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ベビージョガー 離婚、他社訴訟、自社改革

その1 離婚

事業は生き延び、婚姻はそうならず

ベビージョガー創業者の話 By AVIVA L. BRANDT
ワシントン州ヤキマ

メアリーとフィルのバチェラー夫妻は困難な選択に直面。自らが起業した会社、レーシングストローラー社か、15年にわたった結婚か。

ビジネスパートナーとなるか、マリッジパートナーとなるか。一緒に生活しながら、一緒に働き、ともに向上する、ということにはならなかった。

ビジネスが勝った

「私の野心が私の結婚が破綻した第一の理由です」とメアリーが記している。2人には3人の子供がいるが、1月に正式に離婚した。それ以前に別居し調停をおこなっていた。「結婚はわるくはなかったけれど、長引いた風邪みたいでつらかった」という。

彼女が書いたコラムの概略: 「フィルと私は基本的に違っていました。一緒に働くことになってそれがわかりました。彼にとってはシンプルなことで、ビジネスとはお金を得るための手段ということでした。以前彼は、宗教じゃないんだといっていました。わたしは魔法にかけられています。いいときがとてもよかったので悪いときが過ぎ去るのを待っています。」 

2人は分かれた後も友人でありビジネスパートナーのままだ。以前はジャーナリストだったフィルは、最初の3輪のベビージョガーをガレージで発明。これで息子を乗せて走っていた。ガラスや砂利や砂など障害物があっても大きな車輪でスムーズに押せた。ベビージョガーはすぐに人気がでて、バチェラー家は1984年に会社を設立。レーシングストローラーは年500万ドルを売上、35人から50人ほどを時期に応じて雇用した。ストローラーは250ドルの値段からのもので、これまで15万台ほどを販売した。

メアリーは38歳、「私は最初はただ手伝いで電話をとるだけだったんです」しかし、役割は増えて1986年にメアリーが社長となり、フィルは副社長となった。メアリーは会社がこんなに大きくなるとは考えなかったという。「幸運だったんです。でもこのストローラーは本当にいいものでした。初期のものはかつてのT型フォードのような存在でしょう。でもまだそのほとんどが走っていますけど」 そして2人は別々に成長した。メアリーはもっと仕事にいそしんだ。労働日には電話対応から受注対応まで朝早くから夜中まで働いた。メアリーは常に電話をとろうと思っていたという。顧客対応がよければ受注につながると考えていた。夫は留守番電話でいいんじゃないかと考えていた。ともに事業をしていこうという大きな夢をもっていたが、ビジネスのパートナーでありつづけることと、結婚生活のパートナーでありつづけることは異なったものだった。「結婚生活では問題とならないことがビジネスでは大きな問題となるんです。たとえばお客さんの取り扱いです。」

心理学者のジョイス兄弟によれば、これは明白にフィルとメアリーは会社を始める前から異なる人種だったということだ。「同じ仕事をしていて互いに結婚しようと思ったのならすでにわかってのことだが、彼らには一緒になってから変化があった。結婚するまえとした後は違う人物なのです。」

メアリーは自身が会社人間だと自覚した。「私は仕事あっての私たちだと考えています。私たちの存在の延長に会社があるんです。」

フィルは45歳、彼も仕事を真剣に考えている。しかし、フィルは仕事よりも自分の生活を優先する。ビジネスが大きくなることに違和感を感じている。「互いの時間が持てないこと、社会と接する時間をもてないこと、これは大きな問題だと思っていた。ある点では、メアリーは結婚よりもビジネスに重点を置くことを明確に決心したわけだ。その時点で私は不満と幻滅でいっぱいになっていた・・・・私は後悔はしていない。私たちはいい年月を過ごせた。すばらしい家族として成長できたしすばらしいビジネスを作り出してきた。」


その2 他社の訴訟

ベビージョガーは数々の訴訟を起こした。その一端。

http://www.altlaw.org/v1/cases/409664
トリインダストリーTri Industry(Huffy関連)を訴えたベビージョガー 1989年(二ホン情報「特許・意匠・商標の法律相談」 http://www.tomono.org/tokkyoishou.html意匠特許と実用特許とは互いを基礎に優先権の主張をすることが許容されます(実用→意匠についてはRacing Strollers, Inc. v. TRI Indus., 878F.2d at 1418, 11 USPQ 2d at 1300、)

Wednesday, January 15, 1997
クールストップ KOOL-STOP INTERNATIONAL INC.を訴えたRACING STROLLERS INC.

http://www.rfcexpress.com/lawsuit.asp?id=19038
Monday, June 11, 2001
Bell Sportsを訴えたRACING STROLLERS INC. DBA BABY JOGGER CO.


その3 自社改革

http://www.inc.com/magazine/19950501/2256.html
最初の一歩

1995年5月:CEOメアリー・バチェラーが自社のプロセスリエンジニアリングについて記しました

リエンジニアリングというものは官僚的な大企業だけのものと思っていませんか?あなたの会社でもするべき時期かもしれませんよ。


レーシングストローラー社は今年で11才になる会社ですが、また別の宇宙旅行に出かけます。私たちはリエンジニアリング、工程分析に四苦八苦しました。いまは小さな宇宙船のクルーのようです。すでに打ち上げられ、もどるにはすでに遠い場所にきていて、着陸がうまくいくことを願っています。


この旅は去年トムピーターズのセミナーでスパイクにあったことから始まりました。スパイクは有名な米国企業での自分の仕事のこと、彼と彼のチームが工場を『静かな嵐』のようにめぐったことを私に話してくれました。私たちが知りたいと思っていたことがこの静かな嵐だったのです。


私の会社はスパイクを呼んで教えてもらいました。初日の朝、朝食時、ジョギング用の3輪ストローラー、ベビージョガーを作ったこと、市場のリーダーだったこと、でもその地位を失ったこと、私のライバルは海外で作っていること、彼らのストローラーはわたしの価格の半額であること、彼らはマーケターとして優れていること、私たちは私たちのマージンや利益を向上させたこと、でもわたしのすばらしいストローラーをコンペの価格近くまですることは不可能なことなどを話しました。


するとスパイクは私に水をあひせたのです。「社長があきらめていたらコンペと同価格とすることなど絶対できませんよ。」 スパイクの助言でリエンジニアリングを決めました。スパイクは会社内を歩き回りみんなと会話してくれ(私たちも以前しました)、仕事の流れを図示することからはじめました(これも私たちが以前したこと)。でもスパイクのように詳細に書き出したことはかつてありませんでした。


初日が終わり、見せたいものがあるとスパイク。生産部門に連れて行かれた私たちは、ストローラーをいれる大きな箱を作業員がステープルで閉じている光景を見せられました。そして20フィート離れた場所では別の作業員がそのステープルをはずしてふたを開け、シートを入れていました。スパイクはとても簡単な質問をしました。「なぜステープルを一度つけて、そしてもう一度あけさせるのですか?」 その後の箱は開けたまま積まれて、次の工程で買い物用シートを入れる工程を待っていました。

これはよくないことだったのですが、さらによくないことがオフィスにもありました。ファックスを受信します。こんなこととても簡単ですね?でもわたしたちのところではそうじゃなかったのです!わたしたちのところではファックスマシンから出たファックスを実際に見てコンピューターで受注入力するまでに15ステップもの工程があったのでした。(すきなだけ笑ってください。でもきっとあなたのところでも似たようなことがありますよ。)ファックスがきた。ファックス用ファイルに入れる。(これは法的理由からこうしなさいと以前だれかからアドバイスされたもの。) ファックスのコピーを私のためにとる。(すべてのファックスに目を通しなさいとだれかからアドバイスをうけていたため) そのため15手順ありました。いろいろやった後についに4手順まで減らせました。


これは一つの例で会社中をくまなく見直しておこなった事の典型例です。ファックスのこのステップすべてを見たら、誰もが元のやり方には意味があるというでしょう。けれども、このプロセスは部族の迷信のようなもので、それぞれのステップにあったもともとの理由はかなり以前になくなっていたのです。さらに悪いのは、だれもこのたくさんあるステップが最初になぜはじまったかについてまったくおぼえていなかったということです。わたしもどうしてやっているのかわからなかったし、私以外のだれもが、私がやりなさいというからやっているんだと思っていたといいます!


心が痛んだのはこういったばかげたことすべてを、私たちは、「品質」という名の下にやっていたということでした。私たちは品質にとらわれていたのです。でもこの私たちの品質努力は会社立ち上げ時には機能していたのです。週に一度の品質会議をおこない、いい提案には賞を与えまた休暇を与えていました。品質に関しては気が狂ったように文書や図として記録していました。わたしたちの現実といえば、品質といえば『文書、文書にしておきなさい。図に起こしなさい!問題には番号を振りなさい。番号を振ってコストをかければ改良できます。』 ある意味、これは正しいことです。しかし、この幻想に気がつき私たちは心を痛めました。わたしたちの生産工程にはまだまだ欠落があったのです。


以下はその例;問題を提起する人がいるとします。たとえばストローラー何台かのパイプ(チューブ)に傷があったとします。検査担当者はこれを記録します。ライン担当者もこれを見るように求められます。販売担当のジェニファーは問題が起こったといわれ、販売担当者としてはこの傷ありストローラーをファクトリー中古品として急いで販売するよう求められます。この問題は、だれかが図として起こし、対応リストにも載せられ、顧客がこの問題で困ることがないと判断されるまで品質会議で問題にされつづけることでしょう。しかし、私たちが問題の真実に到達することはけっしてないのです。ハンドルアセンブリーのようなサブコンポーネントはバッチ生産しているので、このケースでは、ラックに取り付ける際にも他のパーツとこすり合わせてしまう可能性があるからです。(ちゃま:ここの話の流れはなにいってるのかよくわかりません)


私たちは完璧なストローラーを作ろうと情熱を傾けているのですが、また、かなり標準化された品質工程に沿って生産しているのですが、(この標準によって)さまざまな別工程に対し、かなりたくさんの、たとえば、5つの標準手順をそれぞれの工程に付加してしまっていたのでした。オフィス内や生産現場で。私たちは私たちの熱意のために、問題が起こったらほとんど毎回同じことを繰り返していたのです。今、社員はかなり賢くなり問題の根っこを見定めることが容易になってきています。にもかかわらず、問題が解決して、いまではすでに不要となっている余計な手順が、長い間残っているというわけでした。


あなた方も私たちと同じようなものでしょうう。「なんてことでしょう、スパイクさん、1つの工程で100手順もおこなっていたなんで知らなかった。」 実際は100手順なんてものではありませんでした。ストローラー組立工程に237手順。これは組立のみです。受注工程、請求工程、購買工程、顧客対応工程は含まず。これらには方針マニュアルも作ってなかった。言い伝えの形で新人研修時にまとめて教えていたに過ぎなかったのです。年を重ねて現在の形になっていたのですが決して無駄を省こうとはしていませんでした。わたちたちはフランスのパティシェじゃないのに!わたしたちは複雑な工程をこなすコルドンブルーだったのです。
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スパイクが教えてくれたこと、それは品質のドグマ(教え)の対極にあるものでした。さあ、ある工程に100手順かかる(たとえばストローラー組立に)。もしこの手順の80が不要だったとしたら、この工程に要する時間はどうなるだろう? 80パーセント向上する!完璧な製品とするには各手順を完璧におこなうことだけ。もし100のうち80が不要なら、間違いを起こす機会も激減するはず。ということです。


スパイクは各工程での手順を図示してくれた。大きな紙に黄色のポストイットで、ポストイット一枚に一手順として貼り付けていった。その工程をおこなっている作業者を呼んでおこなっている手順で並べてもらった。そして次いで重要な手順を見定めてもらい、省ける手順には大きな×印をつけていった。


スパイクが教えてくれた最大の点の一つ。作業員は一心不乱に速く作業している。みんな最善を尽くしている。これはすべてシステムとして組み込まれた作業の流れだ。すべてが工程だ。それが彼らを縛り付けている。よい作業員であってもシステム全体が悪ければ(その内部に組み込まれたままでは)それを打ち破ることができない。一方、作業員というものは変化を嫌うものでもある。よい作業員というものはみな一手順でも自分でコントロールできない時には心配になる。(たとえば、もし販売員がクレジット状況のチェックを許されて購入決定を判断することができたとしたら・・・) 私たちは制御することが完全にできなくなり工程の一部を見直さなければならなくなる。議論し、説明し、なだめて、たまには変化してみたらといいたくなる。


私たちはまだリエンジニアリングの道半ばで、請求プロセスの道具立ての変更、さらにベビージョガー製造の手順見直しという大物が控えています。


希望があることが救いで、いまは鷹の目で従業員一人一人に無駄がないかを見るようになりました。ここ数年の数字ではまだ考えを変えようとは思えません。同じ作業員でいいのか、就労を増加させられるか、雇用者の仕事を半減するのかなど思案中。工程評価をとことんやりきれば、私たちのエネルギーと私たちの作業員を最適なやり方で解放できるはずです。利益がそれを可能にしてくれます!会社が必要とするこれ以上のものはありません。

メアリー・バチェラーはレーシングストローラー社の社長。ワシントン州ヤキマ。売上700万ドルのメーカー

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