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業界の基本:マングース Mongoose の歴史

のだめのマングース
最近、我が家でもこちらが人気です。でも、ここはのだめのマングースの話ではなくて、自転車のマングースです。

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Pacific CycleはMongooseやSchwinnやGTという「いいブランド」を「金のために」利用している「悪い会社」という捉え方をされている方がいます。これは一面的だと思います。⇒ マングースブランドの捉え方について
日本で日本語で宣伝を作る立場の中間業者(卸、流通)や販売者が、正しい情報を伝えるべきです。それをやっていないことが、そして、逆にいいところだけを強調し、また、時には間違った情報を伝えていることが、ユーザーが正しい現在を知ったときに、(そして途中の過程を知らされていないために)、逆に、創立時と現在との単純比較になってこういう「極端な攻撃的な表現」を生むことになるのだと思います。正しいことを伝えるべき人は、日本で流通販売をしている立場の人たちで、もし、やり込められるのなら、パシフィックサイクルではなくて、現在、日本の流通販売宣伝に携わることで、お金を儲けている人たち、になるはずです。パシフィックサイクルは中国で自転車を作っていることを最初からアメリカの人たちは知っています。アメリカの人たちは量販店販売品はスポーツ用途で使うような高品質品ではなく、スポーツ用途から見れば低品質だということが前提で買い物をします。(注:低品質⇒スポーツなどの激しい用途で使うものではないという意味で使っています。用途によって求められる品質がちがうからです。「スポーツで使えるものだけが高品質」という視点で、『実用品』を評価するところから間違いがはじまります。米国では量販店と専門店とは別の市場として売り手も買い手もとらえています。レジャー用市場しかないからです。一方日本では、実用市場が主力でスポーツ用が後からできました。スポーツ用は高級品をうたわなければ市場開拓できませんでした。米国のMTBが日常品になった時に、その境界が日本であいまいなままで販売されています。ここからが日本のスポーツ車=高級車=ブランド車という自転車マーケティングがさまよいだしたところなのでしょう。)ウォルマートやトイザラスが「舶来品」だという意識は「日本的な意識」です。ウォルマートやトイザラスは経営者からは尊敬されています。ウォルマートオーナーは世界一流のお金持ちです。でも、販売しているモノは「実用品」です。「実用品」は「悪いもの」ではありません。「実用品」とは、必要に応じてそれを必要な人が買うもの。立派なものです。パシフィックサイクルは、「実用品」を適正価格で必要な人に供給する「立派な会社」です。それを「高級ブランド意識」にどこかですりかえられているとすれば、それは、「日本に紹介している人」や「販売している人」と思うのです。「お金」だけを見ているのは日本の自転車メディアも同じです。批判がありません。業界を正しい方向に向かわせるのではなく、企業のマーケティングの道具になっているだけです。日本には、購入者、消費者のための自転車ジャーナリズムはないようです。購入者、消費者のための自転車マーケティングだけです。購入者はそのことを知って専門誌を見るべきだと思いました。
Dorelcyclingsportsgroup

マングースMongoose創業者の歴史とブランドの歴史

子供乗せ自転車リヤカーにはまったく関係ないのですが、子供乗せ自転車リヤカーのブランド名や会社の歴史を調べていくと、このマングースという自転車の辿ってきた歴史が、自転車会社とブランドとの関係の典型のように思えたので、まとめてみることにしました。まとめてみると、以外にシンプルですが、シュウインドレルが台湾中国に発注しているブランド)やジャイアントやラレー(日本ではアラヤが台湾に発注している自転車)や最近ではキャノンデール(ドレルが台湾に発注しているブランド)までが関係してくるマングースの道です。ブランドとはこういうものだということをちゃまも再認識しました。みなさんもこの縦糸横糸の関係を知ったら、サイクルヨーロッパシュウインやラレーなどもう少し複雑な関係もそうか!と思われることと思います。そうすると、日本の自転車産業の変遷の話まで見えてきます。どうやら、その仕掛けは、最初は1970年代の日本からはじまったようなのです・・・・
(でも、日本の自転車関連団体は、そのあたりの話を正しく伝えていないと思います。1940年代以降の歴史が世界的になっているはずなのにほとんど語られていないように思えます。中国の最初の自転車工場が日本の侵略時代の現地工場が元になっていること。自転車のアジア外注のさきがけが日本だったことなども。「日本の自転車が世界に羽ばたいた」、という表現です。たとえば、クワハラのBMXはETで使われた。でもアメリカのハウィー・コーエンさんがいなければそんなことにはなりませんでした。ウェストコーストサイクル(WCCS)です。カワムラの自転車にブランド名をつけようとしたのもコーエンさん。これでNISHIKIブランドができたということです。そういう話も知らされず「NISHIKIはクワハラのブランド」とだけ紹介されます。あってもWCCSを「ニシキの輸入業者」と紹介してしまいます。「製造業中心のものの見方」です。今の自転車ブランドをこれで表現するなら、日本の世界のほとんどのブランドが、台湾中国の輸入業者と紹介されなければなりませんが、そこはそうではなくて、「販売するブランド名」で紹介しています。それは日本の自転車業界に都合のいい二重ルールです。作っているのが日本なら作っているところを紹介する。売っているのが高く売れるなら販売しているところを紹介する。二重ルールです。これが日本の自転車業界です。不思議なのは、自転車団体でも、それをそのまま容認しているようなこと。製造業者(ほんとうは製造しなくても)、メーカー(ほんとうはメイクしていなくても)、産業界中心です、消費者、購入者、利用者が知りたい本当の情報ではないことです。NISHIKIは中級自転車でしたが、「高級自転車」と紹介されます。どんどん強調されていきます。台湾のジャイアントもニシキをつくっていました。いまはラレーのオーナー、アランフィンデンクロフツさんがもっていて、デンマークでも今使われています。ちゃまはコーエンさんは日本の自転車をアメリカに紹介してくれた日本の自転車の恩人の一人だとおもうのです。日本の自転車産業界はこういうことを正しく伝えられていないし、国内のいいことばかり伝えているようにみえます。都合のいいところだけ日本語で知らされています。一方、台湾の自転車や中国の自転車が世界に羽ばたいたという表現はありません。日本の自転車産業関連団体は経済産業省(旧通産省)の天下りのようですし、特許庁の天下りルートでもあるということです。自転車関連団体はいたるところに「ケイリン」マークがあって、ギャンブルと官といわゆる「癒着の構図」が宣伝されているように見えます。都合のいいことばかり日本語で紹介していることは輸入商品のブランド紹介にも当てはまる話です。その責任はまず日本の輸入者と販売者にある話です。海外のブランド元が最初ではないはずです。)

ここでは、Mongooseという名前が付いた自転車の販売時に、よく語られる誤った情報に、消費者、購入者として、だまされないための基礎知識について書いています。Mongooseを買わないようにというメッセージではありません。Mongooseという名前がついた自転車にもいろいろな自転車があります。他のブランドでも同じです。どのブランドの自転車でもおなじです。単に、あるブランドの名前だから選ぶのでははなくて、買おうとしているその1台の自転車を良く見て、知って、できるだけ試乗して、自分にあっているか体で理解して買いましょう。試乗させてくれる自転車やさんで買うのが一番です。そして、それでも、ブランドの誤った情報を与えているような販売者は敬遠するのがいいでしょう。正しい情報で、自分にあった自転車を買いましょう。 現代は、プレーンな目を維持するのが難しくなっています。日本の政府省庁でさえも、そういったマーケティングを後押しするような宣伝活動に手を貸しています。だからこそ、自分で情報を集めるのがいいのですが、ちゃまの経験からは、海外ブランド物は、日本語ではなくて、最低でも英語で、できればそのブランド所有者の現地語で、情報を確認するのが一番です。ブランド情報は販売者の都合のいいマーケティング神話で固められることがおおくなっています。消費者に対してはマーケティングで、ブランド=メーカーと思わせられることがおおいようです。でも、現代のブランドは、会社の一商品名であることがほとんどです。身近な参考例TOYOTAはTOYOTAというメーカーのブランドではなく、「トヨタ自動車株式会社」のブランドで、他にLEXUSもありますね。TOYOTAをメーカーと思わせられているところにブランドマーケティングの成功があります。日本的に言えば、「暖簾」商売です。だからブランド情報、暖簾情報は「商品宣伝情報」で「販売者に都合のいい情報」なのです。ブランド情報ではなく、その会社の情報をきちんと知るのが、一番です。Mongooseは、所有者はDorel Industries Inc.。日本で法的な責任を持つのが、以下の「株式会社モトクロスインターナショナル」になります。だから、Mongooseについて調べるなら、この2社の情報が、あなたにとって必要な情報として出してくれている会社かどうか、という目で見るのが最初です。商品以前に、信頼できる売主なのかどうかを知るのが、買い物の基本ですね。そして、自転車では、他の商品と同じように、グローバル経済の中での自転車ビジネスとなっていて、メーカーが自分で自転車を作っていることはほとんどありません。外注されています。ブランドマーケティング情報ではそれに触れられることはまったくといってありません。事実と違うセールストークで買わされたと思いたくない人には特に、そうでない人もそれなりに、視点を広くもって、お財布と相談していいお買い物をしたいですよね。お金持ちの方は別です。買ってからでも調べてください!

まず最初にマングースMongooseとは、BMXプロダクツ社の製品につけられた名前としてはじまり、現在のカナダのドレル社所有(2004年から)に至るまで数社を経ても、それは、商標でありブランド名であって、マングース社という会社は、かつて存在したことはありません。

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日本の輸入元が自ら「マングース社」という表記をしている例

(日本の認定代理店のウェブサイトでもそう書いているのがあります。これは日本の統括元としては、責任感がないのでしょうか、それともそこまで運営力がないのでしょうか・・・・。結果的に(かどうかわかりませんが)購入者にウソを書いています。この株式会社モトクロスインターナショナルは、会社紹介ブランド紹介ではそう書いていないのに、一部がこんなふうになっています。これは一担当者のブランドに対する意識不足かもしれません。でも一販売店ではなく日本販売の大本ですから、これは会社の力不足の一つを現します。しかも、この商品は「おすすめ商品」のひとつ。普通は力を入れてその紹介文をつくるはずです。それがこのありようです。力が正しく入っていない、力の入れ方が偏ったこの販売方法をみると、実際は「おすすめ」などではなくて「在庫処分品」的販売方法といったほうが正しいのではないでしょうか。「在庫処分品」と書かないで在庫処分を行うのは輸入元としては危険ですよね。普通ブランド品廉価販売は、別の販路でするのが普通で、同じサイトでするなら、きちんと「在庫処分品」と書くほうが信用度が上がります。「ビアンキ社の自転車」のようなことを仕掛けているわけではないでしょうけれど、大本がそう記述していればその一つ一つが購入者に誤解を与えてしまうのです。結果的に自転車購入者を煙に巻く「イタリアンロードバイク商法」に似た神話効果をあげてしまいます。) 

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Amazon.comでの同型です。by Mongooseとなっていてこれはブランドを表しています。会社名や、そこ「製」とはありません。

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こちらの例は、「マングース社製16インチフリースタイルバイク」と書いています。本当は「マングースPIT CREW-16 KIT」という名前がついた自転車というだけの「マングース」の役割です。これを「マングース社製」と書くのは明らかに販売会社としてウソの記述となります。2008年のクリスマス商戦のときのようなので2004年のドレルのパシフィックサイクル買収以降の商品ですが、2009年サイクリングスポーツグループへのマングースブランド移管以前です。だから実際は「パシフィックサイクル社製16インチフリースタイルバイク」と書かなければウソの記述です。(サイクリングスポーツグループへのマングースブランド移管以降も量販店向けのこのような商品は持株会社ドレル傘下の自転車専売店向け事業会社サイクリングスポーツグループからおなじ持株会社ドレル傘下の量販店向け事業会社パシフィックサイクルへの同じ企業群内でのブランドライセンスによるパシフィックサイクル製のはずですので、現在でも『パシフィックサイクル社製』であることにはかわりないかもしれません。マングースを入れるなら、『パシフィックサイクル社製マングースブランドの自転車』です。もし自転車専売店向けなら『サイクリングスポーツグループ社製』となるはずです。でもキャノンデールでさえ日本では『サイクリングスポーツグループ社製』とはいっていないのはかなり神話を語り始めていそうなのですが・・・。日本でレクサスブランドの自動車を『レクサス社製の自動車』などといって販売したらたぶん信用はなくなりますよね。)なぜ日本でマングース社ということが言われ続けるのかといえば、それは本当は対メーカーに対してもまた企業の社会的責任からしてみても、責任があるはずの輸入元自身が正しい情報を日本に広めようとしていないからでしょう。その方が売れると思っているからでしょう。でも、もうそんな時代ではありません。

もしかしたら、どちらも特別セールなので、株式会社モトクロスインターナショナル社内で特別セール担当者という方がブランド意識が薄いのかもしれません。でも、同型で「マングース社」と書いているネットサイトはありませんでした。株式会社モトクロスインターナショナル社だけです。パシフィックサイクルから認定されているブランド管理者であるはずの株式会社モトクロスインターナショナル社だけが自爆している状況というのは、恥ずかしいことです。

BMXプロダクツ社にはマングースMongoose以外にも、Jag、Decoster、Blue Max、MotoTrac(bmxmuseum.com)、Race X、Motomagという製品名がありました。 (またラレーアメリカのRamparはBMXプロダクツ社がOEM製造したBMX自転車でした。ここにその詳細があります⇒vintagebmx.com。このラレーのBMX自転車も、マングースの歴史と同じようにアジア製になりました。「低価格品は台湾製になった」とだけ書かれています。でも、製造した側からすれば自慢の品でした。台湾のパシフィックサイクルズでは会社紹介で、「1976年、BMXを製造したところ、買ってくれる人が現れ、台湾にとっての最初の大切なお客さんができました。ラレー自転車でした。5年で、リンは R9からR15までの“Rampar”(ランパー)7モデルを作り出しました。1980年にはパシフィックサイクルズ(Pacific Cycles)を創業しました。」(ペーターデンクさんは台湾のパシフィックサイクルズで1993年から働いた経験があるようです (1995-2007スコット開発、2009からCSGキャノンデール&GT開発))) ⇒この視点は日本でもおなじです。自国でつくったものは、「作ることができた」だけでも「すごい」のですけれど、それを『欧米が買ってくれる』ことが『誇り』となります。70年代、80年代に輸出されていた日本の自転車が今では日本で『高級車』と形容されることがあります。FujiやNishikiなど。けれどそれは『中級車』だったということです。品質の割に価格が安いことも魅力でした。日本での製造が台湾⇒中国と移ります。中国製が課税されれば、ベトナムやインドネシアで行われたり、中国の人件費や環境配慮でコスト高となると、今度はカンボジアやバングラデシュというところに製造は移転していきます。でも、いまでも台湾が頭脳であることには変わりないようです。日本が頭脳でないのは、日本から頭脳が流出してしまったから?SRサンツアーは日本の人たちが中心で、台湾の自転車会社の中心で今でも活動しています。日本ではそのことがまるで無視されているように感じます。国から出ていくと他人のふりをしてしまっているようです。国境でバリアを築いてしまっているのでしょうか。このあたりが日本が頭脳でないことと関係あるような気がします。国別でブランドを語るマーケティングともダブります。

Mongooseは、Schwinn、GTといっしょです。同じ会社が『ある仕様の自転車』を『どの市場』で『どのブランド』で販売しようかを企画段階で決定します。名前がちがうだけの同じモデルもありえます。このやり方は現在の量販自転車ではよくあることです。2008年からはここにキャノンデールが加わりました。この辺の仕掛け人は2008年から台湾常駐のブラッド・ヒューズさんが担当しているようです下に詳細。この方はラレーアメリカで製品企画トップとして同じことをしてきた人です。それ以前にはマングース、シュウインダイヤモンドバックもやっていました。

販売店の宣伝文句はほとんどの場合都合のいいところだけをつまんで、あるときは、一部を全体に広げて、夢を大きくして、ロマンを歌い上げているということがわかりました。台湾は世界の自転車の製品企画段階、製造段階の中心地で、しかも中国の工場でも一流どころはほどんとが台湾資本で運営されているそうです。そういう時代ですので、メーカー名、ブランド名、メーカーの国、生産国などで一概に決まるものではありません。たとえイタリア製だとしてもただ組み立てているだけがほとんどです。その多くは台湾中国、場合によってはそのほかの国で作られたものを、ラベルではMade in Italy、Made in USAとつけることが法的に認められているからです。労働賃金の違いのために、イタリアやアメリカでただ車輪をくみ上げるだけでも、中国以上のコストがかかります。イタリア製、アメリカ製とできるのだそうです(業界の基本:わたしの自転車はどこでつくられたの? あるいは、だれがわたしの自転車をつくったの?自転車ビジネス ダン・エンプフィールドさん)。賢い消費者になりましょう。

創業者の歴史 (詳細は)

1974年:家族経営のB.M.X. Products, INC. (BMXプロダクツ社)でホイールと1975年にはマングースBMXバイク<10年間>
→1985年:サービスサイクル傘下 BMX Products Company (ARC[アメリカンレクリエーションカンパニー]社傘下)<3年間> (Service Cycle Supplyについては「Advent アドベント - Bell Sports」を)
→1988年:創業者スキップ・ヘス(Skip Hess)シニアがARCに会社を完全売却、社を離れる
→1988年:Hess Design創業<4年間>
→19??年:息子さんのジュニアはジャイアントUSAの自転車商品マネージャー職
→1993年:ジュニアがSCOTT傘下の新生Schwinnの自転車事業のトップ<5年間>
「500ドル以下の自転車しか売れない」といわれたシュウインを販売と信頼で飛躍させた人。「輝かしいシュウイン」というイメージを作ったのがスキップ・ヘス・ジュニアでした。  (SchwinnについてはSchwinn シュウイン / InSTEP インステップ - パシフィックサイクル)
→1999年:ジュニアがGiantジャイアントUSA社長(2008まで)<9年間>
(ジャイアントの米国オフィスは1987年開設。初代社長は現ラレーUSA会長ビル・オースチンさん。その手腕であっという間にジャイアントを流通させた人。この人の後の3人の社長さんでジャイアントUSAが衰退。そこから、全米トップの会社でアメリカのジャイアントとしたのがジュニア。現在アメリカの自転車産業界の中心人物の一人で業界活動でも忙しいようです。)
→2008年:ジュニアがElectrabikeエレクトラバイク取締役
→2009年10月末:ジュニアがElectrabikeエレクトラバイク共同最高経営責任者(co-CEO)就任
エレクトラバイクは、ジャイアントが生産しています。ジャイアントはシュウインの生産委託でシュウイン技術を身につけそれをベースに自社ブランドを立ち上げた会社です。エレクトラバイクは、クルーザー型自転車を現代風に売り出した会社のひとつですが、そのクルーザー技術は本家シュウインから身につけたジャイアントの技術です。シュウインの技術がジャイアントの生産技術で現代によみがえって、エレクトラがその販売を請け負っているともいえます。


ブランドの歴史; (詳細は)

1974年:B.M.X. Products, INC. (BMXプロダクツ社)<10年間>
→1985年:サービスサイクル傘下 BMX Products Company(ARC[アメリカンレクリエーションカンパニー]社傘下)<10年間>
→1988年:創業者スキップ・ヘス(Skip Hess)がARCに会社を完全売却、社を離れる。この時点で、『BMXプロダクツクオリティの自転車』という意味を表していた『Mongooseという名前』は、意味が変わってくる。
→1995年:サービスサイクル(ARC傘下(ベルスポーツ傘下))<2年間> 親会社のARC全体がベルスポーツ傘下となったため。ブランドをどう使うかという視点でMongooseという名前が使われるようになる。『BMXプロダクツ社が作るBMXプロダクツ自転車』ということをあらわすものではなくなった。ブランドとして抽象化された
→1997年:ブランズウィック<4年間>Mongooseブランド自転車の量販店流通をはじめたのはブランズウィック。自社ネット直販も開始。でも社長さんの交代を期に、前社長さんの始めた自転車事業が短期には利益が見込めないと切り捨てる方針となり売却へ。
→2001年:パシフィックサイクル
→2004年:パシフィックサイクル(ドレル傘下))
→2008年:ドレル 自転車専門店向けはキャノンデールスポーツグループ(CSG)、量販店向けはパシフィックサイクルがマングースブランドを使用
→2008年8月:ブラッド・ヒューズさん、キャノンデールスポーツグループ(CSG)の台湾オフィス代表就任。80年代Schwinn、以降Diamond Back、Mongooseで古くからのソーシング(外注)経験豊富な人。2000年代後半は直前までラレーUSA製品開発トップ。マングースの製品開発はこの人がキーパーソン。 →2009年4月:サイクリングスポーツグループ(CSG)に社名変更。組織改革具体化が見えてきました。下へ →2009年10月30日:サイクリングスポーツグループ(CSG)でCSGのブランドはキャノンデール事業、GT事業、Schwinn/Mongoose事業としてゼネラルマネージャー(事業部長)が統括することに。Schwinn/Mongoose事業部はヒラリー・ベンジャミンさんが就任。つまり、マングース自転車の全権はヒラリーさんが責任を負う立場ということです。下へ ヒラリーさんの上司はCSG社長ジェフ・マクゲインさん。その上司がドレルレクリエーショナルレジャー社長ボブ・ベアードさん。そのまた上司が、ドレルインダストリー社長兼CEOマーチン・シュワルツさんということになります。

<日本の状況>

2010年6月2日:CSGアジアパシフィック(CSG AP)が大阪、キャノンデールジャパンの地に開設。マングースはCSGの管轄なので、アジア地区のマングース販売の統括はCSG APになると考えるのが普通です。となると日本のマングース認定販売代理店はCSG APの統括の元にするということでしょうか?CSG APは事実上VP(バイスプレジデント)のマリオ・スタインさんが担当のようです。マリオ・スタインさんは、ドイツのシェーバー企業ブラウン入社で当時ブラウンはすでにアメリカのジレットに買収された後(1984年)ですが、日本にブラウンのマーケティング担当者として赴任されていたようです。ジレットがP&Gに買収された2005年以降は、日本P&Gのマーケティング担当者。そして、2008年キャノンデールがドレルに買収され、2009年にCSGに転職して、キャノンデール・ジャパンCEOを任されています。CSG APはVP。キャノンデール・ジャパンはCEO。日本が長く、奥さまも日本の方のようです。

日本のマングースは、大阪のCSG AP(サイクリングスポーツグループ・アジアパシフィック)の管理下にあるということになります。その「大阪のCSG AP」とは、実態はキャノンデールジャパンと同じだと思えます。

現在のブランドマーケティング映像

3分間の映像。1分20秒までの1974年から1987年までを参考にしてください。その後は現在に飛んでしまいます。現在のマングースブランドにとって、その歴史の宝が<<1974年から1987年まで>>にあることがよくわかります。 マングースのブランドとしての自慢は<<1974年から1987年まで>>ということです。今の自転車を自慢しているのではないのが悲しいところです。しかも<<1987年から現在までなにをしていたのでしょう>>、もし歴史がつながっているとすれば、その点が、現在の自転車を購入する購入者にブランドがいちばん先に問われるところではないでしょうか。ところが、現在の自転車がそんな歴史とは関係なく作られているからこそ、そこを問う必要がないということです。この宣伝のあとに販売するものは本当なら<<1974年から1987年まで>>につくられたマングースバイクであるべきでしょう。そして中古オークションビジネスが成り立つでしょう。

この宣伝ビデオでマングースが今どこを向いて販売しているのかがよくわかります。<<1974年から1987年まで>>の過去の栄光を語ることで、今、目の前にあるものを販売しています。今、目の前にあるものがだれがどこでどうやってつくってくれたものなのかは説明してくれていません。買うものは目の前の自転車なのにです。

「手に入れられる中でマングースがベストバイクだった時代を覚えている。最高のシリーズだった。まだ持っているが大好きだ。でも、もう本当にいいマングースはどこにあるのだろう。周りを見てもあるのは(低所得者層を主な購入対象としているスーパーマーケットの)ウォルマートなんかで売られているジャンクだけだ。」

「ワッ!マングースがこんなによかったなんて知らなかった。どうしてマングースがxxxなウォルマートBMXバイクになっちゃったんだ?いいやつになれる可能性があっただろうに?」「量販店で売れば高い利益になるから、its all about $ 金のため、それだけのこと」

これはいまのマングース自転車の購買層は『<<1974年から1987年まで>>のマングースが対象としていた購買層』ではないということです。それでも、ブランドマーケティングで<<1974年から1987年まで>>を切り出して提示してくる意味はどういうことなのか。それはもうお分かりですね。

ブランドマーケティングは、大衆洗脳に限りなく近いですね。情報を一部だけ切り出されて提示される。提示される情報はうそではありません。しかし、提示されない情報を知らないで購入すると、それでもいいのでしょうか。賢い消費者は、売主以外からも情報を集めるものですが、輸入ブランドの場合、(日本を担当する)中間卸業者の思惑で、ブランド主の思惑以上に強調されて、情報がさらに操作されることも多いようです。最終的に購買者を相手にする日本の販売店では、その上にさらに強調が入ることがあります。そうしてブランドメッセージが強調され強調されて私たちに伝わります。(ブリヂストンやパナソニックの自転車を購入するときに創業の話からはじめる場合は普通はありません。松下幸之助の自転車ライト開発の話に感動してパナソニック自転車を買うようなものですから。でもパナソニックの場合はまだ創業者と現在がつながっていますが、ほとんどのブランドの場合、そうではない場合が多く、マングースも後者なのです。)

日本の自転車メディアは自転車販売マーケティングを後押しすることしかやっていないようで批判的なコメントがないことが購入者にとっては問題だと思います。日本の自転車メディアは宣伝しかしていないということです。日本の自転車メディアは販売側の利益代表だということです。これは購入者にとってはさびしいことです。さらに、現在ネットマーケティングが広がり、販売者が直接にメッセージをだせるようになりましたが、メーカーよりも国内卸よりもさらに責任感薄く、都合のいい情報だけを載せている販売者も増えているようです。

輸入ブランドはメーカーが国外にあり、製造時の状況が国内の法規制をうけないことも、結果的に、その情報戦で売り文句だけが強調されて、消費者に大切な情報が欠落する傾向が多いものです。

特に輸入ブランドを購入しようとする場合は、日本の会社と違ってうわさが流れにくいので、その大本の国での口コミ情報も含めて自力で情報収集できる能力があるとないとではかなり情報量が異なるということがあるのではないでしょうか。そして、そうして知った情報を元に、あなたが自分にとってお買い得と思えば、それは、あなたにとって本当に適切な選択ということになります。

Mongoose History

ブランドの歴史 創業者の歴史
1973年以前 ドラッグレーサーだったスキップ・ヘス(シニア) 1937年2月6日生まれ 12歳で父を亡くし、母とカリフォルニアに引っ越す。子供の頃は病弱だったけれども、1950年代には自転車でトラックレース、ロードレースで活躍。1953年、16歳のときにはCalifornia State Road Championshipsで優勝、セントルイスのNational Championshipsで銅賞。父親はいなかったけれども、いろんな人のお世話になった。自転車店主でスキップと同い年の息子を持つBob Zumwaltはスキップをいろいろなレースに連れ出してくれた。サンディエゴ州立大学を機械工学専攻1958年卒業。卒業後Superior Industriesという自動車のアフターマーケット部品を作る会社の技術者となる。3年後には自宅でフリーランスの設計者としてさまざまな会社の自動車用ホイールを設計をはじめる。1960年代には自動車レースに情熱を注いだ。

家で仕事をしていると、近所の子供たちが自転車で飛び跳ねて技を競っていることを知る。自転車専用ホイールのアイデアが浮かび、軽量で強いホイールを作り出すことになった。これが最初のMotoMagホイールのデザイン。この生産をホイールメーカーにもちかけるとどこも「売れるような市場がない」。そこで自分でホイールを作ることにした。金型も自分でつくった。そうして、1974年、友人ビル・ミラー(Bill Miller)の協力を得て、BMX Products, Incを設立。最初の商品がMotoMagホイール。1975年から1976年にかけて、Mongoose という名前とそのロゴを商標としてつかいはじめる。これは友人でレーサーだったTom “The Mongoose” McEwenから、とは、スキップの話(下のオーストラリアの話とは異なっていますね?)。1974年から1985年までスキップが会社を指揮。その後はAmerican Recreation Groupに全資産、全商標を売却。社長職には1991年まで留まった。

スキップは半分リタイア。妻と子供が2人とカリフォルニアに在住。ほかに前妻との間に3人の子がいて、みな成人している。孫が6人。テニスも好きだけれど、自動車レースではいまもいろいろなことを試している。ドラッグレース場にいけばレースカーをいじっているスキップヘスが見られる。vintagemongoose

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In 1973, with the help of drag racing partner, Bill Miller, Skip Hess stated his own business, Mongoose Bicycles. ドラッグレーサーのパートナーだったビルミラーの協力を得て、スキップ・ヘスは自身の事業としてマングースバイシクルを始めた。

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1974年 BMXプロダクツ社(B.M.X. Products, Inc.)をカリフォルニアシミバレーでスキップ・へスSkip Hessが創業。BMXレース用軽量ホイール、Motomagというキャストマグネシウム製が最初の製品。 キャストアルミホイールMotomag マングースはヘスがオーストラリア旅行した後つけた名称。小さいのにすばしこくてコブラを殺すほど強い動物。(上の友人のニックネームの話とは異なっていますね?)
Diamond Back - ダイヤモンドバックとつけたのは『この蛇がマングースを食べるからブランドの基本:Diamond Back / Diamondback / ダイヤモンドバック / 大名
1975年 自転車は1975年から。最初は、Rick Toomeyが作った自転車にMotomagホイールをつけたところからはじまり、Chuck Smith, Hoppy Brooks, Rick ToomeyとSkip Hessで共同制作したフレームが最初のマングース自転車となった。Motomagホイールをつけた自転車Motomag発表(vintagemongoose.com)。高性能の標準車となっていた。
1980年代 BMX 80年代は成長した。1980年全米大会一位。BMXレースチームで使われプロモーションされた。ほとんどのクラスを席圏。BMXレースをサポートした最初の会社。1980年にはエクスパートモデルを発表。1984年、6タイトル制覇。
1984年にマウンテンバイクを発表。
1985年 巨大卸業者のサービスサイクルサプライ傘下 BMX Products Company (社名が変わっています。会社が新たに登記されたのかもしれません。) American Recreation Company Holdings Inc.(ARC:アメリカンレクリエーション社)の傘下のService Cycle Supplyのそのまた傘下となったBMXプロダクツ社

1991_1_sblService_cycle_supply ebayに出品されていたサービスサイクルの1949年カタログ
サービスサイクルも古い会社でARC以前には独立した会社でした

Service Cycle Supply Co. (Commack, Long Island , New York Catalog 1952 / Vista by Columbia made in Japan thru SCS / mostly by Arayaアラヤ ) ニューヨーク州ロードアイランドのコンマックを本社としていたサービスサイクルサプライ社。ビスタVistaという自転車はSCS取扱の日本製。主にアラヤ製。Vistaは70年代の自転車ブーム時に東海岸で販売された自転車ブランドでUS製台湾製もあった(bikeforums.net)。

1986年にはBMXスポーツは新しい流行 マングースがトリスターピクチャーズの映画「Rad!(ラート、ドイツ語で自転車)」(ハル・ニードハム監督、バート・コナー、タリア・シャー出演)のスポンサーとなる。3度の世界チャンピオンとなったマングース乗り、トラビス・チプレスも出演。これはカルトなフィルムだったが自転車業界には評判となった。
1987年 MTB 87年にアメリカンスポーツ用品市場でマウンテンバイクが流行となった。マングースはその中心となり、ジョン・トマックにちなんだトマック・シグナチャーモデル(トマックがサインしたモデルの意)を発表。マウンテンバイクレーシングモデルとしては世界的に成功したモデルとなった。

vintagemongoose.comこの年あたりまでの情報は、vintagemongoose.comで カタログ、当時の本社風景、などなど、たくさん。掲示板では、たとえば、ラス・オオカワさん(Russ Okawa)、ジョン・ジョージさん(John George)などのお名前も。ラス・オオカワさんはシュウインやジャイアントでもスキップ・ヘスさんと一緒でした。ラス・オオカワさんはピピンさんのお話にも出てきます。BMXプロダクツでのオオカワさんは宣伝と競技チーム担当でした。Russ Okawa was V.P. of Advertising, Promotion and Racing Teams. スキップヘスジュニア含め当時の社員の中の17人について、簡単に紹介してあるのがこちらです。掲示板ではさまざまなところでいろいろな話がでてきます。Rick TwomeyさんはBMX競技のパイオニアで伝説の人物とスキップさんが言う人。友人で会社の社員だった人。Tom Gadburyさんは生産担当マネージャー(Manager of Production)とその他多くの役員業務をこなした、BMXプロダクツ社での重要な人物の一人。ヘスデザインでもヘスさんの右腕、ヘスデザインの後はジャイアントUSAで倉庫業務を数年間担当。ヘスさんが感謝しても感謝しきれないといっています。

ブランドの歴史 創業者の歴史
1988年 ヘス退社 ヘスはサービスサイクル上層部と意見が合わず退社
(1991年まで社長職には留まっていたという記述がvintagemongooseにあります。もしそうでも、名誉職程度のはずです。) サービスサイクルの自転車にはられるラベル:マングースは生まれはBMX自転車の創始者でしたがARCは量販店志向の会社でARC時代のマングースはすでに量販店ブランドとなっていて、ARCがサービスサイクル部門で販売する自転車の名前にマングースラベルが貼られて販売されていたのでした。
Hess Designs創業 ヘス、Blue Maxを量販店に販売。これは数年前に廉価版シリーズとして作った自転車シリーズの名称だった。
業界の基本:ジャイアントの歴史 最初の20年 1971-1991 「1982年秋、ジャイアントはBMXシュウインプレデター(Schwinn Predator)13万台を出荷した。シュウイン初のBMX参入だった。そしてこれが成功した。」

スキップ・ヘス(シニア)談:マングースバイクはカリフォルニアのイノベーション(イノベーション自体は「前向きの変化」という意味ですが、カリフォルニアの文化が育んだ独特な進化形という意味で使っているのでしょう)。自分の工場で製造していた。シュウインが台湾製の販売始めるまでは。このことでカリフォルニアメーカーの草の根BMX製造は変わってしまった。Mongooseマングース、GT、Redline レッドライン、そのほか多くのメーカーがSchwinnのBMX製品と戦って生き残るため、輸入にたよらざるを得なくなった。vintagebmx

ここで、創業者の意思とマングースという印は乖離しました。
上記ビデオの1987年までの栄光は以降のマングースとは別物のはずです。
でもブランドとしては、現在につながる歴史として1974年から1987年までを語ることが(法的裏づけをもって)できてしまうのです。これが経済原理です。お金の力は歴史を言い換えることができてしまうのです。お金が歴史を書き換えてしまうのです。でも、それじゃ悲しいので、ここでは、現在のブランドが語ることのない事実も含めて書いておきましょう。普通は、ジャーナリズムがこの役割を果たすのですが、日本には自転車ジャーナリズムのメディアがないようなのです。ここの情報は、アメリカの自転車ジャーナリズムが報じている情報がほとんどです。

Schwinnシュウインの台湾製はアメリカのBMXだけでなく、アメリカの自転車業界を(それにシュウイン本体さえも | 道で大変なバンプに遭ったシュウイン)変えてしまいましたが、台湾製シュウイン自転車とは『ジャイアント』が生産していたものです。ジャイアントはまだその名前が知られていないときにシュウインの下請け生産をしながら技術力を身につけました。最後には"GIANT"と自社ブランドでアメリカに乗り込んで、『シュウインクオリティでシュウインよりも安い』ことで販売に勝ち、ブランドを確立しました。そして世界的なブランドとなりました。これをアメリカの人は、『シュウインの技術を盗んで、しまいには自分のブランドをつけてアメリカに乗り込んできて、市場を奪った』と表現しています。しかし、以下をご覧いただくとお分かりのとおり、(そしてシュウインの情報を見ていただくさらにお分かりのとおり・・・) アメリカでジャイアントを普及させたのはアメリカの自転車業界人であり、しかも、マングース創業者ファミリーもその大きな一旦を担っていたということです。現在、台湾含めアジアとの強力なコネクションを持つ人がアメリカ自転車業界を仕切っています。

現ラレーアメリカ会長ビル・オースチンさん(Bill Austin)は1987年のGiantジャイアントの米国オフィス開設時の責任者(初代社長)で1994年ラレーアメリカ前身のダービーUSA。

マングース創業者ファミリーのスキップ・ヘス・ジュニアさん(Skip Hess Jr.)はジャイアント商品マネージャー、1993年スコット傘下シュウインの自転車事業トップとなり、「500ドル以下の自転車しか売れない」といわれたシュウインを「どの小売店もそれまで考えもしなかった、ハイエンド市場での販売と信用を獲得した」といわれるようにした人。1999年からジャイアントUSA社長。初代ビルオースチンさん時代にピークだった売上が40%まで落ち込んでいたジャイアント米国販売を立て直し、21世紀の現在、「アメリカの自転車専売店(IBD)用自転車販売では、ジャイアント、トレック、スペシャライズド」といわれるまでにした人物。そのため米国だけでなく、全世界のジャイアント製品に責任を負う立場となっていました。2007年末にジャイアントを退社、2008年から現在まで(シュウイン技術を元に会社の礎を築いたジャイアントがつくるシュウイン風の古風なクルーザー自転車販売で伸長した)エレクトラ共同CEO

このようなジャイアント以前に、日本の自転車メーカーがアメリカ自転車の下請けをしていたのですが、こういうことを知ると不思議に思うのは、日本で世界に飛躍したのはシマノだけ。(マングースのように日本の自転車の名前も)完成車ブランド名がいまでも世界で使われているということから往年の人気を偲ぶことができますが自転車製作できなくなってしまったところがどれほどあったのかいまとなってはそれを教えてくれる情報はわずかです。日本ではものづくりとしての自転車のクオリティは世界品質だった。しかし、自転車産業界を(少なくとも1社でも自転車メーカーを)世界に羽ばたかせるためのビジネスパーソンと産業振興人は残念ながらいなかったということです。自転車産業振興の団体も当時も今も見ているのは国内のことだけで、世界など見ていなかった、世界戦略などなかった、ということでしょう。この事実は日本にとって悲しいことです。繊維業界、造船業界などとおなじように自転車産業も世界に冠たる産業だったと知らせてくれる歴史教育は日本にはありません。この不況で『自動車産業がつぶれたら日本がなくなる』なんていわれていますが、昔のことをすこし振り返っただけでも、自動車産業がなくなっても、そんなことはないと思えてしまいます。

ブランドの歴史 創業者の歴史
1992年 量販店ビジネスは価格だけが勝負の"dog-eat-dog(共食い)"の世界だとわかり Hess Designs終了
この数年間長時間労働と数限りないアジアへの旅だったとのことです
Kenda USAのJim Wannamakerさんは83-96まで。最後はProduct Manager。blogspot / いつなのかわかりませんが、RideBMX編集長キースマリガンさんも、マングースがあった時点のサービスサイクルにちょっといたようです。transworld.net 1993年 Schwinn SCOTT USA スコット傘下のSchwinn シュウインに参加
Skip Hess シュウインのGT買収1998年を手がける (写真左) これ以前はGiant USAで自転車製品マネージャー職にあった(Canadian Cyclist)。

Art
1998 Honolulu Star-Bulletin

1995年 Bell Sports Corp ベルスポーツの自転車にはられるラベル 1995年2月にBell Sports Corp.へのAmerican Recreation Company Holdings Inc.吸収合併が発表され7月に完了。ARCのベル以前の社名はAmerican Recreation Company Holdings, Inc.で、ベル傘下となった後の社名はAmerican Recreation Company, Inc.です。 ベルはBell ベル、Giro ジロ、Mongoose マングース、Rhode Gear ロードギア、Vistalite ビスタライト、Blackburn ブラックバーン、BSI、バイクスター、Sport Track スポートラック、Advent アドベント、Cycle Products サイクルプロダクツ、Copper Canyon コパーキャニオン、バイクエクストラズが主要ブランドとなりました。
1997年4月 ブランズウィックコーポレーション

Brunswick_logosmall

ところが、この年1995年はヘルメット販売の大不振でBell Sportsは苦境になります。結果、1997年4月1日にはベルスポーツ社は95年に買収したサービスサイクル/マングース事業の売却および統合計画を発表し4月29日には1845年創業イリノイのBrunswick Corp.(http://www.brunswick.com/)への売買を完了しました。ブランズウィックはアメリカのレジャー&スポーツ大手です。日本では三井物産と組んでボウリングで進出してきましたが、いろいろやっています。いまサイトを見ると大型ヨットクルーザーを大きく取り上げているようです。当時の取引は具体的にはブランズウィックコーポレーションが買主、ARC アメリカンレクリエーションカンパニー社が売主でベルスポーツはその親会社という立場ですが、資産売買契約としてARCが保持しているサービスサイクル/ マングース事業がブランズウィックに渡ったのでした。これは年間売上約6000万ドルの事業で、マングースブランド名での自転車販売、アドベントブランド名での自転車関連商品販売。サービスサイクルはまたその他の数々の自転車部品、自転車関連商品の卸売りもおこなっていました。 Brunswick bought Mongoose from Bell Sports for $24 million, March 1997 2400万ドルallbusiness Bell Sports Corp. announces completion of the ServiceCycle/Mongoose sale.allbusiness (ここでは22 million) 事業のほかにそれまでの売掛金2000万ドルも手にいれられる契約とありますが、実際はどうだったのでしょうか。

Mongooseマングース印、Roadmasterロードマスター印は量販店用(mass merchandisers)。”Mongoose Pro”製品ラインは競技品質のBMXバイク、マウンテンバイクとして、スポーツ用品チェーン店、独立系自転車専門店(IBD:independent bike dealers)

1998年 12月、Skip Hessスキップ・ヘス(ジュニア)がSchwinnシュウインのシニアバイスプレジデント(上級副社長=日本の常務クラス)を辞任
1999年4月5日:ブランズウィックがwww.mongoose.comでマングースをネット販売開始。2,400-4,000ドル価格帯highbeam

(2002年4月18日:マングースおよびロードマスターのマウンテンバイク用フォークのリコールcpsc 台湾のフォークメーカー”Us International Co. Ltd.,”の"Ballistic 105" )
Giant USA

1999年3月4日 Skip Hessスキップ・ヘス(ジュニア) 米国ジャイアント5代目社長(董事長)として事業拡大 allbusiness, Canadian Cyclist(スキップヘス米国ジャイアント社長就任、GTのスポーツアパレル小売との共同ブランド、フランスデカトロンUSA店オープンへ、 ダービーサイクルのダイヤモンドバック買収が同時期)

マングース ブランズウイック  2000年6月28日 BikeBiz /1999年2月10日 mtbr / 2001年3月20日 epinions ブランズウィック社は新会長兼CEOジョージ・バックレーの意思決定で、自転車、キャンプ用品、フィッシング用品の事業売却を発表。事業売却額は1999年時点で総計4億7800万ドル、昨年度売上43億ドルの11%。

MGXは以前も今もデパート店用自転車 (マングースはパシフィックサイクル以前に量販用自転車でした)
2001年2月 Pacific Cycle パシフィックサイクル
パシフィックサイクルが単なる量販から、ブランド量販に向かうきっかけ=>現在のドレルのキャノンデール、シュウイン、GT、マングース販売につながるその始まり
2001年2月に、ブランズウィックは自転車部門Brunswick Bicyclesを当時はまだWind Point投資会社傘下だったパシフィックサイクル(Pacific Cycle Inc.)に売却(1月2日買収発表)。ブランズウィックがマングースをパシフィックに売却したというよりも、ブランズウィックの子会社のブランズウィック自転車会社全体がそのままパシフィックサイクルにきたということです。
Advent アドベント - Bell Sports
Pacific bought Mongoose for $60 million, January 6000万ドルallbusiness 4年間で2.5倍に!

Mongooseマングースを手に入れたことで、パシフィックサイクルは、従来の量販店販売に加え、ブランド販売を手がけるきっかけになりました。パシフィックはこの後シュウイン、GTなどを買収し、単純な安価な製品販売からブランドを前面に出して、ブランドだけれどもお手ごろ価格という販売に方向を変えました。このパシフィックサイクルの商法は(米国風なら”戦略”といいますか)、ドレルがパシフィックを買収して、キャノンデールとこの商法をあわせたことで、ブランド力と安価でも信頼性のある量販という両刀つかいで現在に至っています。
(2001年11月にパシフィックサイクルはSchwinn/GTを買収)
2004年 ドレル傘下レジャー/レクリエーション事業部門パシフィックサイクル事業会社(買収時記者発表)
2005年

12月
Skiphessingiantkingliuvideo

ジャイアント創業者兼会長のリュウさんが取り上げられた台湾のテレビ番組『台湾人物誌 - 劉金標』にジャイアントUSA社長さんとして登場しています。名前紹介は中国語です。アルファベットの国の人からみれば日本語で『スキップ・ヘス』と書いているのも、変な文字で書いているわけで、どちらもおなじように変なことでしょう。・・・・

スキップ・ヘスさんはジャイアントがアメリカでブランドとして確固たる地位を築くことができた、その立役者です。5人目の社長さんで1999年から2007年まで長期に社長職を務めました。それまでは短期で交代していました。ジャイアントは「アメリカへの自ブランド参入が結果シュウインの1992年倒産につながったこと」で有名ですが、実際には、ヘスさんがブランドとして確立するまでに苦労があったのです。アメリカでの代表的な(自転車専門店で販売されている/スーパー・デパート販売でない)自転車会社といえば、いまでは、ジャイアント、トレック、スペシャライズドの3社とこの順でいわれています。アメリカ人にとってジャイアントとは、アメリカの会社です。アメリカ人のためにアメリカ人(ヘスさんたち)が作っている。生産はアジアでやっているだけ。そういう意識です。全世界のジャイアント自転車の責任がヘスさんがにありました。これは日本人が思う日本の外食産業といえば・・・でマクドナルドが出てくるのと似たような意識です。日本の電機メーカーの中国産テレビ、パソコンの中国やマレーシア製。そういう意識です。)  そうして、スキップ・ヘスさんはアメリカの自転車メーカー団体(*)の重要な役職も果たしています。反対に、マングースブランドの自転車は、ウォルマート販売、つまり、スーパー/デパート販売の代表格です。スーパー/デパート販売とは、買う人も売る側も自転車にあまり意識をしていない人、自転車というものに対して執着やこだわりというものがない人のための商品、価格で選択という位置づけの商品です。

アメリカの製造会社の団体はThe Bicycle Manufacturers Association of America, Inc. (BMA) でしたが、いまあるのでしょうか?知っている限りでは3社しか加盟していませんでした。1995年の情報でHuffy Bicycle Company、Murray Ohio Manufacturing Company、Roadmaster Corporationです。ハフィーはいまは中国資本傘下となっています。マーレーとロードマスターはドレル傘下のパシフィックサイクルのブランドとなっています。(マーレーには芝刈り機事業があってこちらはブリッグス & ストラットンだそうです。サイクルヨーロッパに買われたモナルク(モナーク)スティーガも同じように芝刈り機事業が分離しました。子供載せ自転車リヤカーのバーリーデザインも、折りたたみ機能を開発するか、それとも新規事業拡大で芝刈り機事業に進出するかで議論となり、後者が多勢となったことがあります。結果はリーダーの意向でそれはなくなったようですけれど。)

* BPSA サプライヤーの団体です。実質サプライヤーの団体が、日本的には『メーカー』ということになります。日本なら『メーカー』と紹介されるはずだからです。でもアメリカでは、はっきり区別をして、サプライヤーといいます。このあたりが違います。販売側自らがそう区別しています。販売側からのブランド神話がおきにくいと思います。これと購入者側の無頓着はまた別ですね。(BPSAの開催するバイシクルリーダーシップカンファレンスBLCの2010年募集の勧誘にも業界の著名人のひとりとしてスキップさんの言葉が載っています。)

2007年

10月17日:Skip Hessスキップ・ヘス(ジュニア)49歳、Giant USA社長を辞任。死ぬ前に遣り残したTODOリストの消化とか。bicycleretailer

2008年 Cannondale Sports Group のブランド Mongooseマングース ( Dorel > Dorel Lesure/Recreation Group > Cannondale Sports Group )

■(ドレルがキャノンデールスポーツグループ社(CSG)を設立してその傘下にキャノンデールバイシクルを買収(つまりキャノンデールの親会社がCSG。CSGがマングースを販売する)。それまでのパシフィックサイクルは量販に特化。CSGをIBDに特化。GTをIBDにすると発表。その後シュウインSchwinnの自転車もCSG扱いとなっている。単に高級志向ということではないようです。ブランド名があるものはIBDという感じでパシフィックがブランド物を量販店で販売するという路線とは変えてきたようです。)

■8月26日、ブラッド・ヒューズさん(*)が、いつのまにか、キャノンデールスポーツグループ(CSG)の台湾オフィス代表となっていて、GTとマングースの2009年モデルの発表会を開きました。(cycling-update.info

* 80年代にはシュウイン社製品開発、その後ウエスターンステーツインポーツ社でダイヤモンドバック製品開発、どこでかわかりませんがマングースも製品開発していました。その後も数々の台湾製をアメリカに紹介し、2002年から2007年まではラレーアメリカの製品開発役員。ラレーアメリカの製品開発の中心人物です。2001年から会社を立て直しはじめた旧ダービーサイクル、現在のラレーサイクルのそのアメリカ部分ラレーUSA(旧ダービーUSA)の製品の立役者です。ラレーアメリカの製品はヒューズさんが作り上げてきたのでした。ところが、2006年からはこのポストを譲り、ラレーの台湾オフィスに常駐しました。RAD (Raleigh Asian Development:ラレーアジア開発)という立場です。ラレーにはダービー時代からつづくDTC(旧ダービー貿易社 Derby Trading)という商社を台湾に持っています(ほかにもうひとつDTC中国 ラレー中国があります。)。いわゆるラレー台湾です。でも、それとは別に、ラレーアメリカの社内ポストとしてわざわざ台湾につくったRADでした。「ラレーUSAはわざわざヒューズさんのために新しくポストをつくってまで台湾にいきたがったヒューズさんを引きとめようとした」のじゃないかなあと、現在のこの状態を知ると、思えます。ラレー退社後も台湾にいたとおもったら、その台湾常駐がCSG担当の台湾常駐となったと、こういうことです。ドレルのレジャー・レクリエーション部門として重要な立場です。そしてマングースのページなので、再びマングースを担当ということですと書いておかないといけませんね。
Mongoose 09年登山車新車款當中,單避震車有Meteore、Amasa、Tyax、Rockadile 四系列,全避震車有Teocali、Otero兩系列,並以Comp、Super、Elite區分等級。

マングース09年マウンテンバイク新型、單避震車=ショック片側だけ(ハードテイル)のタイプMeteore、Amasa、Tyax、Rockadile。 全避震車=フルサスがTeocali、Otero。それぞれComp、Super、Eliteのグレードがある。

新豪億科技有限公司が台湾での販売元のようです。社長の話で、台湾で生産しているとあるのですが生産元の社名はでていないようです。

ドレル傘下でのマングース印はキャノンデールスポーツグループCSGという(量販店ではなく)IBD(自転車専門店)担当の事業部によって自転車専門店側に提供されるような事業展開になるのでしょうか。

それとも、キャノンデールスポーツグループCSGは、IBDの卸として機能し、パシフィックは量販店の卸として機能し、それぞれの事業会社が、それぞれの販売網向けに、それぞれのマングースブランドを取り扱うのでしょうか。

後者のような気がしますが・・・

確認しました。ドレルは、その販売経路で会社があり、IBD(独立系自転車専門店)担当が、CSG(キャノンデールスポーツグループ)、量販店担当がパシフィックサイクルで、それぞれの会社が担当するところに卸す自転車の名称として、各保有ブランド名が使われるということです。マングースも、IBD向けと量販店向けがあるということです。それぞれモデルは異なる可能性があるということです。または、同じシリーズでも高価格帯はIBD、低価格モデルは量販店という可能性もあるわけです。同じモデルでブランド名を変えて販売するケースは自転車リヤカーで、同じものに、シュウインロゴのものは自転車店向けで5年保証、インステップロゴは子供用品店(つまり量販店)向けで1年保証とかという違いをつけて価格がちがうというものもありました。マングースというブランドだけで見ていると見えない部分があるかもしれません。売るほうはマングースだけでマーケティングし宣伝し、消費者の視点を狭めて売ろうとしますが、買うほうは、ドレルという広い目で見ることが大切です。

■加ドレルの08年1~6月自転車関連売上高は58%増 サイクルプレス 第3027号 2008年(平成20年)8月25日(月) だそうです。なお、ここには『永祺車業(Ming Cycle)近況Report  GT、マングース、シュイン向け中・高級車のOEMサプライヤーとして再構築した永祺』ともあります。 Schwinn/InStepのドレル情報

2008年 5月 スキップ・ヘス(ジュニア)業界に戻る Skip Hess Back in Bike Industry - Electrabikeエレクトラの取締役に bike-eu / bicycleretailer エレクトラはクルーザー型自転車を復権したアメリカの会社です。クルーザーといえばシュウインが思い出されます。そしてエレクトラの自転車生産は台湾のジャイアントだそうです。ジャイアントといえば、シュウインが自転車製造を委託した会社です。ジャイアントはシュウインの自転車技術を低価格で販売することで自社ブランド確立をなしえた会社でした。つまり、シュウインのクルーザーの伝統がジャイアント社内で脈々と受け継がれていて、台湾で進化して成長している自転車技術を融合させながら、台湾が現代のクルーザーを作り出しているのですね。それがエレクトラというアメリカという顔で、世界中に販売されているということです。そして、ニッチブランドとしてエレクトラというブランドが確立されると、そのニッチ性の幅を少しずつ広げるようにして、オランダ形の街乗り自転車アムステルダムなども販売されるようになりました。オランダ形ですが、いまオランダの自転車会社も台湾中国製ですが、エレクトラのオランダ形も台湾製です。ジャイアントUSAの社長がエレクトラの取締役になることは当然なのでした。ラレー社が自社工場売却したのはマーケティング族だからやったのではなくて時代の必然だったのでしょう。そしてマングースの創業者ファミリーであっても現代の自転車産業の動きの中ではこういう動きになるということなのですね。
2009年

■ドレルが4月、不況下でも2008年最高益を発表。2009年4月からキャノンデールスポーツグループ(CSG)はサイクリング・スポーツ・グループ(CSG)と名称変更。正確にはCycling Sports Group North AmericaがCSG本体。CSG社長は旧キャノンデールヨーロッパ社長でキャノンデールジャパン社長経験者。CSG本社はキャノンデール本社のベセルに移転し、実態はキャノンデール本社がCSG本社に置き換わる。パシフィックサイクル(ウィスコンシン州マジソン)にあったシュウイン、GT、マングース関連部門も同CSGに移転(パシフィクサイクルはCSGとあわせて新たにパシフィックサイクルグループ:PCGと呼称)。キャノンデールの自社フレーム生産は終了し、アジアへの外注生産に完全移転も決定。キャノンデール流がシュウイン、GT、マングースに注入されるというよりもシュウイン、GT、マングースのドレル&パシフィックサイクルの流儀がキャノンデールに注入される気がします。

■10月30日:サイクリングスポーツグループ(CSG)でCSGのブランドはキャノンデール事業、GT事業、Schwinn/Mongoose事業としてゼネラルマネージャー(事業部長)が統括することに。Schwinn/Mongoose事業部はヒラリー・ベンジャミンさんが就任。エキノックスフィットネス社のマーケティングトップからの移籍。ヒラリーさんが仕掛けた2007年/2008年のエキノックスのセンセーショナルな宣伝は話題となった。

10月スキップヘス・ジュニア(Skip Hess Jr.)エレクトラバイク共同最高責任者(co-CEO)就任。エレクトラ創業者兼CEOのBenno Baenzigerは引き続き継続。2人の役割分担は、Bennoがproduct development製品開発とbrand managementマーケティング。一方のSkipが企業経営全般で、具体的にはsupply chainサプライチェーン, inventory control在庫管理, sales and distribution販売流通, finance財務 warehousing 倉庫業務など。
2010年

■自転車業界にほとんど顔を見せない人だったドレルCEO、マーチン・シュワルツさんが、台北自転車展で講演

シュワルツはキャノンデールがドレルのレクリエーション&レジャー事業分野での将来の成長のカギになると見ている。「買収時点でのキャノンデールは非常に過小評価されていました。会社よりも名前のほうが大きいので、いまやっているのは会社としての機能を名前にあわせて作りあげているところです。キャノンデールのトップモデル群は以降数年間にわたって業界平均以上の成績がだせると見ています。」

■2010年6月2日 Cycling Sports Group (CSG) Asia Pacificを大阪に設立。キャノンデールジャパンと同じ場所?社長はドレルレクリエーショナルレジャー社長のボブベアードさん兼任?で、実質のトップはバイスプレジデント(常務役員相当)でキャノンデールジャパン社長兼任のマリオ・スタインさん。日本に10年以上で奥様も日本人のドイツご出身の方でジレット/ブラウンジャパン⇒買収されてP&Gのジレット/ブラウン事業とずっとマーケティングの人。

2011年 5月9日 エレクトラ創業者兼共同CEOのBenno Baenzigerが5月いっぱいで退任し、スキップヘス・ジュニアが単独のCEOとなることが発表

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