港)("CBC(HK)")と Zoria Pte Ltd. ("Zoria")。Zoriaはシンガポール登記会社。シンガポールからの借入金のための特別目的会社として使われている。SCBC、CBC(HK)、Zoria (あわせて"SCBCグループ ") はHKLの株式を直接的間接的に保有していないことに関し議論の余地はない。

SCBC事業活動のために使うSCBCグループへのさまざまな借入金はHKLが保証人となっている。Diamondback Deutschland GmbH ("DB Deutschland")への借入金の保証人でもある。"DB Deutschland"はDiamondbackグループで、これもシー夫妻の所有。

(以上、1999年5月の会社解散手続きから。IN THE MATTER OF Hong Kong (Link) Bicycles Limited



カナディアンサイクリスト掲載の1999年3月のコフィングループ分析

買収時点までは ブランド名はDiamond Back(DB)とDiamond Back Racing(DBR)。2010年の現時点ではDiamondbackとつなげて使われている。

「ダイヤモンドバックのドイツおよびフランスの事業は買収対象外」と書いてあるのですが、これについては要調査。

この時点で「DBブランドはラレーブランドよりも高額価格帯としてUSA販売している。」「DBブランドによる米国自転車売上はラレーブランドよりも多いと思われる。」



1999年から、ラレー‐ダイヤモンドバック:電話の対応も「はい、ラレー‐ダイヤモンドバックです」。低価格普及ブランドとなったラレーよりもダイヤモンドバックをプレミアムブランドとして強くプロモーション開始。生産撤退と商社化を推し進める。

2000年
フィリップ・ダーントンさん

■1月4日ラレーUK、社長(MD)は暫定レジー・フィサメィさんに替わりPhillip Darntonフィリップ・ダーントンさん(2003年4月まで)。UK以外にラレーアイルランド、ヨーロッパ全域のラレーブランドとダイヤモンドバックブランドの統括者。ダービーサイクル社取締役も兼任。オックスフォード卒、ユニリーバのカナダ、ブラジルで社長。1996年からReckitt-Coleman(現Reckitt Benckiser)マーケティング担当取締役。

Derby Cycle Corporation:DCC 傘下の英国事業会社ラレーUK社長フィリップダーントンさん就任時のイブニングポスト紙でのラレー紹介の一説。「ダービーには世界中のリーダーブランドがあり、オランダのGazelle 、アメリカのBMX&MTBブランドのDiamondback。昨年の販売は50万ポンド以下、今年52万台を目標としている。ラレー従業員は常勤500 名を超え、下半期のシーズン需要に向けて(*)ピーク時は約650名となる。」

■2001年ラレーの歴史 (資料編 年別):ラレーアメリカはバイアウト以前から、経営陣は財務上の問題を抱えていたダービーUSAの改変を真剣におこなっていた。ダイヤモンドバック生産をワシントン州ケントの製造工場に統合することが問題となっていた。管理体制にもかなりの変更をしていた。そうしている間に破産申請となってしまった。


業界の基本:Univega ユニベガ 2001年:アメリカの雑誌'Bicycle Retailer & Industry News'によれば、ダービーUSAはUnivega自転車ブランドのUSA使用を終了する。ダービーUSAではRaleighとDiamondbackに集中。この決定はヨーロッパのUnivegaブランド事業にはなんら影響しない。

(業界の基本:ユニベガ つづき ベン・ラウウィさんについても)

2003年
■ラレーアメリカ(本社ワシントン州ケント)、2月21日、1994年にプジョーからラレーにきたTom Curranトム・カランさんが8年務めた社長を退任(降格で自ら退社)。ラレーアメリカ会長のビル・オースチンさん(Bill Austin)が暫定社長として兼任。ダイヤモンドバックフィットネス社長を兼任しているためカリフォルニア州カマリロCamarilloにあるダイヤモンドバックフィットネスのオフィスに勤務しているオースチンさんはひと月のうち1週間をワシントン州ケントのラレーアメリカ本社で勤務する予定allbusiness。


業界の基本:だれがだれを持っているのだろう 2003年3月末時点
- Raleigh ラレーはDiamondback ダイヤモンドバックとUnivegaユニベガを持つ。

ヤマハ発動機のフランス子会社MBKの自転車部門に2001年から勤め、その自転車部門終了で自転車部門のメンバーが業務を引き受けるために作った会社EXTENS社に2009年まで勤めていた、デニスさん。2001年4月5日まで3年間はダイヤモンドバックのヨーロッパ部門のマーケティングチーフだったのでした。MBK


2004年
ラレーアメリカ、マーケティングトップがスコット、スペシャライズド経験者。11月、Reed Pikeリード・パイクさんラレーとダイヤモンドバックのマーケティング担当役員。スコットUSAの営業、Schwinn シュウインの営業、Specializedスペシャライズドのマーケティングと品質管理の経験もあり。


2005年時点
(ドイツのダービーサイクルヴェルケ売却前)の所有ブランドは
Raleigh(ラレー)、Diamondback(ダイヤモンドバック)、
Univega(ユニベガ)、Focus(フォーカス)、Kalkhoff(カルクオフ)、Rixe(リクゼ)、
Avenir(アベニール)、Cyclepro(サイクルプロ)、
Phillips(フィリップス)、Triumph(トライアンフ)、Hercules(ハーキュリーズ)、BSA。

■2006年
ラレーアメリカ、12月、インターバイクで、ビギナー女性向け自転車発表。ダイヤモンドバック(W! Zelos/Kalos)とラレー(Intrigue 1.0/2.0)の両ブランドで発売。アメリカラレーではDiamondbackとRaleighで姉妹モデルがあるということ。

■2007年
3月
ラレーアメリカ(ワシントン州ケント)、3月31日、Diamondback Fitness, Inc.ダイヤモンドバックフィットネス社がダイヤモンドバック自転車部門に統合し本社は親会社のラレーアメリカと同じワシントン州ケントとなると発表。ラレーアメリカの社長スティーブ・メインケさんが指揮を執り、現社長スティーブ・リンデナウさんSteve Lindenauは移行終了後転出

■2008年
ブラッド・ヒューズさん:いつのまにか、キャノンデールスポーツグループ(CSG)の台湾オフィス代表となっていて、GTとマングースの2009年モデルの発表会を開きました。
80年代にはシュウイン社製品開発、その後ウエスターンステーツインポーツ社でダイヤモンドバック製品開発、どこでかわかりませんがマングースも製品開発していました。その後も数々の台湾製をアメリカに紹介し、2002年から2007年まではラレーアメリカの製品開発役員。ラレーアメリカの製品開発の中心人物だったひとです。 業界の基本:マングース Mongoose の歴史

■2010年
ダイヤモンドバック ヨーロッパへの再挑戦 バイクヨーロッパ2010年7月7日
ジョン・マクノータン(John Macnaughtan)、ラレーインターナショナル(Raleigh International)の社長(Managing Director)が説明した。「ダイヤモンドバックのヨーロッパでの販売は継続します。このブランドが斬新なサイクルスポーツ界のリーダーとしてのルーツに復帰するよう。かつてBMXとMTBで世界チャンピオンだったUKのMTB界、トライアル界の伝説の人物マーティン・アシュトン(Martyn Ashton)とキングオブダート、サム・ピルグリム(Sam Pilgrim)がもう一度ダイヤモンドバックにのってくれます。」


業界の基本:ラレーの歴史 (資料編 詳細情報)


1999年2月4日、ダイヤモンドバックグループDiamond Back Groupの資産を買収。Diamond Back International Company Limited(株式非公開で英国バージン諸島に籍)、ウェスタンステーツインポート社Western States Import Company Inc., デラウエアの会社でWSIとしても有名、Bejka Trading A.B., 株非公開スウェーデン企業があり、それぞれが自転車および自転車部品、自転車関連商品、健康機器(フィットネス機器)の卸事業をおこなっていた。(追加情報)これらは、香港のHong Kong (Link) Bicycles Limited,が親会社だったらしいがこの会社は「1998年に破産」という話もある、ただしその後の活動もあり。ダイヤモンドバックはWSIがやっていたとしている情報もある。チェインリアクションの自転車屋さんからはそのように見えていたよう。さらに「WSIは70年代はロードでセンチュリオンをやっていた。ロード人気が低迷し、MTBをダイヤモンドバックブランドで開始して過激さで人気だった。」とも。WSIは1992年のシュウイン買収に手を上げていてジャイアントと同じ額を提示できたくらいの会社力があった。

Hong Kong (Link) Bicycles Limited,は1993年にShenzhen China Bicycles Co (SCBC) の少数株主にもなっているalacrastore。SCBCは1992年に200万台以上を生産。その45%はダイヤモンドバックで31ヶ国に輸出されたSouth China Morning Post 1993.12.20