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Huffy ハフィー - Aerocruiser エアロクルーザー&Ride and Run ライドアンドラン / Tri Industries トリインダストリーズ

Huffybelgie


アメリカ合衆国 Huffy ハフィー オハイオ州スプリングボロ 1924年Huffman Manufacturing Company。1928年(1934年?)から自転車製造。1977年にHuffy Corporation。社名は創業したジョージ・ハフマンさん(George P. Huffman)の姓から。「ハフィー」なんて、響きが「かろやか~」に感じますが、英語のhuffyは「怒りっぽい, きげんの悪い, むくれた; 威張り散らす」(goo辞書)ということなので、名前の略称でもなければ「不機嫌会社」などという会社名は普通は使いません。響きよく聞こえるのはカタカナの軽そうなイメージからでしょうか。これが、ハに強くアクセントを置いてフィと息を吹きかけるように発音すれば、ちょっと怒るような感じがでますね。

2000年代に入って、表向きは会社買収などを派手にやっていたようですが、実際は経営で苦労していたようで、それを意図的に隠そうとしていたのではと思うほどです。そうして破産法11条(会社再生)を適用して経営が変わり、2005年から中国資本傘下となりました。それ以前には中国製が中心になっていたようですから、これで心技一体というところでしょうか。第二次大戦後まもなくの1949年に補助輪付自転車を発売してハフィーのおこちゃま自転車の歴史が始まります。70年代前半はアメリカが自転車ブームつづいて75年の突然の失速ですが、ハフィーはいち早く復帰して76年に全米1位。通の自転車もあったようですが、中国資本以前にはすでにハフィーといえば「量販店で低価格で販売される自転車」という位置づけのブランドだということです。つまり「みんなのブランド」ということです。これは、「自転車専門店(アメリカではIBDといいます)にはイギリスのラレーが人気があって、アメリカ製は量販店を開拓するしかなかった」というアメリカならではの自転車流通事情があるようなのです。

1983年から1986年まで、(当時はまだ会社がイギリスにありイギリス製造だった、そしてイギリス自転車産業を代表する会社だった)ラレーの『米国製造販売権』を取得。1983年から1986年のラレーUSAとは実際にはハフィーの一部門だったのでした。ロスアンゼルスオリンピックでラレーUSAチームが優勝した時が、まさにハフィーラレーだったのでした。

ハフィーが権利を取得する以前から、ラレーはアメリカの自転車専門店の主力商品だったわけですからラレーを掌中におけばハフィーは量販店だけでなく専門店(IBD)も含めた自転車流通全体を押さえられたわけです。ハフィーはそれだけ大きな会社だったということがわかります。ハフィー時代のアメリカのラレー(つまりハフィーのラレー部門)では、最高級車としてイギリス製ラレーを輸入販売。最高級以外は日本のブリヂストンに生産委託。日本からアメリカに輸入した自転車にラレーのマークを貼ってラレーUSAというブランド名で販売。そして実際にはハフィーの売上がたって、ロイヤリティをイギリスのラレーに収めていました。すぐにワシントン州ケントにラレー工場を建設して、ここで、最高級車もつくるようになりました。ハフィーがラレーから手を引くのは、英国ラレー社が親会社TIから身売りをされてダービーインターナショナル傘下になったときです。米国のラレー(ハフィーのラレー部門)も買収されてダービーインターナショナル傘下となりました。こうしてアメリカのラレーであるダービーUSA本社はハフィーがつくったラレー工場のワシントン州ケントにおかれることになりました。

その1:ハフィー前史デービスミシン社 
tricyclefetish.com Daytonと、fundinguniverse

1888年、ジョージ・ハフマンさん(1862-1897)がニューヨークのDavis Sewing Machine Co.,デービスミシン社を買い、オハイオのデイトンに移転させて1889年から操業。1892年からは自転車も作り始める。はじめは他社の下請けだったけれど1895年にDaytonデイトンという自分のブランドをはじめた。1897年には全米一の自転車製造になっていた(!)。仕上げの美しい高級品を作った。自転車の色はすべてカーマインレッド。でもその年、若干35歳でジョージ・ハフマンさんは亡くなりました。

1916年にデービス社はオハイオ州トレドのConsolidated Manufacturing Companyコンソリデーテッド製作所からYaleエールとSnellスネルを手に入れる。さらにミシガン州ベイシティのナショナル自転車社からNationalナショナルも手にする。ナショナルのプレートデザインは製造する地名だけ入れ替えてそのまま使い、ナショナルの色だったブルーもそのまま使った。

そのほかのデービスの自転車名。Duroデューロ、Dixie Flyerデキシーフライヤー、LaFranceラフランス、Daytoniaデイトニア、Shrayerシュレーヤー、Ohioオハイオ、Shapleish Hardwareシェイプレイッシュハードウェア、Western Autoウェスタンオート、Western Flyerウェスタンフライヤー。

rustyspokes.comも同じ情報ですが写真もあるのでご参考に。ここには、「1917年にはハーレーダビッドソンの自転車として、オートバイ型の自転車を7種(裏方として)作った」という話もあり、そんな自転車の写真があります。これを見ると「シュウインのビーチクルーザー「スティング・レイ」」は革命的というものではなくて、このあたりのアイデアを時代に合わせて再生したものということがわかります。

その2:ハフィー創業 tricyclefetish.com Huffyfundinguniverse

ジョージ・ハフマンさんの子、ホレス・ハフマンさん(Horace M. Huffman, Sr.,)は、1900年から1922年までThe Davis Sewing Machine Companyデービス・ミシン社で働いていたが事業清算となる。デービス・ミシン社は自転車産業界で30年間事業をして1922年に終了。清算で得た金で1924年からHuffman Manufacturing Companyハフマン製作所をはじめる。最初は当時自動車普及とともに増えていたガソリンスタンド(サービスステーション)で使うものを作った。ハフィー社の社員の最初の発明品はドラム缶から注油する器具。需要は増えて1928年に法人化。

最初はデービス工場に手を入れるところから初めて、1934年10月には自転車を発表。大恐慌時代の交通機関として”うける”と考えたから。最初は日産12台から始めて2年間で日産200台に。自転車の名前にはデービスで使っていた名前を多く使用。Snellスネル、Nationalナショナル、LaFranceラフランス、Dixie Flyerデキシーフライヤー、高級品にはDaytonデイトン。新しい名前としては Zephyrゼフィール、Airflyteエアフライト、Davis Flyerデービスフライヤー。そのほかたくさんの名前がある。YaleエールはDPハリス社に渡った。ハフマンの自転車はバルーンタイヤと”飛行機”フレームを使っていた。継ぎ目は”フィレットブレイズド”処理(フランス語リボンから。ラグや溶接を使わない接続方法)されていた。当時の得意客はファイアストーン(The Firestone Tire and Rubber Company )。しかし1938年に契約をきられる。ハフマンの生産がファイアストーンの需要に追いつかなかったから。その2年後の1940年、ジュニア(Horace Huffman, Jr.,)が入社して、サービス部、セールス部を経験したあと、工場長として工場のラインをコンベアで自動化。これで自動車サービスショップのWestern Autoウェスタンオートから発注を得て、Western Autoウェスタンオート、Western Flyerウェスタンフライヤーとして売られた。ファイアストーンも戻ってきた。第二次大戦中は軍の自転車を作ったりもした。

1945年にハフマンシニアがなくなりハフマンジュニアが社長に。1949年にハフィー変換自転車Huffy convertible bicycleで、補助輪を発明したとのこと(でもアメリカで1900年に補助輪が特許登録されていますけれど)。補助輪を取り外しできるということが変換(コンバーチブル)なのですね。このときHuffyがつきました。そしてここからおこちゃまのハフィーが始まったのです。でも芝刈り機事業も始めて、1955年にはオートバイ風のタンクがトップチューブについたハフィーラジオ自転車(Huffy Radio Bicycle)で、タンク部にラジオ、アンテナと電池が荷台という自転車です。1969年にはハフィードラッグスター(Huffy Dragster)で、これはシュウインのスティング・レイの影響ですね。この頃には全米3位の自転車メーカーとなりました。

のちの1957年、米国老舗ブランドのMonark モナーク社の自転車事業部門を買収。(現サイクルヨーロッパ傘下ブランドとは別で、Silver Kingという姉妹ブランドがあったようです) モナークの生産機械の一部をセリーナに運び、モナーク印は1980年代まで使われた。モナークの部品の一部は"Custom Royale"カスタムロイヤールなどのハフィー印自転車にも使われた。1961年には400万台目のハフィー自転車を生産。50年代、60年代にはコーストキング(海岸王)三輪車を(東)海岸から(西)海岸まで(全国の)デパートで販売。

1975年までに市場占有率は3割近くを押さえたが、75年に自転車不況。Thunder Trailが売れて76年に全米一位。1977年に社名を”Huffy Corporation”と変えた。

1980年代には米国でラレー名を使用する権利を得た。マイクメルトン率いるチームはオハイオ・マイアミスバーグのハフィーテックセンターで1984年ロスアンゼルスオリンピックの自転車を作った(ちゃま:これはラレー印)。グレッグ・レモンはハフィー印の自転車にのってツールドフランスを走った。ハフィーはグリーンマシーンのような三輪車を作っている。ラグラッツ、 きかんしゃトーマス、ドーラといっしょに大冒険、といったキャラクターライセンスを使ったカラフルな三輪車を数多く作っている。

会社情報 続き

Huffygreenmachineグリーンマシーン
Huffygreenmachineh2o

Huffyハフィーの自転車子供載せリヤカーとして、Aerocruiser bike trailer and stroller エアロクルーザー バイクトレーラー&ストローラー、そして、Huffy Tow-n-Stroll ハフィー トーンストロールなどがあったようです。

ハフィーの販売した自転車子供載せリヤカーは技術上も先進的なところがあって、特許をいくつも取得しています。これを見るとハフィー名義ではなく、ミネソタ州ブルーミングトンというところのTri Industries, Inc. トリインダストリーズというところの申請となっています。GEの宇宙関連企業に同じ名前の会社がありましたがこれは関係ありませんでした。こちらのトリインダストリーズは、台湾製品輸入関係の会社です。



1993年

Aerocru

Huffy "Aerocruiser"
ハフィーエアロクルーザー 

* バイクトレーラー/ジョギングストローラー
* 折りたたみ不可
* パッドはほとんどない

日本で手に入れられた方がいらっしゃいました。
=>ワクワク自転車ライフ
2007年9月の情報です。クッションはないけれども乗り心地は悪くないとのことです。シートポストでの連結だそうです。画像も掲載されていて、様子がよくわかります。

1993年8月に特許出願、1997年2月に取得しています。


1996年

Huffy "DUO SPORT"

Instep_duo_sport_du1401
InSTEPモデル

ハフィーが1996年1月5日申請、1998年4月に取得、インステップが、1996年4月17日申請、1997年5月に取得しています。ハフィーの特許は機能、InSTEP インステップはデザイン(意匠)の特許です。このDUO SPORTという自転車リヤカーはハフィーとインステップから販売されていたということです。InSTEPのDUO SPORT

デザイン特許は『その装飾的なデザイン』です。その装飾性が特許扱いになります。日本なら意匠登録となるところですがアメリカでは特許の中に意匠があります。この特許登録期間は14年で、日本の意匠登録と同じ期間です。


Huffy "Ride and Run" Bike Trailer

Instepun190
InSTEPモデル

2002年時点でもう部品がとりよせられないとの話がありました。

* 比較的安価
* ジョギングストローラーにも
* ロールバーを装備
* 自転車取り付けが簡単。また自転車転倒時にも自転車子供載せリヤカーは転倒しない

この自転車子供載せリヤカーを使っているカリフォルニアのユーザーのコメントで、The Strand(ザ・ストランド)とよばれるトランスからサンタモニカまでの道を、お父さんが自転車子供載せリヤカーを自転車で引っ張って、お母さんはローラーブレードで一緒にいっているという話がありました。お母さんが疲れると、自転車子供載せリヤカーのハンドルにつかまってお父さんがみんなを引っ張るのだそう。

この姿、想像できます?日本でやったら子供が危ないと言う人がいそうな光景だと思いますけれど、環境が違えば意識も違いますね。世界は広いですね。そういう意見を言うひとは現地にもいるでしょうけど価値観が一つに収束せず多様であるところが自己責任の社会です。


会社情報 続き

ハフィーとは基本的に量販店向け低価格大量販売の自転車のブランドで、1977年社名を変更(会社法では創)で80年代末から有名量販店で販売して、パシフィックサイクルと隣り合って棚に並べられて、競争してきたブランドです。

1983年から1986年は当時はまだイギリスを本拠としていたラレーからライセンスを受けて、ラレーの名前で北米向けに自転車を販売していました。自転車は自社製造です。自社製造とは自社が製造主体ということで、生産は委託でアジア製です。高級品以外の1983-1986に米国販売されたラレー車はすべて日本のブリヂストンです。アジア製とはつまりブリヂストン製ということです。ハフィーの企画で日本のブリヂストンが作った自転車をイギリスのラレーの印をつけてアメリカ向けにアメリカのハフィーが販売していました。ちょうど、今現在のアラヤがラレーを販売しているのと同じ関係です。(アラヤの企画で台湾でつくられた自転車をアメリカが本社のラレー社の印をつけて日本向けに日本のアラヤが販売する。)ラレーはこのハフィーの経験からダービー傘下となりさらに現在のライセンス業につながっているそうです。

1990年代
1995年12月末の収益見込を下方修正(Huffy Bicycle, Huffy Sports, Gerry Baby Products, Huffy Service First)。1996年1月子会社のハフィー自転車CEOにChristopher (Chris) W. Snyder。1997年4月育児事業を売却。1997年12月CEO兼取締役会長Richard L. Molen退任発表、後任COO兼社長のDon R. Graber。1999年9月、中国製低価格自転車との競争のため自転車製造事業から撤退を発表。自転車の企画設計、販売、流通で再生を狙う。11月、債務不履行。破産申請は考えていないと発表。11月、X Games(TM)が自転車のアメリカで伸びていると報道される。12月、フレームが折れて重症となった事故6件でマウンテンバイク22300台のリコール。

1999年9月末、米国2箇所の工場を年末までに終了しすべて海外生産に切り替えると発表
2000年:本社を売却しリース。9月過剰資産の売却継続を発表。

2001年:7月、Chapter11(会社再生)破産保護中のSchwinn/GT Corp.シュウイン/GTの自転車部門を6000万ドルで買収すると発表。自転車部門の300人は解雇の予定。8月、パシフィックサイクルがシュウイン買収7000万ドル以上でbidに参加。10月、セブンイレブンで6インチ車輪のHuffy(R) Micro(TM) Monkey Bikesを販売MSRP$69.99(他では80-100)。11月、自転車製造業から自転車輸入業への変身を推進した56歳の社長Chris Snyderが引退。11月、1998年からのメキシコの工場との契約を終了して北米生産をすべて終えた。同時にMicro Monkey Bikeとpogo stick(ホッピング)で業績は好調と発表。

2002年:4月Alpharetta買収発表。以前の発表時より収益向上見込とあわせて発表(この辺からあやしいです)。6月、カナダオンタリオのGen-X Sports Inc.,を買収。11月、自転車製造業ではなくSports-Equipment Supplier Huffy Corpと紹介されています。2002年は140万ドルの赤字でした。

2003年:1月、Graberがハフィーがさらに幅広くスポーツ用品取り扱いをおこなうと発表。3月、台湾のTest-RiteがHuffyブランドを使用してTest-Rite開発製造品を全世界で販売する契約。6月退職金積立不足。2003年は750万ドルの赤字でした。

2004年:1月、60歳のDon R. Graber がCEO職を退任、会長は2004年末までと発表。Graberは90年代から2001年9月11日まで、低コストの海外生産移転を推進、また自転車のハフィーを幅広くスポーツ用品のハフィーとして知られる会社に変えた。2月、新CEOPaul R. D'Aloia が100人のカットと4社を2社に統合を発表。(Huffy Bikes, Huffy Sports and Gen-X action sports divisions.) 3月には2年前に買収したGen-Xをその創業者グループに売却(戻った)。7月19日、3000万ドル現金でHuffy Sports Co.,(バスケットゴール販売) 資産を売却。7月27日、取引日数30日間で5000万ドルの売買というNYSEの取引基準を下回り不適格銘柄。8月売買停止。10月11日、D'AloiaがCEO兼社長を辞職、8月にCOOとしてきたJohn A. Muskovichと交代。アーサーアンダーセン、Federated Department Stores, Inc.,(現Macy's)、Elder- Beerman、電子商取引VerifoneのCFO、低価格パソコンeMachines役員とさまざまな経験をもち、デパートの役員がハフィーの社長と報じられる。ここで2004年10月20日にチャプター11(会社再生)破産保護申請し、ドレルが買収する予定だと、パシフィックサイクルの創業者で当時のヘッドだったクリス・ホーナングが発表したとのっていました。

2005年:1月にはGen-X買収時の発表で不正な将来見通しをおこなったとして証券取引法違反として訴えられる。5月、子供向け新型West Coast Choppersをウォルマートで販売。10周年のラジオディズニーも協賛。6月、ハフィーコーポレーションの子会社ハフィー自転車会社はJesse Jamesのデザインによる子供向け自転車West Coast Chopperシリーズを発表しウォルマートなどで販売。6月27日、中国の輸出業者へ輸出貿易保険(日本貿易保険(NEXI)や国際協力銀行(JBIC)にあたる)をサービスしている中国政府の代理人Sinosure Groupとの合意で(創業117年の)ハフィーは年金(退職金)支給を停止したうえで中国企業となると発表。ハフィーは破産状態から未公開企業となる予定。合意ではSinosure Groupが新規資産の3割と300万ドル、7割と900万ドルが無担保債権者に割当。Sinosure Groupからハフィー役員の大半を出し、Sinosure Groupが株51%までを5年以上保有。10月、退職者とごくわずかの現社員、計3700人分の恩給(退職金)は支給継続とPension Benefit Guaranty Corp. が発表。

最終的に2005年9月頃中国政府の投資会社の傘下となっているようです。現在もオハイオ州マイアミスバーグに本社を置いてHuffy Corporationです。Huffy Bicycle Companyも通称名として使っています。


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