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キャノンデールの半生 創業以前から1997年まで

http://www.answers.com/topic/cannondale-corporation

http://www.fundinguniverse.com/company-histories/Cannondale-Corporation-Company-History.html


つまり以下は1997年時点での内容ということです。

キャノンデールコーポレーションは高品質、高性能アルミ自転車の開発製造で世界のリーダー。また自転車部品(パーツ)、自転車関連商品(アクセサリー)も製造販売。ウェア(クロージング)、バッグ、自転車リヤカー(バイクトレーラー)などがあり、これらはそれぞれ業界で新たな製品カテゴリーを切り開いてきた。多くのライバルメーカー(コンペティター)よりも先んじて、キャノンデールは1984年にマウンテンバイクを発表。先進的な自転車のデザインと技術をリードしてきた。これは短期間での販売増につながり、平均で年20パーセントの伸びを記録、1991年会計年度は5440万ドル、1996年会計年度は1億4600万ドル。全株子会社はキャノンデールヨーロッパBV、キャノンデールジャパンKK。1996年7月にはキャノンデールオーストラリア Pty Limited, 組立て済み自転車および自転車関連商品を輸入、また他社製造のコンポーネントも輸入する会社。キャノンデール製品は60カ国以上で販売。

会社の方向性

"Speed is Our Friend"「スピードが友達」これがキャノンデールのモットー。この4ワードは世界的なトッププロサイクリングチームへのキャノンデールのサポートをあらわしてもいるが、より根源的には、目にも止まらぬすばやい開発プロセスをおこなうという公約ともいえる。考えられないスピードで、スポンサーとなっているライダーと開発スタッフのひらめきを技術的に優れた商品に結実させること。その底辺には、"Speed is Our Friend"世界一早い自転車を生み出す決意を表している。世界一の自転車会社でありたいという情熱。1)お客様、販売業者お互いを尊重します。2)先進的な商品を途切れることなく開発しつづけ提供しつづけていきます。3)常に改良しつづけます。4)細かいことにもこだわります。5)最良の販売店だけで販売します。6)社員が無駄なく適正に働くように会社を運営します。

水にはまった1960年代

死にそうになった経験がキャノンデールの創業者、ジョー・モンゴメリーの生き様を変えた。大学を中退して、カリブで船員となり、その後すぐ、雨と強風と15フィートの高波にあった。船は沈み、モンゴメリーは海中に放り出され、さめが徘徊している海の中で一夜をすごさなければならなかった。これは目覚ましのベルだった。水につかったあと、チャーター航海で知り合った友人からウォールストリートのアナリストのポジションを紹介された。

モンゴメリーはウォールストリートでは文句ばかりいっている男だった。役職はなかったがいい勉強になったという。このとき小さな事業がどのように資金繰りをし、事業運営し、問題を避けるのか、学んだ。この知識に加え、彼の生まれ故郷オハイオの農場で子供の頃得た経験を合わせ、機械好きかつ現実的な性格を生かし、飛行機や船のマストにはアルミを使うほうが木材よりもいいと思うことに至った。元気のいいアウトドア好きな男のモンゴメリーはアルミ製自転車は当時一般に使われていた鉄製の自転車よりも軽く、それに乗ればよりスピードが出せ、特に上り坂では有効だと考えた。

最初はキャンプ用品の事業を起こそうと思っていたが、3つの理由で自転車にしたという。1つは、技術的に遅れていた業界だったこと。先進的なものであれば切り開けると思った。2つめは流通が古いやりかたのままだったこと。当時はほとんどすべてのメーカーが卸業者を使っていた。自転車はメーカーから卸業者へ、そして、販売店へ、そして顧客へと渡っていた。モンゴメリーはこれをメーカーから販売店そして顧客へとすべきと考えた。これについて「しかもキャノンデールは業界初の直販会社だと思う」とモンゴメリーは言う。3つめは、これら2つの理由を足し合わせれば、コンピューター業界でなされたような平均以上の成長ができると考えたこと。技術変革に流通変革を加えれば成長につながると考えた。

上り坂:1970年代、1980年代初頭

会社名はコネチカットの駅キャノンデールから名づけたが、まだ自転車を作るまでには至らなかった。モンゴメリーは資金がそれほどいらない自転車関連商品の製作からはじめた。対企業向けとしてバッグやウェアを作りLLビーンのカタログなどでも販売した。これでさらなる資本強化ができた。パートタイムで働いていた従業員6人とともに子供を載せる自転車リヤカーを開発し発表した。名前はバガー。これでキャノンデールは初めて100万ドルを売り上げた。小さな子をもつ自転車好きの両親に人気となった。まだ一人では自転車に乗れない子供を連れて自転車を楽しめるからだった。

モンゴメリーは販売店との関係強化に乗り出した。スタッフが販売店に出向いて講習や販売サポートをし、より、顧客との関係も強め、ニーズ&ウォンツを聞き出そうとした。卸業者を飛ばしたことで25パーセントほどのコストを削減できたがこれは顧客に還元した。キャノンデールはさらに世界中で最良の販売店のみでの販売とした。これで注文が入る最初の部分から精緻な販売管理をおこなった。

1983年になって初の自転車を発表することができた。先進的な大型のアルミチューブのモデルで、他のアルミ製自転車に比べ手ごろな価格だった。これがすぐに販売に貢献し売上に700万ドルを上乗せする貢献をはたした。1984年には初のマウンテンバイクを発表。幅広のタイヤ、直線的なハンドル、オフロード志向のデザインが目を引いた。他社が追従してアルミ製モデルを商品化した。キャノンデールは走り続け、マウンテン、レーシング(細いタイヤとカーブしたハンドルの軽量自転車)、ハイブリッド(直線ハンドルでより直立姿勢に近いポジションのもの。タイヤは細め)、ツーリング(ロードレース用に似ているがフレームは荷物が載せられる)、スペシャルティ(タンデム、マルチスポーツなど)を展開。1997年報告書では自転車をより軽量に、より頑丈に、より速く、より快適にが開発方針だと記している。

品質管理強化の1990年代

キャノンデールは次のように広告した。『ほとんどの自転車会社が極東メーカーで作ったモデルを販売しているが、これは同一モデルのコピーを販売しているものだ。キャノンデールはオリジナルで、特許を保有する(米国特許を48取得)、手作り、アメリカ国内の工場で。新しいフレームは他社の「火であぶった弱いメタル」とは異なり、ハイグレード(高品質)のアルミ製で、航空機で使われているもの。コネチカット州ジョージタウンの本社の開発部でCADを使って設計し、このデータをペンシルバニア州のベッドフォードやフィリップスバーグの工場にモデム経由で転送し、コンピュータ制御のハイテクレーザーで仕様どおりにアルミが切断され曲げられる。これでキャノンデールは開発と製造のリードタイムを最小限に短縮できる。125000平方フィートのベッドフォード工場には23エーカーの土地があり、ここは自転車とウェアの主要生産拠点となっている。ここはまたカスタマーサービスの拠点でもある。4万フィートのピッツバーグ工場は12エーカーで、関連商品(アクセサリー)やウェアの一部、自転車のサブアセンブリーを製造している。』

マウンテンバイクの人気が海外でも成長していることから、キャノンデールはアメリカの自転車会社として初めて海外に展開し、先進的なアルミフレームで高い評価を得ている。モンゴメリーによると、ヨーロッパの自転車環境は人口増加と自動車維持コスト増によるもの。ヨーロッパではアメリカはマウンテンバイクの聖地だと考える人が多く、アメリカのプレスがなんていうかを見つめている。そしてアメリカのプレスがキャノンデールだと声高々にいっている。1980年代半ばにはヨーロッパと日本に子会社を設立。後にオランダとオーストラリアも。中国と南米への進出も考慮中。

ギアアップして加速する1990年代

キャノンデールは1991年にエレベーションサスペンションテクノロジーを発表。これをマウンテンバイクのリアサスペンションとして使い、粗い地面でもタイヤが接地するようにした。アルミをコアとしカーボンファイバーで表面を覆ったフレーム、アルミ仕上げだが通気性のあるジャケット、ベルトバッグなどの先進的な商品を出した。缶をリサイクルし、気体状にして使用した。アルミ仕上げで体温維持が53パーセント向上した。


1997年に世界中で販売される予定のものに、高性能スポーツ用車いすの一連のシリーズがある。これは障害者アスリート向けのもので、最初のモデルは、4輪フルサスペンションオフロード用。これは開発に7年かけたもので、独特の推進システムを備えクロスカントリーやダウンヒル用。図面段階のものだが他にロードレース用、テニス/バスケット用、軽量汎用がある。モンゴメリーの参入動機とは、個人的なもので、息子のマイケルが車いす使用者なのだ。モンゴメリーは軽量車いす市場が年400万ドル市場となることを願っているという。『当初の目標は世界の車いす市場で1割をとること。障害のあるアスリートがより生きがいをもてるようなすばらしい機会と感じてもらえると思う。』 キャノンデールがアスリートにインタビューしたところ、スポーツ用車いすは医療関係からではなくスポーツ店での購入が多いという結果となっている。

1994年から株式公開を行った。1996年に増資。これにより売上と利益が最高となり、前年比約20パーセント増。急速な成長のためキャノンデールは10マイルほどのBethelにより大規模な工場を建設。ジョージタウン1830年代の3エーカーの敷地にある納屋を改築したものだった。従業員は身の回りのものに古いものを選んだり、ハイキングやバイキング(自転車のり)の愛好家を好むような、モンゴメリーのカジュアルな管理スタイルに感心していた。モンゴメリーは会社のウェイトルームでワークアウトしたり常に自転車に乗ることを勧めていた。これはストレスを発散し仕事にまい進できるようにするだけではなく、みんながキャノンデールの最新の開発に文字通り乗ることを許していたのだった。12人の開発者は自転車を軽量に、頑丈に、高速に、より快適にしていた。

スコットモンゴメリの父親ジョー・モンゴメリはキャノンデールを創業し、1980年代から90年代初頭にかけての栄光の時代にはスコットを副指揮官の任に命じていた。スコットはそこで、かつてないお金に恵まれたMTBチーム、ボルボ-キャノンデール(Volvo-Cannondale)設立にかかわり、かつてない金持ちのMTBレーサー、Tinker JuarezやMissy Gioveへの支払いにサインしていた。スコットUSAの自転車事業のトップ、キャノンデール創業者の息子さん、キャノンデールマーケティング担当副社長だったスコットモンゴメリさんへのインタビュー BikeBiz2009年9月 カールトンレイドさん
1994年1月から、キャノンデールはボルボ/キャノンデールはマウンテンバイクレーシングチームの共同スポンサーとなり、広く知名度を上げようとした。最初のシーズンの1994年世界マウンテンバイクチャンピオンシップで金メダル2個、銀メダル1個。1995年にはタイメックスキャノンデールロードレーシングチーム、ニューバランスキャノンデールトライアスロンチーム、キャノンデールワールドフォースBMXチーム、Saecoプロロードサイクリングチーム、これはツールドフランスやツールデュポンでの強力なチーム。アスリートたちはキャノンデールの自転車に加え、サイクリング用アパレルも宣伝してくれる。自転車の売上(特にヨーロッパで成功している)よりも上を行こうとしているのがウェア(clothing)やアクセサリーやコンポーネントだ。キャノンデールでは1997年の自転車以外の売上を15パーセントと見積もっている。

ジョー・モンゴメリーはキャノンデール創設来の会長、社長、兼CEOで、量より質で成功を勝ち取ってきた。『大量に自転車販売しようとは思っていない。つまり、中国製ほどは販売しないということ。これは私たちがしようと思うことじゃない。わたしたちは自転車界のメルセデスベンツになりたい。ボルボやポルシェでもいい。』

主要な子会社にキャノンデールヨーロッパBV、キャノンデールジャパンKK、キャノンデールオーストラリア


ちゃま:キャノンデールの自転車は自分の国アメリカ以上に、海を越えたヨーロッパで人気が出たのですね。それは宣伝効果も大きかったということですね。ということは、ヨーロッパでキャノンデールバガーがたくさんあるということにも合点がいきます。

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