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NHK BS1 ボゴタ特集 3月23日火曜日21:10
ボゴタ元市長が言っていること、世界でいわれていること、と違う!『JICAのボゴタへの貢献』という主張は、どう描かれているのか興味があります

http://www.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/100323.html

3月23日火曜日 21時10分から22時 BS1

Nhkbsbogota

爆走するかのように大きく変容を続ける都市をとりあげるシリーズ。2回目は南米コロンビアのボゴタ。
かつては世界一危険な都市と言われたボゴタ。二人の市長が、その姿を大きく変えた。一人目は1994年に市長に選出されたアンタナス・モックス。街を変えるには市民ひとりひとりが変わっていく必要があると考え、まず交通マナーの遵守を訴えた。モックスはピエロを街に送り、マナーを守った人に白いカードを、守らなかった人に赤いカードを渡すという変わったPRを行った。最初は懐疑的だった市民も、やがてモックスの愚直な訴えに耳を貸すようになった。さらにレストランの深夜営業の禁止、家庭内暴力をなくそうという運動、市民の武装解除などを進めていった。
後をついだのがエンリケ・ペニャロサ。1997年に市長に選ばれ、ボゴタを機能的な都市に変えていく。ペニャロサはスタッフに多くの民間人を登用し、次々と公約を実施していく。最も力を入れたのは新交通システムの導入、自転車道路の拡充、そして公園や図書館の整備だった。
市民の心と街の姿を変えようとした二人の市長。6年の間にボゴタの交通事故による死者や殺人事件の犠牲者は大幅に減り、街は生まれ変わった。
番組ではその軌跡を二人自身のインタビューも交え、振り返る。


NHKが放送するそうです。BSというのがちょっとですが。すばらしい企画です。ちゃまのボゴタブームにもちょうどタイミングがあってます。(ちゃまのボゴタブームについてはmain page左上をご覧ください。)

ところで・・・・

『シリーズ爆走都市』って???
『爆走するかのように大きく変容を続ける都市をとりあげるシリーズ。』って?????

『大きく変容を続ける都市をとりあげるシリーズ。』ならまだわかります。
『大きく変容をとげた都市をとりあげるシリーズ。』のほうがこの内容に適切です。

でも・・・・


爆走って?

ボゴタは『爆走するかのように大きく変容を続ける都市』ではないとおもいます。

普通は、内容を知らずに、タイトルから入ります。
タイトルは重要です。


ボゴタ市民に市民性を啓発し、自律した市民のための公共事業をおこなったボゴタです。

それを『爆走』というタイトルの下で放送するのはヘンです。内容とあいません。『シリーズ爆走都市』という文字を見て、なにかの間違い?と思ったくらいです。

たとえボゴタがそれまで爆走していたと形容したとしても、放送内容はその爆走していたボゴタをとめた話です。
それを『シリーズ爆走都市』って、どうかんがえてもおかしい。
というか、考える以前に、違和感が先にきます。


それ以下で説明されている内容は見たいなと思います。

でも、このタイトルがどうしても引っかかります。

『一度決めてしまった番組タイトルは内容よりも優先する』というルールに思えるくらい、決めたことはくずさない、なにがなんでも守ってでもやる・・・・

そのほうが『爆走』と呼ぶにふさわしいとおもいます・・・・

NHKさん、番組内容が好評だったときは、
あのご好評を得た『シリーズ爆走都市』を再放送します
とか、繰り返し使うんでしょうか。

ちゃまは、ボゴタのこの話を『爆走都市』を枕詞にして語っていただくようなのは『世界に向かってはずかしい』です。そんな『はしたない』ことをしていただきたくありません。と『日本人として』思います。

『シリーズ爆走都市』は日本に対して使うほうがふさわしいと思います。

さて、中身には期待します。

だから、NHKさんに対しては複雑な気持ちです。

実際に番組を作った人制作者には尊敬の念
でも企画担当主には反発を感じます

同じ人だったら?そんなことはないとおもいます。

どう考えてもヘンです。


JICA提案は採用されたの?
されなかったの?


もうひとつ、どう描かれているのか気になることがあります。

それは『トランスミレニオの導入とJICA提案との関係』の描き方です。
もっと大きく『ボゴタの交通基盤の変容とJICA提案との関係』です。

日本のJICA関係者が『トランスミレニオの導入にJICAが貢献した』という主旨で語っているのを目にするからです。(*1)

その流れからいけば、NHKもそう描くのが日本の公式な立場なのかも・・・と。


でも・・・・


ちゃまが読んだ世界の文章は『JICA提案は日本の自動車産業の市場を作り上げる目的が隠された自動車中心の道路基盤の提案。ボゴタには投資面でも大きな課題となり、採用されなかった』という主旨でした。

これを先に知ってから、日本の情報を探ったので、ちゃまには、日本語の情報がかなり自己中心的な見方に思えました。というか、事実をわかっていて意図してそう書いている人と、人づてに聞いて、そう思っている人と、いるのではないかなあと思うのです。

JICAの公式な表現では、『JICAはボゴタの道路交通の提案をした。ボゴタはその後トランスミレニオなど交通整備をした。』と、こういう表現です。2つの間の関係に意味づけはされていません。だから公式には実は(*1)まで言っていないのですが・・・

環境的に持続可能な交通(EST)ポータルサイト 海外 ボゴタ(コロンビア)では、

ボゴタ市当局は,1995年にJICA(国際協力機構)の支援の下で策定した都市交通マスタープランの中で,バスをベースとした都市内幹線輸送システムの導入を計画した。
 その後,フィージビリティスタディ(1998年)を経て,都心部への自家用車のピーク時流入規制(ナンバープレート規制)や歩行者専用道路の整備とあわせて,バス専用道路と乗継ぎターミナルの整備を行い,2000年にBus Rapid Transit(略称BRT)である幹線支線型バス輸送システム(トランスミレニオ)を導入した。
 本導入により、大幅にバス利用者が増加し、バスを中心とした公共交通強化策の成功例として注目されている都市である。

これを見た人は『JICA』が『支援』し『策定』した『マスタープラン』での『バスをベースとした都市内幹線輸送システムの導入を計画』がフィージビリティスタディを経て、

  • 都心部への自家用車のピーク時流入規制(ナンバープレート規制)
  • 歩行者専用道路の整備
  • バス専用道路と乗継ぎターミナルの整備
  • 2000年に幹線支線型バス輸送システム(トランスミレニオ)を導入

これらがJICAの提案の成果である

と読んでしまうことでしょう。

こういう書き方をされていると、諸外国の人でボゴタとJICAの状況を知っている人と、日本人が話をしたときどんなことがおこるでしょう?。

日本人が、『ボゴタの都市交通は日本が提案し支援したんだよ』と自慢してしまったらどうなることでしょう?

ちゃまは本当のことは知りません。ただ、都市交通の専門家や、ボゴタで実際にその都市交通の担当をした学者さん(モンデズマ博士)が世界に向けて書いた英語の文章と、日本の官庁関係が日本人に向けて日本語の文章で書かれているものでは、JICAの位置づけがまったく正反対になっているという事実にとまどってしまいます。

これをNHKがどういう風に日本人に向けて話すのか。実に興味深いところです。

ところで、先の『環境的に持続可能な交通(EST)ポータルサイト』は

「環境的に持続可能な交通(EST)普及推進委員会事務局(交通エコロジー・モビリティ財団) で運営・管理しています。」

と書いてあります。

環境的に持続可能な交通(EST)普及推進委員会にはそうそうたる方々のお名前が並んでいるのですが・・・・

先の文章も、非常にお役所的な、多義的なつぎはぎのような長い文章なので、「最初のJICAと、その後の道路やトランスミレニオとは直接は関係ないんだ」という、『言い訳』がきこえても、おかしくありません。

しかし、明快な文章になっていない時点で、世界に、日本の意見を通せないのじゃないかなとも思えます。

「最初のJICAと、その後の道路やトランスミレニオとは直接は関係ないんだ」としたなら、すくなくとも、そう読める文章で、『日本人を啓発』していただきたいですし、

『本当にJICAが貢献したんだ』ということであれば、そのように『ボゴタのリカルド・モンテズマ博士やチャールズ・モントゴメリさんなどの環境関連ジャーナリストも含めて世界のだれもが、日本のJICAについて、正しく扱うように』していただきたいなとおもうのです。


JICAの方のエッセイも、『かつてのカウンターパートだった彼が「トランスミレニオ」に携わっただけ』で『JICAが携わったわけではない』とよく読めばよめるのですが、全体のトーンは、JICAが貢献したように見えてしまいます。

JICAの方の別のエッセイでは、

実は、JICAは1999年に開発調査で「ボゴタ市高速道路・バスレーン網建設計画調査」を実施し、この新都市交通システムの提案を行っています。これは当時ボゴタ市長を務めていたペニャロサ市長により実現されました。
と、2文だけ端的に並んでいます。これも『「JICA提案」と「ペニャロサ市長の実現」は別』と後付でいえないこともない完全に2つの分に分かれた構成ではありますけれど、でもその2つの文が並んでいるので、普通の人が、普通に読めば、全員が『JICA提案をペニャロサ市長が実現した』と読みます。先のESTよりもさらに「ボゴタへのJICA貢献」と取れます。

さらに、

横浜国立大学学術情報リポジトリ 2006 高度化したバス輸送システムの計画手法に関する研究 矢 部 努氏 PDFでは、

そこで市当局では,1995 年にJICA の支援の下で策定した都市交通マスタープランの中で,バスをベースとした都市内幹線輸送システムの導入を計画した。その後,フィージビリティスタディ(1998 年)を経て,都心部への自家用車のピーク時流入規制(ナンバープレート規制)や歩行者専用道路の整備とあわせて,バス専用道路と乗継ぎターミナルの整備を行って,2000年に幹線支線型バス輸送システム(トランスミレニオ)を導入することとなった。LRT計画の時とは違い,BRT 導入の際に既存バス事業者の抵抗が少なかったのは,新たに設立されたトランスミレニオの運行を行う民間事業者として統合され,安定した事業経営と収入を確保できたためと考えられる。
とあります。

こちらの方こちらの方こちらの方は、上記のような情報を見た方だとおもいます。そういう伝えられ方をされます。ボゴタでトランスミレニオに日々乗られている方もJICAが貢献したという話はJICA情報を見て、JICAが貢献したと知られたとのことです。JICA情報以外では現地でもそういう情報はないということですね。

でも、日本語の情報で、モンテズマ博士やモントゴメリさんのような伝え方をしているのを目にしないんです。不思議です。(後記:日本語訳されたペニャロサさん自身の文章がありましたのでここの最下部追加ですにご紹介しました。)

そういった謎を抱えたままですと、

たとえば

日本・コロンビア外交関係樹立百周年を記念し日本からハイレベル代表団がボゴタを訪問

などで、どんな話がおこなわれたのかなとか・・・


国土交通省ではペニャロサさんが講演したバンクーバーにも参加しているようなのですが、そのときどのような話をされたのでしょう。

ここ (2010年3月24日にはアクセスできたのに4月1日にはアクセスできなくなっていました)

国土交通省(国土計画局参事官室)では、昨年6月にカナダで開催された国連人間居住計画(国連ハビタット)第3回世界都市フォーラムにおいて、先進的な取組みを行っている7都市(京都市、福岡市、北九州市、飯田市、室蘭市、田原市、近江八幡市)の協力をいただき、日本のサステイナブルシティ(持続可能な都市づくり)の取組みを紹介しました。
http://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/international/habitatwuf3.html
http://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/international/JAPAN_WUF3.pdf


外務省でも・・・

コロンビア大使館

木村仁外務副大臣は、JICAがマスタープランを作成し、現在ボゴタ市民の足となっているボゴタ市内の都市交通「トランスミレニオ(Transmilenio)」に乗車した。 中川昭一友好議連会長はコロンビアについて、子供達の笑顔と目の輝きに強く印象を受けたとの ...

JICA提案とは?

ところでその実際のJICA提案ですがここに概要があります。でも「成果」がブランクなんです。


案件名(和):ボゴタ市高速道路・バスレーン網建設計画調査
(英)Feasibility Study on the Project of Highway and Bus-lane of Santa Fe de Bogota in the Republic of Colombia
相手国機関名: (和) ボゴタ市交通局
相手国機関名: (英) Secretaria de Transito y Transporte
協力期間 :1998年 03月 ~ 1999年 07月 


背景

(1)ボゴタ首都圏の1995年での人口は6,800千人であり、2020年には11,000千人に増加することが予想されている。これに伴い、2020年での自動車保有台数は現在の2.7倍の1350千台に達すると推計されている。
(2)これに対し、現在の交通施設は脆弱であり、大半の道路で交通渋滞が発生し、交通量ピーク時間帯での幹線道路の走行速度は10km/hを下回っている。今後、社会経済の発展に伴い、ボゴタ首都圏の交通状況は一層悪化し、健全な都市機能を維持することが困難になると予想される。
(3)コロンビア国政府は、これらの都市交通問題の重要性を認識し、ボゴタ市の都市交通計画マスタープラン策定にかかる技術協力を日本政府に対して要請し、1995年6月から1996年12月にかけて「ボゴタ市都市交通計画調査」がJICAによって実施された。
(4)このマスタープラン調査の結果、ボゴタ市街地内における首都高速道路整備計画及び基幹バス道路整備計画が最優先プロジェクトとして提案され、コロンビア政府はこれら計画の早期実現を望んでいる。
(5)かかる背景の下、日本国政府は1997年12月に事前調査団を派遣し、1997年12月16日にS/Wを署名・交換した。

プロジェクト目標

 コロンビア国政府からの要請にもとづき、1995年6月から1996年12月にかけて実施された「ボゴタ市都市交通計画調査」において整備優先度が高いとされる首都高速道路整備計画及び基幹バス道路整備計画の事業可能性を検討するため、フィージビリティ調査(計画目標:2005年)を実施するものである。

成果


活動

(1)関連情報・資料収集、分析
(2)現況把握(交通施設整備状況、交通流動現況、土地利用状況)及び問題点の把握
(3)将来の交通需要予測
(4)交通施設整備の政策及び設計基準の確認
(5)路線位置・構造等の決定
(6)概略設計
(7)環境影響評価
(8)概略事業費の算出
(9)開発方式・管理運営システムの検討
(10)経済・財務評価
(11)提言

コンサルタント名:(株)長大、八千代エンジニアリング(株)


最後に:


ちゃまは、日本であまり知らされていない子供乗せ自転車リヤカーのことを知りたいとこのブログをはじめました。世界はまったく違う状況のところがあると知りました。日本の情報と正反対のところも多いことを知りました。でもそれは事情もちがうし、そういうものかもと思っていました。

次に、自転車リヤカーのメーカーを調べると、自転車メーカーを調べることになり、そうすると、特に自転車のブランドについて語られていることが、日本と、英語などほかの言語では、これもまた大きく違うことに当たりました。この時点で、日本に自転車産業のジャーナリズムがなく、単に宣伝マーケティングをきかされていることに初めて気がつきました。創業者がどうこうといった神話だけが語られています。実際の企業経営がどうなっていまにいたったのか、いまその会社がどんな会社なのかは知らされません。実際に買おうとおもっている商品を作ったのは創業者ではなくていまのその会社のはずなのに。どこでどういう風に作られたのかは語られず通り一遍の仕様があるだけ・・・・

そう思いはじめたころ、子供乗せ自転車3人乗りを禁止するとかしないとかが、話題となりました。

警察が子供2人乗せの自転車の新規開発を依頼するということでした。
そこで、どうして世界でたくさん使われている子供乗せ自転車リヤカーを知らせないのかが不思議で不思議でなりませんでした。ドイツでもオランダでも、そして日本よりも自転車の日常利用が普及していないフランスでも子供シートよりも自転車リヤカーのほうが安全性が高いと公式の見解があるのにです。紹介されることがほとんどないのです。最初から意識してか無意識にか排除してしまっているように思えます。日本自転車普及協会でも「自転車3人乗りよりも自転車リヤカーが人気」と紹介しながら、それが何者かについてまったく触れることがありません。NPO自転車活用推進研究会でも自転車リヤカーはマイナスイメージでだけ使われていたりします。

そこで気がついたのは、日本では自動車ジャーナリズムはあっても「日常交通のジャーナリズムはない」ということです。法律は生活している人々が作るのではなく、『誰か偉い人が考えたものに従うものだ』とかなりの人が思っていて、頭から「自転車リヤカーなど日本では走れるはずがない」と思い込んでいるのか、そんな意見もほとんど聞こえない。情報の選択肢がないということです。

そして、ボゴタのJICAです。
モンテズマ博士、チャールズ・モンゴメリさんのレポートと、日本での語られ方には温度差などといった表現ではなく、まったく正反対のものです。
日本の情報が神話でないことを祈りたいのですが、そのためには、英語など海外の情報で、日本の情報と同一の表現を見たいのですが、そういう情報に出会わないのです。

その反対に、日本の情報は、モンテズマ博士、チャールズ・モンゴメリさんのレポートほど断定的ではありません。、「じつはJICAの案は採用されてないんだ」といわれてもいいような文章構成になっていると見えます。

しかも、JICA以外にも同じ時期に調査を手がけていた別のコンサルがあったことについてなどは日本の情報はまったく触れていない。「日本がすべて貢献した」としか取れないような『明るい成功物語だけ』です。JICA提案が使われなかった理由について(モンテズマ博士やモンゴメリさんが書いているように、それがわかっているのに)明確に書いていない。この時点で、『意図的な情報操作』、あるいは『バイアスをもった表現』、『自分に都合のいい情報だけの掲載』になっていると思います。


この時点で、宣伝やマーケティングは、自転車産業界だけじゃなくて、政府系の公的な情報にも、あるのじゃないかしら・・・と思いました。

自転車ブランド、自転車製造国などに関して『神話の創作』がおこなわれていると、特に日本語の情報で!と思っていたのですが・・・・

子供乗せ自転車リヤカーに触れられないのは自動車優先の交通について触れずに自転車の危険度だけに焦点を当てているからかもと思っているのですが・・・・

そして、交通がどうあるべきかは、『決断』であると、ペニャロサさんがいっていて、それを世界中の交通問題研究家が絶賛していると読んだばかりでした。

JICAがおこなったのは、

自動車交通中心の提案、そして、道路の多層化という高コストの投資の提案

だといわれています。

つまり、日本の自動車産業の売り込みが期待でき、日本の銀行からの融資が期待できる
JICA、コンサルティングチームは日本の産業の開拓団として役割が果たせる・・・・

そして・・・・

ペニャロサ氏から、それは否定され、低コスト、公共交通と自転車中心の建設がおこなわれた・・・・

だから、いまのところ、ちゃまは、モンテズマ博士、チャールズ・モンゴメリさんの方が論理的な言い方をしていると判断しています。
そのため、ちゃまは、JICAやESTの文章のほうが怪しいのではと思って、その立場で、上記のような書き方をしています。

ちゃまが間違っているかもしれません。でも、正しいかもしれません。いまはちゃまにもわかりません。

ぜひJICAの方々、あるいは、その周辺の方々が世界に働きかけて、英語など日本語以外の文章で、それも第三者のジャーナリストや学者さんが、当時のJICAの調査が、ボゴタの変容にこう直接的に貢献したと書いていただけるようにしていただけたらと思います。


さて・・・

NHKはボゴタの交通は日本が貢献したとまとめるでしょうか?
それとも、日本の自動車中心、コンクリート中心の提案は否定されたとコメントがいれられるでしょうか?
それとも、そこにはなにも触れずに通り過ぎるでしょうか?

Inter american development bank japan
ペニャロサさんは2004年に日本に来ているようですね(左)。JICAの言うとおりなら、そのときJICAへの感謝の言葉をおっしゃっただろうと思うのです・・・

追加です:

日本のある機関が、数億ドルものコストがかかる都市の高速道路建設を提案しましたが、却下されました。

これが肝心な情報でした。最初に書かなければいけない情報でした。全体の構成を変えるよりも最後につけることにしました。

Unepourplanet16closeup


OurPlanet Vol01
国連環境計画(UNEP:ユネップ)の公式機関誌「Our Planet」です。
以前見ていたのに忘れていました。
検索で見つけて思い出しました。

Our Planet 日本語版 2005.Vol.1

Ourplanet
<英語版>Our Planet, the magazine of the United Nations Environment Programme (UNEP) www.unep.org Director of Publication: Eric Falt <日本語版> 編集兼発行人:宮内淳 編集・発行所:NPO法人世界環境写真展 翻訳者:(株)ジャパンブリッジ河西路子大津佳代 翻訳協力者:Jon & Chris Corporation (U.S.A.) 監訳:高林久美子(白鴎大学講師) 監訳:石倉久之(自治医科大学名誉教授) 協力:東京都中央区 UNEP国際環境技術センター(IETC)
上記文章は
挑戦と成功へのチャンス ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルバ(ブラジル大統領)
給水と廃水処理の確保をめざして マリア・ムタガンバ(ウガンダ水担当国務大臣・アフリカ水閣僚会議議長)
ゴールデンゲートから緑の街へ アーノルド・シュワルツネッガー、ジャレド・ブルメンフェルド、ギャビン・ニューソム
Mottai Nai (もったいない)”精神 小池百合子(日本の環境大臣)
急速な成長 韓正(上海市長)
未来へ向かって ケン・リビングストーン(ロンドン市長)
黒海に緑の街? ハリナ・アロモヴァ(ウクライナ)
という人たちの寄稿で構成されているOur Planetに掲載された

「すばらしい成功」というタイトルでのエンリケ・ペニャロサ(前ボゴタ市長)の寄稿の一部抜粋です。

ペニャロサさんは、単なるの寄稿者の中の一人ではなく、クラウス・テプファー国連事務次長・国連環境計画 (UNEP)事務局長が「はじめに」でボゴタを成功例としての筆頭にあげ紹介し、これを世界中に紹介することが大事だといっています。
東アフリカの都市ダルエスサラームは、革新的な大衆輸送プロジェクトを導入することで、交通渋滞を緩和し大気汚染を軽減し、街並みを再び歩行者や自転車、そして一般市民の手に取り戻そうとしています。通称DARTと呼ばれているこの都市のバス高速交通システムは、地球環境ファシリティー(GEF)の出資のもと、UNEPも含めて市議会やさまざまな分野の組織や会社のパートナーシップを得て運営しています。

乗客が素早くバスに乗り込むことができるように、多くのドアを配備したバスと、新しい発券システムを融合し、バス専用車線と乗用車規制を併用するそのプロジェクトは、ボゴタを見本としています。1990年代、自らが住む街でありながら、このコロンビアの都市を愛する市民は皆無でした。世界環境デーに合わせて出版される今回の「OurPlanet」の記事からその様子がわかりますが、わが物顔で街をのさばる車のせいで、通りや公共の場所には交通騒音と排気ガスが蔓延していて、息が詰まるほどでした。

市民のプライド

しかしボゴタは、高速輸送システムの導入や乗用車制限、植樹の実施、1000ヶ所にも及ぶ公園の新設や再開発、より人間にやさしい交通手段の採用といった対策を講じることで、共同体意識と市民のプライドを取り戻しています。今やコロンビアは、南米で最大となる全長300kmを結ぶサイクリングロード網を有し、歩行者専用としては世界最長である17kmにわたって、整備された道路があるのです。

こういった成功例を強調することが、大変重要なのだと私は考えています。成功例を示すことで協力関係の大切さを明示すると同時に、ビジョン、創造性、熱意を兼ね備えたコミュニティや都市の指導者たちの手にかかれば、不潔な都市部やその衰退・汚染といった一見とほうもなく大きな問題を打開することができる、という証明にもなるのです。

ボゴタはそれだけ注目されているのですね。環境問題となると日本は欧州の例については細かいところも報じているような気がしますが、コロンビアといえば、麻薬や暴動の問題ばかり。すでに過去の話になっているのは、中国といえば自転車であふれているイメージ・・といった、欧米礼賛、それ以外は、下に見て、しまうということが、どこかで植えつけられているのかもと思います。

「すばらしい成功」というタイトルでのエンリケ・ペニャロサ(前ボゴタ市長)の寄稿
Unepourplanet16



上のページの右下から始まる一章です。 
具体的に「日本のある機関」の提案は「却下された」と、ペニャロサさんが書いています。


日常の足となるもの

日本のある機関が、数億ドルものコストがかかる都市の高速道路建設を提案しましたが、却下されました。そしてもともとの計画通り、サイクリング・ロードを備えた32kmの長さを誇る遊歩道が、小川に沿って作られました。これにより、さまざまな人々が収入の差に関係なく顔を合わせ、また自転車を利用する何万という人々の、毎日の通路の役目を果たしています。同様に、低所得者層が住む地域を通ってボゴタ市内を結ぶ、幅15m・長さ17kmの歩行者用の並木道も建設されました。私たちの目標は、この街をより楽しく人間味あふれる都市にするため、数百kmをつなぐ歩行者と自転車専用の交通網をつくることです。費用のかかる鉄道システム建設を中止したので、私たちは、かわりにブラジルのクリチバで成功を収めたバス高速輸送システムを導入しました。このシステムは、バスが持つマイナスのイメージを払拭するために“トランスミレニオ”と呼ばれています。到着と同時に停留所に横付けされ、ドアを開けて乗 客を待ち受けるこの乗り物は、車椅子でも利用でき、鉄道と同じスピードと輸送人数を誇ります。そして、一日あたり100万人を超える市民の足となり、キロ/時間あたりで考えると、たいていの鉄道よりも多人数の輸送を可能にしています。トランスミレニオの路線は今後、拡大していく予定で、2020年までにはその頃の予想人口900万人強の市民の85%が、停留所から500m以内の場所に住む計算となっています。 2015年から、朝と夕方の交通ラッシュのあいだ、自家用車の通行をすべて禁止するという提案は、住民投票で賛同を得たものの、33.3%の投票率に達しなかったという理由で無効となりました。けれどもボゴタの将来を案じる私たちにとって、この計画は今後も変わらず目標であり続けるでしょう。


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