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賢く改善しよう

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世の中にこんなに子供を乗せる自転車があるのに、長年、多くの会社が知恵を絞って競争し合ってよりよいものをつくりだしてきているのに、なぜ日本の警察は今になって新しい開発を自転車業界に要請するのでしょう?その背景は日本の道路事情にあります。狭いですか?山が多いですか?こういう話を聞くと、スイスでは曲がりくねった一般道でも自転車がよく使われていて(『日本の心・世界の心』ミュンヘン在住の楽器店店主:植澤晴夫さん)しかも自転車リヤカーもそれなりにつかわれているという状況選ぶときのポイント とくに安全性のスイスのモデル比較'01〔自家用二輪馬車〕あたりを見てください)はどうしてなのだろうと考えてしまいます。国土の違いというのはむか~しからあった国土ではなくて、ここ何十年かでそこに住んでいる人間がつくった国土のことを指しているのでしょう。なにを主眼において国土を作ってきたかの違いで、たぶん、日本でいわれる『日本の道路事情』とは、警察自らが作り出したようなものでしょう。

  • スイスの自転車についてはプロ車いすランナー廣道純ヒロミチジュンさんのブログ> スイスの交通ルールについてなどにもあります。ここでのスイスと日本での交通状況の違いは、交通道徳やマナーというレベルではなく、国全体としての、交通だけでなく広い意味での教育の結果です。その教育というのも狭い意味での学校教育ではなく、子供が大人になる家庭で社会というものを日常生活から学ぶその一瞬一瞬のこと、そして、社会人になってからも、警察などがおこなう自動車運転手に対する教育だけでなく、日常生活の中で他者の振る舞いから学ぶことで、自動車交通に対する取締りのゆるさや自動車インフラ重視といった政治や行政の態度も含めての結果だと強く思います。

  • サンフランシスコはアメリカでも有数の自転車の町として有名です。でもサンフランシスコでもっと有名なのは、坂の街ということです。坂が多くて歩くのが大変なのでトロリー/ケーブルカーがあると聞いていましたが、そんな町が自転車の街といわれるようになっています。日本とどこが違うのでしょうか。よく「平坦だから自転車が普及している、坂が多いから自転車が普及しない」と、まことしやかに言われますが、それは実は本当の理由ではないのでしょう。

すでに世界中にある自転車が日本の道を走れるような道路交通行政をすることこそ、いま必要なことではないでしょうか。日本だけのために開発をするときくと、現在の携帯電話メーカーが置かれている状況に思いが至ります。世界で孤立した規格の下での小さなパイであってもゼロからスタートでしたからとにかく10数年間は成長しました。しかし日本のトップメーカーといっても世界シェアでは弱小メーカーであって、小さなパイの日本だけではもう成長がなく、かといって世界に出るには技術が違うということで、もう先がないといわれています。この点は話の筋とは関係ないのですが、世界で活躍している日本の自動車メーカーの事情とも同じ日本の産業育成なのにかなりちがいますね。自動車メーカーは当時の通産省とケンカしながらだったから同じ日本なのに違う結果なのかなと思えばやはりそうかなと一人納得してしまうのですけど。

日本で自転車の交通事情に対してそれぞれの方がそれぞれの意見を出されて改善を模索しています。よく聞くのは、『車が怖くて自転車が車道を走れない。自転車は歩道を走らせなさい。』という自転車乗りと『歩道は自転車が怖くて歩けない。自転車は廃止』という歩行者と、『自転車は車道をはしるな。自動車交通の邪魔だ』という自動車乗りの三すくみです。それぞれの主張に当てはまるのは、いまの交通インフラが続いていくことを前提にしていることです。以前は日本でも自転車は車道を走っていました。1978年以降、それを歩道に上げたのは警察です。この時点でまずインフラが変わったのです。すでに一度変えられた状況の上に作られた現状です。これが再び変更できないわけはありません。みな日本の住人ですから自分たちのことができないはずがありません。一方日本の警察と国土交通省は自ら作り上げてきた道路インフラを棚に上げています。そのことにみんなまず気がつきましょう。そして現状ありき現状肯定のままでのひじのつつきあいをやめましょう。変わらないインフラで話をしている限りもうラチがあきません。しかしインフラは変えられるんです。インフラを変えることから考えましょう。

もう一度、携帯電話にたとえたいと思いますが、『携帯電話など日本に必要ない。それは公衆電話がこんなに普及している国はないから』といわれていたのを覚えていますか。ホンの20年前の話です。世界中で携帯電話が普及していた1980年代後半になっても『すでに公衆電話があるから携帯電話など普及しない』といっていた状況がありました。そんなことが信じられないことに現実はなりました。(1970年の日本万博で携帯電話を展示使用させたことを誇らしげにアピールしています。どちらもNTT(電電公社でしたね)。人としての正しいあり方とは・・・う~ん、考えさせられます。)いまの日本の道路もガラッと変わる日がきっとやってきます。オランダのアムステルダムやデンマークのコペンハーゲンなどの自転車先進都市といわれているところでは1970年代のオイルショックを契機に変わりつつも、自転車を明確に意識した政策をおこないはじめたのは1990年代になってからとのことです。日本もまず気がつくことが先ですね。有志の方々はすでにいろいろな活動を重ねられているようです。道路は自動車のためのものという長年の慣行が変わりそうな今こそ、みんなの意識を伝えるときですね。市街地は歩行者/自転車/自動車(そうこの順番でお金と時間と労力をかけましょう)がしっかり区分された通行帯となるべきでしょう。当然自動車は今ほど市街地でスピードをだすことは許されなくなります。さて、そうなったときに、交通の携帯電話たる自転車は、日本独自規格でいいと思いますか?子供乗せ専用自転車は日本独自規格でいいと思いますか?世界でも評価されるものを作ろうということでなければ、日本の携帯電話ハードウェアのたどった道となるでしょう。携帯電話は端末だけでなく電話網が整備されていなければ使えません。自転車交通の携帯電話網である自転車レーンの整備がなければならないでしょう。

さて、第一の自転車レーンは・・・・、それは今ある車道です。車道を走る自転車に自動車はやさしくなければなりません。法律でも最初からそう書かれています。これは昔から変わっていません。え?ちがいますか?どうして違ってきたのでしょう?不思議ですね。そのところに第一のカギがあると思います。(市街地走行での自動車ドライバーへの市民教育が最初だと、これを読んでさらに思いました。いま自動車ドライバーには運転方法と画一的な自動車のための法規が教えられるだけです。市民として自動車ドライバーはどうあるべきかなど教育されません。日々の日常でもそうです。警察は、子供が轢かれて亡くなっても、そこを通る自動車ドライバーへ指導をしないどころか、その事実があったことも広く告知することをしていません。事故処理で終了。ひとつひとつは予防につながりません。それをするだけでも再び事故が起こることが防げるはずです。標語募集で交通安全週間の呼びかけだけで事故がなくなるなど思えません。事故統計で死亡者がすくなくなった発表はむなしく響きます。これを素直に喜んでしまう人がもしどこかにいたら不思議を通り越して恐ろしいことです。人が亡くなってもそうなのですから、ちょっとあぶないくらいでは、まったく動くことがなくなってしまった行政、警察です。全体が機能不全のようです。)

そうやって日本を見つめなおすための、一つのやりかたとして、世界にも目を向けましょう。それでは、まずユーザーの私たちが世界の現状を知ることからはじめようじゃないですか。このブログはそんなことで利用していただけたら幸せです。

いろいろ散らばっている「ちゃまのつぶやき」です

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