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《アジア製自転車をアメリカで高品質自転車として認めさせた初めての人物》愛された業界人 ハウィー・コーエンさんが亡くなる74歳 バイシクルリテーラー&インダストリーニュース2013年7月12日 - Nishiki, Kuwahara BMX, ET

80年代クワハラ人気を作り出した男、ハウィーコーエンが、木曜日に亡くなった。
安らかに眠れ、ハウィー。BMX界の伝説の男。
(bmxmuseum.comで亡くなったコーエンさんへの言葉)

そして、彼はまた、70年代にNishikiブランドを作り出した男でもあったのです・・・・
日本の自転車製造業自転車流通業関係者で知らない人はいないはずですけれども、
日本ではまったく触れられません・・・・

688f171bedf49a24da1b9aa975d6f1d4_zp右写真:KuwaharaのE.T. BMXでポーズをとるハウィーコーエンさん(クリック拡大)

英語WikipediaのKuwaharaにはコーエンさんのことが書かれていますけれど、日本語Wikipediaでは、コーエンさんのこともEveryhing Bicyclesのことも全く書かれていません。日本の自転車の歴史ってずいぶん偏りがあると思っていましたけれど、これもまた、その一つのようです。

アメリカでのKuwaharaブランドは1989年まで、コーエンさんのものだった事も書いてあります。

同じく、英語WikipediaのNishikiではWCCSについて大きく項目があります。日本語Wikipediaのカワムラサイクルでは「NISHIKIブランドで高級ロードレーサー・MTBを多く製造し、海外にも輸出され、海外でも高級自転車の代名詞として知られていた名門であった。(中略)「NISHIKI」ブランドはその他多数の自転車ブランドを所有するDerby Internationalに売却された。」だけです。


Beloved industry figure Howie Cohen, 74, dies
愛された業界人 ハウィー・コーエン亡くなる74歳
Published July 12, 2013
by BRAIN Staff
2013年7月12日

コロラド州ラファイエット発

LAFAYETTE, CO (BRAIN) — Howie Cohen, a hugely influential figure in developing the U.S. BMX market and arguably the first person to bring high-quality Asian-made bikes to America, died in the early morning hours Thursday surrounded by family in his hometown of Lafayette, Colorado. He was 74.,

ハウィーコーエンが亡くなった。
アメリカのBMX市場の発展に多大な影響を与えた人物だった。
アジア製自転車をアメリカで高品質自転車として認めさせた初めての人物だった。
自宅のラファイエットで家族にみとられて木曜日早朝に亡くなった。
74歳だった。


Cohen was treated for lymphoma eight years ago and had been in remission up until last month, said retired Kool Stop president Gene Smith, Cohen’s friend of 50 years who was in Lafayette with Cohen at the time of his passing. The cancer had spread to Cohen’s liver, and he spent the past few weeks in and out of the hospital, Smith added.

「8年前にリンパ腫を患ったが、容態は安定していて、先月まで元気だった。」とクールストップ社長のジーンスミスが語った。スミスはコーエンの50年に渡る友人であり、現在は同じラファイエットに居住している。「ガンは肝臓に転移し、ここ数週間は入退院を繰り返していた。」

Although Cohen retired in 1989, he continued to do occasional consulting work in the industry as well as maintain his passion project, an online cycling memorabilia and bike collection at www.howiebikeman.com, until shortly before his death.

1989年にリタイアした後も、時折業界でのコンサルティングを手がけていた。また、死の直前まで、ネットwww.howiebikeman.comでの自転車(業界)の歴史記録と自転車コレクション紹介に情熱を注いでいた。

“I think he will be remembered as an innovator, bringing the first quality Japanese bikes to the United States, and as one of the first people to go to Japan and Taiwan for bicycles,” his wife, Kay Cohen, said Friday. “He was a forerunner in most of the things he did in the bicycle industry.”

「初めて品質ある日本製自転車をアメリカにもたらした革新者として、さらに、自転車のために日本と台湾にいった初期の人々の一人として、人々の記憶にとどまる事でしょう。自転車業界で彼がなし得た事のほとんどが先駆者としてのものでした。」コーエンの奧さまが金曜日に語ってくれた。

“One thing that everyone in the industry knows about Howie is that he was never without smile,” said Jay Townley, industry consultant and former Schwinn executive.


ジェイ・タウンリーさんの経歴 ウェブサイト
「業界の誰もが、ハウィーがスマイルじゃなかったときはないといいます。」自転車業界コンサルタントで旧Schwinn役員のジェイ・タウンリー。


The well-traveled Cohen had friends throughout the global industry, all of whom he was happy to help at a moment’s notice, added Townley, who sought Cohen’s counsel when Schwinn’s interest in the BMX market heightened during the 1970s.

「旅が多かったコーエンは、世界中に業界関係の友人を持つ。その誰もが、すぐに助けてくれるのをいとわない。」とタウンリー。タウンリーも1970年代のBMX市場ブーム期のシュウインでコーエンのアドバイスを受けている。

Cohen came up in the bike business through his parents’ shops, first in Minneapolis and later in Los Angeles. After growing to three Southern California locations, the Cohen family sold the retail business and launched distributor West Coast Cycle.

スポーツイラストレーテッド 1963年5月20日記事ロスアンゼルスのウエストコーストサイクルサプライカンパニーはイギリス製のタンデムシリーズの卸をしている。これはジャックテイラーがサンデーツーリング用にデザインしたもの。スポーツタンデムは10速ディレイラー付属で245ドル
コーエンの自転車ビジネスは両親が営む自転車店から始まった。 自転車店はミネアポリスにあり、後にロスアンゼルスに移った。 南カリフォルニアに3店舗を持つようになった後、コーエン家は小売事業を手放して、ウエストコーストサイクルという流通事業を始めた。


During the early 1960s, when West Coast Cycle—and its retailers—grew dissatisfied with the quality of the higher-end bikes it was bringing over from Europe, Cohen’s mother, RosaBelle, twice sent him to Japan to investigate new manufacturers. He visited dozens of factories before zeroing in on Kawamura Sangyo, which in 1964 produced the first run of West Coast Cycle’s American Eagle bikes, later rebranded as Nishiki. Priced at more than twice the cost of other three-speeds coming out of Japan, Cohen’s bikes were outfitted with high-quality parts he persuaded suppliers like Shimano, Sugino, Asahi and Dia-Compe to start making.

1960年代初頭、ウエストコーストサイクル(とその小売業者の間)では、ハイエンド自転車での品質への不満がたまりつつあった。それはヨーロッパから持ってきた自転車だった。コーエンのお母、ローザベルが、コーエンを2度、日本に向かわせて、新規製造者を調査させた。コーエンは何十もの工場を訪れ、最終的に、川村産業に行き着いた。川村産業で、1964年、ウエストコーストサイクルのアメリカンイーグル(ブランド)自転車を初めて作った。アメリカンイーグルは後にニシキと名前を変更した。原価は他の日本製3速自転車のより倍かかった。コーエンの自転車は、当初よりシマノ、スギノ、アサヒ、ダイアコンペといった高品質の部品を使っていたからだった。

“The bikes were a big hit with our dealers and we sold out in a few months. At $49.95 they were quite a bit more than the Japanese bikes the discounters sold,” Cohen told BRAIN in a 2010 interview.

「この自転車がディーラーでビッグヒットとなり、数ヶ月で売り切れてしまった。49.95ドルとして販売したが、これは安売り業者の販売していた日本製自転車よりもちょっと高い程度だった。」と2010年のインタビューでコーエン

West Coast’s next brand, Azuki, was also successful, and in 1976 Cohen retired at age 37.
ウエストコーストの次のブランドはアズキで、これも成功した。
そうして1976年にコーエンは37歳でリタイアした。

But he soon returned to the industry and launched BMX wholesaler Everything Bicycles in 1978, distributing brands including Powerlite and Torker. He also mined an existing relationship with manufacturer Kuwahara in Osaka to bring the Japanese brand to the U.S. BMX market.

ところが、彼はすぐに業界に戻る。1978年、今度はBMXの卸業でエブリシングバイシクルズを興し、PowerliteやTorkerといったブランドを流通させた。さらに、以前から付き合いのあった大阪の製造者クワハラを使って米国BMX市場で日本ブランドを流通させた。

Imag1219Kuwaharas would famously take flight in Steven Spielberg’s 1982 blockbuster film “E.T. the Extra-Terrestrial,” and Cohen scored a marketing coup in obtaining the worldwide rights to sell bikes with the E.T. name, which were a smash hit. He was also the first to bring anodized chainwheels, brake levers and other components to the BMX market, Kay Cohen noted.

「クワハラの自転車はスティーブン・スピルパーグの1982年の大ヒット映画"E.T."で有名になり、コーエンはマーケティングで(映画会社と)手を組み『"E.T."の名前で自転車を世界中で販売する権利』を得て、大成功しました。」ケイ・コーエン

“He loved the bike industry. He was in it since he was 7 years old,” she said. “He just loves bicycles. It wasn’t a question of the business or the monetary rewards, even though that came. He just loves the industry and the people, and the challenge of seeing the progress and the innovation.”

「彼は、自転車業界を愛していました。7歳から働いていたんです。自転車が本当に好きだったんです。ビジネスとかお金とかではありませんでした。それは後からついてきたんです。業界、業界人が好きで、しかも、物事の進み具合や進歩を見ようと挑戦することが好きだったんです。」

There will be no services for Cohen, but a memorial will be announced at a later date, Kay said.

葬儀は執り行われない。追悼式の日程は後日発表予定。

In addition to his wife of 31 years, Cohen is survived by four children and three grandchildren.

結婚して31年。子供4人、孫3人がいる。

Howie
Howieet

写真はすべてbmxmuseum.com Rest In Peace- Everything Bicycle's Howie Cohen has passed away

The man responsible for much of Kuwahara's popularity in the 80's, Howie Cohen, passed away on Thursday. Rest in peace, Howie. You were a legend in the BMX realm......

80年代クワハラ人気を作り出した男、ハウィーコーエンが、木曜日に亡くなった。
安らかに眠れ、ハウィー。
BMX界の伝説の男。



ハウィー・コーエンさん その1ハウィー・コーエンとエブリシングバイシクルについて

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