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【書いていること】 - 自転車で牽く子供載せリヤカー

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ということで、自分のモデルをお勧めしようとかいう意図はまったくありません。自分が知らない世界があることをメモしていこうというのがはじめた動機でした。ある程度集まってくると、世界にこんなに使われていたのかと改めて思いました。そして、日本で子供乗せ3人乗り自転車の話が話題になりました。ここで世界でどんな風に子供をつれていっているのかが、ほとんど話題にされないことに、特にその報道機関の報道姿勢に首をかしげてしまいました。リヤカーに限らず、自転車で子供を2人を乗せることが普通におこなわれている国はたくさんあります。国土の狭いオランダやコペンハーゲンなどでは2人どころか子供4人以上を乗せて合法的に走っています。しかし、テレビ、新聞、雑誌とどれをとってもそういう姿を載せない、そういう環境を報じないんです。ちょっとはありますよ、でも、なぜか「自転車開発」の話から話をそらしません。というか「自転車開発」の話がメインだったりします。ここで紹介している世界で活躍する子供乗せリヤカーも「現在開発中」として報道されたのを見ました。もう?!でした。普通の感覚なら少子化問題に取り組むなら子育て環境全般についてのサポートを考えるのが行政の役割のはず。前から禁止だったというのは簡単です。しかも問題の本質を伝えるべき報道でさえその先はマナーの問題として報じるなど(しかもママさんとしてしかとりあげないのも不思議。なぜパパがでてこないのか。報道で!)、ことの本質が道路交通行政の問題であることに触れません。現状のインフラを変えるという抜本的対策に触れずに、なんとかうまくやりすごしてもらおうという感じです。歩行者が歩道を走る自転車を非難し、自転車は車道は怖くて走れないという板ばさみです。通勤ラッシュのマナーと同じです。こういう言い方は和を尊ぶ日本人としては気持ちいいものではないと思いますが、「インフラの悪さを棚に上げて利用者同士の問題に摩り替えている」と思えてなりません。なにか意図を感じてしまいます。この辺の話も思いついたとき、ところどころに書いています。そのうち、まとまったページにしたいと思います。

調べはじめてみると、当初は考えていなかったことも調べていました。

1つ目:自転車リヤカーがどうして日本で紹介されないのだろうと思ったことから、世界のさまざまな道路行政を少しずつですが知るようになったこと。なにか、日本では、「法律できめられているから・・・」と頭からそれを守るのがよしとすることが多いようですが、世界を見ると、よくない点はどんどん変えていくという姿勢で、法律であってもそれを市民が提言して修正させていくということがおこなわれている場所があります。日本は中央政府が強すぎて、地方自治というか地方政府という発想がなく、住民が自分たちのありようを決めるということをわすれてしまっている、ということを、自転車のありようを調べていて、恥ずかしながら思うようになりました。交通手段としての自転車の使い方などは国土交通省と警察まかせです。どこで新しいことが決められているのか、日本ではその人の顔がわかりません。

子供の同級生の小学生が信号機のない横断歩道で自動車に惹かれて亡くなりました。うちの子も10分たたずにそこをとおり、救急車を目にしています。児童たちへはよく見るようにと指導がありましたが、そこを通る自動車にはそのことはまったく告知されることなく、いまも変わらずに裏道として自動車がスピードをだして通り過ぎていきます。自動車の運転者にはここが危険な場所だとはなにも指導がありません。「鉄道の駅のプラットフォームに柵がないけれど、落ちるほうが悪く、賠償までしないといけない」(テレビ(TBSサタずば)でやっていました)という精神と同じです。それでいいのでしょうか?違うと思います。それが制定された当時とちがって、列車が駅に入ってくるスピードも、路地裏を通る自動車のスピードも、大変はやくなっている時代です。次はだれが犠牲になる番なのでしょうか。コロンビアのボゴタでは1995年に3363人が殺され、1400人が交通事故でなくなったのが最悪の時代といわれていました。内戦のコロンビアは怖くて行く場所ではない日本ではほとんどの人が考えます。日本で交通事故でなくなる人数は、県別では年間3桁人数ですが、それが少なくて安心と考えますか?コロンビアは怖い場所、日本は安全とはいえません。いつ交通事故にまきこまれてもおかしくありません。途絶えることなく、誰かがなくなっていきます。エレベーター事故で一人なくなった騒ぎと比べ、交通事故で一人なくなってももう社会は騒ぎません。他人事で、「わたしは大丈夫」とも思わなくなってしまっています。コロンビアは内戦が落ち着いてきているようですが、コロンビアに住んでいる人たちと日本に住んでいる人たちとは危険レベルはどちらが高いのでしょう?どちらも麻痺してしまっているのでしょう。

2つ目は、世界の自転車リヤカーを調べていく過程で、(有名メーカーであればあるほど)どうして一つの会社でこんなにいっぱいの会社名をブランド名としてもっているのか、そして、それがさも全然別の関係ない会社のようにいわれているのか、またすでに昔の話になっているのに今もそれが続いているかのように(ブランドを持ち上げて輝く星のような偉大な存在として)マーケティングされているのか、などが疑問で(最初はSchwinnRaleighで)、自転車関連商品のグローバリゼーションに触れるようになったこと。これは、メーカーがある国にあるからといってその国でつくられていないことも多いこと。大抵、台湾か中国かその他の東南アジア製であること。そして大規模メーカーであればあるほど、(作るのは中国でも)すくなくとも開発ではどうしても台湾は避けて通れないこと。ヨーロッパ製といっても、最終組立だけやペイントだけのこと。メイドインどこか、とあっても、一般人の考えるそれと自転車メーカーのそれは違うこと。メーカー名だと紹介されているものが単なるラベルであること。歴史あるメーカーと紹介されているほど、それは単なるシールでしかなくなって、メーカーの実態は違うこと。メーカーはオブラート(死語!)に包んでいるのに、輸入代理店、販売店など、消費者に近くなればなるほど、製造責任から遠くなればなるほど、マーケティング神話で真実ではないことがまことしやかにはっきりといわれていること、などなどです。海外製といわれて紹介されているものの多くが、一万年前に爆発してなくなった星の輝きなのに、いまもまだそれがあるかのように宣伝されて、それにお金を支払っているような気がします。日本語以外の情報にはもっと違う情報がたくさんあります。だから、日本と海外とは、そんな1万年前ではなくて、もっと近くにあると思えるように、ちゃまもたくさんの情報のなかのほんのすこしだけ日本語にしてメモしています。ここをお読みのみなさんも、得意なところを手分けしていただければ、販売側の都合だけの情報以外の、ユーザーにとっての日本語の情報がもっと増えると思います。日本語の情報だけで思い込みせずに努力して調べたいと思っています。


道路行政、それとグローバリゼーションとマーケティングの穴は、まったくのわき道なのですが、賢いユーザーになるために、もっというと賢い市民になるために(きゃー)は、避けて通れないようです。あまりないんです。そういう情報が日本語で。なぜか。ですので、日本の国内で都合よく料理されるだけ(行政のいうとおり、メーカーのいうとおり、)のユーザーから、少しは主体的に考えるようにしたいなって思います。少しは。

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