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バンクーバー 2006年
世界都市フォーラムで驚きを与えた市長
ボゴタのエンリケ・ペニャロサの幸せな「自動車との戦争」

http://ww2.unhabitat.org/wuf/2006/default.asp 2006年6月19日-23日 カナダ、バンクーバー


世界都市フォーラムで驚きを与えた市長

The Mayor Who Wowed the World Urban Forum


ボゴタのエンリケ・ペニャロサの幸せな「自動車との戦争」
Bogota's Enrique Peñalosa's happy 'war on cars.'

チャールズ・モントゴメリ 2006年6月23日
Charles Montgomery, 23 Jun 2006, TheTyee.ca

問題を抱えて爆発しそうな世界中の都市が、現在直面している問題には打ち勝てないと思うのなら、前ボゴタ市長と一緒に自転車で数時間過ごしてみるべきだ。そう思って、木曜日の午後過ごしたのがボクだ。膨張したグレーターバンクーバー郊外にではなく、地球の南側に、新しい希望をボクは感じた。

エンリケ・ペニャロサは、とある都市の変革を取り仕切った。その都市は世界も、そしてそこに住む多くの住民でさえもが、諦めていた都市だった。ボゴタは貧民、混乱、暴力、渋滞の中で自身を見失っていた。ペニャロサは3年の任期中に、ほとんどの都市で(裕福な北米でさえも)不可能と思われていた施策を進めた。子どもたちのために100以上もの保育園を建設した。公立校を50校新規建設し、就学率を34パーセント増加させた。高効率なバスハイウェイ交通システムを創設した。数百キロメートルもの歩道を新設・再生し、300キロメートルもの自転車道、歩行者通行路、1200以上もの公園を建設した。

彼はそれらすべてを成し遂げた。私用の自動車に戦いを挑んで。


私たちを幸せにしてくれるものはなんだろう?


ペニャロサはこの戦いとボゴタ変容の背景となる考え方について、世界都市フォーラムでの基調講演の最中の先週木曜日に説明してくれた。ペニャロサの話は開発途上国の都市の首長たちが目を覚まさせられるようなメッセージから始まった。

「一人当たりの収入(per capita income)を進歩の基本指標とするなら、開発途上国は30年から40年かかっても富める国々に追いつくことは出来ない。収入格差はその間中ずっと増え続ける。だから我々は収入で進歩を定義しない。すれば失敗することは目に見えている。我々は別の成功指標を見つけなければならない。」

彼の持ち出した指標とは驚くほど単純なものだった。「幸せ」。

「我々が求める幸せとはなんだろう?」と彼が聞いてきた。「私たちには歩くことが必要。鳥が空を飛ぶのと同じように。私たちには他の人と一緒にいることが必要。私たちには美しさが必要。私たちには自然とふれあうことが必要。そして、まずもって、私たちには排除されないことが必要。私たちにはある程度の平等さが感じられることが必要。」(これが彼の答えだった。)

ペニャロサをヒッピーハットをかぶったどこかの革命家だと拒否する前に、彼の最初の著作が「資本主義:最良の選択(Capitalism: The Best Option)」だということを思い出して欲しい。

ほとんどの人が公共空間に入れなかったということがボゴタでは問題だった。いろんなことが楽しめるはずの公共空間に。富める人々は自動車を歩道に駐車して歩道を駐車場に変えていた。公共公園はフェンスで囲われた。この多くが、近隣の人が私的におこなったものだった。市政府は何年もの間、予算を高速道路や一般道路の建設に費やした。日本のJICAがこれを奨励した。これは明らかに日本の自動車メーカーのための新規市場創出事業だった。ボゴタの富裕層は週末にカントリークラブや個人の庭で過ごすことができた。その一方、貧困層の余暇時間には混雑した通りとテレビ放送があるだけだった。ペニャロサはバランスをとることに取り組んだ。

ペニャロサは、歩道駐車の自動車一掃の命令を発して、自動車との戦いの幕を切った。同時に彼を糾弾する動きがはじまった。しかしこれは不成功に終わった。歩道に駐車することはもともと違法だった。ペニャロサは次にラッシュ時間帯の自動車乗り入れを4割削減するシステムを打ち上げた。ペニャロサは市議会を説得しガソリン税を増税、その半分を高速バスシステムの資金とした。現在では50万以上の市民の足となっている。

ボゴタ初のカーフリーデーが2000年に行われ、とても人気となった。住民はこのイベントを年間行事とすることに賛成票を投じた。希望の無い場所だった市が、市民が誇ることができるひとつになったこと、これは最も心強いことだった。


世界都市フォーラム(WUF)のロックスターと一緒にペダルを漕ぐ


ボクは都市計画者、政治家、環境保護おたくの一団がこんなふうに狂ったようになるのをいままでみたことがなかった。ペニャロサのスピーチが終わるとスタンディングオベーションだった。ブリティッシュコロンビア州の交通技術者、スチュアート・ラムゼイがそのなぞを説明してくれた。

「都市がごく短期間で劇的に変化できるということをボゴタは示してくれた。単純に「そうすることを選ぶ」というだけの簡単なことだった。大気の状態を改善し、排気ガスを劇的に減らすことができた。簡単に取りかかることができる。一台のバスをも追加せずに、既存のバスシステムの容量を改善することができたのは一例だ。必要なものはペンキ缶だけ。それで専用バスレーンを設置できる。大金など必要ない。ただ単に「選択」が必要なだけだ。」

ペニャロサは現在世界中の都市にそれぞれの地域の交通システムがどうしたら意味あるものになるのかをアドバイスして回っている。ボクは前市長とコロンビアの政治家の取り巻きと活動家たちと一緒にレンタル自転車の一群となってロブソンを走った。コロンビア人のサイクリングの第一ルールがわかった。汗をかかないように乗る。第二ルール:クリティカルマスを確立して走る(ちゃま注:大勢で固まって走る=団子状になって=スイミーと魚たちのように)。そうすれば信号機を気にする必要がない。

ロブソン:バンクーバー ロブソン(Robson Street)特集 「世界一住みやすい都市バンクーバー。街の人気スポット、ロブソンストリートを知る」 (バンクーバー新聞) 「バンクーバーで、最も賑わっている場所と言えば? ・ ・・誰もが同じ言葉を口にするであろう「ロブソン(Robson Street)」」

ペニャロサはトラフィック(交通量)が好きだといい、その意味を説明してくれた。「第一に、通行をサポートするだけの人口密度があるという印。第二に、人々を自動車から引っ張り出す最良の方法のひとつ。世界中のどこを見ても、人々が公共交通を使うのは、高い意識をもってのことではなく、私用の運転が禁止されているから。私用の自動車を制限する最も簡単な方法はなんだと思う?それがトラフィック(交通量)。ニューヨークを見ればわかる。」



Gateway Program The Gateway Program was established by the Province of British Columbia in 2003

ボクにはボゴタとバンクーバーでの交通量体験は違って感じられた。ボゴタでは、富裕層はラッシュ時間のフラストレーションでも自動車の後席に座ってもっと車線があればいいのにと夢見ているだけでいい。ここバンクーバーでは、中間層と労働貧困層も自動車を所有していて、郊外からの通勤を強要される。バンクーバーの繁華街にある宝石箱のような居住区に住めるお金がないから。ブリティッシュコロンビア州にゲートウェイプログラム(Gateway Program)を備えた新しい橋と高速道路(highway lanes)を建設することを考えている人もいる。


「そう、ときどき、私たちの問題に対する答えが明確でないことがある。」ペニャロサはアイスクリームコーンをなめなめ答えてくれる。「もっと道路を建設することで交通渋滞は解決できると私たちは考えるが、でもそれは決して上手くいかない、世界中どこであっても。道路を建設すればするだけ交通渋滞はひどくなる。」


バンクーバーとのつながり


世界の都市が、どん底を見る前にコースを変えられるのなら、それはすばらしいことだろう。しかし、変化するには大金を投資する必要などないこと、それは選択の問題だということをペニャロサのボゴタが証明してくれている。

「交通は、都市問題の中で唯一、裕福になればなるほど事態が悪化するという(性質をもつ)問題だ。これは私たちの振る舞いを変えることでしか解決できない。これは常に政治的課題なんだ。」とペニャロサは語る。

国際的な環境団体が彼の政策を”空気の健康への影響、公衆保健衛生、グリーンハウスガスエミッションに対するエコ活動”として賞賛したことにペニャロサは驚いた。彼にとって、交通・教育・公共空間の権利を全市民に等しく与えようという考えは、ずっと(エコ活動ではなく)ソシアルエクイティ(社会的公正平等)の問題でありつづけていた。もう(少なくともボゴタのグリーンウェイズでは)子どもたちは自動車にぶつかることに怯えなくていいということがペニャロサが一番喜んだことだった。

もうひとつ。ペニャロサが彼の街を変えようというインスピレーションを得たのはどこでだったのという話を。それは、1976年、(バンクーバーの)ジェリコビーチでだった。(同じ名前をもつ)ペニャロサの父親が(1976年にバンクーバーで開催された)Habitat '76(第1回国際連合人間居住会議)の事務局長だった。



モントゴメリさんのお話は以上。
以下はちゃまの参考です。

”Habitat'76” (人間居住 human settlements の環境) と題して行なわれた国連人間居住会議(ハビタット)議。カナダのバンクーバーで開かれた。

イベントの写真




http://www.ecesj.com/J/nl/No01-10/2/9.html 示唆に富む1975年の文章
「工学万能思想への疑問」 沼田 眞

沼田 眞さんが1975年に土木学会誌61 (2) 1976年2月号に書いた「工学万能思想への疑問」という文章が、1998年2月の応用生態工学会ニュースレターに掲載されています。これは、示唆に富みます。沼田 眞さん(当時理博 千葉大学教授 1998年時点千葉県立中央博物館館長)


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