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混同:ママチャリだけじゃなくてほとんどの自転車が中国製なのに、ことさら「中国=安いママチャリ」を強調するのはよくないと思います。この視点ではバイアス、偏見を持つ人たちを増やすことにつながると思います。

中国製が決して悪いというだけでなく、 中国製の方がいい という、 日本の一流フレームメーカー 東洋フレーム 石垣会長さんのことばは重いです。=>経営者の思い 前略 『うちばっかりじゃなくてね、最近中国の商品が品質が良いでしょ? なんでかなと思ったら、日本でリストラにあった50才以上のベテランの技術者たちが行ってるらしい。』 中略 『日本のものづくりはもうじき中国に負けるんちゃうか。 中国の若い連中は勉強しとるでしょ。 技能オリンピックなんてこの3年ぐらい日本人は優勝してないんやないの? 優勝してた頃の人間は、リストラされて中国へいってしまう。』 中略 『一般の人が自転車を買うのは、ファッションと色ですわ。 自転車そのものの持っている質では無い。 ブランドを押し付けられているだけで、自分のセンスや生活を選んでない。 ヨーロッパの自動車メーカーブランドの自転車なんて、ステータスだけ。 値段ばっかり高く、4・50万して中身は???と思う。』

業界の基本:最初の量産MTB それは日本製スペシャライズド

自転車製作では何の経験もない作家で奥様のクレアさんが、台湾のメーカーとイギリスの自転車ショップと一緒につくった自転車 Trikiddo

そして、台湾の会社が発注を受けた自転車も、ほとんどが中国で作られる時代です。 日本でもデザイナーさんがつくったといわれる自転車ブランドたくさんあります。メーカーと輸入会社とデザイナー自転車と、どれも製品に違いはそれほどありません。違いがあるとすればそれはアフターサービス体制がどれだけ違うかくらいでしょう。でも、それもあまり違いがなくなっています。

プロが使う自転車だって中国製です。UCIという自転車競技の権威ある団体(つまりユーザー側に立つけれどもユーザーの広がりによって利権を得ている団体 安い方がユーザーが増えて利権が増える)と、物を作り売る(つまり高く売りたい)側で公的な場での議論の駆け引きであきらかになっています。UCI会長が7月「ハイエンドのプロレベルのカーボンフレーム自転車は潜在的に危険」、「中国製1本30-40米ドル(2300円-3000円)、売価5千-6千ユーロ」と公にした件で、世界スポーツ用品工業会(WFSGI)会長がユーロバイクで「生産的でない発言。業界のみんなは一生懸命やっているのに、残念なこと。不適切な発言」。
ほとんどの自転車が中国からの輸入品⇒http://evc.cocolog-nifty.com/okochama/2011/09/post-8c0c-3.htmlのいちばん下。2010年の日本への輸入自転車8,401,946台(八百四十万台)のうち、中国からの輸入品は8,119,202台(八百十二万台弱)ということで、輸入品中96.6%以上が中国からです。(この中国からの輸入品はほぼ中国製のはずです。でも先進諸国からの輸入品はその国製とは限りません。多くはアジア製です。) ということで輸入品の中でほとんどが中国製です。 日本で作られている自転車はほとんどないと聞きます。データはどこになるのでしょう? ⇒経済産業省生産動態統計 統計表一覧(機械統計)の「年報」の『平成22年(2010)年計表』で1,056,951台(百五万台)です。
ほぼ同じ時期なので比較してみましょう。
日本で生産されたものがすべて日本で販売されるとも限りません。
けれど、全部が日本で販売されるとして、
日本への輸入自転車8,401,946台(八百四十万台)・・・と
日本の生産台数1,056,951台(百五万台)・・・の比較です
大体の2010年には、最大で(つまり日本で生産されたものがすべて日本で販売されたとみて)
12.6%が日本生産自転車の国内販売と仮定できる・・・・ということになります。

でも日本生産といっても、部品すべてを輸入して、ただ組み立てただけで、日本ではそういえるようですし
その部品は中国製を中心とした外国製です
同様に、世界各国で特に先進諸国と言われる国々から輸入される自転車の、その部品は中国製を中心とした外国製です
『安い』か『高い』か・・・は、品質に直接的にかかわるのではなくて、『高く』売りたいのか『安く』売りたいのか、最初の企画の時点で決まります。ブランドものは人手がかかり高くなります。中国から輸入せず、中国からイタリアに送られて、ブランド塗装されて、イタリアから日本に来れば、高くなります。それはイタリアからの輸入品となります。『イタリア製』なのかどうかは国によって違います。日本では最終的な組立がイタリアでされていればイタリア製といって販売していいそうです。アメリカではコストの6割がかかった国を原産国とするそうです。全然基準が違います。でも日本では統計でもイタリアから来た自転車に組み込まれます。でも機能的な品質は中国から輸入したものとほとんど変わりません・・・・違うのは・・・高く売れるから人手をかけるのです。

最初に読んだのは http://wiredvision.jp/blog/matsuura/200812/200812051600.htmlでしたが、アーカイブされたようで、http://archive.wiredvision.co.jp/blog/matsuura/200812/200812051600.htmlに変わっています。

松浦晋也の「モビリティ・ビジョン」
日本でママチャリが発達した理由

2008年12月 5日

ちゃま感想
前回、安いママチャリは、事実上「誰もがろくに自転車を整備せず、調整もせず、正しい乗り方もしない」ことを前提に製造、販売されている、と書いた。なぜそんなものが売られているのか、なぜそんな製品に多くの人が疑問にも思わずに乗っているのか。それは、日本の道路交通がそのような乗り方を許しているからだ。
「払ったお金と品質に納得できる範囲」と考える人が大多数だからでしょう。この場合の「品質」というのが「使い方に見合っているか」ということであって、それが「日本の道路交通が(警察が)『このくらいで使ってほしい』と想定している乗り方の範囲の「使い方」で使う人が大多数」ということから、それ以外の使い方を考える人からは「多くの人が疑問にも思わず」という表現にもなるのだと思います。でも「多くの人が疑問にも思わず」とは自転車という機械に向けられているのですけれど、ちゃまの周りでは「多くの人が自転車の走りにくい道については疑問に思う人が増えています」。機械を批判するよりもその機械を使うシステム基盤を批判する人の方が多いと思うのですけれど。
(中略)
自転車は乗り物だ。乗り物はより少ないエネルギーでより高速に移動できることが好ましい。ところが、歩道を走る自転車は、そもそも速度を出すことができない。速度を出さないのならば、速度を出さないことを前提に設計したほうが良い。速度を出さないのだから、がっちりとしたフレームも、よく効くブレーキも、走行抵抗の少ないタイヤも必要ない。その分コストダウンを進めるべきということになる。速度を出さないから用途は自ずと近距離の買い物や駅までの移動ということになる。すると大きな買い物カゴがついているほうが便利だ。こうして、ママチャリという特異な車種は、日本の道路状況に適応した自転車として成立したのである。
日本の自転車の基盤は、「早く走ること」は要求しないのですけれど、「歩道の切れ目や歩道の切れ込みでのアップダウン」での「耐衝撃性」はかなり大きく要求されていると思います。タイヤは丈夫でないといけないと思います。それに人や自転車が双方向で走る歩道での出会いがしらでのブレーキの効きも要求されていると思います。日本の歩道を走る自転車は単にコストダウンではなくてそれなりの耐久性が必要だと思います。その代わり、速度に関する仕様は切り捨てられるのでしょう。求められる仕様に合わせているだけだと思います。この文章では『コストダウンしたものがママチャリ』と思ってしまいますけれど、『ママチャリという特異な車種』は単にコストダウンだけではない丈夫なところも必要なはずです。でもちゃまは『ママチャリ』を『特異な車種』とはおもっていませんけれど。日本の交通事情に合わせた自転車だとおもいます。オランダの自転車だってデンマークの自転車だってみんなその土地柄にあった自転車になっていると思います。世界の自転車市場を表す言葉をみましたが、『細かくセグメンテーションされているのが特徴』だそうです。つまり、自転車とは、それぞれの土地土地で『特異な車種』になっているのです。
同時に人々の自転車に対する意識も変化していった。道路交通法では「自転車は本来車道を走るものであり、歩道を走ることもできる」という規定だった。ところが、自動車の増加につれて「自転車は歩道を走った方が安全」となり、やがて「自転車は歩道を走るべき」「自転車は歩道を走って当然」という意識が定着していった。自動車のドライバーの中には、車道を自転車が走っていると「なにあぶないことしていやがる」と舌打ちをし、あまつさえ幅寄せして嫌がらせをするような輩も現れるようになった。
これは著者に全く同感です。

付け加えたいのは、それは、自動車運転者(ドライバー)が悪いというよりも、自動車運転者に対する教育の結果だと思うのです。自動車運転者教育の時、「公道走行」は自動車だけが走っているかのように教育されて、時々、「歩行者と自転車」というグルーピングで登場する、異種の存在に対する注意だけです。ここには、自動車も自転車も同じ交通だという考えがありません。だから自転車教育も同じように自動車は別の視点で扱われています。しかも自転車は小学校の時にちょっと教わるくらいです。子供の自転車の乗り方しか教えていません。中学生以上の大人になった時の自転車の振る舞いはだれも教えてくれません。そうして、自動車と自転車は異種のままで教えられています。本当は、子供の交通教育と大人の交通教育があって、そして、自動車については、市街地の混合交通時の教育と、もっと高速の交通時の教育を分けるべきなんです。市街地の混合交通時の教育の視点では、歩行者、自転車(含む原動機付)、自動車(含む二輪大型)が一緒に走ることを教えないといけないのに、自動車だけの視点で教えているから、ヘンになっちゃうんです。そして、この点が、一番欠けていて問題になる点なんです。ここがしっかりしていないから、自動車が市街地でも「暴走」するんです。市街地では30kmも出せば「暴走」です。そんな「30km暴走」の自動車が、自転車に警笛ならしたり、舌打ちするんです。もっと速度を落とさないといけないのは、自動車の方です。警笛ならされたり、舌打ちされたりしなければならないのは自動車のほうなんです。そして、本当は警笛ならされたり、舌打ちされたりしなければならないのは、そういう交通教育を制定実行してきた、している、人たちなんです。そう思います。速度違反取締はそういう市街地でこそするものなんです。⇒ドイツの新学期、小学校脇での速度違反取締をみてください!
それでも、日本の自転車メーカーが日本の交通事情に適応したママチャリを開発し、街の自転車専門店を通じて販売している間はまだ良かった。1980 年代までは、ママチャリといえども3万円程度はしていた。それだけのコストをかけた、丁寧に設計・製造されたママチャリが供給されていたのである。
ここからの話題は、『世界的な産業構造の変化』の話なのです。ここでは1980年代からの変化について記述されていますけれども、1970年代、1960年代、1950年代の日本での状況変化については触れられていません。世界的に見て、1970年代に『日本』という国が自転車工場だった時代です。それが円高為替差益の問題で日本の自転車場合は『台湾』に移って行き、90年代は台湾の時代、2000年代は中国の時代になりました。世界中どこの自転車会社も台湾、いまは中国で自転車を作らなければ、大量の自転車を作ることはできません。
ところが1990年代に入ってから、量販店が1万円を割り込むような低価格で、中国製の安いママチャリの販売を始めた。低価格の中国製ママチャリは、強度、材質、加工精度など、自転車に必要な性能のすべてが日本メーカーのママチャリに比べて劣っていた。しかし、歩道をゆっくり走る分には、性能の差は分かりにくいものだ。
自転車の産業構造の変化は、ママチャリだけではありません。ほとんどの自転車が中国製を避けては通れません。「安いママチャリ」だけを中国と絡めた論は危険です。
「自転車は歩道を走るもの」という意識は、いつしか「自転車はゆっくり走るものだ」という認識を形成していった。ゆっくり走るなら、フレームのたわみも、ブレーキ性能の低さも気にならない。耐久性のなさも「壊れたら新品に買い換えればいいや」ということで問題とはならない(おそらく低価格は、出来心からの自転車泥棒の敷居も下げたはずである)。消費者からは低価格というメリットだけが見える道理となる。
始めに戻って、「価格と品質が納得できる」から使っているということになります。
安価な中国製ママチャリは、市場を席巻し、やがて多くの人々は、きちんと自転車本来の乗り方をするには多分に問題を持つ中国製ママチャリこそ、自転車そのものであると思うようになった。
『自転車本来の乗り方』の定義が、筆者と一般ユーザーとで違うということですね。
と同時に、自転車は日々メンテナンスするものであり、乗るにあたっては自分の体に合わせて調整するものだという“常識”は忘れ去られるようになった。歩道をゆっくり走る限りは、タイヤの空気が抜けていても大して気にならないし、体に合わないサドル位置でもまあまあ走ることができる。それが普通になってしまうと、きちんと空気の入ったタイヤは「堅くて乗り心地が悪い」「ぽんぽん弾んで怖い」ということにもなるし、体に合わないサドル位置も「すぐに足がついて便利」ということになる。
モノが豊富になると一つ一つに時間をかけません。靴でも手入れする靴とそうでない靴がでてきたように、話題とされている自転車は『手入れしないで履き捨てにする靴』という位置づけのものとなっているようです。でも考えを変えれば、手入れしないで履ける靴は合成ゴムという素材ができてきてからです。手入れしないで乗れる自転車もアルミ製の自転車や、鉄でも塗装が長持ちしたり、チェーンや油もそれなりに長持ちするからということがいえます。以前よりモノが進化しているので、人間が手抜きになったのです。ただ『体に合わないサドル位置も「すぐに足がついて便利」』については、そうではないとおもいます。歩道を走ってすぐいつでも止まれるようにするために「すぐに足がついて便利」な高さが普通になっているのですね。スピードを出して長い距離乗るのが当たり前の人は、ペダルが一番下にあるときに足が一番伸びるちょっと手前くらいにするのが楽だと思うからそうしているのですけれど、結局「楽」だからそうしているのに変わりはないのです。
今の交通の状況に適応し、便利なのだからそれでいい、という考え方もあるだろう。
はい
だが、それは自転車という、その気になれば一日で100km以上を移動できるだけの可能性を持つ乗り物を、ほんの数km以内の移動に使う道具と限定するということだ。大したことに使えるわけではないけれど、そこそこ便利で安く買える――道路交通法第六十三条の四の結果、自転車はママチャリへと変化し、さらには中国製の安価なママチャリを市場に呼び込み、それまでの自転車とは大きく異なる、より限定された乗り物となったのである。
軽自動車が売れる理由と同じなのかもしれません。使い方にあって(つまり品質にあって)、価格が見合えば、それが使われるということだと思います。使わない可能性にお金はだしませんから。
2008年6月の道路交通法改正以降、警察庁は、各地で自転車専用レーンを整備する試みを開始した。自転車と歩行者の間の事故が増加傾向にあるので、歩行者と自転車が歩道上で混合交通を、もう一度分離しようというのだ。
自転車だけにとってみれば今の現状は、歩道の王様で一番強い立場です。かわいそうなのは歩行者です。そのためにこそ、歩行者の歩行の権利を元に戻すという観点でこそ、まず、自転車が歩道を使わないようにする、という目的が第一であるべきと思います。自転車がよりよい走行ができるという(現状の歩行者からみればわがままにも見える)目的は、第二であるべきと思います。
しかし、私の見るところ、2008年に入ってから設定された自転車専用レーンは、そのほとんどが幅が狭すぎたり障害物があったりと、自転車にとって走りにくい構造となっている。私は警察関係者もまた、「今の安価なママチャリこそが自転車であり、自転車とはそもそもゆっくり歩道を走るものだ」とする誤った観念に毒されているのではないか、と邪推している。
「今の安価なママチャリこそが自転車であり、自転車とはそもそもゆっくり歩道を走るものだ」だとしても、歩行者の視点からは危険なものです。ちゃまは、だからこそ、『歩道は歩行者のためのもの、歩道は歩行者が王様』を警察が徹底すれば、自転車に乗る人は自主的に車道を使うようになるはずです。自動車の走っていない車道なら、アップダウンの連続の障害物競争をしているような歩道よりも、ずっと楽に走れますから。

つい最近も、歩道を自転車でゆっくりと走っていたちゃまです。歩道幅は緑地を除いても自転車がすれ違える幅がある歩道でした。

その向こう側に人ひとり通れる幅の側溝がありました。その側溝のさらに向こうはコンクリートの壁です。
車道側が低木の植木がつづいているので車道への行き来はなかなかできないけれど、だから、歩道としてはアップダウンもそれほどない場所でした。

向こうから年配の女性が歩いてくるのがわかりました。
ちゃまは歩く人に迷惑かからないようにと、植木に触るか触らないかで、ゆっくりだったのですが、さらにゆっくり走り始めました。後ろから子供座席を後部につけたママチャリにのった男性が側溝の上を通りながらちゃまを抜いていきました。

その自転車が来るのを見て年配の女性が50メートルくらい先で側溝の上を歩き始めました。
さらに、その先にちゃまの自転車があるのを確認していたのかもしれません。
その女性は、ちゃまとすれ違うときまで、ずっと側溝の上を歩いていました。

心の中で、申し訳ありませんと言いながら通り過ぎました。
そう声に出して声をかけてもよかったかもしれません。
以前はかなりそうしていたのですけれど、やっぱり逆にびっくりされる方も多いようなので。

そうですよね、側溝部分が歩道部分と同じ平面上にあって、
歩道が自転車2台幅、側溝を合わせれば自転車3台幅あるという場所なら
自転車とすれ違う時に、歩道だけをあるくのでは自転車のハンドルがあたるかもしれないし
「あぶなくて」できませんよね。
「できるだけ離れたい」
そう思いますよね。

だから、自転車が歩道の真ん中を走っていようが、
自転車が植え込み近くを走っていようが、
やっぱり
一番端を通っていることを体で示せる
ずっと一番自転車から離れていることを表せる
「側溝」を通りたくなる気持ちよくわかります。

「自転車きらいよ、こっちこないで」
「あなたきらいよ、こっちこないで」
そう体で表現しているんです。

どんなにゆっくり走っていたとしても
自転車が走る速度の「ゆっくり」というのは
歩行者にとって、どんなに早い速度なのかということですね。

そして、自転車は堅い鉄とかアルミとか、金属ですから。
当たってイタイのは、歩行者の側です。

あるいて押している自転車だって、すれちがいでぶつかれば、「イタイ」ですよね

それが、どんなに遅くてゆっくりといったって、当たれば、ものすごく「イタイ」ですよね

手で殴られるより金属でなぐられるのとおなじですから。

そんな、恐怖の状況を、え~と1978年でしたか、日本では、普通にしてしまったのです。
30年以上。

子供たちも就学前からの乗り方のままで、中学、高校の通学で使うようになっています。
そして、大人になって、そのまま使います。
ずっと変わりません。

歩道の王様なんです。

そうして、自転車は歩行者の方がよけてくれると思い込んで
そういわなくても「どけどけ」という感じで走ることを学んでいくのです。
警察のみなさん。法律に書いていないのですけれど、そういう風に躾けるような実態なんですね。
歩道の作りは、そんなことは考えられていないから、歩道ではないはずの側溝をずっと歩行者があるくようになってしまって、歩道をあるいていると、自転車が「なぜどかないのか」と「ちりんちりん」とベルを鳴らすんです。
そして、「ベルを鳴らすと歩行者はどくものだ」と、思われて、ベルを鳴らしてもどかないと「ヘンな人」となってしまうような、「逆の状況」が生まれているのですね。

一方で、歩道で自転車に乗っていて、歩行者が側溝を歩いてきたときに、自転車を降りて「どうぞ歩道の方をお歩きになってください」といっても、後から来る自転車が走りにくい側溝ではなくて、走りやすい歩道を矢のようにつぎつぎと走ってくれば、やっぱり歩行者は元の側溝上に(自転車が一番走らなそうな一番歩道の隅に)戻るしかありません。

つづきは、「シマノ自転車博物館館長さんでも考えてしまう自転車の通行の難しさ ~ ちゃまの思う歩道歩きの難しさ(2008.5)」で

産業構造の変化についてアメリカの視点で教えてくれたダン・エンプフィールドさんの「自転車ビジネス」(  スロートゥイッチ2002年9月10月) ここで『国名+製』という表現を使おうとする一般ユーザーが知っておいた方がいいことがあります。それは、「製造」と「組立」が別物で、区別してつかわないといけないものだということです。自転車では「製造」はパーツ部分にしか関わりません。『自転車の形』となるのは「組立」です。車輪の組立も「組立」です。「塗装」も実は『製造』と言えるのかどうか難しいくらいですが、みんなが気にする『ブランド名』はただのシールで、そのシール貼りはアルバイト的な仕事でまかなえて、どちらかと言えば、「組立」で行われているということです。(そこまではここには書いてないですけれど。車輪や塗装やシール貼りは、サプライヤーと呼ばれる会社の仕事です。製造会社の仕事ではないんです。輸入卸の仕事だったりします。そして、一番気になる部品の品質ですが、それが、安くて質のよい部品は名もない工場でつくられているということです。有名チャンピオンの乗っている自転車の部品は、レースのことなど全く知らない町工場のおじさんがつくっているということなんです。その工場も次々と変わるんです。間を取り持つのは商社です。英語ならエージェントです。安くて質のよい部品がつくれる工場を知っている(日本風)商社、(中国風および世界一般には個人主義なので)エージェント、が重要な役どころです。いまこれが、たとえば、ほんの一例ですけれど、高額な自転車では台湾メリダがエージェントも兼ねて台湾太田やMartecやAIMなどのフレームメーカーが自社中国工場でつくり、中国メリダ工場で組み立てて、世界中に輸出しているのかもしれません。イギリスやカナダやアメリカラレーではこういった自転車をパーツで受け取り、車輪組や塗装をして自転車の形として出しているのかもしれません。イギリスのラレーは自分を製造者(manufacturer)といわず卸(supplier)と呼んでいます。

Cycleolympic

ミヤタサイクルは主要取引先筆頭にOlympicと書いてあります。Olympicはスーパーマーケットで、自転車販売の上位らしいのです。(『Olympicの自転車がどのくらい売れているかご存知ですか。実は、首都圏における自転車販売台数の約10%をOlympicが占めているのです(自転車振興協会調べ)。 Olympicの自転車がこれほど多くのお客様にご支持いただいている理由のひとつに、オリジナル自転車の存在があります。 Olympicでは、その高い販売実績をもとに自転車メーカー各社と共同開発したオリジナル自転車を販売しています。 』オリンピックの情報) これなどは、こちらの筆者のいわれる「安価なママチャリ」だと思います。日本の企業が主体になって販売しているものです。日本の『有名メーカー』といわれるところのものです。それは「中国製」です。それが「ひどいもの」なのでしょうか?

2010年8月23日からメリダがミヤタサイクルの株式30%を取得しています。メリダは、ミヤタ株式取得以前にメリダ、スペシャライズド、センチュリオンの3ブランド体制だといっていました。スペシャライズド、センチュリオンそれぞれ少数株主なのにです。だからミヤタの少数株主でも当然ながらメリダのブランドと言われる状況になるはずです。

メリダは台湾企業で台湾で生産してきましたが、近年は中国に工場を建設して中国での生産が大きくなっています。ひとくちに『中国で生産』といっても、ダン・エンプフィールドさんの話にあるように、部品の生産など細かい部分はそれぞれ違う会社が担っているわけですから、頭の中に思い描くこととはかなり違うはずです。

大会社も産業構造の変化の波には逆らえませんでした。⇒イギリス人で、東芝とラレーで働いて、輸入側輸出側両方をしっている元ラレーUK社長 マーク・トッドさん。ラレーノッティンガム工場をたたみイギリス生産をやめて極東生産に変えたときの社長さん。「作るべきか買うべきか

そうして台湾の生産方法が、現在では中国工場で展開されるようになっています。⇒Cervelo R3(サーベロR3/Cervélo R3)はScott Addict(スコットアディクト)と同じ工場製? 2006年11月10日 - 21日 「「台湾製"made in Taiwan"」といっている自転車はほとんどが実際には中国製made in China. 台湾企業の工場のほとんどがその生産施設を中国に移転している。給与やコストが台湾よりもかなり安価だから。生産品を台湾のメインオフィスへ送り、そこで台湾への税を3%とかそのくらい支払えば、「台湾製"Made in Taiwan"」ステッカーを貼ることが許可される。」これがそのままほんとうではないのでしょうけれど、ほとんど中国で作られたもので台湾製になります。それはほとんど中国でつくられたものが、イタリア製や日本製になるのとおなじ理由です。国での法律は違うようです。アメリカではコストの6割以上が費やされた国が原産国。だから中国でほとんど全部つくっても組立をアメリカですれば組立の人件費でそれをうわまわります。でも日本では最終製品の形がつくられたところが原産国だそうです。いちばんハードルが低いですね。なぜって?自転車は乗る人に合わせて組み立てるのが一番だから。最終ユーザーにあった形で組み立てるのなら乗る人の国で組み立てるのがいちばん。自転車屋さんが組み立てるのが一番いいのですから。(どこかに半完成品を出している自転車製造者はひどいというようなトーンの書き方がありましたけれど、その反対で、完成品で納品している方が安いものなんです。)だから中国で作ったそのままを箱ごと販売する通信販売が安いのはそのためです。自転車店で全部組み立て直してくれる方が親切だし、プロの自転車店です。その自転車店がやることをやっているのが「組立」です。中国製がアメリカ製になるのは、「自転車屋さんが組立してくれている」のとおなじことをやっているから、工賃がかかって、それが中国の部品代+工賃+輸送費よりも高いからアメリカ製になるのです。でも日本では、そんなことにかかわらず、「日本で組み立てれば」、「日本製」になるんです。だから、日本では「自転車屋さんが組み立てれば部品はすべて中国製でも」『日本製』になるんです。その組立品質は関係なく、どんな品質でも、組み立てれば、それは「自転車としての形ができたのはその場所」なので、『日本製』なんです。

アメリカで販売されているブランドがどこで作られているのか 業界の基本:わたしの自転車はどこでつくられたの? あるいは、だれがわたしの自転車をつくったの? 

多くの自転車は中国製です。だから、自転車が1台あったら、それが中国製である確立はかなり高いんです。 でも 「悪い自転車が見つかった・・・中国製だった」・・・・とは、話題にのぼり 「いい自転車を見つけた・・・・中国製だった」・・・・とは、話題にのぼりません いい自転車には、別の名前がついているから、「中国製だった」のかわりにビアンキやオルベアなどの「『ブランド名』だった」といわれるからかもしれません。いえ、ブリヂストンやパナソニックやトレックやスペシャライズドやジャイアントのような会社の自転車だからかもしれません。どこの会社でもその会社が大きな会社であればあるほど中国製自転車が主流です。大量生産は中国が一番いいからです。でも小さな会社でもそうです。工場を持たない会社でも中国で作ってもらえます。そして中国製はどこの国製と同じように、いいものもあれば悪いものもあります。悪いのはそれを日本にもってきて販売している業者なのに、それはいわれません。

⇒こういう話になると、NHKニュースアナウンサーという、その発言には一目置かれるはずの「プレミアム」な品質の方でも中国毒入り餃子ニュースのコメントで、輸入販売した日本の業者、JTフーズのことは悪く言わず、中国のことだけをことさら悪くいって、日本対中国の構図で話をしていたことを、思い出します。法的責任は輸入会社にあるのに国際的な感情論にすり替えてしまっていました。日本を代表するメディアの対応に大きな疑問を感じました。

安価な中国製自転車のことをBAAが指摘しているとか、BAAの会長でもあるシマノの会長さんが安物中国自転車は危険と言っているとかという話があります。でも、たとえば、中国天津市の金輪自転車では「金輪と長らく一緒に仕事をしている世界一流の自転車部品製造者、日本のシマノ株式会社創業者の島野さん(禧玛诺先生)が金輪の製品を高く評価している。 」とあります。よくとれば、「中国自転車=安物」といっているのではなくて、「安物の中国自転車は」といっているだけです。悪くとれば、あちらにもこちらにもいい顔をしているということになります。ほんとうは、「安物の中国自転車は」という表現をするのではなく、「安物の自転車はどこの国のものでも」というほうがいいですよね。たぶんお立場上、日本国内では中国を攻撃しなければならないのでしょう。でも、今のこの時代、そんな矛盾はすぐにわかってしまうはずなのに、そういったことはまずい対応だと思います。

90年代から時代は世界中で台湾、中国が自転車製造となっていった時代です。
ママチャリと呼ばれる自転車だけが中国製ではなくて、
名前もある有名なヨーロッパのブランドやアメリカのブランドが中国製なのに、ヨーロッパ製、アメリカ製で販売されてきました。

安いママチャリは、ヨーロッパ製ともアメリカ製ともいわれませんから、「ああ、安いのは中国製だからなのかな」とすぐにわかりやすいだけです。

高価な自転車は、中国で作った後に、ヨーロッパやアメリカに運んで、ちょっとした作業をして、それでも工賃は中国の作業のたとえば10倍もかかってしまうので、ヨーロッパ製とかアメリカ製とかいって販売できてしまうからです。

安いものだけが中国製なのではありません。

でも、この文章は「安いママチャリ」という表現です。
それに日本メーカーと中国製ママチャリを比較していますけれど、
100円ショップがなかった時代の製品と100円ショップに並んだ製品を比較しているようなものです。
時代が違うのです。
日本のある有名な電機製造者の社長さんが、「それまで中国でつくるなんてと思っていたけれど、作ってみると、その原価の違いにはとても太刀打ちできない。考えを変えた。」と言っていたのを90年代半ばに聞いたことがあります。

90年よりも前から、自転車だけでなくて産業構造全体が変化していたのです。

産業構造の時期的な変化が「日常的に利用する自転車」の分野では、ここでいわれている「安いママチャリ」と表現されるようなものとして現れた・・・・ということだけです。

高級と呼ばれる自転車の分野では、それが中国製とはわからない形で進んでいたのです。

パソコンだって、いろいろな電気製品だって、中国製になっているのですから、
それを『安価なもの』に視点を絞ったために品質が悪いという比較になるだけで、
高価なものに視点を当てれば、従来日本で作られなかったような品質のものも
(時代がすすんでいるのですから当然ですけれども)
すばらしいものも中国でつくっているのですけれど・・・・

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