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業界の基本:ラレーの歴史 沿革とちゃま解釈
1886年創業
1960-1987 Tube Investments / TI
ラレーじゃなくTIが!この時代カールトン、フィリップス等多くの英国企業を吸収合併
1987-2001 ダービー(1999ラレー-ダイヤモンドバック)
2001-2012.5 ラレーサイクル Raleigh Cycle Ltd., 自転車商社

2012 アクセルグループが買収、再編

索引:
アクセルグループ
Accelllogo
2012.4.3 アクセルグループ社がラレー社買収で独占交渉中 〔Bike EU情報〕

4月26日付のBike EUがラレー買収決定と報じています。あとは独禁法だけのようです。

➡ 5月23日、全株買収完了独禁法もクリアし前日に完了とアクセルグループが発表した

「2012年にラレーが買収されたので、イギリス製の従来の自転車が欲しい方は急いで」などという記述を見かけることがありますけれど、これはまったくのでたらめですからご注意ください。ラレーでのアジア外注は、80年代にメリダへの外注からはじまって10年以上も前から、すでにすべての自転車が外注生産です。それも自社設計というよりも他社設計製品を選んでラレー名をつけての商品化です。(自社外国生産ならもっともっと前からオランダ、マレーシアなどなどありました。80年代ラレーUSAではブリヂストンなどもありました。)1987年にダービーインターナショナルとなった段階では、マーケティング重視の会社となって、少しづつ生産部門を切り離して、他社の作った自転車を販売することが中心となりました。イギリスでは組立だけです。街の自転車屋さんと同じことをしているだけといっても言い過ぎではありません。「ラレーサイクル社の自転車はアクセルグループ社の自転車と同じ委託先、工場群で作られている」といっていいほど、グローバル経済の時代ですから、ラレーサイクル社からアクセルグループ社に代わっても、販売している自転車の品質が大きく変わるわけなどありません。逆に、「急いで」などという人たちこそ、私たちが関わってはいけない人たち、ということがわかる、そんな話なのです。

ラレー関連ページ

フランク・ボーデンさんが有名にしたラレーという名前。
世界中でラレーという名前が憧れをもたれました。
現代の宣伝では(というか、特に日本では突出して)この2行についてだけ、たくさん語られています。
ちゃまも自転車リヤカーでこの会社についてしらべて、最初そういうものと思いました。
でも、一見関係ない「フィリップス」の自転車リヤカーを調べると、こちらもラレーのものでした。不思議だったのでどうしてそういうことになるのか調べてみました。そうすると、さまざまなことがつながっていることがわかってきました。
実際は日本で言われている話とまったく違いました。
どうして、立派な会社といわれている会社の歴史が正しく語られていないのかなと思うようになりました。
英語ではいっぱい情報があふれていました。
日本では通り一遍の情報以外、つながるような情報がありませんでした。それぞれの情報は有益でしたが、その有益さがわかるには、英語の情報の幹を理解した後でした。そうなってくると、だんだん、日本の姿も見えてきました。
ラレージャパンの「ラレーの歴史」では、「TIをラレーが合併」と書かれていました。本当は、逆でした。ラレーが買収されたのでした。
ラレージャパンの「ラレーの歴史」では、ラレーの歴史は1984年までしかありませんでした。「ラレーの歴史は1984年まで。1984年以降のラレーは語るものがない」、そういっているように見えます。それでは、「いま2010年に販売しているラレーは語るものなどない」と自らが暗黙に言っていることになりませんか?
本当は、そこからが大きな変化が何度もあったのでした。
いまわたしたちが買おうと思う自転車はその話の中にはまったく関係がないのです。

でもラレージャパンだけでなく、自転車メディアが最初の2行までしか語っていないのがとても不思議です。

1960年と1987年と1998年と2001年にラレーは大きく身売りをしました。1987年と2001年以降現在までは同じ人たちの手でおこなわれているといっていいので、大きく4つの別の人たちの手で引き継がれてきた会社の「中心ブランドの〔ラレー〕という名前」があって、2001年に作られた「現在の会社ラレーサイクル」につけられたというだけの現在の会社名です。「現在の会社ラレーサイクル」が「以前の会社ダービーサイクル」から独立したわけではありません。「以前の会社ダービーサイクル」と「現在の会社ラレーサイクル」は同じ役割です。単に<「ブランドのラレー」をどこの会社が今持っているか>だけのものなのです。そしてラレーサイクル社は100年以上も前のラレー社とはまったく関係のない人たちがやっているのです。会社名にラレーがついているかどうかはブランドとは全く関係ありません。むしろ、ついている方が、混同を誘発して<たちが悪い>とも、言えるでしょう。2003年からはそれ以前から単に組立塗装工場となっていたノッティンガムの創業時の工場もなくなって、ラレーUKでさえ本当に昔のラレーとは別の会社になっています。歴史を語るのは現代のラレーのものづくりにはまったく関係がないのです。いまのラレーはものづくりをしていないのですから。消費者はまずそこを押さえておかないと、セールストーク、マーケティング神話、あるいはお茶のみ話、にうまく載せられてしまうことになります。いまのラレーはナイキと同じように他社がつくったものを販売する商社なのです。持株会社ラレーサイクル社の下に、ラレーUK、ラレーUSAなど各国別に複数の事業会社をもちます。たとえば、ラレーUKは自らをサプライヤー(供給業者)となのっています。つまり現代のラレー社はメーカーではないのです。

1960年にTI会長 アイバン・ステッデフォードさんがラレーをイギリスの一大自転車会社として統合。
Raleighラレー、Carltonカールトン(高性能スポーツ車用)、
Triumph/Sun(クリスマスシーズン以降の販売落込支援用)、Triumphは大人用、Sunはスポーツ車用)、
BSA /Phillips/Sunbeam(他と同仕様で通販で使用) や
使わなくなったArmstrong、James、Norman、Robin Hood、New Hudson、Sunbeamも。
これが全部ラレーのブランド。
1971年にはオランダのハゼレもTIが買収。ラレー社とハゼレ社が傘下に。
でも、TIの経営難で、TIの周辺事業は売却されました。ラレーを含む自転車事業も。
TIでは自転車事業は小物だったのです。売上(利益?)4番目の事業だったのでした。だからTIトップの関心が薄く、売却以前には、あまり手間をかけてもらえなかった事業となっていたということです。

このころのラレーアメリカとはラレーUKからのライセンスを受けてのハフィーの事業部の「ブランド(商標)」でした。
ロスアンゼルスオリンピックのラレーも有名です。ラレーはイギリスよりもアメリカで本格指向で扱われていました。
シュウインに代表されるアメリカの自転車はどうしても子供用だと思われていたからです。
(日本のメーカーを考えてみれば、国内ブランドに対する一般の意識というのがわかるでしょう)

ハフィーのワシントン州ケントの工場でつくった独自技術の自転車もラレーアメリカ車として販売されました。これは「ブランド名をライセンスして独自の自転車につけて販売している」ので2003年以降のアラヤのラレージャパン車と同じ関係です。ラレージャパンが「本物」でないとしたら、ラレーアメリカのそういった自転車も「本物」でないことになりますが、ちゃまはそうはいえないと思います。「本物」という評価は受け手の価値観の問題だからです。そういう人はラレーUKの自転車でさえももう「本物」といわないかもしれません。「本物」かどうかではなく、「その販売品がどのようにつくられたものなのか、神話(うそ)を言わないで販売していること」が売り手には求められるのです。

1987年のダービーインターナショナル傘下でマーケティング指向に変わって、
1992年には世界一位の会社でした。
この会社が、自転車株の動向が数年間は上向きという理由で買い取られ、
1998年では、さらにアメリカ流ブランド化を徹底しました。
他にNishiki、Centurion、Diamond Back、Avenir、CycleProなど
アメリカの会社がつかっていた名前も手に入れていました。
工場売却を決定。メーカーから商社への転換が進みました。
「ものづくり」ではなく「ブランドを踏み台にするような人たち」がたくさん通り過ぎたようです。
ブッシュ大統領と旧知の仲の人や、ギネスビールなどビール関連マーケター。のちに任天堂アメリカ社長になった人も。

「こういった経営はうまくいかず」と会社経営からは見えますが、2008年リーマンブラザーズ問題などを見ると、投資側の人たちはたくさんのお金を手にし、投資家の思惑としては当然の大成功! 当然、会社は無残な踏み台に・・・というストーリーどおりとも思えます。
「経営はうまくいかず・・・」という表現を使っている人たちは、たぶん、ラレーのブランド力低下をうれしいと思う側の人たちか、
昔のラレーブランドならより価値があることを作り上げたい側の人たちなのでは?
以上、すべて想像です、本当のところはわかりません・・・

こういった経営はうまくいかず (と表現されているようですけれど)☆⇒
消えそうになった会社資産を、
ラレーサイクル社を作って、もう一度買いなおしたのが
1987年のときの共同経営者で1998年のときはただの役員となって経営に関与できなかった
アラン・フィンデンクロフツさんでした。
売却契約済の工場がなくなるのはこの後です。
でも、このときにはすでに他から全部買ってきたものを組み立てる単なる組立工場でした。
それもなくなりました。
商品を買い付けてラレーという名前をつけて販売する商社となりました。
一時期は、「一般消費者には知名度があるけれど通にも若者にも振り返られなくなっていたラレーという名前は一般子供向けとし、
ダイヤモンドバックという名前の自転車を前面に出したこともありました。
このときの電話受付は「はい、ラレー・ダイヤモンドバックです」でした。
いまは、ラレーは一般向け、ダイヤモンドバックは若者向け、で扱い、イギリスではコラテックを最高モデルとして販売しています。

現在のラレーは84%の経営権(議決権)を持つアラン・フィンデンクロフツさんの掌中にあるものです。

ですから、いまラレーの自転車を販売しようとしている人は購入対象者に向かって
この自転車はアラン・フィンデンクロフツさんが世に送り出しているラレーブランドです』と紹介しないといけません。

購入者が支払ったお金のいくばくかは必ずフィンデンクロフツさんのところにいくからです。

ボーデンさんの名前だけを紹介するのは購入に際しての誤解を与えるだけです。マーケティングマジックです。

そして、現在のラレーは自転車商社で、英国ではサプライヤーと紹介されます。 今のラレーという会社が100年つづいているわけではありません。会社の名前はラレーサイクル社。創業時のラレー社ではないことはアメリカのダービーサイクル社を引き継いだ会社といえばお分かりいただけるでしょうか。ダービーサイクル社はダービーインターナショナル社を引き継いだ会社。ダービーインターナショナル社はTI社からラレーUKとハゼレという会社と、ラレー以外のさまざまな自転車ブランドを買い、ハフィーからはラレーアメリカを買った会社です。ブランドが以下の通り。ブランドのラレーの歴史は会社の歴史とは違います。しかも、宣伝ではよく引き合いに出されるラレーUKとはメーカーではなく単なる「英国の自転車サプライヤー」です。ラレーUSAはアメリカ合衆国の自転車サプライヤー。それぞれの会社はラレーサイクルの子会社事業会社でその業態が自転車サプライヤー。日本ではアラヤが日本担当のラレーブランド自転車サプライヤー。日本では子会社ではありませんが、ラレーブランドの自転車を販売しているという意味では、ラレーUKやラレーアメリカと同じ立場のはずです。ラレーブランドの所有者はスイスのSWISSBIKE VERTRIEBS GMBH(2003年11月設立)のようです。SWISSBIKE VERTRIEBS GMBHのオーナーはラレーサイクル社のオーナーでもあるアラン・フィンデンクロフツさんです。

2005年時点(ドイツの子会社だったダービーサイクルヴェルケを手放す直前)のラレーサイクル所有ブランドは
Raleigh(ラレー)、Diamondback(ダイヤモンドバック)、
Univega(ユニベガ)、Focus(フォーカス)、Kalkhoff(カルクオフ)、Rixe(リクゼ)、
Avenir(アベニール)、Cyclepro(サイクルプロ)、
Phillips(フィリップス)、Triumph(トライアンフ)、Hercules(ハーキュリーズ)、BSA。
(ダービーサイクルヴェルケはFocus(フォーカス)、Kalkhoff(カルクオフ)、Rixe(リクゼ)を持っていったはず。Univega(ユニベガ)はまだラレーサイクルが所有してダービーサイクルヴェルケに独占ライセンスしているはず。ちなみに、持株会社ダービーサイクルから、持株会社ラレーサイクルが資産を買収してまもなく、子会社となったダービーUSAはラレーUSAに変わるなど、子会社中ダービーサイクルヴェルケだけがダービーの名前を変えなかった。)ダービーサイクルヴェルケが有名になって、それしか知らない人もいるようなので。もともとダービーサイクルヴェルケがダービーサイクルの子会社であって、ラレーサイクルの子会社になってから独立しました。2012年にダービーサイクルヴェルケは「ポン・ホールディングス」傘下の「ポン・バイシクルビジネスグループ」傘下になりました。サーベロ、ハゼレと一緒です。

ラレー販売でラレーUKやラレーUSAと同じ立場のはずの「ラレージャパン」商標のアラヤ社には、ブランド使用者として、1987年以降の歴史も含めて、
消費者の目線に立った、しっかりとした説明義務が求められます。なぜなら、アラヤがラレーブランドを使えるということは、アラヤの自転車をラレーという名前で販売する権利だけではなしに、お金と引き換えに、アラヤの作った自転車に、ラレーの100年以上もの歴史を語ることが許されているからです。ラレージャパンの自転車がアラヤの自転車にラレーの名前をつけて販売していることを知った上で、ラレージャパンのホームページを見れば、ラレーの歴史を語る意味が、そういうことにある、そうわかると思います。これがブランドのライセンスです。ちゃまにはアラやが「ラレーUKからブランドライセンスしている」という意味がわかりません。ブランドライセンスならブランドオーナーからのライセンスのはずでブランドオーナーは"swissbike Vertriebs GmbH"です。raleighbikes.comというドメイン名を2008年にWIPOに訴えたのも"swissbike Vertriebs GmbH"です。(WIPO Arbitration and Mediation Center Case No. D2008-0498

もし、アラヤのラレーブランドの自転車がアラヤ名で販売されたら・・・ラレーの歴史はまったく関係なくなります。「英国風」も、単なる飾り言葉に見られることが多いでしょう。だから、本当は、自転車そのものは、ラレーの歴史も英国風も関係ない、アラヤの作ったラレーという名前の自転車なのです。それが「モノ」なのです。ラレーにお金を払っていなければ、そういう存在です。それが「モノ」自体の価値です。それ以外は「ブランド価値」です。アラヤにブランド価値を感じている人は、いまのラレージャパンの自転車をアラヤブランドで出してほしいと思っていることでしょう。またアラヤのつくった自転車そのものに魅力を感じている人は「モノ」自体に価値を持っている人ですから、アラヤブランドであろうがラレーブランドであろうが、その「モノ」が手に入れば満足のはずです。こう切り分ければ、あなたが、ブランド派なのかモノ派なのかがわかります。そして何に対価を払っているのかもわかります。

「ものづくりがグローバル化している」とよくいわれますが、ブランド(銘柄)もグローバルに売り買いされ、また、貸し借りされているのですね。こういう別のグローバル化があることを、「消費者は」ほとんど知らされていないと、ちゃまは、自転車業界のほんとうの現状を(日本以外の情報から)知るたびに感じているんです。ブランド(銘柄)、老舗、歴史、創業、といった言葉で、丸め込まれているような気がするんです。小学校からの社会教育も、純粋主義過ぎるような気がします。資本主義社会のグローバル化が、どんな風にわたしたちに及んでいるか、教科書は、ものづくりをおしえているような時代ではないと思います。「商人の知恵」など、会社に入ってから・・・ということで、よしあし含め、現実の世の中の動きや、あるべき市民性などの教育がないようにおもうんです。「消費者は」と書きました。「消費者」とか「国民」とか語られますが、わたしたちの一端でしかありません。わたしたちが「消費者」とか「国民」とか語られて、自身を「消費者」とか「国民」と思った瞬間に、「だれかにうまくのせられている」と思わなければ、と思うようになりました。その言葉を使うメリットがその言葉を発する側にあるから使っているのです。「限定」されてしまう言葉なんです。お互い気をつけましょう。

「国民」であるまえに「地域住人」で「一個人」です。「国民」だけの存在ではないはずです。「国民」の義務だけ負わされているように思ったとたん、「国の法律」が絶対であるとか、「国の約束」が絶対であるとか、思いがちです。でも、「国」ってなんでしょう。実は、「日本国政府」であったり、「日本国国会」であったりするんです。日本では「国」という言葉がかなり広く使われているのに、実はその実態は話の中であいまいなまま都合よく使われています。他の国の話に触れるにつれ、マスコミのよく使う「国はなにをしているんだ」などという言い方も実はあいまいな使い方であることがわかりました。「だれも責任を取らない」とよくいわれますが、最初から、だれが責任を取るのかがわからないようになっている(している)ようです。(その関係で)力を持っている人たちが都合よく使っている。

道路交通法の自転車リヤカー利用についても、道路交通法の自転車の扱いについても、法律というものが「国」だけのものと思ってしまっているところに、日本に住む人たちの大きな意識が、その実行を妨げていると思えてきました。世界中の自転車による移動改革がおこなわれている多くの場所で、実はそれぞれの地域の改革から始まっているようです。日本では地域だけでは大きな改革ができません。たとえ、自転車の通行であっても。それが「国が絶対」という意識にあるような気がします。一つの大きな意識が「日本国民」とよばれるひとたちを覆っていて、それが全体意識をどうしても形作っていて、「社会の変革」は「日本国というものが変える」、「日本国が変わらなければ変わらない」、そういうふうに、できあがってしまっている(のかそう思い込んでいるのか・・・)のが、実態にみえます。「地域が変わる」身動きが、すでに意識からなくなってしまっているように思えます。

鉄道や道路が日本中に張り巡らされて、そこから、すべて東京からのやり方で決められなければ変えられないようにされています。国鉄がJRになっても、道路公団が独立法人となっても、電電公社がNTTになっても、専売公社がたばこ会社になっても、東京中心で組み立てられた国になってしまっているからでしょうか。「三丁目の夕日」の時代からでしょうか?、「坂の上の雲」の時代からでしょうか?

そしてもやもやとした「国」という意識が大きく頭の中にしみこんでいるので、どうしても「国別」に物事を捉えてしまいがちになっている・・・・そんな気がします。もう、そんな時代ではないのに・・・・?それとも・・・・

ラレー英国生産を止めることにしたときのラレーUK社長さんのマーク・トッドさんの言葉は、真実を語っていると思います。「私たちは地球村に生きていて、この地球村の規則に沿って動かざるを得ない政府は、経済の潮流を止めることに関してはほとんど無力ということだ。どこか別の場所で製造したほうが「より安価」となるのなら、株主は経営者に対して「そうするように」と強要するだろう。これを止めるか遅くしたいなら政治的介入しかない。このやり方はフランスや中国の政府がとても上手い。」・・・政府は経済に関しては無力なんです。2010年代、中国でさえも、政府が管理できなくなっています。

日本で教育されて、日本のマスメディアから情報を得て、日本の行政の中で生活を営んでいると、「日本国」が与えてくれているように感じてしまっていますが、それは国家マーケティングだったり、神話だったり、するんです。「国名+製」のイメージが語られ続けているように思えます。


在りし日のラレー工場をみることができます。在りし日とは94年時点も含めてです。

Mass v custom build, Raleigh v Dave Yates (1994)
(大量生産 vs カスタム生産, ラレー vs デイブイェイツ)
1994年に製作されたフィルム
古いラレーと94年時点の機械化されたラレーを対比し、さらに同じイギリスで手作りしているDave Yatesを対比させています。(関連Web

ラレーはこの10年前(1983年)には、それまで自社生産していた自転車部品(コンポーネント)を数年間で外注化(スターメーアーチャー以外)。
この後の1999年には英国でのフレーム生産をやめ、2002年で伝統あるノッティンガム工場を完全閉鎖し売却。
伝統ある社屋は解体されて敷地は大部分がノッティンガム大学、周辺は住宅地となっての再開発。
残っている工程は、ホイール組立と塗装。現在は自転車商社(あるいはサプライヤー供給業者)。
1999年のスターメーアーチャー売却は問題取引となり、結果、スタメー倒産となってしまいました。

短く見たい人へ
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1960年 - 1987年 TI時代 TIはTube Inbestments ()
イギリス国内統合期:(他の産業、たとえば自動車も似たような流れに)
 TI会長 アイバン・ステッデフォード主導 ラレーにTI傘下(TIの一事業部TI Cycle Division)。 (たぶん持株会社"Raleigh Cycle Holdings Company Limited"分の株をTIが買収)。40年代からTIが作っていた自転車会社の持株会社British Cycle Corporation(BCC)と傘下の事業会社をラレーに統合。保有ブランド:Phillips,(Credenda)、Brown、Brampton、Hercleus、Armstrong、James、Sun、Norman、RudgeWitworth、Aberdale。 6つのブランド(BCCのArmstrong、James、Norman、ラレーのRobin Hood、New Hudson、Sunbeam)は使用中止。
1961年ラレー社長Leslie Roberts、70年代 CMでDJのNoel Edmundsがラレーのイメージキャラクターとして強烈な結びつき
1971年親会社TIがオランダのハゼレGazelle買収。TI Cycle Divisionが英Raleighと蘭Gazelleに
1977年4月25日 社名変更T I Raleigh Industries Ltd.,
1983年、レントン通りの本社オフィス売却 - (反対側のトライアンフ通りに移転)
ここから生産の縮小が次第に始まりました(最初にスタメーアーチャー以外のコンポーネント)
1983年、アメリカでのラレーブランドをハフィー(Huffy)社にライセンス。ハフィーの中にラレー事業部ができる。工場もワシントン州ケントに建設。ロスアンゼルスオリンピックで優勝したラレー自転車はこのハフィー工場製。テクニウム技術もハフィー製。ここは後に売却されて、ダービーUSA社本社となるところ。このハフィーへのライセンスでの成功体験が、後のラレーブランドライセンス拡大につながった。
1987年、TIの経営悪化による事業集中のため次々と部門売却された中にラレーも含まれた

1987年 - 2001年 ダービー時代 ()
2001年10月29日 - 現在 再生ラレー時代 () Raleigh Cycle Ltd., 本社はイギリス王家の所有領ジャージー島(ガーンジー島の隣の島)
ラレーサイクル会長CEOアラン・フィンデンクロフツ、ラレーアメリカ会長CEO Bill Austin、社長Tom Curran→Steve Meineke(04-)、ラレーUKCEOPhillip Darnton(-03.11)、ラレーUK社長John Spon-Smith(-03.11)→暫定(フィンデンクロフツ)→Mark Gouldthorp(.0310.31-)、
ラレーUK社名Raleigh Industries Ltd.、ラレーUK移転、RALEIGH HOLDINGS LTD. とRALEIGH INTERNATIONAL LIMITEDと"RALEIGH UK LTD Trading as: RALEIGH CYCLE COMPANY LTD"がChurch Street, Eastwood, NOTTINGHAM

もうちょっと詳しく
凡例

■話題 - 年(1887)などリンクをクリックすると、「資料編/年別」にあるその話題の”もっともっと詳しい話”にジャンプしています。

1960年まで右寄せはのち同族となる会社の動向を主に記述

日本関連情報は右寄せ枠囲み

米国関連情報は左寄せ枠囲み
(ラレーにつながる)ラレー以前のできごと
1841 ■ジョン・レイノルズさん釘(くぎ)製造開始(のちJohn Reynolds & Sons, Ltd.) バーミンガム
1866or70 ■ブルックス、John Boultbee Brooksがバーミンガムで創業(history)
1868(明治元年) ■ラッジRudge創業 ベロシペード販売
■ハンバーHumber創業
1870-1888■ BSAが自転車(オーディナリー)
BSAも「兵器屋さんが作った自転車」と紹介されることがありますが、実際は、会社創設時は銃でしたが、銃が儲からなくなったから自転車、オートバイに変わったので、銃はある程度続いても一部門で、売上の多くは(戦時を除き)自転車、以降はオートバイ。会社も、自転車会社でありオートバイ会社という紹介が適切です。BSAを兵器屋さんというならミヤタ自転車も兵器屋さんの自転車といわないといけないでしょう。シマノも兵器屋さんのパーツといわないといけないでしょう。でも、そんなの聞いたことありません。
1870 ■フィリップスJ. A. Phillips & Co. Ltd創業
長らくラレーに次いで2番手の会社で、ラレーとともに英国自転車を牽引した会社
40年代後半に先にTI傘下、TI傘下でラレーブランドに。
いまラレーのイギリスでの量販用ブランド

1877 ■Sunbeam自転車製作開始。1951年にジョン・マーストンさん15歳でWolverhamptonのエドワード・ペリーさんの漆器(Japanware)製作に丁稚、59年に独立して漆器製作(japanning business)、1871年ペリーさんの死で事業を引き継ぐ。妻の勧めで自転車製作開始。
1885 ■WCスティフさんとHBSベネットさんの
クリデンダチューブ(Credenda)が「ソリッドチュービング技術」を開発
■自転車博物館にラレーから寄贈の1885年製「ラッジ安全型自転車」が展示
1983年4月にラレー社から当時のシマノの島野尚三社長に贈られたもの

80年代(1880年代)には、現代の自転車で一般的な機能が生み出された。そして木製フレームと鉄車輪枠の60年代ボーンシェーカー、そして70年代のペニーファージング、80年代はじめのサスペンション車輪、ワイヤースポーク、ソリッドタイヤ、がまさに、置き換えられることとなった。そして、その進化の過程は、ゆっくりと、だがしっかりと、進行した。まずはじめに70年代中期に、フレームのスチールチュービング化、チェーン駆動、ディファレンシャルギアが発明された。70年代後期には、後輪のチェーン駆動安全型が登場した。しかし、空気入りのニューマチックタイヤがこれらすべてに装備されたことが、この国での自転車産業の基礎をつくり、ちょうどこの転機の時期(80年代後半)が、ラレーカンパニーの創業者が産業界に足を踏み入れた時期となる。 (英国通商産業1934年)
ラレー社の歴史の中ではあまり詳しくは触れられていない2つの事実が、ここに特に記されてる。ひとつは、創業者は英国のそれまでのエンジニアリング産業にはまったく関わりをもっていなかったということ。もうひとつは、彼が事業を確立した場所は、当時のエンジニアリングの中心地だったバーミンガム、コベントリー、ウォルバーハンプトンなどではなく、ノッティンガムであったこと。(英国通商産業1934年)
ラレー創業からTI傘下(1960)まで
フランク・ボーデンさん
フランク・ボーデンさん
1848年1月30日生–1921年4月25日没
1886-1889 ラレー創業時代
1886Woodhead Angois & Ellis(ウッドヘッド・アンジュアー・エリス)創業 ラレー通り(W A E Raleigh Street)
1887The Raleigh Cycle Company 12月18日社名変更 ラッセル通りに移転
1887-1921■ フランク・ボーデン時代(キーパーソン)
豆知識:ボーデンケーブルの発明者ではなかったボーデンさん


大きな地図で見る

1888デービスミシン社をジョージ・ハフマンさんが買収 1892から自転車製造 ハフィーの前身 1950年代にラレー製スポーツ車をハフィーブランドで販売。1980年中期にはラレーアメリカを運営した会社で、これが現在商社となったラレーがライセンス事業を覚えたきっかけ。
1888 ■ジョンダンロップがニューマチックタイヤを発明
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2,300PRIZESと立て看板
(クリック拡大)
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1892-3年頃の販促ポスターThe Raleigh ニューヨークアスレチッククラブのArthur Augustus Zimmerman (ジンマーマン)が、世界中(欧州、アジア、アフリカ、アメリカ、オーストラリア)でラレー車に乗って1892年に100レースに参戦して75回も勝利。ラレーは「世界のチャンピオン」と謳っています(copakeauction)

1889The Raleigh Cycle Company Ltd 法人登記でLimitedがついた 1896年3月4日創立という話もあります。一度傾いて、ということは倒産して、会社をもう一度作り直したのが1896年らしいです。

フランク・ボーデンはブリストルの出身。ロンドンの法律事務所に職を得ていたボーデンだったが、(その事務所の)香港での職務のための500人のうちのひとりに選ばれた。

そこでボーデンはかなりの成功を得、早くしてリタイアすることができた。サンフランシスコに居を得て、結婚をし、勉強にいそしんでいた。しかし、健康を害した。健康回復のためにイギリスに戻り、エクササイズとしてサイクリングが推奨された。旅をし、知って、世界の明敏な観察者として、ボーデンは、これでまったく新しい道が開けると気づいた。この決断がラレーカンパニーという小さな自転車組み立てをノッティンガムで立ち上げることにつながった。 (英国通商産業1934年)=>ここにはどこにも「死にそう」とは書いてありません。ところで!、1870年代から1880年前半にかけて、香港で若くしてお金持ちになり、でも健康を害したって聞くと、アヘンのにおいがただよってきませんか?しかも香港からサンフランシスコにわたっています。特にゴールドラッシュ(1949-1950年代)をきっかけに増えた中国系の人たちはアヘンがタバコのような日常の嗜好品だったということです。香港で何でお金儲けしたのか明らかになっていないだけに、怪しんでしまうちゃまです。

1890 ■ (ラレーUK情報ではここからラレーが始まります "Taking its name from the street, the Raleigh Bicycle Company was formed in 1890"「現ラレー成立は1890年」という意味でしょうか。これ以前の英ラレー記述は「1887年フランク・ボーデンが株取得」だけ。) 不思議です。ボーデンさん主導のラレーがここからだということを暗に言っているのでしょうか?

1892 ■作業者200人、販売400人で4万5千台 (すでにかなりの会社です)
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1893BSAが自転車再開(安全型で今度は売れた)

1896 ■ラレー、LentonレントンのFaradayファラデー通り新工場
- 850人で自転車年産3万台

1896 ■カールトンCarlton創業

1897 ■クリデンダがウェルドレスチューブス社(のちチューブ社) 傘下

1897 ■アルフレッド・ミルウォード・レイノルズさん(創業者の孫)と
JTヒューイットさんが自転車用軽量フレーム製法を確立。バテッドチューブButted Tubeと名づけ特許

1898 12月■レイノルズ・チューブ社前身創業 The Patent Butted Tube Co., Ltd

1900年ごろ
Raleighdoubletoptube
Double Top Tube Roadster
ahds.ac.uk
Raleighsilver
シルバー仕上げ

オートバイ事業 1901-1906、1920-1923、1958-1971:ラレー製エンジンはAllegroアレグロ、Dunelt、Coventry-Eagle、Mars、Nestoria、Cotton、Soyer、Victoriaなどにも供給された。Raleigh Motorcycles

1902 ■3速ハブギア特許取得、翌年03年1月26日にスターメーアーチャーギアの前身Three-Speed Syndicate Ltd.(スリースピードシンジケート社)としてノッティンガム、レントンのファラデー通りに創業
1895年にアメリカで最初のハブギア特許(2速)が取得されているがこれは商業的には成功していない。イギリスのサルフォードのWilliam Reillyウイリアムライリーさんが開発して1896年に特許をとり1898年から量産した2速の"The Hub"。これはコンパクトで実用的で大成功し10年ほど使われていた。これを3速にしたものもライリーさんがつくったのにこれがなぜか同僚のJames Archerアーチャーさんの名前で特許がとられた。これとは別に校長先生とか有名なジャーナリストで発明家とかのHenry Sturmeyスターメーさんも別に3速ハブギアを発明していた。ということでこれらをまとめてボーデンさんが会社をつくり、その最初の役員はラレーのボーデンさんに、アーチャーさん、スターメーさん、ライリーさんの4人。大枠はライリーさんの発明なのに、スターメーアーチャーという名前で有名になることに。その後他にもハブギアで特許をとる人もいて、1909年には別物の14種類の3速ハブギアが英国市場にあったといいます。

1903 ■ 三輪(自動)車 Raleighette 3wheelers.com / 1904 Raleigh Forecar

1907 ■Robin Hood Cycle Co Ltd、買収

1907 ■フランク・ボーデンさん、全株取得、完全オーナー会社はここから

1908 ■5月11日、スリースピードシンジケート社をSturmey-Archer Gears Limited(スターメーアーチャーギア社)に社名変更

Phillips_cycles_limited

1908 ■フィリップスがクリデンダ買収

1913年 (1920年?)
ボーデンさんの著作
Cycling for Health
and Points For Cyclists
(自転車に乗ることは健康にいい)Cyclingforhealth1913
1909■石巻でラージ号写真(明治42年)

1910 ■ハーキュリーズ創業
(Hercules Cycle and Motor Company Limited)
オランダアクセルグループ傘下の1886年創業ドイツのHercules(ヘラクレス)とはまったくの別会社

1911 ■丸石商会がトライアンフとラレー輸入(明治44年)
一方ラレー式、ラレー型というコピー商品も多数作られた日本。
『宮田製作所が1913年(大正2年)トライアンフをコピーし旭号試作車。1935年(昭和10年)から175ccのアサヒ号軽オートバイの量産を開始。アサヒ号は、戦後も逸早く復活し1962(昭和39)年まで生産が続けられた。』とも。(日本のオートバイの歴史)
日本は今の中国のお手本。

1913 ■1902年創業のNortonが倒産。
■NortonさんはBob Shelleyさんと新会社Norton Motors Ltd.を開始
Shelleyさんの義理の兄弟ダン・オドノバン(Daniel R. O'Donovan)がこの新生ノートン社初かつ量産世界初の競技車BRS: Brooklands Racing Specialを製作。
Norton Motorcycle HistoryDan "Wizard" O'Donovanとも (ここによると、オドノバンは自身のショップでやっていたと書いてありますがこれが新生ノートン?。)

第一次世界大戦 1914~1918
(日本は戦争景気で大衆社会化、大量消費時代、自転車も大衆に普及)

1915年1月21日、Raleigh Cycle Co Limited

1916 ■日米富士がラージ号を日本で製造販売(大正5年) 日米富士自転車の歴史展
1905-1930■ (報知新聞 1930.11)
1930年から見て1905-1914は日本の自転車史第一期;英米自転車の汎濫時代。特にイギリスのラージ号。特権階級(地主と県会議員と医者)。宮田、東洋商会などが極小規模に内地製の自転車を作り始めた。『ソロバンの合う』状況ではなかった」大戦前内地利用200万台。

1915-1918が第二期;あらゆる階級の人々に開放、女学生自転車通学可となり寄宿舎廃止も。1921年(大正10年)がピーク。(第一次世界大戦の大戦景気で海運業はじめ活況を呈し日本は好況。これが大正文化が花開いた時代背景)

1924年(大正13年)には7%まで下落。1930年まで衰退期で第三期、東京同業組合だけで問屋209小売商が2608、1930年時点で600万台(10人/台)で世界一のはず、しかし輪界は未曾有の不況、不況の原因は大安売にある、海外輸出は正しい方向、と報知新聞。(大戦後景気がしぼんで不景気となった。)

大正文化 ~ サラリーマン社会、舶来万年筆、金側懐中時計、イーストマンコダックのカメラ、タイプライター、ナショナル会社製キャッシュレジスター(金銭登録機)、シンガーミシン、デパート、洋服、石鹸、ウィンドウショッピング、郊外電車、神戸(シュークリーム、バウムクーヘン、ユーハイム、モロゾフ)、大阪海水浴、野球、宝塚、公設日用品市場(大量消費社会における消費者サービスのモデル)、三大洋食(ライスカレー、コロッケ、トンカツ)、資格取得ハウツーもの大流行、日本型賃金体系日本型労働組合の萌芽

ちゃま:松下幸之助さんがナショナルというブランド名をつけたのが1925年。大正期のナショナルキャッシュレジスター(NCR)普及に感激してのことだったら(時代的には符合しますね)、SOMYやHOMDAやYANHAのようなブランド名で販売する中国台湾企業と意識的にはそれほど変わらないですよね。アメリカ進出でパナソニックが1955年に誕生しても日本国内ではつい最近までナショナルとは松下電器でした。ブランドの国のバリアが非常に高いことが実感できる話です。

戦時中(第一次世界大戦1914年-1918年)の国への貢献で認められ、Sir Frank Bowdenサー・フランク・ボーデンがBaronetバロネット(男爵)爵位を授けられた。1921年に73歳でなくなったが、息子のサー・ハロルド・ボーデン(Sir Harold Bowden, Bart., G.B.E.)に引き継がれている。 (英国通商産業1934年)

1917■パテントバテッド社Tysselyのヘイホールに移転

1919 ■ ナイジェリアでラレー卸の正式契約。Kanoさん。契約元はラレー直接ではなくてイギリスの商社連合のUnited African Company (U.A.C).これが後のRaleigh Industries (Nigeria) Limited, (RINL)の元ナイジェリアの自転車産業 / UACの発祥

1919-1950■オートバイ事業

1919 ■複数チューブ企業が合併してチューブインベストメンツ(TI)創業
(1960-87年にラレーの親会社となる会社)
■BSAが子会社BSA Cycles Ltd設立(11.10)

1920 ■ノーマンNorman創業

1921-1938 ハロルド・ボーデン時代
(ちょうど大戦間にあたる。イギリスでは”休戦中”というようです。)(キーパーソン)

ハロルド・ボーデンさん
"Phonocards History" "Birgit Lotz Verlag"
Haroldbowden2
ドイツ大使レオポルト・フォンヘッシュと
英国オリンピック協会(BOA)会長ハロルド・ボーデン。
1933年3月8日
ロンドンサボイホテルでのBOA ディナーで。

20年代、30年代は、ハーキュリーズやBSAなどがトップ販売。ラレーは後塵を拝していた。1910年創業のハーキュリーズの累計300万台達成が1933年11月に対して、ラレーの累計300万台目はその2-3年後だった。

一方、20年代末から30年代初頭まで、ダン・オドノバン(D.R. O'Donavan)がラレーに入社して、オートバイ事業のチーフデザイナー。スターメーアーチャーのレース用エンジンをラレー車へ載せ、また他社にも供給した責任者。ダン・オドノバンは1938年にカールトンに入社しカールトンを一流の自転車会社とした人物。Raleigh Motorcycles

1923■社名変更レイノルズ・チューブ社Reynolds Tube Co.

1924■Reynolds マンガンチューブ開発

1926■従業員2500人

1928■レイノルズ・チューブ社をTIが買収

大恐慌 1929末~ (経済の影響が産業界に及び32年から33年にかけてが倒産最大でもっとも大変な時期)
1930前後 ■ 日米商会
冨士覇王号 商標権問題で「ラージ号」を改名。昭和37年まで日本を代表する自転車(ラージという名前が日本国内の理由で使えなくなったということです。特にここから国産としたわけではないようです。何を持って「国産」というかという話がありますけど、大正5年からのライセンス生産は引き続きおこなわれました。そのためのライセンス料の支払いがあったことでしょう。ブランド名使用料は英国に払わなくてよくなったのでしょうけど、その代わり、新しい名前の認知普及のお金がかかったことでしょう。現在のアラヤ・ラレーモデルとは反対です。もし、冨士覇王号がラージとの関係を絶ったとすれば、そしてそれを国産として誇ったとすれば、「コピーできたもの勝ち」で「生産できさえすれば以前の権利は関係ない」という精神だったと思いませんか?もしそうだったとすれば、中国のことをコピー天国などと日本はいえませんよね。)
『日米富士自転車の歴史展』 2008.1.11-4.6

Nichibeifuji_rudge

1930 ■ Ivyアイビー社(1908-1932)の Karryallの権利を得て、Raleigh Karryall Vanとして発売。三輪バン 3wheelers.com / motorbike-search-engine

■1930代頃はハーキュリーズHerculesが最大メーカー

■1933年12月13日Carlton Cycles Ltd設立(改組?)

1931Humberハンバー自転車部門のハンバーサイクル買収(自動車部門はルーツグループが買収)

1932 ■Triumph Cycle Co Ltd トライアンフの自転車事業買収

1933/1934 ■ 三輪4人乗り乗用車(サイクルカー) 3wheelers.com 販売好調で1935年には屋根付サルーンタイプ(セダンタイプ)。1935年でMotor Departmentは終了、部門長だったT.L.Williamsは設備と株を買ってリライアント社を創設。

1934 ■2月13日、株式公開 Raleigh Cycle Holdings Company Limited (持株会社をつくったようです) ■全従業員4000人

■1934年の英国通商産業1934年にさまざまな産業の記述がされた中で、自転車産業ではラレーが記述されています。
この仕事の叡智の十分な証拠として、今日その仕事が成長しその巨大な本社がノッティンガムにあることでわかる。その賃金ランクは、通常で4000人近くを雇用し、その膨大な生産量は目を見張るものだ。グレートブリテンとアイルランドだけで4500ほどのラレー取次店があり、さらに海外市場にも手を広げている。
現在世界中の主要な産業国ではどこでも自転車産業が営まれているが、イングランドはこの産業として成り立ち、広く各国で営まれている自転車産業を作り出した場所として確固たるパイオニアであるということには異論がない。

1935Reynolds 531
(five-three-one DB)
自転車専用マンガンモリブデン(MgMo)スチールチューブ

1936 ■F. C. Bushブッシュ社長の退任、George Wilson ジョージ・ウィルソンさんが新社長(Managing Director)
Georgewilson

1936 ■カールトン、スポーツ車を軸に据える

1938 ■ダン・オドノバン(キーパーソン)がカールトンに入社し会社を躍進に導く。
(のちに元のオーナーはカールトンのオートバイ事業linkで独立し
その一方で自転車事業はオドノバンに売却します。
オドノバンはオートバイのスペシャリストなのに面白いめぐり合わせです)

■このころ日本に輸入されたラレー、トライアンフ、ブルークス(Brooks)
自転車博物館

■業界状況:300あった英国の自転車会社の多くが大戦間(1915-1938)に消滅

1936 ■10月Irish Raleigh Cycle Company Ltd設立、1937年、工場で組立、週1000台。アメリカにも輸出。raleighbikes

1937 ■ハブ組込ダイナモ Sturmey-Archer Dynohub

1938 ■子会社Gazelle Cycle Co Ltd (7月18日)を再び設立 低価格用ブランド、1944年にRobin Hood Cycle Co Ltd (オランダのハゼレとの混乱を避けるため?)

第二次世界大戦 1939~1945

1939-1945 ■軍需品生産 従業員9000人
■戦争末期に軍用折りたたみ自転車を試作。量産にはいたらなかった。foldingcyclist

■レイノルズ社は戦争中軽量合金と鋼チュービング2万5千マイルを生産。
2万機生産されたスピットファイア戦闘機にも使われた
■日米富士自転車「ラーヂウィットウォース」社からの直接輸入販売してラーヂ号販売
これが日本のママチャリの祖先?

1943Rudgeラッジ名義買収、(ラッジ社本体はノーマン社が買収)、売主はレコード会社のEMI(!)。ラッジホイットワースは大恐慌の影響で1935年に破産。EMI傘下のグラモフォン社が買収。1935-1943のラッジ自転車はレコード会社が製造販売していたのでした。1940年にはautocycle(原付自転車)も販売していました。Rudge Motorcycle History

Gradual Payments (Nottm Ltd)買収

1944 ■BSANew HudsonSunbeamの自転車部門を買収

1946 ■1月24日、Raleigh Industries Limited 持株会社名変更(前Raleigh Cycle Holdings Company Ltd) 2月4日から

1946
TIの自転車製造参入
■事業買収によりTIが自転車製造業に参入
フィリップス(クリデンダ)、ブラウン、ブランプトン、ハーキュリーズ、
アームストロング、ジェームズ、サン、
ノーマン(ラッジホィットワース)、アバーデールを買収、
1953年傘下にBritish Cycle Corporation(BCC)設立 (1956年8月4日という話も)

1946 ■ 工場を28エーカーに拡張 - 従業員5,000名

1946 ■ ウィンキーWinkie三輪車 - 初のおもちゃシリーズ

1947/48 ■アメリカ Raleigh Industries of America Inc. - 1170 Commonwealth Avenue, Boston USA
■1949年、TIがインドのMurugappa Groupと合弁でTI Cycles of India設立
Herculesハーキュリーズ、BSA、Philips が現代まで生産されている。世界的に見ても大きな会社
同年ラレーが ■インド Sen - Raleigh Industries of India Ltd.設立
1996年に法廷係争で、"T.I. RALEIGH INDUSTRIES PVT. LTD."という名前の会社があるので、両者がTI時代に合併したと思います。
現在TI India傘下のTI Cycles of Indiaとなっています。ブランドはハーキュリーズハーキュリーズとBSAです。ドレル傘下のブランドとなったキャノンデールが2009年にはインド進出でITサイクルズが総代理店。

1950 ■南アフリカ Raleigh Industries of South Africa Ltd.

1951 ■100万台以上を生産

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1分で1台を生産した時代の工場風景
corbis

1952 ■生産拡大を見込んでの工場拡張(エディンバラ公が開幕) 敷地面積40エーカーで従業員7000名 - しかし50年代半ばから販売は110万台から伸びず、第3工場は57年まで使われなかった。会社始まって以来の失策で、TI傘下のBCCとの合併につながる。業界全体での生産台数は55年の350万台から58年には200万台に落ちたが、これはラレーとBCCが先を見越して、お互いが倒れないようにと協定を結んだためだった。50年代ラレーとBCCのシェアは、南アメリカを除きラレーが勝っていた。南アメリカで両者が共倒れしないように合弁生産を開始。のちにアイルランドでも合弁生産。これが1960年の両者の合併に結びつくraleighbikesトライアンフ工場は運河を埋め立てて作られた

1954

Three Spiresスリースパイアズ買収(Coventry Bicycles Ltd 1921-)

1955 ■カナダ Raleigh Cycles Industries of Canada Ltd.1972年の会社が今に続くラレーカナダ

Raleigh製 1955 Huffy Sportsmanとの情報:flickr

1955 ■George Wilson ジョージ・ウィルソンさん、会長就任(Chairman)

1955 ■Brooks ブルックス 従業員1万5千人で週に革サドル5万5千個、マットレスサドル2万5千個を生産

1957 ■第三工場(20エーカー)使用開始 モントゴメリー陸軍元帥が開幕

1957BSA自転車事業買収

1958Brooksブルックス(Brooks Industries Limited)のサドル部門を買収、スターメーアーチャー傘下に置く

1958 ■モペッド投入。
■モールトンさんがラレーにアプローチ。アランオークレーさんと検討開始。

カルチャー

■「長距離走者の孤独」で有名な労働者階級出身の作家アラン・シリトーさん(Alan Sillitoe)は父親がラレーノッティンガム工場従業員で自身もスターメーアーチャーの旋盤工として働いた典型的なノッティンガム労働者ファミリー。デビュー作'Saturday Night and Sunday Morning'(SNSM)にはノッティンガムのラレー工員の当時が描かれている(BBC 2008.4.11)。1960年の映画の工場シーンはノッティンガム、ラドフォード、トライアンフ通り工場で撮影されたもの。

■1950年代から1960年代のはじめにかけて、イギリス工業の海外需要がまかないきれずに、人手不足の充足として、アフリカ系の、特にカリブ海周辺から多く移民としてやってきた(つれてこられた)。そして長時間労働についていた。ノッティンガムでも、ラレー、ジョンプレイヤーズ、ノッティンガム市交通局、ノッティンガム保健所などでは、いい仕事だった。1958年に起こったノッティンガムのアフリカンカリビアンが起こした'race riots'人種暴動は、英国全土や世界中に報道された。(bbc アフリカの歴史を私たちが祝う理由)

1959 ■従業員7000人

Carltonカールトン買収、ダン・オドノバン息子のジェラルド・オドノバン(写真が下にあります)がカールトン社長(キーパーソン)
ジェラルドはTI傘下のラレーで高級軽量車を一貫して担当した技術の要の人
戦争ではRAF(空軍)技術将校として極東に従軍、日本軍捕虜となった。オランダ人が多数いてイギリス人より優遇されていたためオランダ語を覚えオランダ人になりすましていた。オランダ語は方言も使い分けられた。(mikemullett.org)


TI会長 アイバン・ステッデフォード
自転車事業統合推進'46~、
最後の大物がラレーだった

TI時代 (Tube Investments)

(英国の自転車メーカーの集合体となり英国生産の9割を押さえた1960年から、ルクセンブルク登記のダービーインターナショナル社傘下でアメリカ資本となる1987年まで)

1960TIのラレー買収 1958年からのアルミ戦争で貢献しTI社長となったRichard YoungリチャードヤングがTI自転車事業の責任者でラレー責任者(1965まで)。
合併時は、ラレーがフレーム生産を止め、BCCがハブギア生産を止めるという協定だったが、合併後、世界市場の拡大がないことを認識し、TIはレイノルズフレームのためにもラレーを残すことにし、ラレーTI傘下の英自転車連合会社BCCはすべてラレーに統合。BCCのバーミンガム工場は売却しノッティンガムに移転、ラレーのあいていた工場を埋めることができた。ラレー役員がTI Cycle Divisionの役員とTI取締役会に就き、TI Cycle Divisionはノッティンガムに置かれ、結局合併前のラレーが実質上のTI Cycle Divisionとなった。6つのブランド(BCCのArmstrong、James、Norman、ラレーのRobin Hood、New Hudson、Sunbeam)の使用中止。1981年時点で使われていたのは、Raleighラレー、Carltonカールトン(高性能スポーツ車用)、Triumph/Sun(クリスマスシーズン以降の販売落ち込みを支援する用途、Triumphは大人用、Sunはスポーツ車用)、BSA/Phillips/Sunbeam(他と同仕様で通販で使用)

■TIが買収した会社は社名としては存続していましたが、ブランドはラレーの管轄におかれて、単なるブランド名としてラレーが使用するようになりました。

■ラレーはハンドビルト生産とレイノルズフレーム(531)をカールトンのワークソップWorksop工場に統合
以降531フレーム使用車はラレー印カールトン印ともにすべてワークソップ工場製

■AMFが米国でハーキュリーズを販売 (ラレーが英国で生産したもの)
Nottingham, England
(AMF-Herculesとよばれる)
■60年代前半ハフィーがカールトンを販売 Huffy-Carlton (carltoncycles.me.uk)

1960 ■春にはノッティンガムでの高品質軽量生産を終了し、軽量はすべてワークソップのカールトン工場製に。

1960 ■10月にモールトン設計の小径車製造販売のライセンス契約。1961年11月出荷予定。

1960年にはMotobecane Mobyletteモトベカン・モビレットを輸入してラレーとして販売開始

1961年 ■9月、新社長(ManagingDirector)Leslie Robertsレスリーロバーツさん。この後、モールトン契約破棄
'58位から検討していたらしくやっとまとまって契約までした話を、
世に出るはずだった翌年1961年になって契約破棄
新社長レスリーロバーツさんがこんなの自転車じゃないと思ったからとか、利益をもたらさないと思ったからとか。 当然に生産準備はじめていたでしょう それでモールトンさんがラレーに頼らず販売(1962年最初は自社工場製)したら大ヒット。ヒット後は多くがBMC(British Motor Corporation)子会社Fisher & Ludlowから。1965年には週1000台以上。でもBMCでの生産品質問題が発生。これを解消する意味も含めてラレー社がモールトン社買収に至る。

1962 ■生産50万台(自動車普及で需要減)

Brooksブルックス社、ライトサドル社(Wright Saddle Company)と合併のためバーミンガムのスメスウィックSmethwick地区Downing Street Worksに移転。TIのラレーサドル部門(Raleigh Saddle Division)を構成。

1962 ■設計チーフアランオークレー秘書としてイボンヌ・フィスク(のちリックス)入社(キーパーソン)

Raleigh_pram
Raleighpushchair
ahds.ac.uk

■1963年米国自転車事情スポーツイラストレーテッド記事 自転車の復活

1963 ■1936年からラレーを率いてきたGeorge Wilson ジョージ・ウィルソンさん、自動車事故で亡くなる
1965 ■複数社がモールトン市場に参入、ラレーはRSW16(Raleigh Small Wheels)を投入。かつてない広告費をかけて宣伝。
三世代9年で10万台以上を販売。1967年のエンジン付RSW16版のWispは売れなかった。
1967 ■(ラレーが前年度8%減、モールトンが会社継続不能なほどの損失を負い)ラレーがモールトン買収

■Raleigh Twenty ラレートゥエンティ投入。宣伝はほとんどされなかったが、このH型フレームの小径車がラレー一番の売れ線商品となり、16年間生産された。

1969 ■ベビーカー(Prams/Pushchair)のDreamlineレンジ

1969 ■アメリカでチョッパー発売
(63年発売シュウインスティングレイなどカリフォルニアの影響) ラレー初の子供向、高額で不振

■70年代設計部長アラン・オークレーAlan Oakley(キーパーソン)

1970年■Chopperイギリス発売で大ヒット、10年で150万台。
これが今でも英ラレーのシンボル(ノッティンガム工場終了時などラレーを回顧するときにイギリスのメディアで必ず触れられる。現代のイギリス人の記憶に残るラレーを象徴するモデルはラレーチョッパー)

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Raleigh_chopper
(右)現在のアラン・オークレー
BBC 2007.5.18

この時代のラレー車は下の解説の中で

Raleighmoltonmarkiii
Molton Mk III
Raleighrsw
RSW III
1970 ■70年代前半、アメリカは健康と娯楽で自転車ブーム、シュウインのスティング・レイがブームを牽引、チョッパーもおこぼれにあずかる
Raleigh RecordGrand Prix世界各国(英国カールトンワークソップ工場、オランダのGazelle、アイルランド、マレーシア)で生産
Raleigh_brake_design
自動調整式ブレーキレバー
モデルRKL 116

1970 ■エンジン車両を終了

1971 ■TIがオランダハゼレ(Gazelle)買収(ラレーに含めず) 
Raleigh RecordやGrand Prixも生産しアメリカ向けに輸出

1972 ■カナダ Raleigh Industries of Canada Ltd. 現代のラレーカナダ。 Raleigh Canada Limitedも使用

1972 ■英国自転車販売台数が自動車を抜き90万台以上。TI傘下のラレーが65%。ハルフォーズ傘下のHalmancoとDawesが10%。オーストリアのシュタイヤーダイムラープフが輸入で一位。英国での自転車所有は1500万台、米国は8000万台。モールトンは流行の先端で自転車フレーム設計での性別を撤廃。レジャー用の新たな分野を切り開いた。小さな自転車となり折りたたみも簡単になった。ahds.ac.uk

1973 ■米国のThe Century Road Club of America(CRC of A)ラレーチームを、ラレーがメインスポンサーだったツアーオブアイルランドに招聘。アメリカのレーサーの活躍の端緒となった。Raleigh and American Racing
1972 ■ホンダが子会社輸入商社アクト・トレーディングで”ラーレー”を販売。アクト・トレーディングは正式名称は株式会社ACT-TRADINGで1972年3月21日設立Honda発表 / 現Honda TradingのHistory ACTコーヒーもAct_raleigh
昭和46年(1971年)秋の新聞広告とのお話( わだち)。でもこの方が入手したのは1973年ということなので、1971年秋が1972年の秋なら、「アクト社設立以降」となり、話があうのですが、お話の通り1971年ということであれば、アクト社設立以前からホンダはラーレー広告をしていたということになります。
1977年、中学2年のときに手に入れたという「ラーレースーパーコース」の話(クロモリロードシクリスト)
参考:ヤマハ発動機のプジョー輸入も1973年から(コルサの「毎日がヒルクライム」) 82からプジョーはホンダからhonda / ラーレーはハーレーから
1974 ■マレーシア工場: (bikeforum) シリアルナンバーの一桁目がM (bikeforum) Berjaya LeRun Industries Berhad(lerun.com.my)は70年代にRaleigh (M) Berhadとして創業。マレーシアでの自転車生産の草分け。現在はマレーシアのコングロマリットBerjaya Group Berhadの子会社。年間売上は 2000万RMを超える、 (それ以前のマレーシアでも自転車はラレー、BSA、ラッジの輸入車だったという話マラヤの想い出) マレーシア自転車生産

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ジェラルド・オドノバン
SBDUの工房
Classic Lightweights UK

1974 ■ジェラルド・オドノバン(ラレー社がカールトン社買収しラレー子会社としてのカールトン社の社長就任1959年、お父さんダン・オドノバンがカールトン社中興の祖でオーナー。ダンさんは、それ以前はノートン社でオートバイ製造)が旧カールトン技術陣によりSBDU部門を結成し、
新設イルケストン工場で高級軽量車(ラレーも一般にもLightweightとだけいう)を開発製造
"Reynolds 753"(1976年)と"Reynolds 531 Special Lightweight" (SL)はここでの開発
(ジェラルドさんは1980年にはSpecial Products Division:SPDを設立)

■1975年、Gregory Houston Bowden グレゴリー・ヒューストン=ボーデン(創業者の曾孫)によるラレー史 "The story of the Raleigh Cycle" (216ページ)が発刊The_story_of_the_raleigh_cycle
1975年 ■日本
この時期のUNIVEGA印の自転車の多くはミヤタ自転車に生産委託された日本製
:このUnivegaモデルはミヤタモデルの焼き直しではなくベン・ラウウィさんがデザインしたもの(bikeforum)。80年代にはMTBでアラヤに委託()。
1975 ■アメリカのブームが終了
この時点でアメリカ、カナダ、ナイジェリアに工場
当時ラレーアメリカトップセールスマンだった人の回顧録で1975年(1月-8月)で一人で1万5千を販売した話allbusiness
■後の1996年にダービー社のブランドとなるUnivegaが始まった年, それまでItalvegaイタルベガ(イタリアのベガ)をやっていたララウィさんが、日本への委託で名称変更してユニベガ(Universalなベガ)としたもの。イタルベガから知っている人はItalvega east東のイタルベガともいった。このときイタルベガとはララウィさんデザインのアメリカ向け自転車という意味。LAWEE, INC. / UNIVEGA BICYCLES, Long Beach, CA(旧従業員の一人) (右端⇒の日本も)

1975イボンヌ・リックス製品担当(キーパーソン)

1975■ラレーが薄まるのを懸念してカールトン終了を決定(これは公式?社内的には74年以前SBDU結成以前でしょう)
■軽量lightweight部門(イルケストンSPDU)でラレーブランドハイエンドモデル

■イギリス国内需要は、70年代から80年代にかけて少しずつ上昇。ラレーは75年に年産100万台、50年代の生産レベルに復帰。輸出量には変化なし。イギリス市場6割。

1970s-1980s ■フィリップス、ハーキュリーズ、BSAなど
サブブランドを通信販売/アウトレット用として使用(アウトレットと呼ばれる店舗とは特定ブランド専門店の意味で日本のように安売の意味はありませんが、これらのブランドは安売用として使われました。)

1976 ■チョッパー後継 Grifter3速 BMXに影響を与えた。他にBoxer、Strikaも投入
Raleighracing1977

1977年4月25日 ■社名変更T I Raleigh Industries Ltd.,"、Raleigh Industries. LtdがT I Raleigh Industries. Ltd、海外?Raleigh Industries. (International) LtdがT I Raleigh (International) Ltd、国内?Raleigh Cycle Co LtdはT I Raleigh Ltd、Sturmey Archer LtdはT I Sturmey Archer Ltd
 

70年代後半 ■ラレーアメリカのBMXシリーズのRamparではMongooseマングースのBMXプロダクツ社が生産したフレームを使った高性能モデルもあった (自転車リスト)

1980 ■オドノバンとクレスウェルの商品開発チーム、スペシャルプロダクツ部門(Special Products Division:SPD)発足

1980 ■この頃のラレーのエントリーモデルは台湾のメリダが作っていた
台湾の美利達工業(メリダ):與英商TI RALEIGH公司合作,以「來禮」品牌自行車行銷國內市場
イギリスのTI ラレーと合作で、台湾国内市場向け「來禮」ブランドの自転車を販売(About MERIDA 歷史沿革 MERIDA History)

■70年代後半から80年代初期に販売急増、
80年代半ばに落ち込むが世紀末に向け増加270万台、 1980-1985期損失3000万ポンド

1981 ■シェア減で4割に

1981 ■カールトンWorksop工場閉鎖(81年間)

ハフィー傘下のラレーUSA
1982-1986 ■米国事業はハフィーにライセンスし、ラレーUSAはハフィー傘下の部門に。(ラレーアメリカという会社資産はハフィーに売却されてハフィーのもの。ラレー印のアメリカライセンスはイギリスラレーが保有してハフィーにライセンス。たぶん。これなら「ハフィーは1986年にラレーに販売権を戻した。」というのと、「ダービーはハフィーからラレーアメリカを買った」というのが両立できる。アメリカ人でも「ラレーはハフィーが買った」と「ラレーはラレーにあった」とわかれるのはこういうことじゃないでしょうか。)
この時期の米国ラレーは高級車(=軽量)以外はブリヂストンで日本製
(いいモデルは日本製、よくないモデルと後期モデルは台湾製 -- sheldonbrownとも)
1985年ハフィー社がRaleigh Cycle Co. of Americaを開始しシアトル近郊のケントKentで工場稼動。この工場ではTechniumテクニウム技術(スチール、アルミなどの異種金属低温接合技術)が使われた。1987年ダービー買収後のダービーアメリカ本社、2001年ラレーサイクル社傘下ラレーアメリカでは工場は2001年4月で閉鎖し本社機構のみとなる。
長年米国第3のメーカーだったハフィーは米国自転車不況後の76年にすかさずNo1。
そんなハフィーが量販店メーカーとならざるを得なかった理由は
IBDはラレーの牙城で入り込めなかったからとのこと。
IBDの客というよりIBD経営者自身がラレーを売りたがった。
アメリカでも玄人に人気だったラレー。そしてIBDをとるためにラレーを買ったハフィー。
アメリカで玄人に人気なのは、アメリカ輸出用はカールトン印もラレー印もすべてカールトンの工場製高級車だったから。このあたりは21世紀の日本では自転車業界よりも自動車業界ににています。自国の自動車業界が強いから輸入は高級系に偏ってしまう。そして輸入される商品本体ではなくメーカー自体が高級と宣伝されるということがです。家電などでも似たようなことが言えます。
もしかしたら、アメリカ情報べったりの現代日本ですから、このあたりの米国内ラレー高級品路線のイメージを日本人も共有するようにしつけられてしまっているのかもしれません。

1982 ■TI社名変更TI Group plc,

1982-1984 ■BMXブームでイボンヌ・リックスさん主導のBurnerが100万台以上販売

1983 ■10月、レントン通りの本社オフィスを売却し本社機構はトライアンフ通りに移転 (地図
『1984年、スターメーアーチャーは、20エーカー(8ヘクタール)を自身の敷地として所有していたが、トライアンフ通りのもっと小さな場所に移転させられていた。ラレーはその時点で、磁気、プラスチック、合金鍛造などに直接かかわることを止めてしまった。1982年に発表された合金リム製造だったが、持っている技術のすべてをあっという間にアメリカの「サンメタル(Sun Metal 下部に詳細)」に渡してしまった。その後の数年間でラレーはそのほかのコンポーネントもすべて作らなくなった。例外は、スターメーアーチャーのハブギア、ハブブレーキ、スポークの一連のシリーズと、ブルックスのサドルのみ。』詳細ページ hadland情報 

(Sun Metal Products Inc. インディアナ州ワーソー、リムメーカーだったはずなのですが(2001年工場売却、すでに中国へ生産移管が進んでいる)、「Sun Ringléブランドのホイール、ホイールセット、ハブ、その他自転車関連コンポーネントおよび車いす関連コンポーネントの設計、製造、販売」と説明されています(レイノルズと似た業態変化)。2005年7月、HB Performance Systems Inc. が買収してHayes Bicycle Group傘下でSun Components。)

1985 ■マーベリック、初のMTB。経営陣判断で3年間置かれて投入が遅れた。時期を逸し販売不振

■ラレーサイクル売上3割減 1980-1985期損失3000万ポンド

1986 ■幼児自転車

■ラレーはTI4番手の事業で経営陣の視野外 1986年のTI売上構成比、
家庭用器具とエンジニアリングがそれぞれ25%で全体の50%、
自動車(排気系とシート)が20%、ラレー自転車14%
TI事業の売却が相次ぐ。最終的にエンジニアリングに専念を決定(7月)。ラレー売却(1800ポンド)。

■TI傘下時代のラレー経営陣は、お役所仕事的bureaucracyで、管理過剰over management だったと評された。

1980年代 ■日本
80年代のUNIVEGA印のMTBはアラヤ製
(それ以前はほぼミヤタ製()):2003年からラレー印をライセンスしたアラヤ(新家工業)は、80年代には、ベン・ラウウィさんが75年からやっていたUNIVEGA印で廉価で高品質なマウンテンバイクのために日本に生産を委託。生産供給していたのがアラヤだった。その後、1996年にUNIVEGAは現在のラレーサイクルの元会社でラレーUKやラレーUSAの親会社にあたるダービーサイクルに売却された。
ダービー時代 1987 - 2001
ダービー第一期 1987.4 - 1998.5 Derby International
ダービー第二期 1998.5 - 2000.12 Derby Corporation (下部へジャンプ)
ダービー第三期 2000.12 - 2001.10 Derby Corporation (下部へジャンプ)
Gottesman
Ed Gottesman

ダービー第一期 Derby International 会社登記ルクセンブルク) 

Derby International

1987
■4月1日:英国で法律事務所を開いている米国人法律家エド・ゴッテスマンさんが持株会社としてダービーインターナショナル社(ルクセンブルク)をつくってラレー社(傘下のブランドもすべて)、ハゼレ社、スターメーアーチャー社買収ルクセンブルクは法人税が安いため。ゴッテスマンさんは税専門の法律家弁護士で、もっともなやり方。以前から法人登記(Incorporated)は米国内の税の安い州にされていて登記の州と本社の州が別というのはよくあるやり方だった。 1986年にすでにできていたという情報もあります。

レイノルズは売らずTIの手元にレイノルズの技術はラレー内に吸収されていたはず。けれどラレーはのちにフレーム生産をやめてしまったため、レイノルズの技術はレイノルズだけが継承? 別記事:1996年TI Reynolds 531 Ltd.を米国コヨーテスポーツに売却 外部:SEC情報97.6.12

Findencrofts2
Alan Finden-Crofts

■出資者から業界経験者を求められたためにゴッテスマンさんは
ダンロップスラセンジャー社長アラン・フィンデンクロフツさんをダービー社社長兼CEOにして実務を任せる(キーパーソン)

■ダービーの子会社となったラレーUK社長には前社長Leslie Robertsレスリー・ロバーツさんの息子さんで、Raleigh InternationalにいっていたSandy Robertsサンディ・ロバーツさんを呼び戻した。

イボンヌ・リックスさん、ラレーUK製品計画マネージャー(Product Planning Manager)からラレーUKマーケティング部長(Marketing Director)になりダービー傘下のラレーUKでも継続。ダービー社の方針は『リード(手綱)をはずすこと』でなによりもまず最初に『キーパーソン5人ほどをやめさせること』だったために簡単に昇進できた(リックスさん談)。製品開発よりもマーケティングが製品を決めるようになった

■リックスさん、業界最初(少なくとも英国)のハイブリッド自転車(クロスバイク)で新カテゴリーを開拓
リックスさんは常にアメリカの動向を注視していた = マーケティングの仕事 
■ラレーUK、サブブランドM-Trax 高級MTB / サブブランドMax 入門用MTB
■ラレーUK、ラレー100周年記念でRaleigh Centenary ゴールドプレート 53-フレームロードバイクが100台つくられ優良販売店に配られた。

■1987年、Derby (HK) Trading Co. Ltd. 香港商帝熙有限公司とDerby Trading Co. Inc.  設立
のちDTC Limited (Hong Kong)
公司名稱(中):香港商帝熙有限公司台灣分公司 公司名稱(英):DTC LTD. TAIWAN BRANCH これが Raleigh Taiwan。品牌名稱:RALEIGH 地址:台北市中山區復興北路58號11樓 主要產品:其他各型自行車,越野車,孩童車,登山車,淑女車 2009 台北國際自行車展覽會の情報から 成立時間:1987 員工人數: 26wheelgiant.com. ⇒ 2012年3月8日 Raleigh Taiwan設立時からのトップ、ビクター・サンが(アクセルグループ買収を前にして)DTC/ラレーから勇退 アラン・フィンデンクロフツさんから祝福されながら

1988
ドイツ、ノイカルクオフ買収(Neue Kalkhoff)。会社を買収したのではなく、会社資産の買収です。(ノイカルクオフ社という会社登記は会社清算なのでしょう) ブランド、Kalkhoff(カルクオフ)、Rixe(リクゼ)。会社名はDerby Cycle Werke

1988-1995年 最近なのにこのあたりの情報がすくないのはなぜ?

■ラレーUKを取り巻く業界状況:1995年までは、ラレーのライバルといえば、キャスケットグループ(Casket Group)だった。Townsendタウンセンド、British Eagleブリティッシュイーグル、Falconファルコンなどの自転車を販売していた。ところが、他事業で赤字となったCasketがTandem Groupと合併。Casketにつづきシェア1割ほどの会社が、超低価格路線のUniversalユニバーサルと輸入業者のMoore Largeムーアラージ(Emmelle、Diamond Backダイヤモンドバック - どちらもCBC中国ブランド、Scottスコット - スイスブランド台湾製など)。さらに、小さいシェアに台湾Giantジャイアント、アメリカのTrekトレックとCannondaleキャノンデール、イギリスのDawesとMuddy Foxがつづく。ラレーのみが英国生産。他は自国生産と他国生産のミックス。イギリスでのダイヤモンドバックはラレーのライバルが輸入販売していた 注:「イギリスのDawesとMuddy Fox」:Muddy Foxって日本のARAYAの自転車では?そうですけれども、イギリスではイギリスのMuddy Foxというブランドの自転車と思われているようです。1982年からイギリスで販売されていて、日本と違って、ずっと販売されています。ただし、2002年にUniversal Cycles PLC.にブランドは売却されて、2004年からはブランクをなくしてMuddyFoxとなっています。Diamond BackがDiamondbackとなったことと同じですね。ユニークな商標としたということです。

1990

■Sandy Robertsサンディ・ロバーツさんUK社長退任、Howard Knightハワード・ナイトさん就任。Special Products Division支持を失う
高級車部門の衰退

1991

■ラレーUK社名Raleigh Industries Ltd.からRaleigh Holdings Ltd.に変更。

マングースでBMXのヒーローとMTBのヒーローとなっていたジョントマックさんがダービーUSAラレーチームに参加 Mountain Bike World Championships優勝(x) ⇒業界の基本:マーク・ピピンさん スコット時代のSchwinn製品開発⇒SRAM⇒Trekボントレガー担当(⇒最新情報:エレクトラ)には1985年頃のトマックさんとの交流の話もあります

1992

1992 ジョントマックさん設計と宣伝で活躍(x)

1992 ■ダービーインターナショナル社は自転車業界売上世界No1 500ミリオンドル(500億円)(x)

1992 ■英国自転車振興BMA

このブログのシマノ情報はShimano シマノ インデックス

1992年、Shenzen Raleigh Industrial Development Co. Ltd. のちDTC Limited (Hong Kong) Shenzhen Office 香港商帝熙有限公司深圳办事处 DTCはDerby Trading Company。中国本土の完成自転車、自転車部品、フィットネス機器の買付担当。これが Raleigh China。2004年時点でHALLMAN SPORTS (スウェーデン)、 SHEPPARD (ニュージーランド)、K2 (アメリカ)の中国代理店でもあるszcycle.com。(HALLMAN SPORTSは2005年にシマノが株式取得しシマノ北欧販売拠点Shimano Nordic Cycle AB)

1993

1993 ■英国自転車振興CTC

■先進的な工場に変えるために、ロボット技術、先進レーザー溶接装置などに1987年から1993年の7年間でも1400万ポンド以上を投資した。(Independent, 1994.3.7)

1994

■ダービーUSAフィットネス部門社長、Bill Austin(William W. Austin Jr. ) ビル・オースチンさん(キーパーソン) 2001年新生ラレー、ラレーサイクル傘下のラレーUSAでCEO/会長。フィンデンクロフツさんからアメリカを任されています。すでに15年です。

ビル・オースチンさんは、1987年のGiantジャイアント米国オフィス開設時の責任者、ついで初代社長(1987-1993)でした。ジャイアントはシュウインの自転車設計をマスターして独自ブランドで米国に乗り込んできたのですが、ビル・オースチンさんは、それ以前はシュウイン(Schwinn Cycling and Fitness, Inc.)の副社長でマーケティングチーフだったのです!(1981-1986)。この後の1999年に社長となるのが、1993年から1998年までスコットUSA傘下となっていたシュウインの自転車事業責任者となっていたMongooseマングースのSkip Hess Jr. スキップ・ヘス・ジュニアさんでした。アメリカのジャイアントはシュウイン経験者が切り開いたということです。

■ジョントマックさんジャイアントへ移籍(x)

マングースラレー(ダービーUSA)とジャイアントシュウインの関係が人的にできていたのですね。

■Sandy Robertsサンディ・ロバーツさんの協力でThe Reg Harris Memorial Fund Committee (hadland)。

1995

1995 ■ダービーUSA、ラレーカタログはローエンドを先頭にして優先順位が変わった。(x)

1995 ■ダービーUSA(自転車部門ラレー&ダイヤモンドバック)社長に1994年にプジョーからラレーにきたTom Curranトム・カランさんが就任。(2003年2月まで8年間)

1996

■ラレーUK、従業員800人

■マーケティング部門では色彩心理学者を常勤とし、色彩の観点からも日常的にデザインを見直すようになった。
■製造工程もそれにあわせて見直され、フレーム製作では、素材から下塗りまでたった20分でおこなうようになった。
■1マイルあった塗装場(paint street)では数分で色を変えるようになった。子供用車では、ワールドカップで優勝したチームの色に即座に合わせられるようになった。
■英国の心理学上の廉価車と高級車との境目が100ポンドであることから、適度な自転車をかなりの安値で生産する必要性があった。CADから直接チューブや板金をカットするレーザーカッター、ロボット自動溶接機などが800万ポンドかけて導入された。生産台数は80万台に上昇。

1996 ■英国自転車振興 DTI

1996 ■モノコックカーボンコンポジッツフレーム新型(x)

1996 ■ラレー名義ライセンス開始 最初はおもちゃ、時計、服、高級フィットネス自転車など

1997

1997 ■ダービーUSA、ネット開始
■ダービーインターナショナル社、Univegaユニベガ権利取得。 2001年以降はラレーサイクル社に引き継がれ、現在に到るまで商標所有者。日本のグローブライド(旧ダイワ)もラレーサイクルからライセンスされているはずです。

7月、ラレーUK社長Howard Knightハワードナイトさん退任、後任にMark Toddマークトッドさん(onestopchoppershop)。東芝で働いたことがあったが、直前はビール業界。ラレーに新風と思われていた。けれど、スタメーアーチャー売却&破綻と、英国工場売却決定と、英国生産終了に直接手を下した張本人となりました。(ラレー退社後すぐに書いた「作るべきか買うべきか」)

■ラレーUK、英国販売1位、売上6891.6万ポンド

1998

1998 ■ラレーUK、イボンヌ・リックス定年。嘱託ながらライセンス部長に。自転車を販売するだけでなく、『ラレー』という名前を販売することに力を割くようになってきた。商社化への布石(ライセンスは1996年から開始)

1998 ■英国自転車振興 DETR

Malek
フレッド・マレクさん

Gary_s_matthewsモルガンスタンレー2009年掲載の最近のGary S. Mathews (経歴は下に)

Derby Cycle Corporation.

ダービー第二期 Derby Cycle Corporation:DCC 会社登記アメリカ、デラウェア州、本社コネチカット州)

■ 1997年は自転車株がアメリカ市場で高騰。さらに1年以内に倍に上がると見込まれた。後継者を探していたフィンデンクロフツさんと、新たな投資先を探していたアメリカの投資会社で話がまとまった。

1998
■5月14日、ワシントンDCの投資会社セイヤーおよびペルセウスが発表。資本入替(1億8千万ドル (1億2500ポンド)で売却)、社名変更:ダービーサイクルコーポレーション(デラウエア):アメリカ親会社 経営危機のため、主要株主はゴッテスマンさんとフィンデンクロフツさんからワシントンDCの投資会社セイヤーおよびペルセウスに。⇒つまり「フィンデンクロフツさんがワシントンDCの投資会社2社に会社を売った」

取締役会長はセイヤー会長のフレデリック・マレクさん(1936年生)62才、新CEOはセイヤーからの派遣で39才Gary Mathewsゲイリー・マシューズさん。マシューズさんの経歴はプリンストン大卒、ハーバードMBA、マッキンゼー、ペプシ、プロクター&ギャンブル、英国アルコール飲料企業Diageoディアジオ社ギネスUS社長(President)、ギネスUK社長(Managing Director)。ダービー社をアメリカの会社にするのに法的費用、調査、コンサルタント費、などですでに1300万ドルを費やしていた上に、フィンデンクロフツさんの時には5名だった本社スタッフを22名と拡大した上、莫大なコンサルタント費を使ってノッティンガム工場閉鎖やスターメーアーチャー売却を決定した。フィンデンクロフツさんはこの決定以降、マシューズさんには常に表立って反対し”Fizz屋”(酒屋)と揶揄。

ところでセイヤーは設立1994年の設立間もないマレクさんの投資会社。マレクさんは、マッキンゼーでコンサルタントをした後、マリオットホテル、ノースウエスト航空などで社長を勤めて、有名投資会社カーライルで仕事をした後、セイヤー設立。今はセイヤー傘下でノースウエスト航空、CBリアルエステート、ソフトウェアAG、マリオットやリッツカールトンなどのオーナーで”プライベートエクイティ のタイクーン”だそうです。またマレクさんの経歴はニクソン大統領あたりからはじまるような政治関連もそうそうたる人物で、ブッシュ大統領選で選挙キャンペーンの全国担当マネージャーだったとか、マケインキャンペーンでは資金担当だったとか。ブッシュとは一緒にメジャーリーグのテキサスレンジャーズを買収してオーナーだった(1998年まで)。その人がダービー社が自転車会社の世界1位だとしてもなぜ自転車会社?・・・という気はしますが、昔からフィットネスが好きだったのがスキーでけがしてからウエイトリフティングとスイミングと自転車がその代わりになったとか。ダービー第一期のゴッテスマンさんもラレーが好きだったということですが、もしかして、マレクさんもそうだったのでしょうか?やっぱりお金儲けが先に来るのでしょうね。
■英国販売1位、売上5191.5万ポンド

ダイヤモンドバックは1992年時点にShenzhen China Bicycles Co Holding(SCBC)中国深セン自転車の自社ブランド。アメリカではSCBCの株主の一社香港自転車の子会社WSIの取扱。WSIはMitchell Weinerさんと、Mike Bobrick さんの会社。Centurionセンチュリオンをやっていた。manual。これらWSIは80年代には日本人設計者山越(Yamakoshi)さんが米国で企画し日本で生産したものを販売したブランドとアメリカ情報があります。80年代と90年代で違うのかもしれません。
Centurionも、神戸でつくられた自転車だそうですが、WSIと提携していた(とちゃまが思っている)ドイツのWolfgang Rennerさんの会社「Nowack Radsport-Vertrieb(ノバック自転車販売)」がWSIが使わなくなった後に買われて欧州ブランドとなった(たぶん1991年「社名変更CENTURION Renner KG」)。その後、2001年にメリダの51%の資本参加でドイツの会社メリダ・センチュリオン(Merida & Centurion Germany GmbH)となっているようです。
■12月4日、Diamondback買収 Diamond Back International Company Limited(バージン諸島) とWestern States Import Company Inc. (WSI:カリフォルニア)secinfo 98.12.31。どちらの売り手も香港を拠点として世界的に事業を手がけていた中国系のジェローム・シー・チンフンさん。(初期はDiamond Back)ダイヤモンドバック買収
ラレーの家族イメージに対して過激なイメージ。Avenir印、CyclePro印も。(この時点でDCC本社はワシントン州ケント) ダイヤモンドバックとつけたのは『この蛇がマングースを食べるから』だそう。
2010年時点のラレーUSA本社住所 6004 South 190th Street, Suite 101 Kent, WA 98032 ⇒ シアトルバイクサプライとすごく近いところです
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1999

■5月、ラレーUK、ノッティンガムのトライアンフ通りTriumph Road工場(ラレーおよびスターメーアーチャー8.5acre)全12.5エーカーの売却を表明。売却先を探し始めた。

■11月、ラレーUK、(売却を発表した)Mark Toddマークトッドさん(早々と)ラレーUK社長退任(ビール業界に戻る)。(ラレー退社後すぐに書いた「作るべきか買うべきか」) 後任に暫定でラレーアメリカCMO(チーフマーケティングオフィサー)の"Reggie" Fils-Aiméレジー・フィサメィさんがラレーUK暫定社長に(現在米国任天堂社長兼COO)。

■12月10日オークションでフレーム生産設備売却。(工場全体の売却よりも先に自転車生産の要となるフレームの生産設備を売却した。) フレーム自社生産終了。自社では組立(アセンブリ)のみとなる。
「ラレーには鋼フレーム施設しかなくアルミ時代に自社生産への投資よりも社外からの輸入を選択」といわれたが、それでも近年導入した最新設備が特に売却の目玉だった。これらは台湾のメーカーが落札した。そして、 すでに自社生産も以前から縮小していたが、ここで完全にメーカーから商社へ

secinfo.com Derby Cycle Corp · 10-Q · For 6/27/99 この当時のダービーサイクルコーポレーションの事業部門とその売上

     Raleigh UK (英国ラレー、現在のラレーUKでラレーサイクル社のイギリス事業)
     Derby USA(アメリカのダービー社 ラレーアメリカ、ダイヤモンドバック。現在のラレーUSA。ラレーサイクル社のアメリカ事業)
     Raleigh Canada(現在もラレーサイクル社のカナダ事業)
     Gazelle(オランダのハゼレ)
     Derby Germany(ドイツのダービー社、現在のダービーヴェルケでフォーカスをやっている会社)
     Sturmey Archer, UK and The Netherlands (スターメーアーチャー英国とオランダ、このスターメーアーチャーは売却後すぐに破綻。
                会社清算処理で、スターメーアーチャーの商標や生産設備は台湾のサンレースが落札。
                スターメーアーチャーはサンレースが社名変更した会社です。
               イギリスの会社が移転したのではありません。)
     Probike, South Africa.(南アフリカのプロバイク、現在は独立してラレーのディーラーを継続。インドでも事業。)

                                                                    Quarter ended           Six months ended    
                                                              ------------------------   ---------------------- 
                                                                 Jun 28,       Jun 27,     Jun 28,      Jun 27, 
                                                                    1998          1999        1998         1999 
                                                                     un-           un-         un-          un- 
                                                                 audited       audited     audited      audited 
                                                               ---------     ---------   ---------    --------- 
                                                                                                                
Net revenues:                                                                                                   
     Raleigh UK..............................................  $  24,125     $  21,278   $  39,763    $  34,586 
     Gazelle, The Netherlands................................     35,897        39,725      66,448       74,463 
     Derby Germany...........................................     44,582        49,979      84,917       95,225 
     Derby USA...............................................     21,355        37,736      32,527       59,038 
     Raleigh Canada..........................................     12,978         6,536      24,609       18,086 
     Sturmey Archer, UK and The Netherlands..................      7,131         5,552      14,055       11,767 
     Probike, South Africa...................................      3,537         3,133       7,554        6,934 
     Other companies.........................................      1,241         1,192       2,411        3,419 
                                                               ---------     ---------   ---------    --------- 
          Total net revenues.................................  $ 150,846     $ 165,131   $ 272,284    $ 303,518 
                                                               =========     =========   =========    ========= 

Operating income:                                                                                               
     Raleigh UK..............................................  $   2,713     $     365   $   1,246    $  (1,939)
     Gazelle, The Netherlands................................      5,544         6,082      10,390       11,284 
     Derby Germany...........................................      2,947         3,692       6,427        6,670 
     Derby USA...............................................        297         1,442        (118)         724 
     Raleigh Canada..........................................      1,379           677       2,270        1,712 
     Sturmey Archer, UK and The Netherlands..................        289           302         728          502 
     Probike, South Africa...................................         63            15         246          243 
     Other companies.........................................        462            (4)        847         (427)
                                                               ---------     ---------   ---------    --------- 
          Underlying  operating income.......................  $  13,694     $  12,571   $  22,036    $  18,769 
               Recapitalization costs........................     (5,671)            -      (5,671)           - 
               Restructuring charge..........................          -        (7,914)          -       (8,461)
                                                               ---------     ---------   ---------    --------- 
          Total operating income.............................  $   8,023     $   4,657   $  16,365    $  10,308 
                                                               =========     =========   =========    ========= 



                                                                                             Dec 31,    Jun 27,
                                                                                                1998       1999
                                                                                                      unaudited
                                                                                          ----------  ---------
                                                                                                               
Identifiable assets                                                                                            
     Raleigh UK.......................................................................... $   67,719  $  67,771
     Gazelle, The Netherlands............................................................     55,784     47,728
     Derby Germany.......................................................................     91,789     86,903
     Derby USA...........................................................................     36,356     79,137
     Raleigh Canada......................................................................     13,997     13,913
     Sturmey Archer, UK and The Netherlands..............................................     25,060     24,936
     Probike, South Africa...............................................................     11,993      6,993
     Other companies.....................................................................     22,592     27,309
                                                                                          ----------  ---------
          Total identifiable assets...................................................... $  325,290  $ 354,690
                                                                                          ==========  =========

2000
フィリップ・ダーントンさん フィリップ・ダーントンさん

■1月4日ラレーUK、社長(MD)は暫定レジー・フィサメィさんに替わりPhillip Darntonフィリップ・ダーントンさん(2003年4月まで)。UK以外にラレーアイルランド、ヨーロッパ全域のラレーブランドとダイヤモンドバックブランドの統括者。ダービーサイクル社取締役も兼任。オックスフォード卒、ユニリーバのカナダ、ブラジルで社長。1996年からReckitt-Coleman(現Reckitt Benckiser)マーケティング担当取締役。
■ダーントンさん就任時のイブニングポスト紙でのラレー紹介の一説に、「ダービーには世界中のリーダーブランドがあり、オランダのGazelle 、アメリカのBMX&MTBブランドのDiamondback。昨年の販売は50万ポンド以下、今年52万台を目標としている。ラレー従業員は常勤500名を超え、下半期のシーズン需要に向けて(*)ピーク時は約650名となる。」 そこでダーントンさん「ラレーの戦略はコスト削減、競争力強化、将来的には市場シェア向上。英国市場は厳しいビジネス環境だが、ラレーはシェア約25%を維持している。下半期の販売予想は上向きと予想している。7月以降の販売台数も1998年同時期の2割増で推移している。」(*ちゃま:イギリスはクリスマス前10月-12月が自転車販売のピークシーズン)

工場売却&移転(1)/スターメーアーチャー売却(1)
■1月7日、ダービーサイクルとラレーUK、ノッティンガムのトライアンフ通りTriumph Road工場(ラレーおよびスターメーアーチャー)12.5エーカーの市(のノッティンガム大学(教員研修センターに))への売却を発表。新生産工程には旧建屋では適さないとの理由。4年後移転の完了。新工場の代替土地は市議会と協議。ダービーサイクル社はスターメーアーチャー敷地分で375万ポンド、ラレー敷地分で1000万ポンドを手にした。スターメーアーチャー社にはこの利益は一つもわたっていなかった。年末の破綻の際、これがあれば破綻せずにすんだのではと問われた。bike-eu - ゲイリー・マシューズが主導、この発表がフィリップ・ダーントンにとってのラレー最初の仕事
■ラレー100年工場閉鎖イブニングポスト紙記事 「ラレーは100年以上の年月を経てノッティンガム工場から出て行こうとしている。今日発表があった・・・・」
+ Raleigh rides into history ラレーは歴史の中で自転車に乗る「それは数日前のこと、ラレーが自転車生産をもうおこなわないとラドフォード本社で発表された。この敷地はトライアンフ通りとファラデー通りとに挟まれた場所で、まだ組立とペイントをおこなうが、直接的な生産はもうおこなわないとされた・・・」(別ページへ

■2月ダービーUSA、Razorfishとダービーが99年12月にカリフォルニア向けに始めたネットショップBikeShop.comを4月から全国展開と発表

■4月、去年の11月に社長を辞めたMark Toddマークトッドさんがラレー退社後WebマガジンのBikemagicに自社生産か他社からの外注かについて寄稿。「作るべきか買うべきか

■6月ラレーUK、子会社のラレーP&A(パーツ&アクセサリー)社(MDはJohn Spon-Smithスポンスミス)がノッティンガムに隣接するアネスリーAnnesleyのシャーウッドビジネスパークへ一足先に移転

スターメーアーチャー売却(2)

■6月24日、スターメー傘下のThe Wright Saddle Company Limitedをレナーク社に30ポンドで売却hadland

■6月30日、スターメー資産および負債をスターメー子会社The Wright Saddle Company Limitedに移転。Sturmey-Archer Limitedの社名をDerby Cycle Corporation Limitedに変更。The Wright Saddle Company Limitedの社名をSturmey-Archer Limitedに変更。これで税負担を少なくしてスターメー資産が売却された(これは違法ではなく節税でよくあるやり方)
同時にDerby NederlandsがSturmey-Archer Europa BVをレナークに300万ギルダーで売却されSturmey-Archer Limited

■7月1日、レナークはスターメーアーチャーに役員を2名派遣。スターメーは7月8月各6万ポンドを役員派遣料としてレナークに支払い。他にレナーク関連社に5.2万ポンドも別途支払い。

■7月5日ラレーUK、スターメーアーチャーのレナーク社への売却を発表(傘下のブルックスは対象外)。売却対象は資産と得意先(assets and goodwill)のみ。不動産( property)は含まれない。米ダービーのSEC文書提出日8月16日
売却時点でスターメーは自転車ギア、ブレーキ、自動車安全装置その他を製作。この時点では他に工場を新設して移転予定とされていた。

最高級ブランドDiamondback
■8月27日ラレーUK、就任3ヶ月のマーケティングマネージャーAlison Ostickアリソン・オスティックが2001年製品戦略を発表、ダイヤモンドバックをすべての製品群でのハイエンドブランドとして使用し、ラレー一般レクリエーション市場向で150-700ポンドクラスに使用するとされる。RSP(Raleigh Special Products range)もダイヤモンドバックで置き換え。2001年からDerby UK MTB レースチームの”チームラレー”は終了し、”チームダイヤモンドバック”とする。ラレー自転車の主力購買層は子供と年配消費者で、10代から20代はTrek、Marin、Scott、Orangeに向かっていた。これにダイヤモンドバック印で切り込もうとした。
スターメーアーチャー売却(3) 突然の破綻で大問題に

■9月16日、何十年もの間ラレーUK傘下だった会社が売却されてすぐに破たん⇒スターメーアーチャー破綻、従業員300人は即時解雇(工場では突然に「今から10分間で工場外へ退出するように」とアナウンス)。Lenarkは負債込みで名目上50ポンドで買収していた。工場資産は台湾のサンレース(SunRace)が買収。レナークはスターメーを新敷地に移転するとして売買をおこなっていたが、最初からそのための資金などなく、破綻を前提に、破綻前の数ヶ月で役員派遣費を得られればいいとする魂胆だった。一方のダービー社は、ノッティンガムトライアンフ通りの敷地売却益のみが目当てであって、それ以外の特に人員解雇によって生じる退職費に大金を使いたくなかった。そのためどこかに売却したかったという魂胆だった。

■1986年までラレーの親会社だったTIチューブインベストメンツが9月19日に1851年創業のエンジニアリング大手企業Smiths Industries Ltd.と合併発表

■10月2日、スターメーアーチャー債権者会がバーミンガムで開催
新工場移転に300万ポンド(含む土地代)。スターメーアーチャー社長のコリン・ベイトマンさん(47才)とノッティンガム市教育雇用局のデービッド・ブランケットさんとノッティンガム南部選出議員のアラン・シンプソンさんが奔走。新オーナーを見つけるのに5日間の猶予しかない。翌週の月曜に生産再開できなければ永久にない。買い手は移転費用140万ポンドを拠出できなければならない。イーストミッドランド開発局がスターメー用の土地を手立てしリースする用意があるとする。これで短期的にはオーナーの負担が軽減される。これで(州と市の)政府ができることはすべて手を尽くした、あとはこの名のある会社と従業員を引き受けてくれるというオーナーがでてくることを待つだけだとシンプソンさん。通商局はダービーとレナークの取引調査に入った。管財人のトニー・マーフィーはスターメーアーチャーは本日から清算にはいったことを確認した。50の債権者が今後の方向を決定することになる。

■10月3日、レナーク傘下の4社が清算や破産とポスト誌が報じる。

■10月14日、DTI通商産業省調査開始

■10月19日、企業名未公開で入札があったが実りなく、KPMGのピーター・ブレアにより「売買機会はなくなった、残念ながら清算人により資産売買を開始、フィナンシャルタイムズにスターメーアーチャー売却広告を金曜日に掲載」と宣言。
一方、スターメーアーチャー傘下でバーミンガムにあるブルックスは買収額未公開ですでに買収済みとなって、20人の雇用が確保。

アラン・フィンデンクロフツさん経営権復帰への布石
■こんなさなかの11月22日、ダービーサイクルコーポレーションとWAMROX MANAGEMENT LIMITED,(ガーンジー島未公開株企業)との間で、WAMROX が2001年1月2日から常設のエグゼクティブ・チェアマンとしてアラン・フィンデンクロフツさんをパートタイム派遣(役職は常設、実働はパートタイム)し日常業務は取締役会のロバート・ミハリクさん、業務報告は(セイヤー代表の)フレデリック・マレクさんにおこなう、という内容で”エグゼクティブサービス契約”が締結。事実上フィンデンクロフツさんがDCCトップとなる契約。secinfo 00/12/31
スターメーアーチャー売却(4) 破綻後の資産は管財人により台湾のSunRaceへ売却

■12月12-14日、ノッティンガムのオークショナーFPDSavillsによりオークション実施。Savillsでも最大級のオークション。主な装置類にはライバーフェルト鍛造機3台、1台10万ドル以上。13日のbidのまま14日に決着。落札者は1972年から自転車部品製作をおこなっている台湾のサンレースSun Race。落札後にSun Race Sturmey Archer Incと社名変更。サンレースは北米にも工場を保有。市に残したかった人々からはトラジディー、歴史ある遺産がなくなってしまうのを悲しむ声が上がる。
■12月21日、スターメーアーチャーの劇的な破綻に対する完全調査が始まる。Architects and Engineers for Social Responsibility (AESR:社会的責任ある建築家と技術者)という1991年にArchitects for PeaceとEngineers for Social Responsibilityが合併して設立した平和と倫理と環境の問題を取り上げるロビー団体もDTIへ書面で質問状を提出。

ダービー第三期 暫定時期 本社フィンデンクロフツ自宅のガーンジー島)

■12月、ジョージソロスなど資本注入、社員2,745名 12.31時点

■12月19日発表、Derby CEO Gary Matthews Under Pressure - bike-eu

Raleigheconobiz ■2000年 『Raleigh and the British Bicycle Industry: An Economic and Business History, 1870-1960』 by Roger Lloyd-Jones; M. J. Lewis発刊 Ashgate Publishing Company "Nottinghamshire Record Office"に保管されているラレー社関連文書を詳細に分析し、世界的な自転車会社の栄枯盛衰を創業から1960年のエンジニアリンググループのTIに吸収されて独立性を失うまでを記している。(findarticles) 著者たちは特にラレーや他社での役員会での意思決定に焦点を当てている。これは、バッチ生産での少数エリート向け高級品が、輸送や娯楽に使うユーザー向けの大量生産に変わっていく時代、そして、自動車の普及によって再び娯楽のための所有が主流となった1950年代以降の時代である。ラレーはなぜ業界の最先端にいられたのか、また、そのブランドネームがイギリスの自転車と同義であった理由、を考察している。著者たちは、『経営戦略のいたらなさや外部要因を無視してでも、事業の成功のために、ラレーは品質にこだわるべきだった』と結論付けている。
日本国内で自転車生産がされていた時代の検証はだれがしているのでしょう? 日本の自転車産業の『"Nottinghamshire Record Office"に保管されているラレー社関連文書』のようなものはどこにあるのでしょうか?

2001
Findencrofts

■1月2日、フィンデンクロフツさんがCEOより上に位置する”執行役員兼会長Exective Chairman”として復活。

■1月9日、英国ラレーの電話が、「ラレー=ダイヤモンドバックです」から「ラレーインダストリーズです」となった

■1月17日、アメリカのコネチカット州スタムフォードの本社オフィスを閉鎖し、フィンデンクロフツさんの自宅(イギリス王室属領のガーンジー島)を本社とする。この時点から以降、親会社本社はもたなかった。

■同日、ゲイリー・マシューズ退任:ダービーサイクルコーポレーションCEO兼社長ゲイリー・マシューズは4年任期半ばの2年で退職金50万ドルを手に退任、フィンデンクロフツが暫定CEO
退任後のマシューズの経歴: 200? Bristol-Myers Squibb, ブリストルマイヤースクイブ事業会社、President, Worldwide Consumer Medicines Specialty Pharmaceuticals division、 2005-09-20 Sleep Innovations Inc., メモリーフォームマットレス President and Chief Executive Officer、 2005-11-10 カナダのモルソンクアーズ社Molson Coors Brewing Company取締役ダービー社紹介なし、 2006-11-20 Simmons Bedding Co., ベッド、2007-10-02 Morgan Stanley Private Equity as Managing Director

Reggie同時に財務担当役員Dan Lynchダンリンチ(1999.6.1-2000.12.21)、グローバルマーケティング副社長Reggie Fils-Aimeレジー・フィサメィ((1999.4.19-2001.2.1)Reginald "Reggie" Fils-Aimé レジナルド・フィサメィwikipedia 現任天堂アメリカ社長兼COO / ign.com)(1999年に6ヶ月間、イギリスラレーの社長だった)も退任。レジーさんはマーケティングで前歴はP&G、ピザハットでヒットを連発、米国ギネスではマーケティングチーフ。ギネスつながりでマシューさんがらみですね

大きな地図で見る

■2月初旬のラレー資産:


ラレーへ資金を出している銀行一覧:Dresdner Bank AG, New York and Grand Cayman branch; HSBC Bank plc; KBC Bank (Nederland) NV; Lloyds TSB Bank Plc; Oldenburgische Landesbank AG; Scotiabank Europe plc; the Bank of Nova Scotia; Chase Manhattan Bank; the Bank of Scotland; the Bank of Ireland; the Industrial Bank of Japan(日本興業銀行), the Sumitomo Bank(住友銀行); ABN AMRO Bank N.V., BHF Bank AG, BNP Paribas, and Deutsche Bank London AG.

■2月、ネットショップBikeShop.comの閉鎖発表。1850万ドル投資で利益は事実上ゼロで終了。5月にDerby USAとSmartEtailing.comが共同で小売店がDerby社のRaleigh印、Diamondback印Univega印の販売のためのネットショップを自ら構築できるSmartEtailingサービス(初期費用195ドル+月額)をラレーアメリカ会長ビル・オースチンが発表。 (allbusiness)

■ラレーアメリカ、2月に、ワシントン州ケントでの生産を4月で終了し、解雇152名、206名は本社機構として残すと発表。

■ドイツダービーサイクル体制bike-eu

■4月18日、2000年決算発表 bike-eu

決算発表資料 sec.edgar-online.com

4月13日付ITEM 10. DIRECTORS AND EXECUTIVE OFFICERS OF THE REGISTRANT

経営者 Management

Directors and Executive Officers of the Company

The following table sets forth certain information regarding the directors and executive officers of the Company:

Name Age Position
------------------------- ----- ------------------------------------------------------
Frederic V. Malek 64 Chairman and Director of the Company
Alan J. Finden-Crofts 59 Executive Chairman and Director of the Company
John C. Burdett 55 Chief Financial Officer of the Company and Secretary
A. Edward Gottesman 63 Director of the Company
Robert E. Michalik 32 Director of the Company
Frank H. Pearl 57 Director of the Company
Carl J. Rickertsen 40 Director of the Company
Dr-Ing. Thomas H. Thomsen 66 Director of the Company
William W. Austin, Jr. 64 Chairman of Derby U.S.A.
Thomas C. Curran 43 President of Derby U.S.A.
Klaas Dantuma 57 Managing Director of Gazelle
Phillip L. Darnton 58 Managing Director of Raleigh U.K.
Simon J. Goddard 49 Corporate Controller
Mervyn B. Jones 54 Director of Global Sourcing
Peter Miller 53 Joint Managing Director of Probike
Kim Roether 37 Managing Director of Derby Germany
Irwin R. Slotar 53 Joint Managing Director of Probike
John V. Spon-Smith 47 Managing Director of Raleigh Parts & Accessories Europe
Farid Vaiya 57 President of Raleigh Canada


Frederic V. Malek, Chairman of the Board of Directors of the Company

Mr. Malek, age 64, has been chairman of Thayer Capital, the general partner of Thayer, since 1993. Prior to that, Mr. Malek was president of Marriott Hotels and Resorts from 1980 to 1988, and president and then vice chairman of Northwest Airlines from 1989 to 1991. Mr. Malek currently serves on the board of directors of Automatic Data Processing Corporation, American Management Systems, Inc., FPL Group, Inc., HCR Manor Care, Inc., CB Richard Ellis, Inc., Northwest Airlines, Colorado Prime, Inc., Paine Webber Mutual Funds, Global Vacation Group, Inc, Saga Systems, Inc. and Aegis Communications Group, Inc.. Mr. Malek has been a director of the Company since May 1998.

Alan J. Finden-Crofts, Executive Chairman and Director of the Company

Mr. Finden-Crofts, age 59, was the Chief Executive Officer of the Company from 1987 until January 1999. Mr. Finden-Crofts was previously the chief executive officer of Dunlop Slazenger International from 1985 to 1987 and director, consumer group, of Dunlop from 1982 to 1984. Mr. Finden-Crofts is chairman and chief executive of Royal Worcester and Spode Limited which, through its subsidiaries, manufactures and distributes Royal Worcester and Spode fine bone china and porcelain. Mr. Finden-Crofts has been a director of the Company since October 1988.

John C. Burdett, Chief Financial Officer of the Company and Secretary

Mr. Burdett, age 55, was appointed Chief Financial Officer of the Company on March 1, 2001 on an interim basis. Mr. Burdett has been engaged by EIM Executive Interim Management A.G. from 1992 to date as Finance Director on a number of interim turnaround, restructuring, management buy-out/buy-in and IPO assignments.

A. Edward Gottesman, Director of the Company

Mr. Gottesman, age 63, has been a director since 1998 and is the chairman of DICSA. Mr. Gottesman has been chairman of Centenary Corporation since its formation in 1989. Mr. Gottesman was a partner at the law firm of Coudert Brothers from 1963 to 1970 and has been a partner of Gottesman Jones & Partners since 1970.

Robert E. Michalik, Director of the Company

Mr. Michalik, age 32, has been employed since 1996 by Thayer Capital, the general partner of Thayer, and has been a Managing Director at Thayer Capital since 1998. Prior to joining Thayer Capital, Mr. Michalik was an associate at UBS Capital Corporation and worked in the mergers and acquisitions department at Morgan Stanley & Company, Inc.. Mr. Michalik is a director of Renaissance Interactive Holding Corporation, Iconixx Corporation and Primary Investors L.L.C. and has been a director of the Company since November 2000.

Frank H. Pearl, Director of the Company

Mr. Pearl, age 57, is chairman and president of Perseus and Perseus Management, the managing member of Perseus. Prior to founding Perseus in 1996, Mr. Pearl founded, and is also chairman of, Rappahannock Investment Company, a private investment fund which owns approximately 57% of Perseus Management. From 1984 to 1988, Mr. Pearl was a principal and managing director of Wesray Capital Corporation. Mr. Pearl is also a founding shareholder and director of DICSA. He has been a director of the Company since May 1998.

Carl J. Rickertsen, Director of the Company

Mr. Rickertsen, age 40, is Chief Operating Officer of Thayer Capital. Prior to joining Thayer Capital in 1994, Mr. Rickertsen acted as a private financial consultant from 1993 through August 1994, and was a partner at Hancock Park Associates, a private equity investment firm based in Los Angeles, from 1989 to 1993. Before joining Hancock Park Associates, Mr. Rickertsen was an associate at Brentwood Associates from 1987 to 1989, and worked in the high technology group at Morgan Stanley & Co., Inc. from 1983 to 1985. He has been a director of the Company since November 2000.

Dr-Ing. Thomas H. Thomsen, Director of the Company

Dr-Ing. Thomsen, age 66, is a director of DICSA. Dr-Ing. Thomsen was director of corporate engineering of The Gillette Company from 1969 to 1981. From 1982 to 1991, Dr-Ing. Thomsen was a member of the management board of Braun AG. Dr-Ing. Thomsen currently serves on the board of directors of Travelplans and A. Paukner S.A., as well as the German Institute for New Technical Form and the Design Council, State of Hesse. He has been a director of the Company since May 1998.

William W. Austin, Jr., Chairman of Derby U.S.A.

Mr. Austin, age 64, became Chairman of Derby U.S.A. in January 2001, having been President of Derby U.S.A. from 1994. Mr. Austin was previously Group Vice President of Schwinn Cycling and Fitness, Inc. from 1981 to 1986. From 1988 to 1993, Mr. Austin was President of Giant Bicycle Company in the U.S.A..

Thomas C. Curran, President of Derby U.S.A.

Mr. Curran, age 43, joined the Company in 1989 as Vice President, responsible for Purchasing, Product Development and the Parts and Accessories division and has served as Senior Executive Vice President of the Derby U.S.A. division of the Company since May 1998. Mr. Curran was appointed President of the Derby U.S.A. division in January 2001.

Klaas Dantuma, Managing Director of Gazelle

Mr. Dantuma, age 57, has been Managing Director of Gazelle since 1990. Mr. Dantuma has held a variety of positions with the Company since 1973, including Deputy Commercial Director for four years, before becoming Commercial Director in 1985.

Phillip L. Darnton, Managing Director of Raleigh U.K.

Mr. Darnton, age 58, became the Managing Director of Raleigh U.K. on January 4, 2000. Prior to joining the Company, Mr. Darnton was Chief Marketing Officer of Reckitt & Coleman from June 1996, having previously spent 26 years at Unilever including being President of Lever Brothers Canada and Managing Director of Unilever Brazil.

Simon J. Goddard, Corporate Controller

Mr. Goddard, age 49, held the senior financial post in the Company from 1990 to June 1999. Mr. Goddard began working at Raleigh U.K. in 1985 as the management accountant for international operations. Prior to that, Mr. Goddard was with Coopers & Lybrand.

Mervyn B. Jones, Director of Global Sourcing

Mr. Jones, age 54, joined Raleigh U.K. in 1975 from Coopers & Lybrand, and served in a number of senior financial roles in the Company before heading up the Purchasing Function in 1981. From 1987 until 2000 Mr. Jones was Procurement Director and latterly Logistics Director for Raleigh U.K.. Since May 2000 he has served as Director of Global Sourcing, with responsibility for the Company's buying operations in Taiwan and China.

Peter Miller, Joint Managing Director of Probike

Mr. Miller, age 53, has been Joint Managing Director of Probike since the Company acquired Cycle Center Wholesalers in 1991, a company that Mr. Miller founded.

Kim Roether, Managing Director of Derby Germany

Mr. Roether, age 37, has been Managing Director of Derby Germany since 1997. Mr. Roether started with Derby Germany as its Controller in 1994. In 1995, he became Derby Germany's Financial Director. From 1991 to 1994, Mr. Roether was a consultant to Grant Thornton International.

Irwin R. Slotar, Joint Managing Director of Probike

Mr. Slotar, age 53, has been Joint Managing Director of Probike since the Company acquired Probike in 1990. Prior to the acquisition, Mr. Slotar was Managing Director of Probike, which had been owned by Mr. Slotar's family for several generations.

John V. Spon-Smith, Managing Director of Raleigh Parts & Accessories Europe

Mr. Spon-Smith, age 47, became Managing Director of Raleigh Parts & Accessories Europe in July 1999. He has been a Director of Raleigh U.K. and General Manager of Raleigh Parts & Accessories in the U.K. since 1996. From 1991 to 1996, Mr. Spon-Smith was Sales and Marketing Director of Stanley Tools for the U.K., South Africa and Ireland.

Farid Vaiya, President of Raleigh Canada

Mr. Vaiya, age 57, has been President of Raleigh Canada since 1989. Mr. Vaiya has been with the Company since 1972, as Vice President of Sales and Marketing of Raleigh Canada from 1987 to 1988 and National Account Sales Manager and Product Manager of Raleigh Canada from 1981 to 1987.

The Company retained the services of Mr. Alan J. Finden-Crofts as its Executive Chairman effective from January 2, 2001. All executives now report to Mr. Finden-Crofts.

Mr. Gary S. Matthews, the President and Chief Executive Officer of the Company, resigned from the board of directors of the Company on February 9, 2001 and has given notice of his resignation as President and Chief Executive Officer of the Company effective June 30, 2001, but in the meantime has no continuing operational responsibility. Also, Mr. Daniel S. Lynch, the former Chief Financial Officer of the Company resigned from the Company effective February 28, 2001. On January 11, 2001 the Company appointed Mr. John C. Burdett as Interim Chief Financial Officer. Mr. Burdett was appointed Chief Financial Officer on March 1, 2001.

2000.12.31時点の「登記のある子会社」

The Subsidiaries of The Derby Cycle Corporation Exhibit 21.1

SUBSIDIARIES OF THE REGISTRANT AS OF DECEMBER 31, 2000

Subsidiary companies of the Registrant are listed below.

                                                                                        State or sovereign power
                                  Name of subsidiary                                        of incorporation
--------------------------------------------------------------------------------------  ------------------------
Abingdon Rubber & Tyre Company (1970) Limited.........................................  Ireland
Abraham Brothers (Cycles & Accessories) (Proprietary) Limited.........................  South Africa
Armstrong Cycles Limited..............................................................  England & Wales
Auto Velos Limited....................................................................  Ireland
Beatty & Crabbe Limited...............................................................  Ireland
Bicycle Manufacturing Limited.........................................................  Ireland
Bikeshop.com Inc......................................................................  Delaware
BSA Cycles Ireland Limited............................................................  Ireland
BSA Cycles Limited....................................................................  Ireland
Carlton Cycles Limited................................................................  England & Wales
Century Cycles Manufacturing Corporation..............................................  Canada
Curragh Finance Company...............................................................  Ireland
Cycsad Engineering (Proprietary) Limited..............................................  South Africa
Derby Component Manufacturing (Proprietary) Limited...................................  Ireland
Derby Cycle Corporation Limited.......................................................  England & Wales
Derby Cycle Werke G.m.b.H.............................................................  Germany
Derby Fahrrder G.m.b.H................................................................  Germany
Derby HK Trading Company Limited......................................................  Hong Kong
Derby Holding (Deutschland) G.m.b.H...................................................  Germany
Derby Holding B.V.....................................................................  The Netherlands
Derby Holding Limited.................................................................  England & Wales
Derby Industries Limited..............................................................  South Africa
Derby Investments (Proprietary) Limited...............................................  South Africa
Derby Investments Holdings (Proprietary) Limited......................................  South Africa
Derby Nederland B.V...................................................................  The Netherlands
Derby Sweden A.B......................................................................  Sweden
Derby Trading Company Inc.............................................................  Delaware
Derby WS Vermoegensverwaltungs G.m.b.H................................................  Germany
Fun Biketech G.m.b.H..................................................................  Austria
InterDerby Group Finance N.V..........................................................  Netherlands Antilles
Irish Raleigh Cycle Company Limited (The).............................................  Ireland
J A Phillips & Company Limited........................................................  England & Wales
Koninklijke Gazelle B.V...............................................................  The Netherlands
Lyon Investments B.V..................................................................  The Netherlands
Moulton Bicycles Limited..............................................................  England & Wales
New Hudson Cycle Company Limited......................................................  England & Wales
Norman Cycles Limited.................................................................  England & Wales
N.V. Dierense Maatschapij Tot Exploitatie van Wonigen en Assurantien..................  The Netherlands
NW Sportgeraete G.m.b.H...............................................................  Germany
Philips Cycles Limited................................................................  England & Wales
PI Manufacturing (Proprietary) Limited................................................  South Africa
Pierderb Properties (Proprietary) Limited.............................................  South Africa
Probike SA (Proprietary) Limited......................................................  South Africa
Raleigh (Services) Limited............................................................  England & Wales
Raleigh B.V...........................................................................  The Netherlands
Raleigh B.V.B.A.......................................................................  Belgium
Raleigh Cycles (Botswana) Proprietary Limited.........................................  South Africa
Raleigh Cycles SA (Proprietary) Limited...............................................  South Africa


                                                                                        State or sovereign power
                                  Name of subsidiary                                        of incorporation
--------------------------------------------------------------------------------------  ------------------------
Raleigh Europe B.V....................................................................  The Netherlands
Raleigh Fahrraeder G.m.b.H............................................................  Germany
Raleigh Industries Limited............................................................  England & Wales
Raleigh Industries of Canada Limited..................................................  Canada
Raleigh International Limited.........................................................  England & Wales
Raleigh Ireland Limited...............................................................  Ireland
Raleigh Technical Services Limited....................................................  Switzerland
Raleigh Technical Services S.A........................................................  Switzerland
Reliable Cycles (Proprietary) Limited.................................................  South Africa
Rudge-Whitworth (Ireland) Limited.....................................................  Ireland
Rudge-Whitworth Limited...............................................................  England & Wales
Sturmey-Archer of America Inc.........................................................  Illinois
Sunbeam Cycle Company Limited.........................................................  England & Wales
The British Cycle Corporation Limited.................................................  England & Wales
The Gazelle Cycle Company Limited.....................................................  England & Wales
The Hercules Cycle & Motor (Ireland) Limited..........................................  Ireland
The Hercules Cycle and Motor Company Limited..........................................  England & Wales
The Irish Engineering Company Limited.................................................  Ireland
The Rambler Cycle Company Limited.....................................................  England & Wales
The Robin Hood Cycle Company Limited..................................................  England & Wales
The Sun Cycle & Fittings Company Limited..............................................  England & Wales
Triumph Cycle Company Limited.........................................................  England & Wales
Univega Beteiligungun G.m.b.H.........................................................  Germany
Univega Bike & Sport Switzerland A.G..................................................  Switzerland
Univega Bikes & Sports Europe, G.m.b.H................................................  Germany
Univega Worldwide License G.m.b.H.....................................................  Germany
Engelbert Wiener Bike Parts G.m.b.H...................................................  Germany
Winora-Staiger G.m.b.H................................................................  Germany
--------------------------------------------------------------------------------------  ------------------------

■ダービーUSA新体制、6月、allbusiness

■7月、Univegaユニベガ無期限使用停止決定

BrooksはイタリアSelle Royalへ売却

■7月2日、イタリアのSelle Royal セッレロイヤルがBrooksブルックス(サドル)を買収。レナーク騒動から抜け出すために4人のマネージメントが買収済みだった。セッレロイヤルが最適と判断した。(bike-eu)英ラレーはイギリス国内の卸会社(日本的にいうならイギリス国内販売担当総代理店という関係 - イタリア資本に変わったけれどもブルックスの工房は変わらずにイギリスバーミンガムにあるから。日本国内販売担当総代理店『日直商会(http://www.nichinao.co.jp/nicinfo.php)』と同じ立場です。、2009年現在ラレーはブルックス販売とは関係なくなっているようです。)

■7月19日、Gazelleハゼレ売却完了(現金1億4250万ユーロ)。ダービーグループ負債を一掃、フィンデンクロフツMBO資金調達へ道が開けた。

■8月20日: (フィンデンクロフツさんがCEOとなった)ダービー社(Derby Cycle Corporation:DCC)と(フィンデンクロフツさんが買収のためにつくった)サイクルビッド社(Cycle Bid Co.)とで資産買収契約 合意
会社売買を法的に明確におこない、ダービー社買収を進展させるため、保護目的で米国破産法第11条会社更生を適用。これは米国のダービー親会社だけで、英国ラレーなど子会社への影響なし。この破産は英語ではテクニカルtechnical bankruptcyと呼ばれるもので、銀行への債務不履行ではなく、自主的なもの。
techagreements.com / Derby files for bankruptcy in order to be sold to the Finden-Crofts/Perseus MBObikebiz / allbusiness

■9月11日、9.11事件発生。同日、アメリカの自転車の老舗の会社で、1992年からスコット傘下にあったシュウインを新興量販商社パシフィックサイクルが買収。この後、シュウインという会社はなくなって、印(ブランド)となった。

■9月28日アラン・フィンデンクロフツさん中心に支払いは2300万ドルでダービーサイクル買収、ダービーをラレーと社名変更(会社新設で資産移行なので法的には会社は継続していません、実質的には社名変更のようにみえるということです)。(サプライヤーなどへダービー社の負っていた負債をサイクルビッド社が支払ったため、これら負債支払い込みでは総額7300万ドル)。Raleigh Cycle Limitedを新設し、"資産購買契約Asset Purchase Agreement"でDCC資産買収。法的には会社は継続していない。けれど、DCCは子会社以外は自分で何も持っていない状態だったからお金の移動と紙上での移し変えです。
報告書では4投資家が株99%を保有。セイヤー(Thayer Equity Investors III, L.P., )57%、ダービーインターナショナル(Derby International Corp. SA) 24%、ペルセウス(Perseus) 13%、ソロス(Soros Private Equity Partners LLC,) 5%
これをフィンデンクロフツ42%、以前と同じ顔ぶれの投資会社セイヤー、ペルセウス、ソロスのグループが議決権なし株42%、16%が旧ダービーの8人のそれぞれの国の役員たち(USA2人、UK1人、ドイツ1人、南ア1人などそれぞれ2%)としたようです
■この時点でニシキ(Nishiki)は継承したが使われていない
■他に入札に参加したのはトレック、パシフィックサイクル(シュウイン買収以前)、ハフィー (米国のみ)、オランダのアクセルグループ。スキーのHEADは検討していたが未参加。トレックは真剣に検討(世界各国のダービー子会社も訪問調査)して入札前に降りた(から敵の内情をよく把握した)。パシフィックは電話して話しを聞いただけ。ハフィーは最後の数時間前に入札参加して決定を遅らせた。アクセルは下の取引のため?。
Derby

■9月30日の週 Interbike(International Bicycle Expo)でアラン・フィンデンクロフツさんスピーチ。各国のラレーディーラーやダービー役員やスタッフから熱狂的に迎えられる。ブース掲示はまだダービーサイクルコーポレーションだった。

■10月17日、ダービーサイクル最後のSEC提出、1月-7月期で15万1000台の販売。前年同期は16万6千台。


再生ラレー時代 2001 - 現在
 Raleigh Cycle Ltd., 

2001 (つづき)

■10月29日 Raleigh Cycle Ltd,は子会社としてRaleigh America、Raleigh Canada、Raleigh UK、Derby Cycle Werke、および、商社のRaleigh Taiwan、Raleigh China
Raleigh Cycle Ltd,は傘下のDerby Holding Germany GmbH保有Winora Group(Winora、Staigerで年12万台販売、社員125名、売上4500万ユーロ)とWiener Bike Partsをオランダのアクセルグループ(Accell Group NV)に売却bike-eu / 2。"Derby South Africa"は地元の担当役員が購入予定(2001.10.29時点) これにあわせてドイツダービーサイクルは(ドイツ再統一後に建設した40万台生産能力をもつ)Rostock工場を(2002年3月31日に)終了。工場長だったMichael Söhnchenは2005年に新生Kynastキナスト社(Kynast bike GmbH)を設立。旧キナスト社の地で旧キナスト社員を雇用。『新会社、新コンセプト、会社清算した旧キナスト社との関連は一切なし』を強調。けれどこれも2007年6月破産。ドイツダービーサイクルが12月に工場(10万台製造規模)を買収。(Kynastブランドは含まず:ブランド商標は買わず。生産施設だけ買ったということ)

■英国ラレー(RALEIGH HOLDINGS LTD)は社長(MD)がフィリップ・ダーントンからジョン・スポンスミスに。CEOはダーントンで英国全体とグループ、工場移転、ノッティンガム関連。スポンスミスはラレーパーツ&アクセサリー社の社長から親会社の英国ラレー社長になり、ダーントンにレポート。


大きな地図で見る

■ラレーサイクル社は(フィンデンクロフツさんの自宅のあるガーンジー島の隣の島)イギリス王室属領のジャージー島
[ここはUKではありません。ジャージー牛の原産地。アメリカのニュージャージー州の名前はこの島出身の提督にちなんだ名称だそうです](タックス回避地)
Portman House, 32 Hue Street, St Helier,
Jersey, CHANNEL ISLANDS / "Trading As Diamondback" (英系"Trading As" = 米国"Doing Business As") Diamondbackという名前でもビジネス活動をおこなっているということ。ラレーもダイヤモンドバックも同じ会社を意味しているということです。

■11月のダホンカリフォルニアがシンセンに工場とのbikebiz報道で、ダホンは英国ではラレーとマジソンから、それぞれフィリップス、リッジバック名で販売されていると。

Raleighnewheadbadgefrom20020214

2002

■2月14日 新ロゴ、新ヘロンバッジ(Nottinghamの文字なし)、新サブブランドVirus

工場売却&移転(2)
最新工場建設移転案棚上げ、一転生産終了へ
■ラレーUK、3月14日 新工場移転棚上げ発表 2002年末英国生産終了し2003年から組立と販売のみ。英国生産116年の歴史に幕。英国社長も終了と同時に退任とも発表。(1999年末にノッティンガム工場売却済)
この時点でノッティンガムに勤める従業員380名中280名が2002年で解雇、残る100名が、販売、設計、輸入、流通要員。自転車はすべて極東から箱詰めされて送られてくる予定。

■ラレーアメリカ、4月4日、セールス&マーケティング担当副社長にJoe Shannon ジョー・シャノンさん、と社長のTom Curranトム・カランさんが発表。シャノンさんは1977年からラレーで働き、全国販売担当役員。allbusiness

第三者評価:2002.6 MIT Press - Framing Production: Technology, Culture, and Change in the British Bicycle Industry (Inside Technology) (amazon)で、「印象的だった建物は使われなくなり窓も割れたままだ。その半分は売られて宅地となっている。レントン通りのオフィスは市が買い取り自治会に貸し出している。反対側のトライアンフ通りの敷地はノッティンガム大学が買った。トライアンフ通りの1952年の建物はまだ残っているが、従業員は自転車ではなく自動車で通勤している。(1960年の映画)Saturday Night and Sunday Morningのオープニングシーンを知っている人は特にショックを受けるだろう」(ラレーUK関連地図

この本の紹介文:「イギリスとアメリカの自転車生産はつい最近大変な事態に陥った。有名なアメリカのシュウイン印は破産後の新オーナーによって量販市場へとダウングレードされた。イギリスのラレーもまた莫大な借金に収益が追いつかず閉鎖同然の事態となったが土壇場の経営陣による買収で難を逃れた。いずれのケースも、より新しくより先進的な会社の登場、そして、世界的規模での自転車産業における軸足転換が極東においてなされたこととあいまって、これらの会社の市場でのシェアと信用が失われたものだ。この本ではこのような変化を社会学的観点と歴史的文脈から分析し反映した。戦間期と80年代と90年代の英国自転車産業に焦点を当てている。それぞれが、生産および産業組織の近代化、業界内プレーヤー間の関係変化、労使関係の進展、市場と商品設計の関係の変化などで特徴付けられる期間だ。特に、ラレーサイクルカンパニーの会社の成長をなぞった。創業期、先進的な若々しい会社の時代、商品と市場の積極的拡大、ライバルの多くを同化、市場の収縮が求めるさらなる革新と経営陣の抵抗、世界的な変革の時代にあって業界内での役割の変遷と縮小。この本では、商品設計、生産方法、産業組織、自転車文化、これらが複雑に絡み合って自転車の社会学的な枠組みが継承されていることを探求している。同時に、自転車の推進者として、自転車技術を紹介しながら、自動車を中心としない人の移動手段という考え方を普及させる狙いもある。

製品開発トップは外注(ソーシング)専門家
台湾との関係強化

8月9日、Schwinn(80年代から90年代のジャイアントでの台湾生産時代)、Western States Imports(WSI)時代のDiamond BackMongooseの製品開発や、Alex、Wei Hau、Chang Star、FPDなど台湾メーカー台湾ブランドの米国代理店をしていたBrad Hughesブラッド・ヒューズさんがラレー全体の製品開発部長に就任。自身の会社Brad Hughes Marketingを閉じての参加。(allbusiness) (2006年からラレー新ポストRAD台湾常駐。2007年退社。2008年にドレル傘下のキャノンデールスポーツグループ(*)の台湾オフィス代表としてGT、そして再びマングースMongooseを担当。)(* 2009年4月からサイクリング・スポーツ・グループと名称変更、略称CSGは変わりません)

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他社自転車へのラレー名義ライセンス

■8月27日、ラレーサイクル社(Raleigh Cycle Limited)がRaleighブランド名のライセンス開始。オランダではRaleigh Cycle LtdがLanco BV(ランコ社)と契約を結び、オランダの卸協会のBike Totaal(バイクトタール)で独占流通(raleigh.nl)させる。Raleigh BV(オランダラレー社)は終了してラレーの自転車の販売、マーケティング、流通を終了。オランダ向け自転車はランコ社がおこなう。bike-eu =>Lancoは親会社が経営危機で オランダのラレーライセンスは2004年にBike Totaalに移りました。

■ラレーUK、11月、Raleigh Choppers Owners Clubのマーク・リッチさんのインタビューで。フィリップ・ダーントンさんとの写真(BBC 2002.11)

英国製ラレーはこの時点で終了

■ラレーUK、12月5日、トライアンフ通り工場終了。歴史に幕。生産はすでにベトナムとスリランカへ移転済。会社は北西部のイーストウッドへ移転。bbc

■BBC11月 - Nottingham Features - Raleigh past and present ラレーの過去と現在 / ラレーBBCドキュメンタリー音声26分間 (RealPlayer使用) / 360度イメージ 受付 / 工場2階 / 工場3階 Raleighfloor1Raleighfloor2

2003

■英国従業員200人売上3500万ポンドだが利益はわずか、米国売上7500万ドル。

■ラレーアメリカ(本社ワシントン州ケント)、1月20日、10年以上業界で働きトレック/ゲイリーフィッシャーにいたMike Brown マイク・ブラウンさんがダイヤモンドバックの製品マネージャーとなるallbusiness

■ラレーアメリカ(本社ワシントン州ケント)、2月21日、1994年にプジョーからラレーにきたTom Curranトム・カランさんが8年務めた社長を退任(降格で自ら退社)。ラレーアメリカ会長のビル・オースチンさん(Bill Austin)が暫定社長として兼任。ダイヤモンドバックフィットネス社長を兼任しているためカリフォルニア州カマリロCamarilloにあるダイヤモンドバックフィットネスのオフィスに勤務しているオースチンさんはひと月のうち1週間をワシントン州ケントのラレーアメリカ本社で勤務する予定allbusiness

■4月9日、英国ラレー(Raleigh Industries Ltd. / Raleigh UK)CEOフィリップ・ダーントンさん4月末退任のため、親会社ラレーサイクル社CEO兼執行役会長アラン・フィンデンクロフツさんが英ラレーCEO&社長(MD)兼任。いままでMDだったジョン・スポンスミスはプロジェクト担当に降格。フィンデンクロフツはチャネル諸島にいるため、通常業務は各部門担当役員がおこなう。(Finden-Crofts Back as Raleigh CEO, Bike-EU)

■4月30日、退任後のダーントンさんは英国自転車協会会長(president of The Bicycle Association of Great Britain:BAGB)に選出された
ダーントンさんは2005年3月にサイクリングイングランド(Cycling England)の会長。Cycling Englandはイギリス運輸省(交通省)の国家戦略として1996年設立。「2012年に自転車利用4倍」が目標。キャッチフレーズは「より多くが、より安全に、より頻繁に」〔サイクリングイングランドは2011年4月1日に終了し、交通省(の地方局)に引き継がれました。〕

日本

アラヤ(新家工業)がブランドライセンス。

アラヤ企画の台湾製にラレーをなのって(ラレーデカールをつけて)の販売。

~ 現在まで継続中

(ラレー関連として~アラヤは80年代にラレー所有前のユニベガUnivega印のMTBの生産元、同じ80年代にスペシャライズドがアメリカ向けパーツサプライヤー(輸入業者)から自転車メーカーになるきっかけとなったMTBを製作。これが世界初の量産されたMTB)

■ラレーアメリカ、8月、パーツ&アクセサリー(P&A)を強化。Avenir、Cycle Pro、Park、Shimano、SRAM、WTBに加えて、Crank Brothers、Jagwire、Ritchey、Truvativ、Tektroを追加。(allbusiness) Markgouldthorp

■10月31日、2002年から財務担当だったMark Gouldthorpマーク・グールドソープさんが英ラレー社長(Managing Director:MD)。フィンデンクロフツさんが(英ラレー)会長(もちろん親会社のラレーサイクル社会長も兼任)。グールドソープさんは「サービス志向戦略のため先進的なERPシステム(基幹システム)に投資し、販売・顧客サービス・マーケティングのそれぞれの部門を再構築する」と語る。ラレー以前はICI富士通グループ(15年ICI、8年ICL)だったが、マネジメントが活動の9割をタイタニックのデッキ修繕に費やしていたのに心疲れ、新生活を夢見ての決断とかbikebiz / ここも

2004

■ラレーUK、1月発表2月発売、70年代ノスタルジーでChopperチョッパー再発売。ベトナム製。(この年、ドレル傘下になったパシフィックサイクルもシュウイン・スティング・レイを3月発表4月発売)

■ラレーアメリカ(本社ワシントン州ケント)、2月23日、CEOビル・オースチンさん(Bill Austin)は社長兼COOをSteve Meinekeスティーブ・メインケさん(51才)を発表3月1日付け。スポーツ用品市場で25年の経験。Specialized USA(アメリカ国内販売会社)社長。カリフォルニアのEquus Marketing & Design社長。Mission Hockey社CEO(1996.7 - 2001.12)、ノルディカNordica Sportsystem North America社長、Vuarnet-France副社長マーケティング、サロモンSalomon North Americaマーケティングマネージャー。直近はRapidtron Inc., のゼネラルマネージャー(2002.1-2004)。『Rapidtron社とは無線スマートカードでセキュリティやチケットや会員カードなどを大学やスキー場やヘルスクラブなどに提供する会社』ということなので、かなりの転身です。しかも、旧会社オーナーはメインケさんをかなり買っていて、彼の新らしい将来のためにはしょうがないけれども3月1日以降も取締役会に属しアドバイスしてもらうとのことです。findarticles 1995.6.15Specialized Bicycle ComponentsのFull Force発表 - スポーツ用品店、ディスカウント店向けの低価格シリーズの発表時の担当者でコンタクト先となっていた。

■ラレーアメリカ、6月、Pat McGinnisパット・マクギニスさんセールス担当役員。小売店2500を担当、ラレーアメリカのブランド戦略、製品、マーケティング、サービスにも関わる。ラレーで12年、カスタマーサービス、テリトリーマネージャー、西部地区マネージャー。

■ラレーUK、11月、英ラレーMD(社長)グールドソープさんが2005年の大人向け自転車供給元は現在のベトナムに加えて、極東、中東、欧州。クリスマス商戦の宣伝はIBD向けのみ。

ラレーアメリカ、マーケティングトップがスコット、スペシャライズド経験者。11月、Reed Pikeリード・パイクさんラレーとダイヤモンドバックのマーケティング担当役員。スコットUSAの営業、Schwinnシュウインの営業、Specializedスペシャライズドのマーケティングと品質管理の経験もあり。

2003.10-2004.9期、解雇と生産外注の効果もあり従業員265名(給与半額)で売上3500万ポンドで利益50万ポンド以上。2001-2002、従業員514名で売上3930万ポンドで損失970万ポンド 、2002-2003は損失300ポンド。10年前英国市場40%、2001年MBO直前15%が20%に向かっている、2005年利益100万ポンド目標と発表。英にUnivegaユニベガ再投入

2005

■ラレーサイクル社、1月、アランフィンデンクロフツさん発表 『Raleigh Cycle Ltd.の英国、カナダ、ドイツ、スイス、アメリカの部門は財務的に健全さを取り戻した。決算期末は9月だが、英国がもっとも伸び、販売は7.3%の700万ドル増(営業利益)。全世界で社員800名。』

ラレーサイクル社所有ブランド

■所有ブランドはRaleigh(ラレー)、Diamondback(ダイヤモンドバック)、Univega(ユニベガ)、Focus(フォーカス)、Kalkhoff(カルクオフ)、Rixe(リクゼ)、Avenir(アベニール)、Cyclepro(サイクルプロ)、Phillips(フィリップス)、Triumph(トライアンフ)、Hercules(ハーキュリーズ)、BSA

■ラレーUK、3月、チームスポンサーに復帰(Raleigh-ERV women's professional cycling team)。ラレーエアライト(白のRaleigh Airlite Team Issue 7005アルミフレーム)、ラレーP&A(パーツ&アクセサリー)社のラインナップも提供:Maxxis タイヤ、Crank Brothers ペダル、Lake シューズ、 Axo アパレル、Uvex ヘルメットとサングラス。

■ラレーUK、9月25日、BBCパノラマ内で、グールドソープさん「この20年間自転車の価格に変化がない。ラレーは5年前500ポンドのものが今は200ポンド。はげしい競争と極東地域ソーシング(外注)と、そこでの労働と資材の経済のために。今、中国は建設に鉄鋼が使われていて自転車業界はその余りが使われている。ラレーはそれが一段落したら中国でのフレーム生産にもっと投資しようと思っている。」

■ラレーサイクル社、9月30日、ドイツのダービーサイクルヴェルケをドイツの投資会社Finatem II participation GmbHに売却

2006

ラレーアメリカ、製品開発トップ自転車とスポーツ用品での小売経験と、アジアでの製品開発とソーシングのスキルを買われての採用: 3月、Chris Speyerクリス・スパイヤーさんグループ全体の製品開発担当役員。World Wide Cycle Supply, Inc. (WWCS)ワールドワイドサイクルから。IronHorse アイアンホース、K2、Columbia コロンビアの販売元。
製品開発トップ前任者が台湾に常駐: 一方、RAD (Raleigh Asian Development:ラレーアジア開発)を設けて、前任の製品開発担当役員Brad Hughesブラッド・ヒューズさんが台湾台中に常駐、現地のDTC社(旧ダービー貿易社 Derby Trading )と協調して活動。(ブラッドさんはこの後、ラレーをやめても台湾を拠点として活動します。2008年にはドレル傘下になったキャノンデールを統括するキャノンデール・スポーツ・グループという新しい組織の台湾オフィス代表になります。アメリカ自転車界と台湾とのソーシング(外注)の架け橋の役割です。=>マングースの歴史の最下部2008年へ)

ラレーアメリカ、セールストップがベルスポーツ、スペシャライズド経験者。9月、販売担当役員Rickey Strawnリッキー・ストローンさん。Fox Racingの全国セールスマネージャー、ベルスポーツ新規事業開発担当役員、スペシャライズド西部地域セールスマネージャー。ウィスコンシン州マジソンのウィスコンシン大学卒。

■ラレーUK、12月、イケアUKがラレー折り畳み車を従業員9000人にクリスマスプレゼント。ラレーの折りたたみは通常ダホンDahonからの中国調達だが、イケア品はダホンではなくポーランド製bikebiz

■12月にWorld Wide Cycle Supply, Inc. (WWCS),の製品マネージャーになったBrent Gravesブレント・グレーブスさんはWestern States ImportsDiamondbackとAvenirアクセサリーの全製品開発担当者だったとallbusinessに。Avenirの原点がここにありました。

■ラレーアメリカ、12月、インターバイクで、ビギナー女性向け自転車発表。ダイヤモンドバック(W! Zelos/Kalos)とラレー(Intrigue 1.0/2.0)の両ブランドで発売。アメリカラレーではDiamondbackとRaleighで姉妹モデルがあるということ。cycletime

2007

ラレーアメリカ、1月、ブラッド・ヒューズさんがアメリカとアジア(台湾)での5年間のラレー活動を終了して退任。自身のマーケティング企画、ビジネス企画の事業に復帰。ラレーアメリカでの活動を振り返って、『製品の質を高め、お買い得なRaleighラレー印、Diamondbackダイヤモンドバック印、Avenirアベニール印をラレーアメリカのお客様に届けた。ラレーアメリカは家族と同じと考えて日々の困難に対処してきた。ラレーアメリカは私と私の家族のことをよくサポートしてくれた。特にここアジアに来てからの2年間は本当にお世話になった。』とヒューズさん。「ヒューズは引き続き台湾で活動する予定。すでに顧客となっているAlexrims、Bengal Disc Brakes、Caribou Frames、LandRider Bicyclesを提供する。33年間の自転車業界そしてアジアでの経験を元に、ヒューズはさらなる事業機会を捜し求めている。ヒューズには電子メールbradsan23@yahoo.comで連絡可。」(allbusiness)=>2008年に、買収したキャノンデールの親会社としてドレルがキャノンデールスポーツグループCSGを設立しましたが、ヒューズさんはこの台湾オフィス代表となりました。=>マングースの歴史の最下部2008年へ

■3月、台北国際自転車展でラレーとして香港の代理店DTCが展示(たぶん登記が香港で、会社の実態は台湾のみ)

■ラレードイツ、3月、グーグルGoogleが全ヨーロッパ社員に好みの自転車をプレゼント。ラレードイツから。ロゴはGoogleマーク。bikebiz

Fiilis_etusivu

■5月、フィンランド販売を、通信販売のHobby Hallから。ラレー印フィットネス機器も販売。http://www.raleigh.fi/

■ラレー本体、11月、直近財務状況:売上3100万ポンド利益120万ポンドbikebiz

2008

■ラレーアメリカ(ワシントン州ケント)、3月31日、Diamondback Fitness, Inc.ダイヤモンドバックフィットネス社がダイヤモンドバック自転車部門に統合し本社は親会社のラレーアメリカと同じワシントン州ケントとなると発表。ラレーアメリカの社長スティーブ・メインケさんが指揮を執り、現社長スティーブ・リンデナウさんSteve Lindenauは移行終了後転出diamondbackfitness

2008年4月1日 ラレー商標管理会社Swissbike Vertriebs GmbHが ファンサイトraleighbikes.com ラレーバイクスドットコムをドメイン名不当使用でWIPO(世界知的所有権機構:ワイポ)に訴え。のち敗訴

Raleigh_greatest_name_in_cycling■2008年4月12日-8月3日まで、ノッティンガム大学DHロレンスセンターで"Wheels of Fortune"と題されたRaleigh Cycle Company (現在のRaleigh Cycle Ltd.)関連の想い出が入場無料で展示された。副題は"The Story of Raleigh Cycles of Nottingham"(ノッティンガムのラレー自転車物語) ノッティンガムシャーアーカイブ学芸員アレクサ・リーズさんによる構成で6月18日には昼食時に無料の講話もあった。(詳細)

7月4日にノッティンガム大学同窓会特別講座でラレー展示会閲覧と展示会担当学芸員アレクサ・リーズさんの講義聴講。(ノッティンガム大学同窓会ネットコミュニティ) 「長い間ノッティンガムといえばラレーサイクルでした。ラレー製品は世界中に輸出されました。当初はラレー通りに設立されたラレーは世界帝国を築いてノッティンガムを代表する名前となりました。‘All-Steel Bicycle’を作り出し、3速ギアを作りだし、レグ・ハリスなどの自転車チャンピオンを生み出し、それらがすべてラレーの成功につながりました。最近は、ラレーといえばChopperやBMXなどが有名で、みなに愛されました。 ラレーの貢献は自転車だけではありません。会社は従業員の福利厚生に関してもパイオニアで、従業員のために社交会や運動会をおこないました。ノッティンガムにおいて多くの人々を雇用する工場と事務所はレントン地区一帯を占めていました。当時の敷地の一部は現在ノッティンガム大学が新しく設けたジュビリーキャンパスとなって生まれ変わっています。」

■8月26日、元ラレー製品開発役員のブラッド・ヒューズさん(2007年情報へ)がドレルが設立したキャノンデールスポーツグループ(CSG)台湾オフィス代表として、GTとマングースの2009年モデルの発表会を開いた。(cycling-update.info)=>マングースの歴史の最下部2008年へ

■ラレーUK 管理職求人、9月、P&A(パーツ&アクセサリー)のブランド/製品マネージャーを求めているとbikebiz

■ラレーアメリカ、11月、社長のスティーブ・メインケさんが、米国の自転車業界が推進している自転車普及促進団体の会長として、シマノのKozo Shimano島野さん(Oct. 28, 2008 46才Shimano American Corp.,社長2000-2006)に替わりそれまでの副会長から会長に就任。

■ラレーUK、12月、ドイツの自転車設計会社Corratec(コラテック)と提携。ラレーUKは2009年からコラテック自転車のイギリス独占卸となる。(bikebiz)

2009

■ラレーUK、サイクリングウイークリー誌1月1日号(なので実際は2008年の12月中)に、社長インタビューが掲載。日本語で訳

■ラレーUK 管理職求人、3月3日にP&A(パーツ&アクセサリー)のブランド/製品マネージャー求人が再び投稿されています。決まっていなかったのでしょうか、決まったけどあわなくてもう一度求めているのでしょうか。bikebiz / Raleigh UK employment

ラレーは世界中で自転車の名前として一番よく知られた名前です。英国ではラレーは自転車とアクセサリーの主要供給者の一社です。ラレーUKではパーツ&アクセサリーチームで働いてもらえる目利きのブランド/製品マネージャーを求めています。製品担当取締役の下で、自身を律しながら情熱と信念をもって製品群開発を前進させてください。

主要な役割:新製品投入、ブランド開発計画の推進、既存ブランド/シリーズの管理および伸張、マーケティングキャンペーンセールスキャンペーンの強力な推進、販売チームや顧客への担当製品説明

あなたの担当する製品グループに関しての予算目標と成長戦略はあなたの管理です。定期的に販売結果、競合状況をチェックしてください。潮流を捉え、私たちの強みを維持するために。

サプライヤー、ブランドパートナー、社内部門と密接に連携しながら、ラレーの厳格な標準に完全に見合うように製品を適時に流通させてください

ラレーUKの開発を継続する大きな役割を果たしたいという方は、CV :Curriculum Vitae履歴書を送付してください。カバーレターにはこの仕事にあなたがふさわしい理由とあなたの現在の給与状況を記してください。

2009年3月27日締切

この求人のなかで、Raleigh UKを「Division-部門/事業会社」といっています。Raleigh UKは独立した会社ではなく、より大きな会社の中のひとつの事業部門だということがはっきり現れています。また、最初の一文、Raleigh is simply the best known name in cycling worldwide. In the UK, we are one of the leading suppliers of Cycles and Accessories.にも、「ラレーは世界的な自転車会社でイギリスでは自転車とアクセサリーのサプライヤーだ、供給業者だ」、と明確に言っています。ラレーという表現をイギリスと同一視していません。ラレーという表現をラレーUKと分離して使っています。ラレー社が、このような使い方をしているのです。これがラレーがラレーというブランド名とラレーUKという自部門を正確に表した使い方なのでしょう。それでなくとも、これはそのブランドの取り扱いの中心人物であるブランドマネージャーの求人票での表現なのです。

■3月5日、「Raleigh 1887-1960: the triumphs and adversities of a personally managed firm(ラレー 1887年-1960年:個人経営企業の繁栄と逆境)」 ノッティンガム大学ユニバーシティパーク歴史学部午後7:30-9:00、誰でも参加可能 The Historical Association主催history.org.uk/events

■12月31日、フィリップ・ダーントンさん、エリザベス女王から英国OBE勲章受勲。(サイクリングイングランド理事長/ラレーUK元社長CEO/バイシクルアソシエーション元理事長/元洗剤メーカーレキットコールマン)

2010

3月25日 ラレーカナダ:ウォルマートカナダがラレーブランド自転車を10万台販売する契約。ウォルマートカナダは1994年設立以来ラレーから調達した自転車をすべてウォルマートPB(プライベートブランド)140万台販売。これからはラレーRaleigh印ラレーブランド自転車がウォルマートで販売へ

4月 株式会社インタープレス サイクルプレス第3109号 2010年4月26日(月)  「ラレーのアラン・フィンデンクロフツ会長に聞く」

7月27日 ラレーUSA ディーラーサミット第3109号 2010年4月26日(月)  「ラレーのアラン・フィンデンクロフツ会長に聞く」



 ===== 以上 沿革 ===== 
ちゃま解釈 前書き - ラレーの歴史を調べてみて
ラレーに限らずヨーロッパ系の情報にあたっていて日本の情報と書き方が違うなと思う点があります。それは、ある物事を記述するときに、必ず、誰がやったのかが書かれていることですが、この『誰』が、ほとんどの場合『人』なのです。日本人として育ってくる過程でずっと、ここが『会社xx』や『xx学校』や『明治政府』や『老舗xx』でおかしいと感じたことはなかったのですが、これが(少なくとも)ヨーロッパ系では『会社xx』や『xx学校』や『明治政府』や『老舗xx』は主語としてはふさわしくなくて、『会社xxの社長本山五十六』や『xx学校の校長磯野ジャイアン』や『明治政府の元老山県太郎』や『老舗xxの二代目きゅうべえ』といったように、やった人間が来るのです。物事をおこなった人の責任が明確になります。今でもたとえば『トヨタが工場創業を停止した』というのは、アメリカなら『GMのワゴナーが工場操業停止を決定した』というのが普通です。こういった日本の現在の(昔のとはいいませんが)風土が、ブランド神話がより通用しやすい土壌となっているのではと思うようになりました。これを一番よくあらわしている表現があります。『わが国では』がよく使われます。筆者はもとより読者も日本人であることを想定した文章だと思えますが、「筆者と読者とそして(指し示す範囲がはっきりとはわからないが)日本国全体(日本の何だろう?)をひとまとまりにする表現」が、その真骨頂ではないかなと思っているところです。『イギリスでは』はそれが行政のことなら『イギリス政府はBritish goverment』とか軍隊だったら『イギリス海軍は』と最低なるところですが、日本では、報道で『水俣病で国が敗訴』となります。国ってだれでしょう?日本国政府?結構表現が説明的でないのです。そういうところが、「背景を知っている人間とそうない人間とで受け取り方に差が出る情報の記述」を許してしまう土壌となっている気がします。日本で育った方だと、受け手としてもそれに慣れてしまって説明的なちょっと長い表現を嫌うようになっていませんか?

ラレーについて英語情報で少々調べてみると、日本語情報にないものがたくさんあって、それはそれでかなり興味を惹かれる物語でした。アラヤが運営しているラレージャパンのブランドサイトはかなり面白いのですが、それは自転車の機能的な話題についてです。それ以前に、自分はなにものなのか、つまりどういう会社なのかについては、履歴書の経歴にあたる会社紹介は前半部分しかなく(注)、また合併時の話など会社としては重要な記述に誤った記述があったり(TI傘下)、直近の会社の権利移転にはまったく触れていないなど、情報偽装とまではいえないですが、いわゆる最近世間で話題になっている消費者を軽視するような問題にかかわるような点で、情報不備あるいは情報不足があることもわかりました。直近といっても20年間ですから普通の会社なら充分十分長い期間で、直近になにをやってきたかこそが履歴書で一番問われる部分ですから、そこが欠けているということは、今その人を採用しようかという時の最新時点の判断材料がないということでもあるわけです。それは自転車購入者に対して失礼なことではないでしょうか。もっとも日本の現在のラレーはラベルだけなのですが、それでもラレーを呼称するにあたって、それらしく歴史を語っているからには、現在に至るまでを等しく語り、しかも、ラベルだけですと、正直にいってほしいものです。そしてできれば、現在のラレーの自転車にあるアラヤの技術の歴史と、そして、台湾で作っている会社の歴史をその採用している技術の変遷とともにラレー前期と同じように語っていただければ、それが今の(日本でアラヤがラレージャパンとして販売している)ラレー車を現わすものとなるはずです。こうすればかなり画期的なことだとは思いますが、ラレージャパンの自転車の機能の解説を読めば、ラレージャパン(アラヤ)にこれができないはずはないと思えます。期待しております。

注:しかもここには自転車の情報よりも自動車などの情報があって、これはこれで「へえそういうこともやっていたのか」と興味深いのですが、引いて考えてみると、自転車以外に自動車もやっていたという幅の広さを訴えようということに重点を置いていて、一方自転車業界が合併してきたところにからは焦点をはずしているところは「ブランドの純粋性」が訴えられなくなるということを周到に計算しておこなっている『歴史を題材にした宣伝』ではないかと邪推します。すくなくともラレージャパンに歴史として掲載されているものは「ラレーという会社の沿革(変遷)」ではありません、「ラレーというブランドへのノスタルジー(郷愁/なつかしみ)」です。これを「歴史」とするのは、明治大正時代までの日本の歴史を聞かされた直後にトヨタプリウスを買ってくださいといわれているような感じがします。

アメリカの会社に一度なって(1998-2001)、企業情報はすべて公開されてしまったので、これは古いやり方のマーケティングだと思います。結局最終的には消費者は知ってしまいます。今の世の中は、最初に本当のことを教えてくれた人から買うのです。買うときに正直ではなかったことが後でわかったとき、人は落胆し、離れていきます。今のラレーはアラヤの品質を知って買っている人は文句なしと思いますが、ラレーの歴史(そして英国風の薫り)に感動して買った人は、後で少しさびしい思いをするのではと心配します。ラレー印の自転車を買っていない人ならともかく、買った人が真実を知らされないなんてことがあっていいものでしょうか? でもどうやらかなりの人がそうらしいのです。どのくらい言われていることと違うのか、確かめてみようとして並べてみたのがこれです。

正しい情報を持っている方の情報もいらっしゃるようですがやはり少数のようで、どちらかといえば、マーケティングや販売宣伝文句の情報が、そのままを歴史の事実として、あるいは、現在のラレーという会社そのものに置き換えて、ユーザーが信じているような状況に、あるいは、それしか情報がないから、そう思うしかない・・・という状況におかれているように思えました。英語圏でもラレーの情報は日本のラレージャパンとほとんどおなじです。ラレージャパンというよりもラレーの企業姿勢のようです。しかし一方英語ユーザーたちは広くラレーの歴史が周辺情報として入手できるというところに購入者の情報入手範囲の広さがあります。これは日本のブリヂストンやパナソニックでも同じでしょう。マクドナルドでもオージービーフで、すくなくとも日本でつくったハンバーガーで、アメリカ製ではないことはみな知っています。しらないことを逆手に取るのは企業モラルが問われます。

日本情報で間違っている1960年TI情報ですが、英語では単に『Raleigh Industries merged with TI (Tube Investments) Group. TIと合併』だけなのですが、日本では『TIグループを吸収』としています。これはラレーがTIに吸収された事実と反対です。過剰に記述して誤報になっているようです。たぶんに日本側の思い込みでの誤報でしょう。単に訳者さんの思い込みがそのまま日本語として公開されたのかもしれません。いずれにしてもチェックもれで公開しているアラヤはかなりのおまぬけさんです。それともそれをそのままにしているということなら、ラレーというブランドをより偉大に見せたいという意図的なウソの虚偽の歴史マーケティング神話をつくっていることになってしまいます。

会社の歴史を紹介しているのだとしたら、ここは一番肝心な点です。ラレーが独立系ではなくなった最初のターニングポイントです。ラレーという会社が大きく変容を遂げる最初の舵きりだったのです。この時点から、今に続くラレーが始まったはずですから。さらに、2回目の大きなターニングポイントの1987年については・・・・ここからは記述がなく、ラレーの歴史は現在に飛ばされてしまうのでした。ちゃまが受けた社会の歴史の授業を思い出しました。明治に入ったとたんあっという間に終わってしまったのです。

一方、これがラレー神話の記述だと解釈すれば、そう表現したい気持ちは一応理解できます。史実とは反対で、ウソを書いていることにはなりますが。

ということで、かなり神話があるのではと思い、何も知らないことをいいことにウェブ情報だけで集めたラレー関連の話を、本人としてはできるだけ客観的にまとめたつもりのものが、これです。歴史があるので長いです。ちまちまやっているので、ただ置いてあるだけで整理できてない部分もまだたくさんあります。けれど、まだまだ知らない情報があって、ここの解釈はかならずしもあたっていないかもしれません。だから、何の保証もないまったく独善的な解釈でのものともいえます。「この部分はちがう」と思われたら、それが正しいことでしょう。反対に、こんなこともあったのかと思われたら、少しはご参考にしていただけると幸いです。それぞれの部分に参考にしたウェブへのリンクをできるだけつけました。元情報をごらんいただくほうが確かだと思います。また、今後、新情報が見つけられたら追加修正します。

ちゃま解釈 本論

よく今でも「英国のラレー」と宣伝されていますがラレーは2002年からブランドとしてのラレーをライセンスしてサイクルヨーロッパなどの他のメーカーが使うようにしています。これは自転車製造から商社への転換だということです。いま販売されているラレーは「別々の自転車会社が独自に企画開発したものに(ラレー社が一応チェックした上で)つけられたラベル」だということになります。開発陣はUKに残っているということですが、ラレーUKはイギリス国内担当の会社ですし、ラレーUKからライセンスされているわけではないとおもうのです。イギリスの伝統というブランドイメージはすでにかなり神話的なのではないでしょうか。

アラヤ(新家)って明治30年代から木製リム製造をはじめた老舗ですから、マーケティングに力をいれれば十分に老舗ブランドとして押し出せるはずだとおもうのですけど。国内向けにはラレーイメージや英国イメージにたよるほうが手間いらずだとは思いますが、それだといつまでたっても欧米神話から抜け出られないのでは・・・。特に、「アラヤの人が「製造は台湾ですがデザインはさすがラレーのモノだからいいですよ」などといった。」と、あたかもアラヤとは別のラレーという会社が設計しているような言い方をしていたりするなら、それは、おかしいですね。しっかりとここは「アラヤが設計、アラヤの監視の下に台湾で製作して伝統のラレー名で販売するものですから、すべてにおいてしっかりしていますよ」といってほしいところです。

会社としてのラレー(ラレー社)は英国ノッティンガム発祥の自転車メーカーとして老舗でした。すくなくとも1960年までは。そして以降はイギリスで20世紀前半に有力自転車メーカーだった会社の集合体につけられた名前といったほうが正確です。すくなくとも20世紀の最後の40年間は。そして1987年から会社形態は何度も変われど今につながる会社になりました。そうして現在は自転車を作ってはいません。英国工場での自転車製造は20世紀で終了し、Milleniumをはさむ数年間は米国を本社とし、2001からはチャネル諸島に本社をおいて21世紀のラレー社は「ラレー、ユニベガ、ダイヤモンドバック、フィリップス、カールトン、アベニール、サイクルプロ」などの商標を管理してグローバル経済の荒波の中で収益を求める自転車商社企業となっています。

ブランドとしてのラレー(ラレー印)をみると、現在の「Raleighラレー印」は世界各国のメーカーが自社開発の自転車に貼るラベルとなっています。これをライセンスといいます。日本ではアラヤ、欧州ではサイクルヨーロッパ、といった具合に各メーカーがライセンスしています。日本で販売されているラレー印は「【台湾製アラヤ】の「ラレー」と名づけられた自転車」というのが一番正確にあらわしています。アメリカ、イギリス、オランダ、ドイツなどでは、各国にラレー社が子会社を置いています。それぞれの国の自転車事情に応じて企画し、国外企業に生産委託し、それを輸入してラレー印をはって販売しています。イギリスのラレー社は元をたどればご本家なのですが、自転車生産はしていない上、全体の経営は別に親会社が1998年アメリカ 2001年からはUK外にある英国王個人所有地でおこなっています。現在の英国ラレーとは「イギリス国内にラレー印自転車を販売するための販売子会社」なのです。ラレードイツユニベガUnivegaブランドも管理しています。ラレー社自社子会社は同じ企業体ですから別会社のようなライセンスの必要はないですが(細かく言えば会社は別なのでロイヤルティ支払いもあるでしょうけど)、「調達した自転車にはるラベル」という意味ではライセンスを受けている企業と同じです。ラレー社は自分の子会社の輸入のためにはラレー中国とラレー台湾という会社をつくっています。一方ライセンスを受けている会社はこれらとは関係なくそれぞれが独自にやっているはずです。

ここのラレー印子供載せ自転車リヤカーは、イギリスとアメリカのそれぞれの子会社が国外企業生産につけてラレー名をつけて販売しているものです。

製造外部委託:台湾のメリダは1980年代からラレー印のための自転車を製造してラレー社に供給していました。これがラレー社が自転車本体を委託した最初の頃のものだと思います。この頃からメリダはスペシャライズドやトレックも作っていました。ラレーやスペシャライズドやトレックというだけで違いがあるのか、そうではなくて、買おうとしているそのものが自分にとってどうなのか、アフターサービスは自分にとってどのように必要なのか、いらないのか、購入者は賢く判断しないといけない時代になりました。

ブランドライセンス:1980年代半ば(1983-86)アメリカで販売されたラレーはハフィー(Huffy)にライセンスされ、ハフィーが独自でつくった自転車にラレー印を貼って販売しました。これがラレー社がライセンスをおこなった最初です。当時ハフィーは全米1位を争うメーカー。一方のラレーはこれも英国1位でアメリカではIBD(自転車専門店)取扱1位のメーカー。ハフィーは量販店では当然トップでしたがこれはIBDに進出したくでもできなかったからできるところで努力した結果だそうで、なんとかしてIBDにも進出したいと思っていたようです。そしてハフィーはラレーのアメリカ部門を一事業部とすることでIBDに進出しました。ハフィーは生産を独自にコントロールしました。高級車だけは英国からの輸入、少ししてシアトル工場でも高級ラレー車の生産をします。しかし一般のハフィー製ラレー車は日本のブリヂストンが作ったものにラレー印を貼ったものでした。この時期にロスアンゼルスオリンピックでアメリカチームがラレー車にのり優勝して、アメリカでのラレー印売上に貢献したそうですが、一般の人が買った自転車はブリヂストンが作ったものだったわけです。アメリカのお金が手に入るわけですから日本としては喜ぶべきことでした。今の台湾や中国の立場をけなすことなどできるわけありません。

ラレー印(ラレーブランド):ラレー印はオールスチール自転車を作った初の会社(1901年)が生み出したものですが、イギリスではそういった技術的な先進性よりも「高品質自転車を量産した最初のメーカー」として有名となり、現在に至るまでそのブランドイメージは「ファミリー、暖かさ、頼もしさ」というものだそうです。現在、ラレー名義をライセンスすることが会社のコア事業です。現在のラレーにとっての技術面とは設計生産ではなく、マーケティングの技術の粋を尽くしてそのラレーブランドイメージを保つことにあります。その次に、そのブランドをつけた自転車および関連商品を流通販売することです。

重ねて言いますが、ラレー社がおこなっているライセンスはラレー印という名前です。自転車そのものではありません。設計や品質でもありません。企画や設計や生産はライセンス先が独自にやっています。ライセンスを本業とする以前からラレー社は少しずつ生産を外部に委託するようになって、今は生産はもとより設計もおこなっていません。ラレー社の事業は自社子会社で販売する自転車として他社生産車を仕入れて、自社ブランドをつけて販売することです。ラレー本体の自転車とラレーの名前をつけた自転車の違いは、ラレー本体は自分の管理している名義を使って販売、ライセンス先(日本のアラヤラレーや欧州のサイクルヨーロッパのラレーなど)は「名義を借りて」販売するだけの違いです。本家と本家以外で「自転車そのものの違い」はそれぞれの会社が「何を自社のマーケットに販売したいか」という考え方の違いによるもので、ラレー本体が販売している自転車との関係は基本的にはありません。ラレー社各国子会社でもそれぞれの国のマーケットに応じて取り扱っているものが違っているほどです。

現代ではライセンス先自身も自ら生産しているということのほうが珍しいことです。日本のラレーを例にあげると、アラヤが名義のライセンスを受けて、アラヤの企画、設計のもとに、台湾企業が生産しているということです(台湾企業といっても台湾で製造しているとは限りません 多くは中国 最近では他のアジア諸国というのも十分考えられます⇒台湾製)。アラヤ企画の自転車を台湾で生産して、ラレーの名前で販売しているということです。この場合自転車のメーカーとしての責任はアラヤにあります。アラヤでは「ラレージャパン」という名前でこれをおこなっています。ラレージャパンのコンタクト先はcycle@araya-kk.co.jpというメールでアラヤであることがわかります。日本のラレーはメーカー(製造業者)がアラヤでブランドがラレーだということです。メーカーがラレーということではありません。これが商社となったラレーの販売方法です。これをはっきりいわないのは製造業者としての責任としてよくないことだと思います。ラレージャパンはとても自転車好きな人がやっていることがわかるのですが、経営や企業の観点からは非常に不明瞭な運営となっていて、アラヤの経営陣の会社としての姿勢に疑問を感じます。(これはアラヤだけでなく、会社よりも自分が育てたブランドよりも買ってきたブランドを前面に出して商売をしようとしているところ全般に感じられることですけれど。)仮定の話ですがもしラレーとの契約にこのあたりをはっきりいわないというような内容があるなら、ラレーに対して誠実であったとしても顧客に対しては誠実でないと思える契約だといえます。これではラレーという名前をだしていたとしても、そしてアラヤの自転車がいくら信頼性があったとしても、その販売方針は、スーパーが顧客に対して責任を負っている製造元の名前を明かさないでスーパーで販売している中国製とそれほど変わらないのではないでしょうか。スーパーは自分がメーカーであるといわないけれども、法的にはスーパーがメーカーなのです。おなじくアラヤがメーカーだとはっきり説明せず、あたかもメーカーはラレーであるかのように販売し、実際には法的にはメーカーはアラヤであるということと同じではないでしょうか。どうしてこのような販売方法がまかり通るのでしょうか?知る人は知っているらしいのですが、「アラヤはラレーの代理店」といわれれば、「ラレーが作っているメーカーで、アラヤはメーカーの販売を代行している」と考えてしまうのが大方の一般人です。それどころか、販売の最前線でそれに輪をかけるような言い方がされているとききます。「ラレーがこの自転車を企画して製造していて、アラヤはそれを輸入して販売している」という言い方です。言い方にはいろいろあって、誠実なものでは、「台湾で生産していますがアラヤが生産品質は管理しています。でも信頼あるラレーのものですから安心です。」といういいかたもあります。これもラレーが信頼をつくっているような言い方で、聞く人が勝手に、「ラレーが企画している」と思っていそうな表現です。でも企画がアラヤであってそのエンジニアリング品質には会社ラレーはほとんど関与していないでしょうから、この点も正確には怪しい表現です。これがブランド神話にもとづく販売というものでしょうか。知らない人はうまくごまかされてしまいます。このようなことでいいのでしょうか?知れば知るほどちゃまには購入者に対して不誠実なことだと思えます。もし、この表現がおかしいと思われる方がいらっしゃるなら、それはラレージャパンの情報としてホームページに正確に記載してないのがわるいのです。ラレージャパンのページに書いてあればそれが公式の情報です。書いてないならそれは想像されても仕方ありません。何度も書きますが、日本で販売されているラレーは、「【台湾製アラヤ】で「ラレー」と名づけられた自転車」というのが一番正確な表現だと思います。

19世紀末で年産3万台以上と大メーカーとなったラレーですが、20世紀初頭になると数年間わずかながら自動車、そしてかなり長い間オートバイも作っていたことがあります。明治44年1911年には丸石商会が輸入(自転車博物館情報不正コピー商品も多数あったそうで、日本だって今の中国を悪くはいえません。)イギリスで中流以上に起こっていた自転車ブームは、まず富裕層からエンジン付の方に流れていった時代だったよう(最初のモータリゼーション)でラレーもそういう方向は無視できなかったようです。日本でも「明治末から大正にかけて、主にラレー社製は自動自転車とよばれたオートバイが輸入された」そうです(上記自転車博物館 昭和5年1930年情報)。

第一次世界大戦後の大不況でイギリスの自転車メーカーの多くがつぶれたり合併されたりする中で生き残り、富裕層が自動車に流れるなか自転車はその後大衆の実用車として広く使われるようになりましたが、第二次世界大戦後の自動車の一般大衆への普及(大衆へのモータリゼーションの広がり)でそれまで主流だった輸送などの実用用途がトラックなど自動車に取って代わられ、自転車メーカーはレジャー向け子供向けなど用途や対象を変更せざるを得ませんでした。それでも50年代はまだ戦後まもなくで自転車が求められてラレーの生産のピーク(年産100万台以上)だったとのことです。

最初のオーナー変更:1960年からチューブインベストメント傘下:ラレーの最初の大きなオーナー変更は1960年でした。この年、チューブメーカーでその後多様な企業の買収でイギリス有数のコングロマリットとなったチューブインベストメントTube Investment(TIと呼ばれます)の傘下となり、ラレーの会社名はTIラレー(TI-Raleigh)となりました。

19世紀末の創業時には少数のエリートのためのぜいたく品で少量生産品だった自転車が、20世紀には輸送やレジャー用として大衆に広く求められそのため大量生産される量産品となりました。その間一時は他の自転車メーカーと同じようにラレーでもオートバイや自動車まで手を広げて自転車の減少を補おうともしました。第一次世界大戦と第二次世界大戦の間には世界大恐慌の影響で1930年代は自動車よりも自転車が求められひろまりました。この時代は、力のないかなりの自転車メーカーがなくなっていったということです。しかし第二次世界大戦の後、1950年代には自動車が普及したため、自転車は再び少数の愛好家のためのレジャーとなりました。その大きな流れが、ラレーを含め他の歴史ある自転車会社が一社で独立してやっていけないほどに変化した自転車産業がチューブ傘下となった理由でした。

TIはこれ以前から、ラレーに次ぐ英国第2位の自転車会社フィリップスなど自転車会社を多数買収しブリティッシュ・バイシクル・コーポレーション(BCC)の傘下におきました。それらがTI-Raleighに組み込まれて大きな自転車グループになりました。このときの自転車のイギリス生産の8割がTI-Raleighのものということです。自転車販売が横ばいになった70年代を経てTI自身の経営悪化のためにラレー(TI-Raleigh)を放出する1987年までTIグループ傘下でした。

TI時代のアメリカでは特に1983年から1986年にハフィーがライセンス契約でアメリカ向けラレーを生産販売しました。1984年のロスアンゼルスオリンピックではハフィーのラレーでアメリカが優勝し、アメリカでブームとなりました。しかし一方このハフィーライセンス時代は、高級品ラレー車以外はすべて日本のブリヂストンが作った自転車にラレー印をつけてアメリカで販売していたのです。(1960年代から始まった日本車の海外輸出は、このような(ブリヂストンがラレー名で販売されるような)形で浸透し、すぐに、台湾や中国へ、さらに、EUが関税を掛け始めるとタイやベトナムでの生産へと拡がっていきます。2002年の段階でラレーの自転車は、タイ、ベトナム、スリランカ製でした。欧米の製造業で働く人たちはこのような極東地域からの襲来で破綻・失業するのをグローバリゼーションによる危機と捉えていましたが、やがて日本の製造業も同じ立場になります。さらにいま世界中が金融グローバリゼーションでアメリカの影響を受けて不況になっています。)

1960年になるとチューブインベストメンツ(TI)傘下にラレーも組み入れられます。TIは40年代後半から自転車事業を自転車会社を買収することで手を広げました。TIはレイノルズReynolds(80年代のカタログ)も1928年に傘下としていて、ラレーに高性能フレームを長い間供給する関係でした。1950年代にイギリス国内のかなりの有力自転車メーカーを傘下としていた「ラレー」という名前がTI傘下の自転車メーカーの看板となりました。社名もTI傘下をあらわすTIラレーとなりました。イギリス製自転車の8割がTIラレー社製でした。それまでのラレーもイギリスの代表でしたが、ここでラレーは名実ともにイギリスの自転車の名前となったのでしょう。1975年には再び年産100万台となったそうです。このときでも6割はイギリス国内でした。この時代のラレー自転車は設計部門が会社の中枢で、その中心人物は設計部長アラン・オークレーさんが有名です。

この時代1973年からホンダが子会社でラレーを輸入し日本で販売しました。1971年にはTIがオランダのトップメーカーGazelleハゼレを傘下にして以降ダービー時代まで(2001年)の30年間、販売1位ラレー、販売2位ハゼレと、TI(1960-1987)およびダービー(1987-2001)の収益に貢献する2大ブランドとなっていました。ラレーが国際的なブランドとして使われていましたが、ハゼレはほとんどオランダ国内だけのローカルブランドでこの地位を保っていました。

1980年代になる頃には、会社の中心がマーケティング部になっていたそうです。ここで会社の方向性を担った人が、アラン・オークレーさんの秘書をやっていた女性でイボンヌ・リックスさんです。アランさんも設計からマーケティングに移動、設計を背後から見ていたイボンヌさんは入社後MBAなどを取得してマーケティング部の中心になっていきます。そして、アメリカの動向などを常に視察しながら、それまでラレーが歩んできた道を変えて生きました。BMX、MTB、ハイブリッド(クロスバイク)が登場します。

ところで、ラレーではこういった絶え間ない努力がなされていた一方で、大きな観点からは経営陣の判断の遅れが指摘されています。

1980年代親会社TIの事業軽視:ラレーという名前で呼ばれたイギリスの自転車事業ですが、これをおこなっていたTI(チューブインベストメント)の経営陣は他に大きな事業を抱えていて、ラレーは4番目位の事業で重要視されていなかったということがあります。「経営陣は5ヵ年計画が好きだった」そうです。イギリスの8割の生産規模を持っていた責任感など、自社経営の視点に埋没していたといえるでしょう。 だからボーデン時代と違ってこの時代には経営陣の名前が誇らしげには出てきません。

会社の中心は設計部からマーケティング部へ:米国市場動向重視 会社の方向性を担っていたのは経営陣ではなくまずは旧ラレーの伝統を受け継いだ設計部、そして次いで70年代後半からはマーケティング部となりました。ラレーという会社もイギリス国内であれば自社の設計が英国市場をコントロールできたのでしょうが、時代はアメリカの流行を追いかけるようになってしまったからです。市場として最も大きなアメリカの意向を無視していては経営に問題となるような時代が始まりました。しかも、ヨーロッパの市場もアメリカ市場の動向がカギを握るようになりました。スティングレイに影響を受けたChopper、そしてスティングレイからはじまったBMXで、Burner、これらは米国市場の方向性をいち早く観察するマーケティング活動から生まれました。「高性能自転車を量産する」という長年のラレーの使命として、ラレーが量産メーカーとして世に出すべき自転車は次は何なのかをマーケティングが方向付けるようになったのでした。しかしBMX収束が早く(1982-1984)、次いで起こったMTBブームには1985年のMTB市場へのマーベリック投入の出遅れで失敗。最終判断をおこなう経営陣が上の親会社ばかり見て大きな動きが遅くなってしまったのです。70年代生産量は再生しましたが、80年代には会社経営は弱体化したわけです。

2度目の大移転:ダービー社: そして創業から100年過ぎた1987年に、TI自体が経営が怪しくなりコア事業に専念するため周辺事業を売却。今度は、ダービー社(Derby)の傘下となりました。今から20年前のこととなります。経営陣は代わりましたが、このときイボンヌさんが引き続きマーケティング部長となって継続性を維持しています。すぐに定年となったのですが、この実力者の定年後が、「嘱託でライセンス部長になった」ことが、ラレーのその後を暗示しています。

1987年からダービー社傘下: ニューヨーク出身でロンドンに事務所を開いていた税務法律家エド・ゴッテスマンとダンロップスラセンジャー社長のアラン・フィンデンクロフツが中心となってラレーを買収し、ルクセンブルクに(税対策で)会社ダービーインターナショナルコーポレーションSAを設立しこれを本社としてその傘下にラレー社をおきました。2人は財務状況悪化で1998年に影響力あるオーナーではなくなりましたが、フィンデンクロフツはさらなる状況悪化で再起して現ラレーの第一オーナーで会長です。ゴッテスマンは他でも手広く事業をおこないながら、現在に至るまでロンドンに法律事務所を開いています。

2001年からの現ラレー第一オーナーであるアラン・フィンデンクロフツのほうに焦点があったったダービー紹介情報に出合うことのほうが多くエド・ゴッテスマンは2番目の人物に見えるのですが、ダービー社はエド・ゴッテスマンの方がTIからラレーを買収した中心人物です。ゴッテスマンに資金援助した投資会社からCEOは業界経験者にするようにというアドバイスを受け、ダンロップスラセンジャーの社長のアラン・フィンデンクロフツを引き抜いて、以降共同で事に当たったという流れです。ところでダンロップですが、『ダンロップの権利』はすでに分野毎に細かく分裂して売却されて『ダンロップ』の権利を一元的にもっている会社というものは今はないようです。ダンロップスラセンジャーも『ダンロップの権利』の一部分を引き継いでいる会社のうちの一つで、ゴルフの権利を扱うダンロップ部分です。これに加えて、テニスやクロケット用具の老舗(ウインブルドンのボールも)のスラセンジャー印の権利と両方を併せ持つ会社がダンロップスラセンジャーです。

ルクセンブルクにあったダービー社は1998年5月14日から国籍がアメリカとなりました。登記はデラウエア州。ダービー社という名前の親会社だったので、ラレーはイギリスかというと、確かにラレーという名前の会社はイギリスにありましたが、しかしダービー社の子会社ダービーアメリカは、DERBY CYCLE CORPORATION (d.b.a. Raleigh USA Bicycle Company [dba=通称名]) ダービーサイクルコーポレーション(通称名ラレーUSAバイシクルカンパニー)で、経営ではご本尊(司令塔)であるところの米国会社が「英国ラレーの米国子会社」を”装っている”といってもいい状況でした。

1987年時点のラレー買収ダービー資金はアメリカが中心で、以降ずっと資金供給の元締めはアメリカです。しかし、親会社ダービーをルクセンブルクに登記しながらもラレーの経営の実態はまだイギリスにありました。ダービー社は約10年後の1998年5月に経営危機となり、もう破綻か、という最後の最後で、あのジョージ・ソロスなどからの資本注入によって、アメリカに新たに会社ダービーサイクルコーポレーション(デラウエア)を設立し、形式上も会社は移転しました。その間に、ダイヤモンドバック、オランダのハゼレ(ガゼル)社など買収し、会社はイギリス、アメリカ、カナダ、ドイツ、オランダ、南アメリカとグローバル企業になっていましたが、結果財務悪化となっての資本注入でした。ジョージソロスへの配当率は年30%の約束だったそうです。この時期にアラン・フィンデンクロフツは社長をはずされて、経営の実権を奪われました。

すでに1984年のロスアンゼルスオリンピックでのラレーの活躍などで国際的にも名前があがっていましたが、ダービーとなった時点で、さらに本格的に国際的な自転車の名前として使われるようになりました。ダービー時代のラレーではパイオニアPioneerというシリーズが1991年に出ました。これは日本でクロスバイクといわれるMTBとシティバイクとの中間形態のもので、英語圏ではハイブリッド、ドイツ語圏ではトレッキングと呼ばれているジャンルのものです。トレックがハイブリッドを発表したのは1990年でほぼ同時期。しかし、21世紀になるかならないかの頃、ダービー社は倒産します。今ある会社は破産したアメリカのダービー社の資産を買い上げて2001年に創業した会社です。現在のラレーはセクシーだとか先進的だとかではなく、イギリスではValue「対価に見合う」というイメージで、米国ラレーのブランドアイデンティティは「購入者の懐に最も優しい」とバイクマガジン誌が紹介しているとのことです。

2001年ダービー社がラレー社に:1998年新ダービー体制での投資会社派遣新社長は経営危機を乗り切ろうと、傘下ハブギア会社スターメーアーチャー売却(この結果、会社消滅)や、歴史あるイギリスの誇りノッティンガム工場敷地のノッティンガム大学への売却など、投資会社らしい大胆な対応をどんどん決定。これは当時も物議をかもし出しましたが、今では「ずさんな対応」といわれています。これで結果的に問題が拡大してしまった2000年12月末に、投資会社の判断でアラン・フィンデンクロフツが再び新ダービー社の社長の責を与えられました(ちゃま呼称ダービー第三期)。このとき雇われ社長という立場だったのですが、それはほんのわずかで、一年立たないうちに、フィンデンクロフツが会社の筆頭オーナーとなります。ダービー第三期発足当時にそういうシナリオでことが運んでいたと考えられます。

アラン・フィンデンクロフツが社長となったのは12月末。4月にはチャプター11会社更生法(破産保護)申請で、9月にフィンデンクロフツに会社売却が決定します。これは投資会社は当初より自社持分をアラン・フィンデンクロフツに売却しようという意図でしたが、法的な透明性を高めるためにチャプター11手続きにのっとっておこなったということです。

チャプター11であれば第三者の他社も売買(bid)に加わることができます。条件がよければフィンデンクロフツ以外へ売却される選択肢があり得ます。これが株主の権利最大化に努力した売買かどうかが公開され問われる法的透明性ということになります。実際ここで手を上げたのがトレックとハフィーでした。しかしトレックはすぐにおり、一方ハフィーは「アメリカ分だけ買いたい」としました。1986年にはラレー米国権をダービーに売ったハフィーでした。2001年に再び手をあげたということはラレーはまだおいしいと思っていたのですね。このハフィー提案は投資会社が「全世界分を買ってくれる人にしたい」と拒否。この全世界分というのが最初から公開されていればハフィーは手を上げなかったのではと思えるのですが、ともかくこれでフィンデンクロフツとなったという経緯です。ハフィーもその後訴えていませんから問題ないのでしょう。

そして投資会社から支援を受けてダービー社を2001年に買ってオーナーとなったのでした。(このときフィンデンクロフツとゴッテスマンはなぜか同時に、陶磁器のロイヤルウースターとスポードも買収してダービーとはまったくの別会社を作り社長となっています。)

現在の会社はダービー社が名を変えてラレーサイクル社(Raleigh Cycle Limited)となりました。ということで今のラレー社は2001年の会社です。会社はアメリカのままです。そして、そのラレー社の傘下にイギリス国内を担当するラレーUK(元ダービーUK)などの地域別子会社とアメリカ国内を担当するダービー社部門としてのラレーUSA(Raleigh America (U.S.A.) RALEIGH AMERICA INC.)があります。